第一章『私はあなたを認めません』 3
それは燃えるような赤だった。
焦げ付くような空の赤。この世の痛みをすべて滲ませたような、悲痛の赫色。
感じたのは鉄の匂い。そして、耳を塞ぎたくなるような悲鳴の波濤だった。
ここはどこで、私は何故こんなところにいるのだろう。
どうして世界は、こんな赤黒く染まっているのだろう。
何もわからない。何も知らない。
探すべき人も、逃げるべき場所も、思いつかなかった。
それが幼い私が目にした、始まりの記憶だった。
それは悲嘆と怨嗟の始まり。
旧時代の終わりを告げる絶叫。
そして――新しい時代の産声でもあった。
破滅の前兆とも言われた未曾有の大災害。全世界を同時に襲った隕石衝突。
後に”星降”と呼ばれたこの常軌を逸した災害は、何千万を超える死者を出し、そしてその見返りとでも言うように。
人類に、魔法という奇跡をもたらした。
その光景を目の当たりにした人は皆口々に言う。
空に黄金の光の壁が現れて、隕石はそこから降ってきたのだと。
それはつまり、あの惨劇が自然災害などではなく、何者かの手によって作為的に引き起こされた事件であるということで。
人はその犯人を、様々な憶測と畏怖をもってこう呼んだ。
黄金の魔女。愛すべからざる光。と。
※
「――こ――ゃん、――ちゃん?」
「ふぇっ。は、はいっ。
声に驚きパッと顔をあげると、仲良しさんたちに不思議そうな顔で覗き込まれていた。
「何言ってるの?オリエンテーリング終わったよ」
「え?あ……あーほんとですね……」
視線を動かせば教卓の前におしゃぶりを咥えた先生はおらず、教室内の生徒の数もまばらになっていた。
「すみません、考え事をしていたもので、えへへ……」
は、恥ずかしい。こんな可愛らしい子達に呆けた顔を見せてしまった……!
長旅で気が緩んでしまったんでしょうか。今夜は早めに寝よう。
とりあえず荷物の確認をして、机の周りに落ちてないか確認する。
盗られたりすることは無いかもしれないけど、忘れ物をしたら目も当てられない。
「そうなんだ。ねね。みんなと話したんだけど、コロちゃん学園に着いたばかりでしょ?」
快活そうなポニーテールさんがニコッと人が良さそうな笑顔を見せる。
「はいっ。今朝この街に着いたばかりですよ!」
道中ちょっとしたトラブルに巻き込まれ危うく退学になりかけましたけど。
「だよね。うんっ」
「それがどうかしたんですか?」
「いやね。みんなと話してて、コロちゃんの案内をしてあげようって話になって、どうかな?」
「わー!いいんですかっ。やったー!迷子になりやすいので嬉しいですっ!」
「よかった!寮の場所とかわからないでしょ。ここの敷地は広いからうちらがちゃんと案内するよ」
ポニーテールさんの言葉に後ろの二人もそうだそうだと頷いた。
「あぁ……私はなんと幸運なのでしょう……。このようなお美しいレディ達とお近づきになれただけでなく、エスコートまでしていただけるなんて、明日はきっと神様に嫉妬されてカエルにされてしまいますね。ふふ」
大袈裟すぎるくらい芝居がかった動きで髪を流し、しっとりとした視線を向ける。
胸の奥からぽわわーと幸せが溢れて、自然と体が動いてしまう。
心が言葉によって形になることに、僅かな充足感を覚えるのだ。
美しい女性には礼と愛を尽くす。長年に渡って染み付いた
「あはは。カエルになったら大変だね……」
「はいっ!よろしくおねがいしますね!えっと……」
「イッチーでいいよ。みんなそう呼んでる。こっちの日焼けしてる子がツッチーで、このおとなしい子がサッチーね」
「ツッチーでーっす!よろしく!」
「サッチーって呼ばれてます……よ、よろしくおねがいしますね……はい……」
三人は顔を見合わせて頷くと、それじゃあ行こうと教室を出る。
私は最後に振り返り、恋花さんが座っていた席の場所を確認して、あとに続いた。
三十分後
「それであっちの綺麗な建物が部室棟で、向こうのボロっちぃのが旧校舎。旧校舎もまだ一部は部室として使われてて、建築中の新校舎が出来たら解体するの」
「年季があって趣深いのに、なんだかもったいないですね」
教室を出て食堂や視聴覚室など建物内を見て回ったあと、中庭のベンチで休みながら、そこから見える建物の説明を受けていた。
「やー。こうも広いとちょっと見て歩くだけですごい疲れますね……」
体力貧弱ひ弱な陽菜ちゃん、校舎を一周りするだけでくたくたでした。
水筒からお気に入りのジャスミンティを飲みながら一息つく。
素朴な香りが広がって疲れた心を癒やしてくれる。ふぅ……。
「じゃあ次は寮の場所だね。コロちゃん何寮?」
「はーい。えっと、何寮っていうのは?」
「あぁ。この学園、生徒が死ぬほど多い上地方からやってくる子が多いから寮が幾つもあるんだよ」
「そうなんですか。私どこだったっけな。なんか家を出る前に言われたような……言われてないような?うーむ」
あの人結構いい加減だからなぁ。サラッと言ってそれっきりだったかもしれない……。
「まあ順に話していくよ。歩くのはしんどそうだし、マップで教えるね」
そう言ってイッチーさんは先程配られたスマホで地図アプリを起動する。するとスマホから光が飛び出て、空中に地図が映し出された。
立体映像に指を滑らせると、学生寮と思わしき場所に何本も目印のピンが立った。
「一番大きいのがダイアモンドビル。六号棟まである高層タワマンで、一回にはコンビニもある人気の寮。うちら三人もここね」
「仲良しなんですね」
「まあねー。中等部から一緒だもん。ふふっ」
三人は顔を見合わせ笑い合う。
美しきかな、女の子の友情。私ももっと友達作らないと。
「ダイアモンドビル以外はそこまで大きくないから大まかなエリア分けをされてるんだ」
地図上では色のついたバネルで寮の場所が区分けされていた。
「ダイアモンドビルから西にいくとエメラルドガーデン。農業系を専門にしてる生徒が多く在籍してて、畑がすごいって噂」
「おやさい!果物とかもつくっているのでしょうか」
「あーどうだろ。あまりそのへん興味なくて……実際に見に行ってみるのもいいかもね」
やはり女の子はあまりそういうのに興味ないものなんでしょうか……。
「
「ほへぇ……もしかして、あの人もここなんでしょうか」
ふと思い浮かぶのは、あの面白そうなお嬢様の顔だった。
「あの人って?」
「さっき入学式が終わって教室に行く途中に面白い人に絡まれまして。決闘しろーって手袋もらっちゃいました」
そう言って、ブレザーのポケットから手袋を取り出して三人に見せる。
純白の手袋はシンプルながらに優美で、なにより手触りが大変よい。上質な素材でできているのはもちろん、刺繍が凝っているのがいい。
手の甲には翼を広げた不死鳥が刻まれ、格式高い意匠は持ち主の品格を意識させる。
「ね、ねぇ……これまずくない?」
「いやぁ……ははは……」
「あわあわ……」
手袋を見せた途端、三人は顔を見合わせて私から顔を逸してしまった。
「ど、どうかしました……?この手袋がどうかしました?」
陰りが見えるその顔は、まるで獰猛な獣の尾を踏んだ時のようだった。
顔に汗が滲み、彼女たちは明らかに焦っている。
それは何故か。いや、考えるまでもなく。
「あの……これって、誰の……」
「えぇ。確か彼女はほうお――」
「おーっほっほっほっほ!!!!」
その時である。大層景気の良さそうな高笑いが中庭に響き渡ったのは。
「なにやつ!」
あらゆる思考を吹き飛ばす豪快かつ愉快な声に、その場にいた誰もが振り返った。
あれは誰だ。鳥か、飛行機か。教科書に載せたくなるほどのお嬢様笑いを何の恥ずかしげもなく披露する、こんな恥ずかしいやつは誰なのだと。
彼女は噴水の上のモニュメントに片足で器用に立ち、両手を横に広げた奇妙なポーズでそこにいた。
真紅の髪と、紅蓮の瞳。その声と同じく圧倒的な存在感を放つ彼女こそ、件の決闘相手である。
「その手袋が誰のものか知りたいのかしら!!えぇ、よくってよ!この私自らお教えいたしますわ!!いいこと、その手入れの甘い耳垢たっぷりこびりついた庶民鼓膜でちゃーんと聞きやがれですわ!とうッ!!」
長い髪が風に流れ、彼女は見事なトリプルアクセルを決め地面に降り立ち、
「その手袋の持ち主は何を隠そうこの私ッ!
仮面のヒーローよろしくシュパッとポーズを決め、鳳凰院烈火は二度目の自己紹介をしたのだった。
中庭に奇妙な緊張感が走った瞬間でもあった。
「あ、あなたはさっきの!」
「覚えていてくれたようね!花莉好陽菜!あなたの敵を!」
「めっちゃ面白そうな人!」
「そんな不名誉な印象お断りでしてよ!?」
突然の襲来とド派手なパフォーマンスを前に、一緒にいたイッチーさん達は言葉を失い、酷く怯えているようであった。
「あわわわ」
「やばいよ、やばいよこれ……!」
「ほ、ほんとにきた……」
こんなに動揺してしまって……わかりますわかります。急に光り輝くお嬢様が現れたら、誰だってビビりますよね。
実際、まばらながらに存在していた他の生徒達ですら、中には逃げ出す者まで現れている。
こんなヤバそうな人、普通は相手したくないですよね。距離を取りますよね。
「お嬢さん方、そんな慌てないでいいんですよ。彼女が用があるのは私なのです。みなさんはジャスミンティでも飲みながら、優雅にお茶していてくださいな」
でも私は違いますよ。えぇ違いますとも。女性は皆愛すべき存在。そこに例外はない。
この花莉好陽菜、生物学上人間の女性なら、どんな相手だろうと愛してみせますとも。
「この私と決闘をしたい、ということでいいんですよね。ちょっとまってくださいね。……ふぅぅ」
水筒からもう一杯お茶を飲み、噴水の前でふんぞり返る烈火さんの元へ歩いていく。
この場にいるすべての視線が注がれている感覚がする。そんな緊張するほどのことではないように思うのですが、決闘自体が珍しいのかしら。
歩み出ると、烈火さんは小柄な私より二回りほど大きく見える。
健康的な肌。血色の良い色。自信に満ちた立ち居振る舞い。呼吸の一つをとっても、恵まれ勝利を続けてきた者の風を感じさせた。
表情の作り方は幼く挑戦的だが、輪郭は大人っぽさを持つアンバランスさ。あと三年もすれば、社交界の華として大成するであろう美貌だ。
実に、実に胸が踊ってしまう。頬が緩んで、つい笑顔を浮かべてしまいそうになるほどに。
「随分と探しましたわ。花莉好陽菜」
「それはお手数をおかけして申し訳ありません。彼女たちに校舎の案内をしていただいていたもので」
振り返り三人に微笑むと、何故か三人は顔を逸した。
あれおかしいですね。さっきから目が一度もあってないような気がするのは気のせいでしょうか。
そんな事を意にも介さぬと言うように、烈火さんは長い後ろ髪を手で払い、再びキツく私を見下ろした。
「ふんっ!別に構いませんわっ!それが私を待たせる作戦であろう事は容易に想像がつきますわ!そんな小細工、この鳳凰院烈火には通用しませんことよ!」
「作戦も何も、また後で会いましょうって別れただけじゃないですか」
「なら私が教室に迎えに行くまで待っているのが礼儀ではなくって!?私がどんな思いで探し人不在の教室に乗り込んでいったと思っていますの!?」
体を震わせ地団駄を踏む烈火さん。感情表現めちゃくちゃ激しいですねこの人。
それにめっちゃ怒ってるじゃないですかぁ。困りましたね。
レディに悲しい思いをさせるのは、私の信条に反します。
「あぁ……ごめんなさい。貴女に寂しい思いをさせてしまった……どうか何かしらの形で埋め合わせをさせてほしい。よければ今夜一緒にディナーでも……」
「く、口説くんじゃありませんわ!?私達は女同士ですのよ!?それに今から戦おうという相手とお食事だなんて……!」
「女同士では、ダメですか……?」
スッと一歩、懐に入り真っ直ぐ目を見つめる。身長差のある私達の間に起きるそれは、必然的な上目遣い。女性の一番の武器である。
「ひ、非常識ですわ、そんなこと……」
「先程までより言葉に勢いがありませんよ……それに恋愛は男女だけの物とするのは、古い考え方ですよ……」
つま先にわずかに力を入れて、柔らかな声で耳打ちをする。言葉が耳朶に降りかかる感覚は、無意識にでも深く脳に届くものだ。
烈火さんもそれを知ってか後退りたい。だが後退れない。
「ち、近いですわよ……何なんですの……私はお喋りに来たのではなく、うっ……」
何故なら彼女自身が、噴水の前に陣取ってしまったのだ。
足を引けばバランスを崩し、腰から濡れてしまうのは必定。
