第15話 僕は勉強したくない @7
「星乃さん、そろそろこの部屋から出ませんか?」
イノリちゃんグッズ部屋にて、幾らかの時間が経過した頃、ふと祈祷さんが話し掛けてきた。
それはげんなりとした表情で、飽きてきたから進みたい、早く出口探しの続きをしよう、という様子。
「えー、もう少し見てこうよ」
しかし僕としては、まだまだ居座りたいのが本音だ。
この部屋には、この先もう一度見るチャンスがあるかも分からないレア物が、あまりにも多過ぎた。
ぶっちゃけ、どんなに眺めても眺め足りない。
「いやキリがないですよ……」
「も、もう少しだけで良いからさ。お願い」
僕は祈祷さんに向けて、手を合わせて懇願をする。
それを見た祈祷さんは困った様子で、眉を歪めながら悩む。
「……本当に、もう少しだけですからね」
嫌々ながらも許してくれるようだった。
本気で頼めば、なんだかんだで一歩譲ってくれるのが祈祷さん――なんて考えてしまうのは、流石に甘えすぎか。
ただどういう訳か、普段から優しい祈祷さんではあるが、その口調はいつものそれ以上に優しげに思えた。
そう大きな変化ではなかったが、明確に何かが違う感じがする。
しかし僕は勘違いだろうと決めつけて、そのまま気にせず祈祷さんにお礼を告げた。
「五分だけです。絶対に延ばしませんよ」
「おっけー、限界まで記憶に焼き付ける」
祈祷さんの了承を得た僕は、持てる限りの眼力を解放し、全力でフィギュアを見つめる。
もうこの場で、生涯で利用可能な、全脳内メモリの60%を捧げる意気込みだ。
そうして一分ほどが経った頃。
――スッタァァァン!!!(横スライド)
何やら聞き覚えのある音が、扉の方から響いてきた。
見た目だけは超立派な襖が、勢いよく開かれた快音である。
「…………な、な、なんでっ」
常に感情の起伏の乏しい隠奏さんには珍しく、何やら焦った様子。
羞恥に顔を赤く染め、僕と祈祷さんを交互に見ていた。
「…………で、出ていって。早く」
隠奏さんはキツい目付きで僕らを睨むと、大急ぎで僕ら二人の手を掴み、部屋の外へと引っ張りだそうとし始める。
小柄な隠奏さんであるため、そう強い力ではなかったが、その必死さはすぐに分かった。
「ま、待って隠奏さん。ここは隠奏さんの部屋なの?」
「…………ち、違…ぅ…。い、いいから出て」
掠れた声で、返事がくる。
字面通りに受け取るならば、それは間違いなく否定だが、その濁すような言葉尻に、僕は否定とも取りきれなかった。
何かを隠し、誤魔化しているような。
言いたいことが言えなくて、悔しくて仕方がない――そんな感情の気配。
僕には理由が分からない。
「……あぁ、そういうことですか」
しかし祈祷さんはその何かに気付いたようで、小さく理解を呟いた。
軽く目を細めて、隠奏さんを見つめる祈祷さんの横顔は、少し悲しそうである。
祈祷さんは何かを考える仕草をすると、すぐに隠奏さんに向けて話し出した。
「……それにしても、凄い部屋ですよね」
「…………っ」
苦虫を噛み潰したような、隠奏さんの表情。
しかし祈祷さんは構わず続ける。
「イノリちゃん、でしたっけ?ここにあるグッズの名前は」
「……………だから、何」
微かだが、その声は怒りを含む。
「いえ。私にはよく分からないのですが――ただ星乃さんが、この部屋を見て大喜びしていたので」
そう言った祈祷さんは、チラリと僕に目線を向けた。
その目を見て、隠奏さんが一体何を恥ずかしがり、何を考えていたのかが、僕にもやっと分かってきた。
隠奏さんは、僕らの手を引く力を弱めると、ゆっくりと振り返る。
「……………本当に?」
それはとても不安そうな声だった。
お前は私の趣味を笑わないか?馬鹿にしないか?、なんて声が聞こえてくるようで。
「うん、本当だよ。僕、イノリちゃんの大ファンなんだ」
だから僕は、明快に伝えた。
アニメ、漫画、ゲーム等を趣味にする、所謂オタクと呼ばれる人間は相当に多い。
相当に多いのだが、それでもオタクであることを大っぴらに話すのを、良しとしない風潮は残っている。
オタクを馬鹿にする人が沢山いる、なんてことは無い。
しかしそれでも、人に言いづらい趣味として確立していた。
Vtuberファンもそれと同じで、あまり公にはしない趣味として扱われやすいのだ。
隠奏さんの怖がり方からすると、誰かに酷く言われた経験でもあるのかもしれない。
「ちなみに僕は、あのイノリちゃんが腰抜かして倒れてるフィギュアが好きかな。あれ『赤鬼』っていうホラゲのときだよね?」
「……………そ、、そう!」
隠奏さんは先程までと打って変わり、目を丸く見開いて、明るい笑顔を浮かべた。
僕が仲間だと分かってくれたのだろう。
関係ないけど、横では祈祷さんが「……あ、あんな物まで。誰ですか作ったの……」と溢しているのが聞こえる。
「…………あ、あれは?分かる?」
「あー、……イノリちゃん生誕二周年記念のときに作られたTシャツだね。イラストレーターさんはちょっと分かんないけど……」
「……………凄い…っ!」
楽しそうな隠奏さんの姿を見て、僕も嬉しくなる。
そして僕ら二人は、そのままイノリちゃんについて熱く語り合った。
これもまた関係ないのだけど、何故か祈祷さんは居づらそうな顔をしていた。
☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡
「え、他にもコレクション部屋があるの?」
「………………うん。Vtuberごとに」
隠奏さんと話す中で、僕は恐ろしいことを聞いてしまう。
