第4話
店に戻ると、もうあの女性はいなくなっていて、レモンが浮いた紅茶の白いカップだけが五人分、さっき座っていたテーブルに置かれ、椅子も五人分に増えていた。その一つには細身の女性が座っている。宝石やの女性とは違い、その真っ白なショートカットの髪の毛が印象的だ。しかし、彼女の服装は髪の毛の白とは対照的にまっくろのスーツで、大きなフードの付いた羽織を羽織っている。まさか、危険なロートに行く人が女の人だったなんて。
「お前らも見たんだろシュヴァルツの国の惨状を」と席に着くかつかないかというところで男は話し始めた。
「ええ」と返事をするカロンをよそに、
「ロートに連れて行ってもらえませんか?」と私は女の人に詰め寄った。彼女は私のほうをじっと見ているが、その目からは驚きも疑いも感じられない感情の消えた目だった。
「まあ、ちょっとそっちの事情を聞かせてくれたっていいだろ。落ち着けよ。こっちだって危険を冒してるんだ」と男がいうので私は仕方がなく席に着く。
「あの、なんで教えてくれる気になったんですか?」と私が訪ねると、
「ヒドラのあんな様子は初めて見たからな。こいつは協力するしかねえだろ。」とニカっと笑う。ヒドラは何も言わず目をカップにむけていた。
「で、お前はなんでロートなんかに行きたいんだ?連れていくかも、ロートの話をするかもお前の話次第だ」
紅茶を一口、口に含み、
「私はエミリーといいます。」と話し始め、わたしは三人にしたのと同じようにこれまでのいきさつを話した。
話し終わると、男は
「聞いても、にわかには信じがたい話だが、俺がおもっていたのとは違ったみたいだ。」といった。なにか考えていたものがあったらしい。
「ほら、さっきいっただろ、シュヴァルツの惨状を見たか? ってな。お前らよりも先にシュヴァルツを出てきたやつらが乗っていた車がさっき森の中で見つかってな。中には茶色い人型の塊が転がっていたんだそうだ。まあ、お前たちが見つけられなかったのも無理はないさ、車のほうには傷一つなく煙が上がることはなかったみたいだから」
三人の顔がゆがむ。同業者として顔を合わせることも多かったのかもしれない。
「それに、お前らがいない間、大国に行って帰ってきたやつも同じ状況が大国でおきていたっていうんだ。ここの国でもおんなじ状況が出始めているっていう情報もある。
何か今までにはないことが起き始めている。他人ごとでは済まされない状況なんだよ。ここら辺でも外には出ないほうがいいなんて言われ始めてて、うかつに外に出られない。お前らも通りの人の少なさには気が付いたろ。
お前がなんか関係あるんかと思ったんだが…」男はそう言いながら私のほうをじっと見た。
「町にあんなに人がいなかったのはそういうことだったのね。でも、そんなことが起きていたなんて」三人の紅茶は全く減らない。白髪の女性のカップだけが空になってレモンが底に張り付いていた。
「ここは大丈夫なのか。俺らがシュヴァルツにいたときは一日、…いや数時間で全員の人がこうなっていたよ。一斉に、という風だったかはわからないけど全員があの状態だった。ここでは全員がなったわけじゃないんだな」
「ああ、確かにそれも不思議だが。俺らにはまったくそのけはいがないってのも不思議だ。俺らはあの騒ぎがあってからも五時間くらいはあの場にとどまったが一時熱っぽさがあっただけで体に何か変化が起きている感じは全くしない」ニクスとヒドラが不思議そうにそれぞれに話す。
私は、なんだか忘れられているようなきがして
「それで、結局、私はロートにつれていってもらえるの?」と聞いた。
「ああそうだったな、そのことなんだが…」といいながらながらずっと一言もしゃべらすに聞いていた白髪の女の人を見る。
「今度は私が話す番というわけね。
私はユキ、よろしく。連れていくことは何にも問題ないわ。けど…。さっきの話にもどすようでもうしわけないのだけれど、ロートの町ももう人はいないの」そういって彼女は私をまっすぐにみつめた。ロートに人がいない…。働くことをやめた脳につばをのんだ音が響いた。
「でも、ロートは危険なところなんでしょう。人がいないって…そんな…なんで?」
「あなたたちがシュヴァルツで見たのとおそらく一緒の状況。私が生きてここにいるのももしかしたらそのおかげかもしれないわ。…人がいたときのことを知らないから何とも言えないのだけれど。だから、あなたが望むものが得られるのかはわからないのよ。残念だけれど…」と淡々と事後報告をするようにそういった。
「そういうわけなんだ。ヴァイスの町はこいつが出てきたときには人がいたということだが、今はどうかわからない。それでも行くか?」と男が申し訳なさそうな顔を作って私に問いかける。
「お前、ロートの状況を知ってて今までこんなだらだらと話を続けてたのかよ。」とニクスが男に食って掛かかった。テーブルに乗り上げて、手で男のむねあたりの噴くぞぎゅっとつかむ。
「だまってたって、いつかは聞かないといけなかった話だ」
「そういうことが言いたいんじゃねえ」
カロンが全身でニクスを抑え込んでいた。しかし、二人の声が聞こえてこない。本当にあの故郷への道が閉ざされてしまった。うまく口が開かない。声にならない息が口のはしから漏れた。
「ねえ」と騒ぎを遮る声がする。カロンだ。
「今までの話で行くと、私やあなたたちはおそらく、あのような状況に陥ることはないと思うの。そう思わない?」
いったい、どうしてそんなことがわかるのだろうか。ほかの三人も黙っている。そのことが誰も理解が追いついていないことを示していた。暴れていたニクスも動きを止めた。
