第9話 僕は勉強したくない @1
リアルにおける死が、生命活動の永遠の停止を指すならば。
――VRにおける死とは、何を意味するのだろう。
アカウント所有者の死亡?
非ログイン期間が一定日数を超えた場合?
ユーザーがアカウントの存在を忘れ去った瞬間?
否。
「……私が『イノリ』に、消えろと命令したとき」
お前はもう要らないと断じて、二度とその姿を身に纏わないと心に決め、全ての思い出を電子の海に放り捨てたとき、私の『イノリ』は完全に死ぬのだろう。
「……」
私の目の前にあるのは、『イノリ』の削除を問う最後のウィンドウ。「Yes」に触れれば何もかもが終わり、これまでの努力を自ら否定することになる。
「……疲れた」
登録者が増えない。動画を上げても反応がない。
どんなに頑張っても何も起こらない。
「……どうして?」
それは遥か昔に百を超えた、同じ自問の繰り返し。
私に足りないものはなんだろう。
容姿か。声か。ゲームの実力か。
「……分からない」
進む方向は合っているのか?
そもそも進めているのか?
進んだところで意味はあるのか?
終わりの見えない道程だ。未だ半歩も進めていないのであれば、きっと私の心は最後まで持たない。あらゆる思考が私の心を削って、砕いて、この壊れかけの膝を折ろうとした。
「……私には、向いてない?」
涙が頬を伝う。ホログラムに差し向けた指が震える。
感情は闇へと流れ、負の螺旋を描き、下へ下へと落ちていく。この先にあるのは諦めだと分かった。
「……もう、消したい。消えたい」
どうせ誰も見ていないなら、この苦悩に何の意味があるのだろう。一人で笑って、歌って、夢を見て――あまりにも滑稽ではないか。
「……っ」
大粒の涙が溢れ出した。同時に嗚咽が漏れた。
泣いている場合じゃないと分かっていても、喉がしゃくり上がって止まらない。肩が震えて、前を向けなかった。
――泣いて何かが変わるのか?
また自問。僅かに残る理性の残滓が、冷徹に私に問いかける。
「……ぅ、っ…ぐす……」
分かりきったことを聞くな。何一つ変わりはしない。
でも、それでも涙が止まらないから、こんなにも押し潰されそうになっているんだ。
「……ごめん、なさい」
――まだ諦めたくない。
私の中から、声が聞こえる。
子供みたいに泣きじゃくる声だ。
「ごめんなさい、イノリ……」
心はとっくに折れていた。憧れに目を輝かせた、幼い私はもう何処にも居なかった。
――嫌だ。お願い、待って。
あの頃の私が縋ってくる。
悲しみに歪んだ顔で縋ってくる。
「……さよなら」
でも無理だった。
私はウィンドウに手を――
「……。誰?」
――直前。一つのメッセージが届いた。
それは初めて『イノリ』に宛てられたメッセージ。
その送り主の名は、私が数年後に出会う人物と同じだった。
☆ ☆ ☆
「おはよー、道幸」
「あぁ……おはよう一叶」
僕が学校に着くと、道幸は疲れきった様子で席に座っていた。それはまるで目覚めと同時にフルマラソンをしたかのような顔で、今にも死にそうにも見える。
「朝から随分な顔してるね。何かあった?」
僕は道幸のただならぬ状況に不安を覚えて、その理由を問うてみた。
「……いや。そうだな、お前にだけは、話すべきか」
「?」
柄にもなく大層シリアスそうな口調。あまり面倒ごとを僕の元に持ち込まないで欲しいなとは思うが、他ならぬ道幸であれば助けてやるしかあるまい。
僕が耳を傾けると、道幸は力の入らぬ身体でどうにか口を動かした。
「何から説明したものか悩むんだが、とりあえず今日起きたことを話すと――目が覚めた瞬間に、フルマラソンを走らされた」
「凄いな僕の観察眼」
大正解じゃないか。今度推理系のゲームを配信してみよう。
「いやでも、どうしてそんなことに?しかも走らされたって」
「待て待て、ちゃんと説明する。とりあえずお前も席に座れ」
腰を据えて話そうぜ、ということか。道幸の珍しい雰囲気に困惑させられるが、僕は大人しく席に着くことにする。僕が助けになれる話なら良いのだけど。
