第二章『花莉好陽菜、探偵です』 2
「迷った……」
小鳥達の歌声と、澄み渡るような朝の空気が肺に流れ込んでくる。
山の向こう側が瑠璃色と黄金を経て、どこまでも青い蒼い空が広がっていく。
入学二日目、新生活の朝。期待と不安が入り混じる午前七時は、朝露の透明さに溶けていく。
いい朝だ。こんな気持ちのいい朝は、良い日になるに決まっているのだ。
「しかし迷った……」
体を大きく伸ばして固まった筋肉をほぐす。ゆっくり、それでいてよどみない動作で、日課の体操を始めた。
「いや、迷ってない……?」
田畑に満ちたこの場所は、アサガオ寮と同じくエメラルドガーデンの中だろう。おおよその位置がわかっているなら、それは迷子ではないのだ。
緑の多い場所は良い。空気も美味しく、身体中の細胞が喜んでいる感じがする。
それがたとえ周囲を田んぼに囲まれた小さな道の真ん中だとしても。
「あぁ……どうしましょうか……」
「君、こんなところで何してるの?新入生?迷ったならわかるところまで送っていこうか?」
「いえ結構です。男はあっち行っててください!」
まったく何を考えているのですか近頃の男子は。女子が一人でいればすぐに声をかけてくる。
いくら陽菜ちゃんが超絶無敵最強超越かわいいガールでも礼儀と節度は守っていただきたいですね。まったく。
あ、空前絶後に美しい女子の後ろ姿が見える!わーい!
「へい彼女!その舌ピイカしてるぅ!私で妥協しない?」
「ふぁっきゅー。ちんこつけてから出直してきな」
冷たい目で中指をおっ立てペッとつばを吐いてお姉さんは立ち去ってしまった。
「きゅん……しゅき……」
「もしかしてバカなの……?」
どこかツンとした声と、淡い静電気が指先に走った。
「このツンツンバチバチ……もしや貴女は我が友、星奏さんでは……!」
「誰が李徴よ。色々渋滞してるからふざけるのはやめてくれる?朝から頭がいたいわ」
星奏さんは腰と頭に手を当てて、疲れのにじむため息を零す。いつも疲れてるなこの人。
風紀員の腕章を引き直して、星奏さんは私をギロリと睨んだ。
「ど、どうかしました?そこは私の顔を見たことで安心して微笑む場面ですよ?」
「あんたの頭の中でアタシはどうなってんのよ……」
「そういえば、星奏さんはなんでここに?」
昨夜、星奏さんが帰っていったのは今いるエメラルドガーデンとは別方向だった。彼女の寮がこのあたりにあるとは考えにくい。
察するに……私に会いに来たのでは!?
「違うから」
「なんでわかるんですか!?」
「顔に出てるのよ……はぁ。複数人の女生徒から不審者に声をかけられる事案があったと報告があったのよ」
「ろくでもないやつがいるんですね!早いとこ捕まえて血祭りにあげましょう!」
「なんでも身長140cm前後,髪は金、派手なアンクレットと指輪をした女生徒だって」
「私と気が合いそうですね!早いとこ見つけて仲良くなりましょう!」
「…………」
なんか知らないけどめちゃくちゃ嫌そうな顔をされた。
「いや声掛け事件の犯人はあんたでしょ変態」
「……え!?」
「え、じゃないわ!すこし遠くから見てたけど、通り過ぎる女子には片っ端から声をかけ、寄ってきた男子は取り付く島もなく追い返してたの見てたわよ!」
「なんということでしょう……」
一見真面目ぶっているけれど、実は覗きが趣味だったなんて……。
なにか言ったほうがいいのかな。あぁでも、人の趣味に口出しするのはいけないし……。
せっかく仲良くなったんだから怒らせて嫌われるのも嫌だなぁ。
ここは清純派っぽく照れておくとしましょう。花莉好陽菜は気を使える女なのだ。
「……は、恥ずかしいですね……?」
「あんた殺されたいわけ!?」
「いやんこわいっ。でも可愛い子には声をかけろ。常識ですよ?」
「どこの常識よ!」
ずっとぷりぷり怒ってる……悲しい。私は星奏さんを怒らせたいわけじゃないのに……。
海を渡ってやってきたこの学園で、せっかくできた友達と険悪にはなりたくない。
どうやったら同世代の子と仲良くなれるんでしょう。
「ごめんなさい星奏さん……」
「ふん。別に、わかったらもうこんな」
「星奏さんに魅力がないってわけじゃないんですよ。むしろひと目見たときから一番好きでした」
「ことは……」
「薄紫のツインテールも、気の強そうなお鼻も、凛とした立ち姿も、全部が素敵です。星奏さんにしかない魅力なんです」
「やめ……」
「私は星奏さんが好きですよ。これからもっと仲良くなりたいです。もっと知っていきたい。できればそのぴっちりインナーの下を知りたい」
私は人との距離の詰め方を知らない。自分を見せるやり方しか知らない。
そして私は知っている。心根というのは、まっすぐに伝えたほうがいいのだと教わった。
その教えがすべて合っているとは思わないけれど、正直なのは美徳だ。自分を高めることは積極的にやっていきたい。
言わないことで変な誤解を招かれるのも嫌ですしね。
「だから不安にならなくていいんですよ……。私が他の人を見てても、私は星奏さんが大好きですから」
「…………」
嫉妬というのは難しい感情だ。わかっていても湧き出してしまう。なかなか縁が切れない。
でも相手がちゃんと自分のことを想っていてくれてると知れば、すこしは収まるはずなのだ。
