第三章『そこに栄光はあるんか?』 1

『はい、じゃあ二人組を作ってください』

 それはある一部の学生にとって、あまりにも残酷な言葉だった。

 現代社会を生きる上で人との関わりを強制的に強いられるこの制度は、それまで教室の隅で本を読み、うたた寝に己のプライドを捧げてきたような者たちにとって最も聞きたくないワードベスト3にランクインする呪詛である。

 栄光ある孤立とは学校という狭い王国には存在せず、ただ虚しい孤独と屈辱だけが存在しているのだ。

 もちろん同じクラスであれば友達とまでいかずとも軽い雑談をする程度の相手はいるだろう。

 しかしそういう相手が都合よく売れ残っているわけもなく、大抵は他に仲の良い友人たちと組むものだ。うたた寝同盟同士ではお話にもならない。お互い話さないから。

 それを入学二日目という人間関係の一切が出来上がっていない時にやるのは如何なものか。

 あ、生徒のほとんどが中学からのエスカレーター進学でしたね……みんな顔見知りでした。

「君達三人は遅刻したのでそのまま三人で組んでもらいまちゅね」

 教室に着くと、丁度我がクラスの担任となった狂気のおしゃぶり男が教室から出てくるところであった。

「はぁ!?アタシこいつと組むの!?なんで!?」

 一足先に到着していた星奏さんが遅れてやってきた私達を指差した。主に私を指差した。

 特別に扱われるって、なんか嬉しいですよね。うふふ。

「一人欠席者が出てな。三人班で我慢しろ。それとも俺と組みたいちゅぱか?」

「あ、いえすみません。三人でいいです……」

 あまりに残酷な二択を前に逆立っていたツインテールが小さくしょぼくれてしまうのが見えた。

 星奏さんは見るからに肩を落とし、私達の元へ戻ってくる。ところで走って額に滲んだ汗を舐め取って毎日の健康状態を見てあげたい。あげたくない?

「ごめんなさい星川さん……私のせいで……。それに私なんかと組むの、嫌ですよね……」

 遅刻の原因を作ったことに負い目を感じているのか、恋花さんが目の端に涙を浮かべていた。コップいっぱいになるまで溜めて脱水で死ぬ直前に飲んで恋花さんに命を救われたい。救われたくない?

「違うのよレンゲ、レンゲはいいの。アタシも嬉しいわ。問題はこっちのちっこい変態よ」

「やったぁ!遅刻万歳!これから毎日遅刻しましょ!末永くよろしくおねがいします!」

 ここぞとばかりに蔑んでくれる星奏さんにドキドキが止まらないけれど、それはそれとして陽菜ちゃん的にはオールオッケー。

 教師命令で好きな女の子と班を組める。これがどういうことかわかりますか?それも本来ならどちらかしか選べないはずなのに二人同時というご都合主義ときました。

 もう運命の赤い糸で結ばれていると言っても過言ではない。

 棚からぼた餅?塞翁が馬?なんだっけ。悪い事の後には良い事が待っている。

 両手に花。これは勝確ハーレムルート一直線間違いなし。勝ったなガハハ!