「座ったけど、それで?」
「ああ。実は俺、隠奏さんに告白した」
「マジで?」
「マジで」
道幸は割と積極的であり、好きな相手が出来たらササッと告白してしまう、というのは小学生時代から変わらない。
だから告白したこと自体に驚きはしなかった――が、それはそれとして、そんな話をこの場でするのは短慮としか言えない。
僕は机に隠しておいたプラスドライバーを、こっそりと手に握る。これは不意の一撃で道幸を永久に眠らせるためのアイテムだ。
「……隠奏さんの返事はどうだったの?」
もしその答えがYesであれば、僕は躊躇なく友との別れを済ます。Noであれば、僕らはまだ友達でいられる。
というか祈祷さんにフラれたばかりの僕に「彼女ができた報告」なんて、喧嘩を売ってるとしか思えないだろ。さぁ教えろ道幸、お前はリア充なのかどうなのか。
「『私も好き』だって」
「そうかそりゃ良かったな死ねぇぇぇえ!!!」
「おおおお!?そのドライバーどこから取り出した!?迷いなく突き刺すの止めろよ俺ら友達だろ!?」
「僕の友達にリア充なんて要らねぇんだよボケが!!」
何が好きで他人のイチャラブを間近で見なきゃならない。即断即殺に決まってる。
道幸は僕の手首を捕みプラスドライバーの侵攻を抑えるが、それでも僕は必死に力を込めた。僕の相棒プラスドライバーはプルプルと震えながら一進一退を続ける。
「クソ、これがマイナスドライバーなら……っ!」
「何も変わらねぇよアホかぁぁ……ッ!!」
このままでは埒が明かないと判断した僕は、クラスの男子を味方にすることにした。僕vs道幸――即ち非リアvsリア充の戦いにおいて、クラスメイトがどちらに付くかなど目に見えている。
「皆、リア充が出たぞ!ぶっ殺せ!!」
「ちくしょう、お前みたいな人間が少子高齢化を加速させてんだからなッ!!」
そんなの知るか、どうしても生きて帰りたいなら僕と祈祷さんを結ばせてみろ。
僕の声に反応したモテない男子共は立ち上がると、鬼のような瞳を道幸に向ける。
「「「は?リア充……?」」」
「おい一叶!なんだコイツら、ゆっくりと俺の方に近寄って来やがる……ッ」
「お前知らないのか!?このクラスに彼女持ちの男は一人も存在しないんだよ!つまり異端はテメェだ笹木道幸!!
」
「ちくしょう、なんてクソなクラスに配属されちまったんだ俺は……ッ!」
圧倒的な数の利を得た僕は、道幸を蹴り飛ばして暴徒の中へと放り込む。事もここに至れば、僕が直接手を下すまでもない。
「お前らやっちまえ!」
「ぐおぉ!?ってお前ら待て待て――いやちょ流石に電子溶接機はダメだろ!?それはマジで死ぬ、止めぁぁぁぁあ!!」
道幸の断末魔を聞きながら、僕は優雅に席へと戻る。リア充との接触は最小限に済ませたかった。
「一叶、助け……ってこっち見ろやテメェ!!!」
僕の背後から道幸のキレ散らかす声が聞こえるが、今の僕には関係の無いこと。友情なんてものは容易く失われるのだと知れ。
「つーか付き合ってねぇから!!俺と隠奏さんは付き合ってねぇ!!」
「……なんだと?」
しかし道幸の口から発せられた予想外の言葉に、僕は振り向く。互いに好意を寄せ合っているのに付き合わないとは意味が分からないが、万一その言葉が事実なら粛清の対象にはなり得ない。
「皆、一時中断だ」
「「「……了解」」」
僕は暴徒達に手を向け、静止するよう指示を出した。
「お、お前いつの間にそんなポジションに……?」
「衆目の中で祈祷さんにフラれたあの日からだよ。僕はそのとき歴代最強の底辺になって、そして同時に非リアの絶対的頂点に君臨したんだ」
「底辺極めすぎて頂点取るのはヤベェって……」
僕に並ぶには最低でも「教室のど真ん中でフラれる」という行為が必要となるため、当分は僕の天下になるだろう。
「それより説明してよ。隠奏さんと付き合ってないってどういうこと?」
「お、おう」
僕はふんぞり返りつつ、道幸に弁明を求める。ここでの言葉選びを間違えれば、即座に死が訪れることは道幸も理解しているだろう。
「さっきも言ったが、告白が成功するまでは良かったんだ。そりゃ俺も嬉しかったし、隠奏さんも照れてて可愛かった」
「イチャイチャしてんじゃねぇぶっ殺すぞ」
「落ち着けよ最後まで話を聞け……。問題なのはその後だ。隠奏さん、いきなり俺に『手を出せ』って言ってきたんだよ」
「……手?」
話が見えてこない。
「で、俺はよく分からず手を出したんだが……そしたら無理やり、隠奏さん家の『解錠用指紋』に俺の指が登録された」
「は?」
つまり告白が成功した直後、強引に家の鍵を渡されたということか。
「隠奏さんって一人暮らしだっけ?」
「いいや実家」
やっべー。いくら何でも急展開すぎるだろ。もう少し流れを踏むものではないのか、そういうのって。
「俺も意味が分からずポカーンとしていた訳だが、その後の隠奏さんの言葉で全部理解したよ」
「なんて言われたの?」
「『…………同棲』」
「マジかよ……」
付き合い始めてそのまま実家で同棲しようとする高校生が、この世にどれだけ存在するのだろう。少なくとも僕は初めて聞いた。
「とにかく隠奏さんの中では、カップルは絶対に同棲するものらしい。俺は『もう少し段階を踏みません?』ってお願いしたんだけど、まぁ聞く耳持ってくれなくて」
「なるほど」
「で、隠奏さんは俺を実家に閉じ込めようとするようになった」
「なるほど……?」
また大きく話が飛んだせいでイマイチ納得はできないが、道幸が逃げ回る理由は分かった。つまり「普通に付き合いたい道幸」vs「絶対に同棲したい隠奏さん」による鬼ごっこが開幕したということだろう。
道幸も実家暮らしだし、同棲なんてそう簡単にはできないはずだ。僕みたいに一人暮らしであれば、少しは状況も違った――
「俺はな、こう……少しずつ仲を深めていく過程が大切だと思うんだよ。いきなり同棲はダメだ。愛が足りない」
――とかの問題でもないらしい。意外とロマンチストな道幸の発言に、僕は笑いそうになった。
「でも大変だね。隠奏さんからしてみれば、道幸を無理やり檻にでも閉じ込めてしまえば良いだけ――」
「………………おはよう」
ふと気付くと。
僕らの横に。
隠奏さんが立っていた。
今僕は、一ミリも気配を感じ取れなかった。もしここがLoSだったら、間違いなく殺されていただろう。
僕の背中を、冷たい汗が伝うのが分かった。
「悪い一叶、俺朝礼までマラソンしなきゃならんからじゃあな」
「え?マラソンは良いけど、そっちは窓――おおおお!?ちょここ三階だぞお前!!!!」
しかし道幸は一切の躊躇なく、窓から外へと身体を投げ出した。それは慣れた動作と呼べる卓越さで、落下への怯えは全く見えなかった。
一体この数日に何があったんだ道幸。
「………………逃がさない」
「逃がさないってまさか隠奏さんも……あ、飛び降りたね。何となく分かってたけどね」
道幸の後を追って、当然の如く隠奏さんも姿を消した。地面まで10m以上はあるはずなんだけどな。
「えぇー……。どうしよう僕これ」
ただ一人取り残された僕は、窓から吹きつける風を浴びることしか出来なかった。
「おはようございます、星乃さん。何かあったのですか?」
「わ、ビックリした祈祷さんか。おはよう」
丁度教室に着いたらしい祈祷さんが、教室のどよめいた空気に疑問を感じて僕に話しかけたようだ。しかし何かあったのかと聞かれても、僕も何が起きたのかよく分からないから答えようがない。
「まぁこれは少し説明が難しいんだけどねー……」
「はい」
少なくとも、道幸は告白に成功したのに付き合えなかった、って部分は間違いないから――
「恋愛はままならないんだなぁ、ってよく分かる事件だったよ」
――と、答えることにした。
「???」
きょとんとした祈祷さんは、相変わらず可愛かった。
この後、「祈祷さん、その窓から飛び降りたり出来る?」と聞いたところ、「何言ってるんですか、無理に決まってますよ」と鼻で笑われたので、心の底から安心した。
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