ずっと怒ってたのも、一人でいるのも、時間を潰しているのも、全部わかってしまった。
私が他の女に現を抜かしていたから不機嫌だったんだなぁ……いやいや、早速愛が重そうな女の子に好かれてしまった。やったぜ。
「今度お詫びにご飯行きましょ。最も私は果物しか食べないので星奏さんの好きなところになりますけど」
埋め合わせの約束も取り付け、これにて一件落着だ。
「――は?」
「はい?どうしました?」
「なんで……」
星奏さんは俯き、細い肩がぷるぷると震えている。私の包み込むような愛に感動しているのだ。
いいんですよ。嫉妬をすることを悪と考える人達もいますが、私は全部大事に受け止めますから、そんなに自分を責めなくても。
あれ?でもなんでこんなに毛が逆だっているのでしょうか。
しかもバチバチと電気が走り出して……。
「なんでこのあたしがアンタみたいな変態のこと好きって話になってんのよーッ!!」
星奏さんの電撃のように鋭い拳が腹部にめり込み、私は数十メートル先の果樹園に突き刺さったのでした。
※
右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ、とは昔の人はどうかしている。
腹を殴られたときはどうすればいいんだろう。背中でも見せればいいのかな。
そう思って地面に転がっても踏んではもらえなかった。
代わりに今は首根っこを捕まれ引きずられている。人に運ばれるって楽ちんだ。
そう思っていたらどさっと投げ捨てられた。星川運送は乱暴だ。割物注意の張り紙もつけるべきだろうか。
「ほら、寮についたわ」
「うわーい!ありがとうございました!」
身体の埃を落として立ち上がると目の前に古ぼけた建物があった。
築四十年はありそうな厳かな面構えは、魔法学園の寮という肩書には似つかわしくないカビ臭さがある。
木造2階建て、ガラス戸の正面玄関、一部張り替えられた板がツギハギ人形のように散見される。
まさしく私と恋花さんの愛の巣、アサガオ寮に間違いなかった。
その軒先に一人の少女がしゃがみ込み、何かをやっていた。
背中まで伸びたゆるくウェーブのかかった明るい栗色。
振り向き覗く横顔は、遠めからでも目を引くほどに整っている。
柔らかな瞳が、私の姿を捉えて――みるみる涙を溜めていった。
え、なにごと……。
「花莉好さぁぁん……」
急いで駆け寄ると恋花さんは鼻をずびずび鳴らして泣いていた。
これはふざけている場合じゃなさそうですね……。
何はともかく隣にしゃがみこんで背中をさすってあげる。
恋花さんは涙を払おうと目元に手を伸ばすが途中で止まってしまった。袖が土で汚れている。
よく見れば綺麗な花を咲かせる花壇の土が掘り返され、彼女の繊細なお手々は土に汚れ目元を擦ることさえできないでいた。
「ど、どうしたんですか……!?あなたの花莉好陽菜ですよ……?」
「……失くしました」
「な、なにを……?」
「お母さんのネックレス、また失くしちゃいましたぁ!うわぁぁ!!」
早朝のアサガオ寮に幼気な少女の泣き声が響き渡ったのだった。
いや、モノローグで締めくくったって何も解決なんかしないんですが。
泣きじゃくる恋花さんが落ち着くのにそれから十分ちょっとの時間を要した。
その間星奏さんに急いで自販機で温かいお茶を買ってきてもらい、恋花さんの手を水魔法で軽く洗っておく。
近くのベンチに場所を移して三人並んで座った。
「うんうん、わかるわ。変態に話しかけられたら誰だって嫌だものね……」
恋花さんの手を握ってわかるわかると共感してくれる星奏さん。違うんですよ私が泣かせたんじゃないんですよ。
「うん……嫌……」
件の恋花さんも星奏さんの話を彼女の苦労話だと思って共感を示している。あぁ、女の子の共感スパイラルで誤解が解けてくれない。
そんな二人の横で暖かいほうじ茶を飲みながら、私は恋花さんと初めて会った時のことを思い出していた。
つい昨日の出来事なはずなのに、遠い昔のことのように思えてしまう。
お母さんのネックレス。それは私達の始まりでもあった。
樹海の中、にっちもさっちもいかなくなり、頼みの棒倒しで彷徨っていたところ、偶然出会った可憐な少女。坂月恋花。
その時の恋花さんがやけに色っぽく見えたのは、泣いていて目元が赤くなっていたからなのだろう、
彼女は亡くなった母の形見であるそのネックレスを探して森に入り、私と二人で捜索してなんとか見つけることは出来たが、肝心の帰り道がわからなくなってしまったのだ。
坂月恋花という少女にとって、そのネックレスは遭難の危険性すらある樹海に入るほど大切なものなのだ。
昨日の今日でまた失くしてしまえば、この蝋梅っぷりも仕方がないのだろう。
「よし、ここは名探偵花莉好陽菜の出番ですね!」
ぴょんっと勢いよく立ち上がると二人が不思議そうな目で見てくる。
「……アンタ探偵だったの?」
「あ……昨日見つけてくれたのは、捜し物になれているから、ですか……?」
「いいえ!違いますよー!陽菜ちゃんはただの女子高生です!」
二人があからさまに肩を落とした。こんなときにふざけないでと星奏さんの目が言っている。
「でも。今だけは恋花さんの探偵になりますよ」
そう言って恋花さんの手を取る。柔らかくてもちもちしてる。このまま頬ずりしたら流石に怒られるかな?