「毎日遅刻はちょっと嫌ですね……?」

「そういう問題じゃないでしょ。遅刻してこんなに偉そうなやつ始めてみたわよ」

「陽菜ちゃんはいつどんな状況でも胸を張って生きているんですよ!」

「ちゅぱ、なんでもいいが皆もう移動したから、お前達も速く第三運動場に向かえ」

 おしゃぶりを咥えた成人男性がちゅぱちゅぱ音を立てながら、足早に去っていく。

 その光景は一種の地獄であり、さながら現代の闇をドロドロになるまで煮込んだ濃厚とんこつスープのような気味の悪さがあった。あと単純に怖い。

 その後ろに続きながら、先程から感じていた違和感について聞いてみる。

「そういえば、一年の廊下を歩いてきたのに誰もいなかったですね?」

 通り過ぎる教室はすべて無人であり、人の気配がまるでなかったのだ。

「昨日の説明聞いてないちゅぱか?今日は朝から魔力測定だちゅぱ」

「魔力測定……いかにも魔法学園っぽいです!ところで、そんな時に先生は一人教室で何を?」

 おしゃぶり男は何当然の事を、とばかりに肩をすくめ、小さな魔法陣におしゃぶりをくぐらせ洗浄して言った。

「一服」

「おしゃぶりで一服という言葉を使う人はじめて見ました……」

 できれば一生得たくない知見を得てしまったな。忘れたい。


 魔力測定とは身体測定、体力測定に並ぶ魔法黎明期における恒例行事である。

「うちの学校は単位制なので、魔力測定の結果を見て、これから選ぶ授業の指標とするんです」

「ほぁー」

「生徒数も多い、魔法は素質、得手不得手があるとなれば、得意なものを伸ばしたほうがいいでしょ?」

 この結果如何によっては今後の学生生活を大きく左右するとかなんとか、道中恋花さんと星奏さんが説明してくれた。

 昨日のオリエンテーリングはずっと寝てたのでとてもありがたい。

 国立天童魔法総合学園は、世界で最初に星が降った街である藤咲という街にある。

 そこには純粋な若い少年少女が集められ、日夜魔法の研究と発展のため、勉強に励んでいるのだ。

 魔法というものを理解するためには、まずその構造を知る必要がある。

 大気中には酸素や二酸化炭素の他に魔素と呼ばれる不可視の粒子が浮かんでおり、生物の身体には本来魔力という力がある。

 魔素。それは地脈よりいでるこの星の血であり、魔素は人間の強い感情に触れると発光し、超常現象、即ち奇跡を引き起こす作用がある。

 しかし魔素だけでは意味がなく、魔素に指向性を持たせるためには体内の魔力と混ぜ合わせる必要があるのだ。

 魔法を操る現代の人々はその法則を見つけ出し、今後の文明の発展に役立てねばならない。

 魔力という新たな感覚器官を発達させるには若ければ若いほどその感覚を掴むのが早く、そのための魔法学園であり、そのための魔力測定でもある。

 故にこの学校は中高一貫、総生徒数は数千人とも言われ、魔法の才能があると判断されれば日本に限らず世界中からお呼びがかかり、優秀な成績や研究成果を報告すればお金まで出してもらえたりする。

 在学中はポートリー・オブ・グリモアール、通称『グリモア』と呼ばれる成績や生徒情報を記録する携帯端末と、個人個人に合わせた調整をされた魔法の触媒、魔素の塊である幻想結晶『ミスリル』が取り付けられた装飾品などが支給される。

 他にも様々な制度が存在しているが、特筆すべきは細分化された魔法師免許という制度だろうか。

「花莉好さんも知っているとは思いますが、魔法に等級が存在しているように、それを扱う人間にもいくつかの系統とランクがあります」

 魔法というのは生まれ持った素質が重要で、同じ魔法陣を描いても扱えるかは個人の力量によるところが大きい。

 火や水と言った五元素から、付与や変化、治療など分類は多岐にわたる。

「魔法師免許は得意の系統や扱える魔法の規模により選定され、御伽級、逸話級、神話級という数段階の区分に分けられるわ」

「はわー」

「例えば、四級程度の簡単な魔法、及び三級魔法の制御ができれば御伽級。烈火のように独自で魔法を構築し、または自在に使いこなせれば逸話級ね。ちなみに私も今度受ける予定よ」