しかし触れられてもいない相手に押されて噴水に落ちることなど、この如何にもプライドの高そうな少女が認められるわけもなく。
自分より一周り小さい私を無理矢理押しのけることも、できるわけなく。
「い、いいから離れなさい!無礼ですわよ!」
私と同じように言葉で願うしかないのだ。
「ふふっ。失礼しました。明るい場所で見るあなたの顔があまりに美しかったもので、じっくり覗いてしまいました」
体を離し、数歩下がって常識的な距離を取る。
意志の強そうな爛々と輝いていた瞳に安堵の色が落ちる。体を離されたことに安心しているのだ。
女性から迫られるのは初の体験でしょうかね。それとも、もっと別のなにかか。
「こほん、では、決闘いたしましょう。ルールは当然ご存知よね」
「ルール?そんなものあるんですか?」
「あなた、入学試験トップの癖にそんなことも知りませんのね。お里がしれますわ~~!!!!」
人が離れた瞬間景気よくなりましたねこの人。
「いいこと、勉強ばかり出来ようとこの学園の頂にはたどり着けませんわ!ペーパー試験が一位だからといって調子こいてもらっちゃ困りますわよ!困りすぎてヘソで茶が湧いてしまいますもの!」
それくらい面白いってことでいいの、かな?
所々言葉遣いが乱暴なの面白くて好きです。
「魔法は闘争の道具であり、闘争は人類を成長させて来た劇薬でしてよ。格闘技が身を守るために発展し、やがて頂きを目指すに至ったように、魔法もまた人の手によって体系化され、その技術を競うのが当たり前になりましたわ」
烈火さんは上機嫌に胸を反らせて続ける。
「闘争、競争、戦争。人々は競うことでその進化を加速させると考えたこの学園は、生徒間の決闘のルールを校則に設けましたの」
「へぇ……そうなんですか」
「細かなルールは特にありませんわ。主にルールは2つ。1つ目は不殺。相手に重症を負わせる可能性のある攻撃をしてはならないこと。もう一つは双方の合意の元行うこと。他のことは当事者が自由に決めて良いことになっておりますの」
「ふーん……不殺と合意があるなら、なんでもいいんですか」
それは随分と、お優しい世界なんですね。
「えぇもちろん。ですからあなたが得意な戦場で戦って差し上げますわ!遠距離?近距離?射的?速さ?なんでも仰ってください。この鳳凰院烈火、相手の得意な分野で圧倒してこそ真の勝利があるものだと思っておりますの!」
彼女の言葉は、決してハッタリの類ではなかった。確かな自信と経験からくる自負。
気が昂り流れ出す燃え盛るような赫色の魔力は、この場を支配するのに十分すぎるほど雄弁であった。
存在感。彼女の存在そのものが威圧。彼女を知るものであれば、彼女の実力を目の当たりにしたことがあれば、誰だって縮み上がってしまうような何かをこの少女は持っているということ。
それは即ち、恐れ。
「この学年のトップはあなたではなく、この鳳凰院烈火なのだと、再び周知させなければなりませんもの!」
そうだ。誰もが、この鳳凰院烈火を恐れていた。
あの手袋を見た瞬間から、彼女の名を聞いた瞬間から、嫌にでも意識してしまうほどの恐れ。
彼女が積み上げてきたカリスマ。
ならば――
「フリースタイルでいいですよ。魔法でも剣でも、私にとってはすべて同じことですから」
――同じ土俵に上がらねば、無作法というものでしょう?
「……本当によろしいんですのね」
睨みつけるその目には、確かな苛立ちが見て取れた。隠す気もない激情で動く彼女らしい態度だ。
「えぇ。もちろん。だって魔法は闘争のための道具ではありませんから」
私はそれをただやんわりと笑って受け止める。
美しい少女からの贈り物は、たとえそれが毒であろうと大事に胸に抱くものだから。
ピリピリとした緊張は、もはや張り裂けんばかりに膨張している。
合図一つあれば、この場で事が起きる。
新進気鋭、謎の編入生と。
当代無双、苛烈なお嬢様との、一騎打ち。
全員が動けず、その瞬間を、今か今かと待ちわびて、
「決闘開始の宣言をしてください!イッチーさん!」
「えっ、うち!?デュ、決闘開始――ッッ!!!!」
たった今、その火蓋が切って落とされた。
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