第16話 恋ってなんですか?

 隠奏宅での出来事の、翌日の朝。


 登校してきた祈祷は教室に向かって、一人廊下を歩いていた。

 祈祷の表情はやや暗い。


「どうして私、あんなことを……」


 祈祷は誰に伝えるでもなく、一人呟く。

 その言葉には後悔も含んではいたが、それ以上に疑問としての色が強かった。


 ”あんなこと”とは即ち、前日の一叶に対しての八つ当たりのことを指している。


 別に一叶がイノリよりクオンのことが好きであっても、何の問題もない。

 だから怒る理由など全くない。


 それにも関わらず、どうして私はあんなに感情的になってしまったのだろう、と祈祷は思う。

 これは昨晩にも考えたが、結局解けなかった謎だ。


「……それに、私らしくもないですし」


 そして今度は少し悔しそうな声。


 それは冷静な自分を見失った未熟さを感じた故か、もしくは冷静でない自分を見せてしまったが為か。


 ただ少なくとも、その「私らしくない」という祈祷自身の自己評価は、事実正しく客観的であった。


 一叶も「祈祷さんらしくない」と感じて怯えていたし、横にいた隠奏も同じように考えたことである。

 もし道幸が、他のクラスメイトが、あの場に居たとしても、誰一人の例外なく同じことを思っただろう。


 どうして普段ならやらないことを、昨日に限ってあそこまで、と祈祷は不思議に感じていた。


 とまぁ、分からないことは多いがともかくとして、何よりも重要なことは一つだ、と祈祷。


「――まず、謝らなくてはいけませんね」


 結局のところ、そこからだ。

 一人のとして、迷惑を掛けたら謝罪するのは当然のこと。


 祈祷はそう考えて、いつものように教室の扉を開けた。


 そこにあった光景は、祈祷の想像通りの日常だった。

 道幸が後ろを向いて一叶と顔を合わせ、一叶と道幸がお互いにからかい合う、という毎日の出来事。


 何も変わらない、おかしくない、普段通りの朝の1ページ目。


 祈祷の席は二人の奥であるため、通り掛かりに二人と挨拶して進むのは、一つの恒例となっていた。


 それは「おはようございます」だったり、「どうしたんですか?」だったり、日によって言葉こそ違うが、いつも何かしら声を掛ける。


 無言で通り抜けることの方が、珍しいくらいだ。


 なのに。


「っ―――。…………?」


 上手く話しかけられなかった。

 挨拶の言葉すら、出てこなかった。


 一叶の顔を見た瞬間、咄嗟に躊躇ってしまったのだ。


――何故?


 祈祷は再び不思議に思う。


 この、声が喉に詰まる感じはなんだろうか。

 のに話しかけられない、このもどかしさはなんだろうか、と。


 どういう訳か顔に熱を感じるし、やや教室が暑い気もする。


「…………?」


 今は春だ。

 暑さとは無縁の時期である。


 祈祷は首を傾げて、体調の違和感に心当たりは無いかと考えるが、分からなかった。


 別に苦しいわけではない。

 ただ顔が火照るだけ。


 おそらく風邪ではないと判断して、祈祷はとりあえず席に着くことにした。


 一叶と道幸のことを、まるで無視するかのような自分の行為に、祈祷は小さな罪悪感を覚えるが、そういう日もあるのだろうと割り切る。


 そして一叶と目を合わせないよう意識しながら、祈祷は自分の席に向かって歩いた。


 祈祷には、どうして己が一叶と目を合わせないようにしたのか、という部分に疑問を持つ余裕もなかった。


 祈祷はコツコツと足音を立てつつ、二人の横を通り抜けるべく進む、が。


「あ、祈祷さん。おはよう」


「は、はひっ!?」


 その途中一叶に声を掛けられて、変な声を出してしまった。


――い、今の私の声ですか!?


 まるで乙女のような――と表現すると祈祷が乙女ではないかの言い方になるが、とにかくそれは普段の祈祷ならば絶対に出さない、女の子の声だった。


 尋常ならざる自身の異常に、祈祷は動揺を隠せない。


「……祈祷さん?」


 しかし再びかけられた一叶の声に、祈祷は慌てて姿勢を正し、返事をする。


「あ、い、いえ……おはようございます、星乃さん。……笹木さんも」


 一叶に変に思われなかったか、とに不安になる祈祷。

 おかしな女だと思わないで、なんて柄でもない思考が駆け巡り、嫌な汗が背を伝い、焦点がふらつく。


 ただ気がつけば、二人は先ほどと同じように会話に戻っていて、祈祷は安堵の息を吐いた。

 同時に、あっさりと会話が終わってしまったことに対して、何か寂しさを感じたのはきっと気の所為だろう。


 祈祷はそのまま自分の席に着くと、雑に鞄を床に置き、顔を隠すようにうつ伏せになった。

 祈祷の呼吸は荒く、落ち着かないように身体を動かしている。


「な、なんですか、これ……」


 そして理由も分からず高鳴る胸を、必死に押さえつけていた。



☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡



 ちなみに祈祷が「も、もしかして恋というものなのでは……?」と気付くのは、この四日後のこと。

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