第14話 僕は勉強したくない @6

 その日から、私は少し配信するのが楽しくなった。


 たった一人ではあるけれど、私を好きだと言ってくれる人の存在はとても大きかったらしい。


 まるで己を一人で踊る道化のように感じていたのが一転して、明確に視聴者というものをイメージ出来るようになったのだ。


「『一叶』さん。……多分一生忘れませんね、この名前は」


 彼か彼女かすらも分からない、『一叶』という名のアカウントから送られてきたファンメッセージ。

 私はそれを、間違えても消さないようにロックして、お気に入りのフォルダに置いている。


 その内容自体は特別変わったものでは無く、ただ応援しているというだけの趣旨だったが、しかし孤独の最中にあった私にとっては、あまりにも嬉しい言葉だった。


「今日も、メッセージ来ますかね……?」


 以来『一叶』さんは私が配信をする度に、何かしらのメッセージを送ってくれる。

 それは感想だったり、プレイしたゲームのアドバイスだったりと日毎に違う内容なのだが、ともかく私の配信後の楽しみになっていたのは間違いない。


 まだかな?……なんてソワソワしながら、私は通知が鳴るのを待つのだ。

 たまに、届いていないと分かっているのに、つい携帯に手を伸ばすこともしばしばあった。


「なんというか……恋人からの連絡を待ってる人、みたいになってますね……、私」


 彼氏など作ったことは無かったので、所詮はただの想像に過ぎないけれど。




――ピコンと、通知音が鳴った。


「!?」


 私は慌てて携帯を手に取る。

 案の定、『一叶』さんからのメッセージだ。


 私は慎重にそれを開いた。


「ふふっ、なんですかそれ……」


 今日は「僕も同じゲーム買ってみたよ」という話で、曰く、私の配信を見て自分でも遊んでみたくなったのだとか。


 本当に楽しそうな人である。


「よし、明日も頑張りましょう……っ」


 今の私にとっては、『一叶』さんが元気の源だと言っても過言ではなかった。

 この人さえ私を見ていてくれるなら、それだけで走り続けられる、と言い切れるくらいには力を貰えていたのだ。


――しかし。


「……どうして?」


 数ヶ月が経って、徐々に私の人気が出始めた頃、唐突に『一叶』さんからのメッセージが途絶えた。

 一通として、私の元にその名前が届かなくなった。


 この頃の私は、毎日それなりの数のファンからメッセージを受け取るようになっており、孤独なんて忘れていたけれど。

 でも、それでも、『一叶』さんが居なくなったことで、私の心にはぽっかりと穴が空いたのだ。


「飽きられちゃった、んですかね……」


 それは考えたくもないことだったが、一番可能性の高い理由ではあった。

 私とは別に好きなVtuberを見つけて、その人に夢中になっているのかもしれない。


 ……寂しい、なぁ。


「……いえ、そういうものですもんね。Vtuberって」


 私は自分にそう言い聞かせて、忘れることにした。

 必死に忘れようとした。


「……っ」







 忘れられなかった。






☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡




 この部屋には、ぬいぐるみにフィギュアにタペストリー、ありとあらゆるイノリのグッズが揃っていた。


 二人の視界を埋めるように、辺り一面にはイノリ、イノリ、イノリ。

 それは狂気的なまでの蒐集欲によってかき集められた、イノリグッズの数々だった。


「凄い、僕でも持ってない超レア物まで……。この等身大フィギュアなんて、確か150万くらいする筈なのに!」


 一叶は衝撃のあまりに、驚きを隠しきれない。


 金銭度外視だと言わんばかりに躊躇なく買い集めただろう、無数のグッズが並ぶこの部屋は、相当の愛が無くては作り得ない光景だった。


 一体誰がこの部屋を、と一叶は疑問に思うが、それ以上にその人物と話してみたいという欲求が、一叶の中を満たしていた。


「な、なんですかこの部屋……。ここまで来ると怖いんですけど」


「え、怖いって何がさ。祈祷さん、イノリちゃん知らないっけ?」


 一叶は祈祷の言葉に、心底驚かされる。

 祈祷の「怖い」という言葉は、熱烈過ぎるファンの行き過ぎた行動を恐れての意味だったが、当然一叶には伝わらない。


「え?……えー。名前は知ってますよ?ほら、星乃さんがカラオケで言っていたので」


「そういえば。ところで、なんでそんなに目が泳いでるの?」


「泳いでませんけど?」


 祈祷は断ずる。


 誰がどう見ても泳ぎまくっていたが、堂々と断じきる。

 振り子の如く暴れ回っていた瞳を誤魔化すように、祈祷はあらぬ方向へ視線を飛ばした。


 普通なら追求したくもなる場面ではあるが、しかし素直な一叶は額面通りに受け取って、祈祷さんがそう言うならそうなのか、と詮索を終える。


「でもLoSをプレイしてるのに知らないなんて、逆にビックリだよ。絶対に見たほうが良いと思うよ、イノリちゃんの配信。凄くオススメだからさ」


 それは心から好きなものを勧めるとき特有の、隠しきれない興奮を僅かに漏らしてしまう、という口調だった。


 一叶の表情を間近で見ていた祈祷には、否応なく一叶のイノリ愛が伝わっていく。


「そ、そんなに好きなんですか?」


 やや困惑気味の祈祷だが、心なしかニヤけて口角を上げている。


 そして祈祷から発せられた、好きなのかという問いかけについて。

 それは一叶にとっては愚問でしかなかった。

 一秒どころか一瞬たりとも悩む必要は無い。


「そりゃ大好きだよ!!超好きだよ!!めっちゃ可愛いもん!!」


「へ、へぇー……。そ、そうですか。大好き、ですか………。……そうですか」


「なんで嬉しそうな顔してるの?」


「してませんけど?」


 祈祷は断ずる。


 え、なんの事ですか?、と言わんばかりの飄々とした態度であった。


「そっか」


 一叶はまたも素直に、気のせいかと判断して頭を切り替える。

 

 しかしイノリのファンではないという人は居ても、その名前すら知らない人は滅多に居ない。


 そんな相手を見つけてしまった以上、一叶にとってはイノリを布教する、以外の選択肢などある筈もなかった。


「じゃあこれから僕、イノリちゃんをプレゼンするからよく聞いててね?」


「いえ、別に大丈夫です」


 即答。


 己のプレゼンとか不毛過ぎるだろう、という祈祷の思考は至極まともである。


「…………………そっか」


 だがイノリの正体を知らぬ一叶にとって、祈祷のその言葉は絶望に等しかった。

 好きな相手が、自分の好きな物に微塵も興味を持ってくれない寂しさ。


 それは告白を断られるのに近しい衝撃を、一叶に与えていた。


「き、聞きます。やっぱり聞きますからそんな悲しそうな顔しないでください」


 ある意味で祈祷は負けた。


 祈祷の了承を得た一叶は、ぱぁっ、という効果音が聞こえる程の笑顔を浮かべ、全力で紹介することを心に誓う。


「じゃあ祈祷さん、まずあの画像を見て欲しい」


 一叶が指差したのは壁に飾られた、イノリが向日葵のような笑顔を浮かべている、一枚のスクリーンショット。


 背景は無数の銃痕が残るLoSの戦場で、笑顔とのギャップが凄まじいといえば凄まじい一枚だ。


「はい。笑っている画像ですね。特に変わったところは無さそうですが」


 祈祷は一叶の指差した先に、顔を向ける。


 勿論、一叶の示した画像はただイノリが笑っているだけのものではない。

 あの一枚はそれ以上の価値を持つことを、一叶は知っていた。


「実はあの画像ね――イノリちゃんが、初めてLoSでチャンピオンを取ったときの笑顔なんだ」


「!?」


 なんでそんなものが、という驚愕の表情。

 二年以上前の己の姿を唐突に見せられ、祈祷は口をあんぐりと開く。


「可愛いよね。あのときは僕も一緒に嬉しくなっちゃったよ」


「………う、わ……」


 恥ずかしさに、祈祷は頬を薄らと赤らめた。


 だが一叶のプレゼンは始まったばかりである。

 一叶はまた別の画像を指差しながら、説明を続ける。


「その隣のは、初めてスパチャを貰って嬉しそうにしてるイノリちゃん」


「!?……あ、ぁぁ……」


「で、あれがね。初めてホラゲ実況して泣いちゃったときの画像」


「…………ぅぅ……あのときの……」


「そこにあるのが、トイレ行きたいのを我慢しながら、チャンピオンをもぎ取ったときの画像」


「……ぇ」

 

「その下は配信しながら寝落ちしたときの画像」


「…………ぅ、ぁ……」


 それはまさに、黒歴史の数々。


 祈祷は思い出したくもなかった記憶を、容赦無く掘り起こされていった。

 沸騰寸前と呼べるまでに顔を真っ赤に染め上げて、既に両手で顔を覆い隠している。


 しかしまだまだ終わる様子のない一叶に気付いて、祈祷は涙を浮かべて発狂しそうになる。


「で、あれが――」


「ちょ、ちょっと待ってください!!分かりました!!!もう分かりましたから!!」


「え、でもまだ……」


「うううううるさいです!!もう良いと言っています!!!」


 絶叫、咆哮。


 それは普段の祈祷では、決して有り得ない行動であった。


 祈祷に対して、クールでお淑やかなイメージを持っていた一叶は、想定外の祈祷の反応に動揺させられる。


 そして、祈祷さんこんな声出せたんだ、と驚きに身体を強ばらせる一叶だった。


 本気で止めて欲しそうな祈祷の姿を見た一叶は、画像紹介を中止にすることに決める。


「うん…、ごめん分かった」


 その一叶の言葉を聞いて、安心する祈祷だが――


「じゃあ最後に、僕のイノリちゃんの好きなところを説明して終わるよ」


――プレゼン自体の終わりでは無かったらしい。


「え?」


 今なんて言ったの?それただの羞恥プレイでは?――と、思う祈祷を完全に無視して、一叶は己の想いを語り始めた。


「まず、笑うと凄く可愛いんだ。それはさっき最初に見せた画像の通りなんだけど、イノリちゃんの笑顔を見てると、僕まで嬉しくなっちゃうっていうか。あんな楽しそうな笑い方をできる人、僕はほとんど知らないよ」


「……っ」


 祈祷は一叶の顔が見れなくなる。


「次にね、イノリちゃんってひたすらに純粋で、優しいんだ。僕、前に偶然オフのイノリちゃんを見かけたことがあるんだけどさ。それが丁度初心者の人を助けてる場面でね、きっと裏表がないんだなって思ったよ。初心者の人は凄く嬉しそうにしてて、助けたイノリちゃんも笑ってるのを見て、今まで以上にファンになったのを今でも覚えてる」


「な、見て……っ!……ぅぁ……」


 顔を押さえて、全力で目を閉じる。


「で、僕的にはこれが一番なんだけど、イノリちゃんって本当に頑張り屋なんだ。いつも全力で、どんなことでも最善を尽くそうとするっていうか。特に凄いのが、最初の頃なんて本気で、視聴者全員の名前を覚えようとしてたんだよ?」


「わ、分かっ、…あの、もう」


 泣きそうになりながらの懇願。


「多分だけど、最初の三千人くらいまでは全員覚えてたんじゃないかな。流石にもう忘れちゃったと思うけど、その頃は――」


「…………え?」


――ふと、祈祷の表情が固まった。


 あっという間に羞恥の色は遥か彼方へ消え失せて、ただ信じられないものを見るかのように、一叶の顔を見つめる。


 一叶はまだ話し足りない様子ではあったが、ガラリと雰囲気の変わった祈祷を見て口をつぐむ。


 祈祷のそれは、何かに気付いた、という顔付き。


 二人の間に流れる空気は完全に変わり、真空の如く静まり返る空間が生まれた。


「……どうしたの?」


 不安に思った一叶は、心配そうに問いかける。

 心此処にあらず、という眼で己と顔を合わせる祈祷は、どう考えても正常ではなかった。


「あ、いえ。……その、星乃さんって、登録者数が3000以下の頃から、イノリという方の配信を見ていたのですか?」


 何でもない世間話――の皮を被せようと、声を落ち着かせる祈祷。


 しかしそれは平坦すぎる声色として現れ、むしろ一叶は不審に思う。


「……うん。というか100超える前から見てたかも」


 祈祷の態度に首を傾げながらも、一叶は質問に答えた。


 100という数字を聞いて、祈祷は息を呑む。

 自身の推測が正しいものだ、と決めるに足る情報が揃っていく。


「………。……星乃さんって、VRでのユーザーネームは何でしたっけ」


 続けて、問い。

 喉を震わせないように、必死に身体に力を込める。


 まさか、そんな訳……などという心の声が溢れ出るくらいに、祈祷の瞳はふらついていた。


――確か、星乃さんの、下の名前は


「僕?『一叶』だよ」


「――――。……本名、そのままなんですね」


 そして確信に変わった。


「そうだよ。それがどうかした?」


 祈祷の脳裏を駆け巡るのは、何度も折れそうになる新人の自分を支えてくれた、顔も知らない一人の視聴者。

 アカウント削除に伸ばす手を押さえつけてくれた優しい言葉。


 それは何年も前の話で、大物と呼ばれ始めてからは一度も目にしていない名前だった。


 もう『イノリ』に飽きてしまったのかと思っていた。


「いえ、本当になんでもないです。それで何でしたか。イノリちゃん、という方の話は終わりですか?」


「あ、…うん。十分かな。聞いてくれてありがとう」


「はい。今度私も探してみますね」


「ホントに?それは嬉しいな」


 祈祷は今まで、偶然同じ名前なだけだと判断して、気にもしていなかった。


 当たり前だ。

 それは一叶と出会う、遥か数年前の出来事なのだから。


 会ったこともないたった一人の恩人が、偶然同い年で、偶然同じ学校に通い、偶然同じクラスに振り分けられ――そして、告白してくるなど。


 それが一体どれほどまでに低い確率なのか、想像もつかない。


「…………」


「…………」


 二人の会話は、そこで途切れた。


 二人は距離を置きながら、それぞれ部屋を探索していく。

 離れようとするのは、祈祷の方だ。



 それは一叶に顔を見られないように。

 

 





――あぁ、『一叶』さん。こんな近くから見てくれてたんですね。



 祈祷イノリは、嬉しそうに涙を流していた。

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