「酷く荒れていて爪にまで土が入ってる……手で掘り返したんですか?」
「え?うん……色んな所探しながらでしたし……」
「どうして土の中を?落とし物なら、普通は自分が通った場所を見ますよね?」
「そう……ですね……」
恋花さんは少々言いよどむ。目は不自然に逸らされている。
「実はあの花壇、私が育ててるんです……だから、もしかしたらって……」
「ふむふむ……大体わかりました。ありがとうございます!」
どこかで見た事情聴取よろしく話を聞いて見えてきた物がある。
「たったあれだけの会話でわかったんですか……?」
「えぇ。ただちょーっと待っててくださいね」
恋花さんの手を離し、事件当時の状況を考える。
「大丈夫なんでしょうか……」
「さぁ、変態のやることなんてわからないわ」
後ろから何やら聞こえるが聞こえないことにしよう。
現在は八時過ぎ。大半の生徒はもう登校と済ませている。ここから私達の教室がある校舎までおよそ十五分。
恋花さんは色んな所を探していたと言っていた。失くしたことに気づいて、まずは部屋の中や行きそうな場所を探したはずだ。
だが、ある時から花壇を掘り返していた。倉庫にシャベルを取りに行く暇もなく、念入りに。
まるでそこにある可能性が一番高いと確信していたように。
しかし探せども探せども見つからず、諦めかけていたところで私が帰ってきた。
となればまあ、嫌な邪推ばかりが浮かぶが、今は情報の中から選択肢を絞っていく。
状況と、環境。そして人の心理。最も自然で、一番シンプルな答え。
そうしてしばらくぐるぐると同じ場所を歩きながら、推理を続け、やがて思い至る。
「……謎はすべて解けました」
落ち込んでいる恋花さんの手を引いてアサガオ寮の中へ、そして皆で古めかしいお台所の入り口へ。
そこには観葉植物のインテリアが置かれ、その葉に隠れるようにキラリと光るものを見つけた。
「あっ……!」
手に取れば、それは上向きの三日月にぶら下がる赤目のうさぎの意匠。
恋花さんの探していた、お母さんのネックレスだった。
「こんなところに、あったんだ……」
大事に大事に胸に抱いて、今にも再び泣き出しそうだ。
「……すごいわね。本当に見つけちゃうなんて」
「ふふん、どうです?すこしは見直しました?花莉好陽菜、探偵です、なんちゃってっ」
「ふん、どうせお得意の魔法でも使ったんでしょ。アンタならそれくらいやりそうだわ」
「えぇ~魔法なんて使ってないのにぃ……」
星奏さんはツンと鼻を上に向けるが、片目だけ開けて肩を小突いてくる。
「でも、やるじゃない。コロナ」
え……突然の名前呼び……胸キュンポイント三万点。惚れそう惚れた。
などとやっていると恋花さんが飛びついてきた。
「ありがとうございます、花莉好さん、星川さん……!」
私と星奏さんを抱きしめて、恋花さんは何度も何度も同じ言葉を繰り返した。
その背に手を回し、同じ強さでギュッと抱き返す。
「ねぇ恋花さん、もし困ったことがあったらこれからも私を頼ってくださいね。必ず力になりますから」
「え……でも……」
「それが友達……ですよね?」
彼女から溢れる涙は、さっき流したものよりずっと透明だ。
「……はい!」
あまりにも可憐な、花咲くような少女の心からの笑顔だった。
……ところで、皆さん忘れているのかもしれませんが。
「ふぉお……恋花さんの恋花さんが惜しげもなく私を……!ど、どうします……?これから私の部屋で三人仲良くお茶でも……」
「は?何言ってんのよこれからがっこ……」
丁度そのとき、始業を知らせる鐘の音が別世界の出来事のように届いた。
「あ……もう、一時間目、はじまっちゃいましたね……」
時間が止まった気がした。
ファウストも美少女のおっぱいの感触を感じながら言ったんですかね。
「…………」
「…………」
「…………」
誰も、何も言わなかった。終わったーという空気だけが流れていた。
ここで文句を言うことは、恋花さんを傷つけてしまうことだとわかっているから。
ただ静かに部屋に鞄を取りに戻り、玄関を出て。
三人で校舎まで猛ダッシュした。
開始十秒で倒れた私を星奏さんが運んだのは言うまでもない……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます