第22話 僕と二人のお姉ちゃん @6

【「喧嘩するお姉ちゃんたちなんて、大っ嫌い!!!」――これだ】


 それはコメ欄の皆が導き出してくれた、希望の光。

 この絶望的な状況を打破する、最後の可能性だった。


 僕は脳の中で、その言葉を反芻させる。

 これはイメージをより強固にし、少しでも強烈なインパクトを与えるための作業である。


 刀を熱し、槌を叩き付けるように。

 砥石に何度も擦り付けるように。


 僕は空気を斬り裂く、鮮烈な一閃セリフを練り上げていく。


――喧嘩するお姉ちゃんたちなんて、大っ嫌い!!


 ……違う。これではダメだ。


 感情移入が足りていない。

 大っ嫌いなのは伝わるだろうが、それだけ。


 必要なのは「大好きなお姉ちゃんたち」を嫌いになっていく、僕の苦悩である。


 「嫌われてる人間に嫌いと言われたとき」と、「自分を好いている筈の人間に嫌いと言われたとき」。


 どちらが心に傷を残すかなんて、わざわざ考えるまでもない。


 重要なのは落差だ。


 今、喧嘩をしたせいで、僕は一瞬にして二人を嫌いになった、という高低差。


 「お姉ちゃん超大好き!」から始まる、「もう話しかけんな」までの、滝壺へ向かうが如き衝撃を、僕は用意する必要がある。


 イメージしろ。


 それはdear myお姉ちゃん’sとの、懐かしき思い出(捏造)。


 僕らは一緒に海に行ったんだ(空想)

 僕らは一緒に映画を見たんだ(妄想)


 そして僕らは、同じ布団で一緒に寝た!!!(事実無根)


 だから僕は、お姉ちゃんたちが大好きなんだ、と。


 あぁ、愛すべき姉たちよ。

 僕は今から刃を振り下ろす。


――死ぬがよい。


 僕は震えそうになる膝を抑えながら、地獄みたいな光景を作り上げている二人に目を向けた。


 嵐が収まる気配は欠片もなく、ほっといたら日が暮れるまで続きそうに思える。


「行くぞ、僕……っ。僕は世界で一番可愛い妹だ……っ!」


 自分で言ってて悲しくなるが、この瞬間ばかりは致し方なし。


 僕は思い切り息を吸って。


 全力で。


 叫ぶ。


「喧嘩するっ、お姉ちゃんたちなんて!!!!――」


 そしてここで、一息の区切りを置いた。


 それはお姉ちゃんたちが、僕に意識を向けるための時間だ。


 狙い通り、僕の声に反応した二人が若干固まって、僕に視線を送る。

 ほんの僅かな時間だが、間違いなく空白が生まれた。


 僕の、僕だけの声が響く、千載一遇のチャンス。


 父親のパンツと一緒に服を洗われた、年頃娘の嫌悪の表情を見せてやる。





「――大っ嫌い。」


 …………。

 …………。


 大声ではない。

 怒声でもない。


 ただ、世界を凍て付かせ時を止める、絶対零度の声だった。


 僕は瞳のハイライトを消し、心底の絶望を二人に伝える。


 あーあ、やっちゃったねお姉ちゃん。

 僕もう口聞きたくないよ?

 一生近付かないでね?


 と、顔で語る。


【これは、うっわ……】

【トラウマが】

【高校時代の、隣の席の女の子思い出した】

【無理。吐く】

【たまひゅんした】

【後で妹にアイス買ってやろ……】


 僕は二人のお姉ちゃんを、冷徹な瞳で見つめ続けた。


 すると、数秒の間を置いて――


「あ、……え…………え?」


「……、ぁ……ボク…………」


――二人は、膝から崩れ落ちた。


 それは唐突に支えを失った人形のような倒れ方。

 一瞬にして関節の固定を失ったみたいで、僕は壊れた玩具を連想する。


 イノリちゃんは死んだ目で僕を眺めながら、自身の身体を抱いて「嫌……嫌……」と呟いていた。

 色の無い涙が頬を伝い、床を濡らしている。


 対してクオンちゃんは茫然自失といった様子。

 何を考えているのか僕にはまるで分からないが、フラフラと空を泳いでいる右手は、ログアウトしようとしているのだろうか。


 これは、やり過ぎた、気がする。


 どうする?

 またコメ欄に相談か?


