剣山スーパー林道にて
走り続けること数時間。やがて空がぼんやり白んできた。
剣山スーパー林道は、林道のくせに道幅も広く思ったよりも走りやすい。普段ならオフオードバイクを駆る林道マニアで賑わうところだけど、さすがに地震直後の夜明け前に走っている物好きはいない。それに、あちこち崩落したり木が倒れていたり、いつもよりかなり気を遣う。
もちろん街灯など一つもなく、闇を切り裂くLEDヘッドライトの光だけが頼りだ。だが、夜明けが近づくと共に、キラキラと光るもやが光を遮るようになってきた。
「やばいな」
山の中で霧に巻かれるのは嬉しくない。目の前の道が突然崩れているかもしれないし、それに突っ込むのは願い下げだ。
僕は速度を落とし、いよいよ濃くなったミルクのような濃霧に慎重に分け入った。
(そういえば、彼女に出会うのは決まってこんな濃霧の朝だったよな)
彼女と再会の約束もせず別れてから二年。都内に住んでいることだけは聞けたけど、どこで、何の仕事をしているかは判らない。あれ以来、街で良く似た女性を見かけるたびに目で追ってしまい、人違いでがっかりすることばかりが増えた。
「おまえ、いい加減に彼女でも作れ」
社長はことあるごとにそう言って僕をけしかけるけど、どうしてもそんな気になれなかった。
二子玉川のホームで死にかけたあの日以来、どこかでズレてしまった僕は、普通の人とうまく話を合わせることができなくなった。
明日死ぬかも知れない。身近な誰かが明日には出社しないかも知れない。常にそう身構えてしまう僕と、変わらぬ日々がずっと続くと無条件に信じるみんなとの意識の差は大きい。ふとした瞬間に声を荒げてしまい、どん引きされたことも一度や二度ではない。
社長はそんな僕に様々な資格を取ることを積極的に勧め、
「お前の
と、被災地での活動を積極的に後押ししてくれた。
僕なんかが何の役に……。最初はそう思い込んでいた。
「崩れかけた建物が安全なのか危険なのか、それを判断するだけでも救える命がある」
でも、そう教えてくれた消防士がいた。
それ以来、大きな地震のたびに現場に向かい、地元建築士の手が回らない中小の住宅や商店の危険度判定をメインに被災地を走り回ることになった。もちろん、完全なボランティアだ。
どうして社長はこんな金にもならない道楽を後押ししてくれるのか。最初は不思議だった。でも、何百、何千もの壊れた建物を見るうちに、ひと目見ただけで建物の強度が判るようになってきた。どのくらいの地震でどう壊れるのか、それが正確に予測できるようになった。
そうこうするうちに顔が売れ、協力してくれる人も増えてきた。道の駅で情報をシェアしてくれた自衛隊員なんかもそうだ。
「どうだ? そろそろお前の知見を生かせないか」
ある時そう言われ、僕はようやく彼の本当のもくろみを理解した。
撮りためた倒壊建築の写真、その場で描いた図面、そして僕の意見というか雑感がAIに取り込まれ、耐震設計のエキスパートシステムとして稼働し始めたのはほんの数ヶ月前のことだった。
どの建物がどう壊れるかをAIが予想する。Googleマップとストリートビューの映像を材料に、本社では今回の被害想定がそろそろ出来上がっているはずだ。僕はそれを衛星電話に繋いだタブレットで受信し、現地での活動に生かす。
「それにしても……」
ますます濃くなる霧に辟易しながらコーナーを抜けると、前方にまばゆい明りが輝いているのが目に入る。まるでパトライトのような赤色の点滅も同時に目に入る。
「なんだ?」
慎重に近づいてみると、それはアイドリングのまま停車しているオフロードバイクのヘッドライトだった。
「だれかいますか?」
大声でそう呼びかけると、前方の道をふさぐように倒れた杉の幹の向こうから、見知った顔がひょっこりと顔をのぞかせた。
「やあ、久しぶり」
それは間違いなく、二年前別れたきりのあの女性だった。
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