「おー!さすが!出来る女って感じで素敵です!」

「ふふん。まあアタシにかかれば楽勝ね!」

 無い胸を張り、得意げに語る星奏さんの後ろで、恋花さんの背中がしゅんと小さくなった。

「口で説明するのは簡単ですが、御伽級でも私みたいなのは結構ギリギリなんですけどね……」

「そう自分を決めつけるのは良くないですよ恋花さん。御伽級でも十分じゃないですか。所詮誰かが定めたことなんですから」

「あはは……はい、そうですね……きにしすぎるのもよくない……」

 二枚舌とは言うまいね。片方では褒めちぎり、片方では励ます。相手に沿ったアプローチを瞬時に出来てこそ真の社交性というもの。

 気の利いた言葉を考える時間で機を逃すほど愚かな事はないと母が言っていました。

「あとはその先の超一流、世界法則すら自在に操る魔法師のことを神話級……本物の怪物ね。学内でも数えるほどしかいないわ」

 世界法則すら操れるということは、リンゴが木から落ちる。そんな当たり前のことが、当たり前でなくなるということ。

 花が芽に戻ることも、人が空を飛ぶことだって起こり得るということ。魔法とはそれだけ常軌を逸したものなのだ。

「学園を卒業するだけでも准逸話級魔法師の資格が与えられるけど、魔法師としての位が高ければそれだけ重宝されるし、様々な制限と権限を与えられるわ」

 複雑な魔法が使えるというのは、魔法が発見されて十年にも満たない現在では特殊技能の一つに数えられている。

 産業にしろ工業にしろ、あらゆる分野で有難がられるため就職において色々と役に立つらしい。よく知りませんけど。

「制限なんてあるんですね……?」

「あぁ、レンゲは知らないわよね。大きな力を持っているからといって好き勝手していいわけじゃないの。ちゃんと秩序を守るため、ある程度の責任が発生するわけ」

「大いなる力には大いなる責任が伴うってやつですね!」

「そうね。魔獣が出た時はなるべく対応しないといけないし」

「……そう、ですか。それだけ……」

「それだけって……魔獣を相手にするって普通に命懸けなのよ?」

 怪訝そうにする星奏さんに対し、恋花さんは横髪を撫で、曖昧に笑ってみせた。

「それもそうですね。星奏さんの言う通りかもしれません」

 言葉を飲み込むその仕草は、どこか遠い世界の住人めいていて、冷たい断絶が横たわっている気がした。

 言葉なくして人はわかりあえない。何も言わないということは、わかりあうつもりがないのと同じなのではないかと私は思う。

 沈黙は金だとして、その輝きは霞んでいるに違いない。

 そして人の心に安易に触れてもいけない。例えとしても。

「たっは~。めんどくちゃい……」

 その後の移動中も説明は続いた。運動場はちょっと遠い。

 特待生制度。学内で流通している換金性のポイント。研究発表会。

 皆さん好きでしょう?こういう『それっぽい』やつ。

 ……まあ、自由にやりたい私に言わせればすべてくだらないのですが。

 人はどうしてそういった縛りを設けるのか、私には甚だ疑問でならない。

 人は人で、より人間らしくあるために魔法がある。

 飛翔することを覚えた鳥を止めることなど、誰にも出来ないというのに。


 第三運動場は高いフェンスに囲われた広場だった。

 学園内でも端の方にあるのだろう。フェンスの向こうには森が広がっている。

 皆さん絶賛測定中で忙しいのか誰も私達に気づく様子はなかった。

 このまま端の方でしれっと混じって始めてしまってもいいのですが……ふと、頭の中に疑念が過る。

「もし、一度こそこそしてしまえば私は今後道の端を小さくなって歩く事になってしまうのでは……?」

「花莉好さん?どうしたんですか?」

 これはいけない。私は常に堂々と道の真ん中を歩きたい。誰にやましいこともないのに、なんとなくそういうのが当たり前になるのは大変よろしくない。

「こういうのは最初が肝心。退けば老いるぞ臆せば死ぬぞ……ふぅぅ」

「なんか気合い入れだした。やめなさいよコロナ、アンタ今――」

 私はお腹に目一杯力を込め、出来る限り大きく声を張り上げることにした。。

「おっはようございまーす!主役は遅れてやってくる、皆さんの親愛なる隣人花莉好陽菜ですよっ!」

『…………!』

「遅刻したことで皆さんさぞや心配されたことでしょう。でも大丈夫!ここを消し飛ばせるくらい元気です!」

『…………!?』

 小粋なジョークを挟みつつ、空気を和ませ輪に入ろうと思ったのだが、結果はどうだろうか。

 止水に石を投げ込むが如く、それまで賑やかだったのが一瞬で静まり返り、その場にいた全員が一斉にこちらを見るや否や人が波のように引いていくではないか。

「――学年中から怖がられてるんだから……」

「え、嘘ぉ!?」

 どうしてだろう。さっぱりわからない。

 一つだけわかるのは、これは栄光ある孤立ではないということだけだった……。

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