曰く、この部屋と同レベルのものが、他にも複数あるらしい。
この部屋一つでも十分に常識外れであることを考えると、隠奏さんのお嬢様レベルは僕の想像の更に上を行くのかもしれない。
「いや……凄いね。でも僕がよく見るVtuberは、イノリちゃんと他にもう一人だけだから、あんまり話には付いていけないかも」
「………………十分。イノリが一番好き」
隠奏さんのその言葉に、僕は安心する。
僕はあまり幅広くVtuberを追っている訳ではなく、一部――というか二人だけをメインに配信を見る。
だから僕は、Vtuberのファンではあっても、Vtuberというコンテンツ自体のファンではないのだ。
「………………もう一人は誰?」
「クオンちゃんって言うんだけど、分かるかな」
クオンちゃんとは、ボクっ娘であることが一番の特徴であるVtuberだ。
イノリちゃんには劣るが、クオンちゃんもまた登録者数は相当に多く、かなりの人気Vtuberの部類に入る。
「………………勿論。部屋ある」
「え、ホントに?後で見せ――――。…………。 。」
だがその瞬間、最後まで言葉を紡ぎきる前に、僕は言語機能を失った。
それは発言内容に問題があると気付いたからとかではなく、恐怖によって口が回らなくなった、というだけの単純な話。
僕が、隠奏さんとの会話の途中にも関わらず、口を閉じることすら出来ずに固まってしまった、その理由は――
「……星乃さん。……クオン、という方が好きなのですか?」
――幽鬼が、いた。
鬼と呼ぶには冷徹過ぎて、幽霊と呼ぶには感情的過ぎる。
即ち、
僕は恐怖に身体を震わせながらも、その問い掛けに答える。
「う、うん……。好き、ですけど……ひぃ!!!」
しかし僕は答えを誤ってしまったのか、祈祷さんから発せられる圧力は更に増していく。
というかオーラが見える。
「へぇ、……そうですか。好き、なんですか」
「な、なんで怒ってるのさ」
「怒ってませんよ」
いや絶対に怒ってるよ。
隠奏さんなんて、既に腰抜かして今にも漏らしそうなくらいにビビってるし。
他ならぬ僕も、さっきから膝が笑って立っているのも辛い。
「ちなみに、ですけど。大した質問ではないのですけど。…………イノリと、クオンさん。どっちの方が好きなんです?」
新たなる、問い。
間違えると不味いのは雰囲気で分かるのだが、質問の意図が掴めない。
どっちの方が好きでも、祈祷さんが怒る理由にはならない筈なのに、何故かどちらかが正解として存在している。
意味が分からない。
「そ、それは難しいよ。どっちも同じくらい、好きだから」
僕は逃げるように、曖昧な答えを返した。
実際のところそれは全くの嘘ではなく、イノリちゃんとクオンちゃんに関しては、順位を付けるのが難しい程にどちらも好きなのだ。
しかし祈祷さんは納得がいかない様子で、僕に一歩近付いてきた。
僕はつい、同じ距離だけ
「ハッキリと、決めて頂けませんか。イノリとクオン、どちらが好きなのか。――どちらを選ぶのか」
なんでやねん。とは流石に言えず、僕は緊張に唾を飲み込んだ。
祈祷さんは更に一歩、また一歩と僕に近付いてくる。
僕もそれに合わせて、下がっていく。
「――!?」
しかし、此処は壁に囲まれた一つの部屋でしかない。
後退するにも、限界はある。
僕は気付くと、重厚(っぽい見た目)な扉に背中をぶつけていた。
しかし祈祷さんは構わず歩み寄ってくる。
確実に、少しずつ、距離を詰めてくる。
そして遂にその距離が限りなくゼロに近付いて、祈祷さんがその整った顔を迫らせてきた。
至近距離で、目が合う。
「答えなさい。
貴方に示されたのは二択だ、と。
そう言外に伝えられていた。
好きな人に顔を寄せられているにも関わらず、ドキドキする余裕など一切ない。
ただ深淵の如く深い瞳に、僕は恐怖だけを感じていた。
逃げ道はない。
二分の一。
外すと、多分殺される。
鼓動が早まるのを感じて、頬を冷や汗が伝うのが分かる。
「僕、は……」
「僕は?」
当てろ。
生き残る為に当てろ。
そして僕が、選んだのは。
「僕は………イノリ、ちゃんが……好き、です」
沈黙が、二人の間を満たす。
それは僕にとって、無限にも思える時間だった。
僕は果たして正しい道を選べたのか、という自問が幾度となく繰り返される。
心臓の音が煩い。
祈祷さんが、ゆっくりと口を開き――
「そうですか。イノリさんの方が好きですか。…………そうですか」
――圧が消えた。
祈祷さんの表情こそ変わらないが、僕を縛り付けていた恐怖が霧散していった。
「ふふ、星乃さんて、本当にイノリさんが好きなんですね」
「う、うん…。好きですよ、はい」
正解、だろうか。
どうやら僕は、生き残ったらしい。
そこに居るのは、いつもの祈祷さんだった。
☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡
その後、随分と遅い時間になっていることに気付いた僕らは、解散して各々の家へ帰ることになった。
隠奏さんとの話が、少し盛り上がり過ぎたのかもしれない。
僕としても少し、楽し過ぎたのだ。
隠奏さんの案内で無事に出口に辿り着いた僕らは、そのまま客間に置いていた荷物を持って、家路に着いた。
僕は祈祷さんを家まで送った為、さらに遅くなってしまったのは仕方ないだろう。
そして風呂に入り、ベッドに潜り、今にも寝ようとしたときに、僕は思い出した。
そういえば、テスト勉強終わってないなって。
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