「……またオレ何かやっちゃいました?」


【やめろ】

【黙れ】

【なろう系主人公の道を歩むな】

【エセ一人称やめれ】


 辛辣。


 まぁ良い、今回に関しては僕一人でも何とかなるだろう。


 結局のところ、今僕がすべきことは、「下げ過ぎた分だけ上げる」――それだけだ。


 ボコボコにしてしまったメンタルを、僕が癒してあげれば良いだけの話である。


 そう考えた僕は、まずイノリちゃんにゆっくりと近づいた。


「……イノリちゃん」


「嫌…嫌、嫌、ぁ、……ぁ、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 怖い怖い怖い。


 ほんとに自殺しそうな雰囲気すら感じるので、僕はさっさとカナエ流メンタル治療を開始する。


 まず僕はしゃがみ込み、イノリちゃんと目線の高さを合わせた。


「イノリちゃん、どうして喧嘩なんてしたの?」


「わ、わた、私はただカナエさんを、守ろうと……思って」


「そっか。でも僕ね、喧嘩とか見るとすっごく辛くなるんだ」


「あ、……ご、ごめんな、さい。ごめんなさい、嫌いにならないで……」


「じゃあもう喧嘩しないって約束してくれる?」


「し、します!絶対に喧嘩なんてしません。だ、だから――」


 ここだ、と判断した僕はイノリちゃんに抱きついた。


「――――!?!?」


 そして耳元で囁く。


「ありがと。……大好きだよ、イノリお姉ちゃん」


「はふぁ……(絶命)」


 1ワンkill。

 さぁ次へ行こう。


【鬼だ……鬼がいる……】

【カナエさん、男レベルで男心知ってんの何?】

【お姉ちゃん殺すなよお前】


 なんか一人、勘の鋭い奴がいるな。

 気をつけないと。


 僕は続いて、クオンちゃんの方へと歩いた。


「…………」


 クオンちゃんはぼうっと僕のことを見つめてくるだけで、僕の接近に対しても変化がない。


 生気を感じなくて、イノリちゃんとは別ベクトルだがこれはこれで怖い。


 僕はクオンちゃんに呼びかける。


「クオンさん」


「…………」


 しかし、返事はなかった。

 ただの屍ではないけれど、まるで屍のようではある。


 それを見た僕は、いくら声をかけたところで意味はない、次のフェーズに移行する必要がある、と判断した。


 なので僕は、クオンちゃんの右手を掴み――


「えいっと」


――それを、僕のおっぱいに押し付けた。


「……?柔、らか……――!?」


 無事にクオンちゃんは目を覚ました。


 ハッキリと言うが、僕は僕自身のおっぱいに価値など感じていない。


 触りたきゃ触れ。

 揉みたきゃ揉め。


 所詮このおっぱいは、仮想世界の幻でしかないのだ。

 汝が霞で満足できる人間なのであれば、僕は喜んでこのおっぱいを差し出そう。


 僕はクオンちゃんにおっぱいを揉ませながら、もう一度名前を呼ぶ。

 

「クオンお姉ちゃん?」

 

「……。どうしたのかな?カナエくん」


 冷静ぶっているがこの女、鼻血を垂らしている。

 

「急にお姉ちゃんだなんて呼ばれても、ボクも困る、というか……」


 もう一度言うが、この女は鼻血を垂らしている。


「とりあえず、その手を離してくれると嬉しいな。可愛い女の子が、身体を安売りするものではないよ」


 さらに繰り返すが、この女は鼻血を垂らしている。ダラダラと、洪水の如く垂らしている。


 僕は構わず言葉を続けた。


「クオンお姉ちゃんは、僕のこと嫌いなの……?」


 母性をくすぐるように、僕は話しかける。

 甘えるような声、甘やかしたくなる声を。


「ま、まさか。嫌いだなんて、そんな――」


「でも、僕のこと怖がらせたよね?二人が喧嘩してるの、怖かった。どうして?僕が嫌いだからじゃないの?」


「――――っ!…それ、は……申し訳、ない………」


 あと一押しかな。


「もうしない?約束してくれる?………僕のこと、守ってくれる?」


「あ、ああ、約束しよう。何があっても、絶対に」


――ここだ。


 僕はクオンちゃんに寄りかかり、体重をかけた。

 僕から抱きしめるのではなく、抱きしめて貰うように、クオンちゃんの胸に身体を預ける。


 そして上目遣いで、見上げるようにクオンちゃんを見つめ――


「……嬉しいな。僕、こうやってクオンお姉ちゃんとくっついてると……なんだか安心するんだ」


――トドメを刺した。


「あ、ぁ……(絶命)」


 はい、オールダウン。

 僕の勝ち。


 幸せそうな顔で気を失った二人を見ながら、僕は立ち上がった。


「よーし、……これで無事平穏が戻ったね。皆のコメントのお陰だよ。ありがとう」


【……いや、別に……】

【……気にすんな】

【あぁ、うん……】

【どういたしまして……】

【…………うん】

【………】

【……なにこれ】


 コメント欄のテンションが、やけに低いのは何故だろう。


 よく分からないが、僕が安寧のときを手に入れたのは紛れもない事実である。

 正直途中から目的が変わった気もするが、それもきっと気のせいだ。


 僕は二人が目を覚ますまで、まったりと雑談枠を取ることにした。

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