「短時間であのような状況に陥るならその時間に何かがあったと考えるべきだと思うの。あそこにいた私たちは少し熱っぽさを感じて、頭痛にも襲われたわ。外にいた人たちのようになることはなかったけど、確かに症状は出ていたのよ。
私は…、あれは、何かの病の類だと思うの。病によっては症状の出方に差があるものなのよ。さすがにあれほどのちがいがある病なんて聞いたことがないけれど…。私たちはあそこにいたわけだけど、発症しなかったということなら、免疫のようなものが体にあるんじゃないかしら。だからきっと大丈夫だと思うの。
これではまだ弱いわね。私が思うに、大国の人とシュヴァルツのひとは血筋が近いわ。ロートの場合が…どうかはわからないけど、ギプスでなってしまったというひともおそらく大国やシュヴァルツ出身の人、その血を強く受け継いでいる人だったんじゃないかしら。そう考えると私たちはおそらく大丈夫なのよ。」
「じゃあ、遺伝子的に発症するものだとでもいうのかい?」と男が訪ねた。
「発症ということは病ってこと?あんなのはみたこともないし聞いたこともないわ。それよりも何かの呪いとかいうほうがずっと近いと思うけど。」ユキはまだ信じられないという口調だ。私もなんだかよくわからない。かからないということならうれしいのだけれど。
「ええ、そうね。でも、まだわからないことも多いからそこについては何とも言えないわ。呪いという線もあるのかもしれないわね。呪いであれば血筋ごとにああいう状況になるのも、ありえると思うし…、なんにせよ私たちは大丈夫なんじゃないかな。ギプスみたいにほかの国から来ている人が多い国なんてないし、ギプスも大国以外はあまり行くことがないからたしかめようがないけれど…」カロン自身も疑いながら言っているのだろう。
歯切れが悪い。
「でも、血筋であんな風になってしまうならロートがあんなふうになってしまうのはおかしいわ。だって、ロートは……」とユキは何か気になるところがあるようで、考え込んだ。ほかの人も何のことを言いたいのかわかっているようで黙ってしまった。
「それで、結局、行くのかい? 今なら行ってもロートの奴に殺されるなんてことはないだろうが…」ロートに安全に行けるとしてもあの故郷に戻れないのでは意味がない。私が決断できずに迷っていると
「あまりむやみに動くべきではないわ。人の多くいるところに行くのが安全だと思う。それに、まだ、これだけじゃ情報が少なすぎる。私たちが本当に安全なのかもっとちゃんと見極めないと…。さっきのはただの希望に過ぎないわ」とカロンが落ち着き払った声で言う。さっきの話は苦しい状況の中で彼女なりに場を明るくしようとした結果だったのかもしれない。
「ああ、そうするべきだ」とヒドラも続いた。
「でも、こいつには言語が似ているロートしか手掛かりはないんだぞ、ここで行かなくてどうするんだ」とニクスは反対する。たしかにどちらの言い分も筋が通っていて私は一層、頭を抱えた。
「あなた、……えーと、エミリー?、あなた私についてきなさい」とユキが三人の話し合いをよそに突然そう言い放った。全員の目がユキに集まる。
「私はもういちどロートの町に行ってみるわ。あの国には知らないことが多いから、まだ、貴重な資料がきっとたくさん残っているの。だから、あなたが行こうといかなかろうと私は行く。でも、私はロートの文字には詳しくないのよ。まったく読めないとは言わないけど…。あなたロートのなまりの言葉を話すでしょう。それに学校で学んできたなら文字くらい読めるでしょうから、ついてきて。資料の中にはあなたが知りたいことものっているかもね。」とそういった。
ユキの、何者にも邪魔をさせないその言い方に、みんな押し黙った。それが了解のしるしだった。
ユキのものだという車に乗り込む。
「あまり、いいのじゃないから座り心地が悪いけれどまあ我慢してよ」とユキは言うが、シートの生地がよくふわふわとしていて座るとちょうどいい感じに体がシートに沈むので今にも寝てしまいそうだった。カロンとヒドラとニクスは三人そろって車の横に並んでいる。
「周りの様子には気を付けるんだよ。まだ、私たちがああならないとは限らないし、ロートの人が残っていないとも限らないんだから」と心配そうな目をむける。
「ああ、あまり、今行くのは…、しかし、行くというなら仕方ないな」とヒドロらはまだあまり納得していないようだった。すると、ニクスが近づいてきて、車に乗り込んだ。
「ほら二人とも、のらないの?」といって二人を見る。
「そんな、危険だよ。ロートに行くのは私とユキだけで十分だから。ニクス、ありがとう」と私が言うと、
「何が起きるかわからないんだ。たすけてくれるっていってるやつの手を拒むな」と今までにない剣幕のニクスが言う。
「もう少し頼ってくれてもいいわよ」とカロンがくるまのなかに乗り込み、ヒドラもそれに続いた。
「ニクスが行くっていうんじゃ仕方がないな。まあ、保護者として俺がついていかないわけには」
「誰が保護者だって?お前とそんな年も違わねえよ。今だってビビってるだろ」と言い合っている。車の座席はぎゅうぎゅうでくつろぐ余裕はなかったが触れている腕が暖かかった。もうすでに夜も深くなり、こんなに遅くまで起きていることのなかった私は車の席に着いた瞬間、いとが切れたようにぐっすりと寝てしまった。
「おい、君たち、ついたよ」というユキの声が持して、わたしは目を覚ました。朝日が差し始めているがあたりはまだ薄暗い。ロートの城壁は森の中に突然現れたという風貌だったが、シュヴァルツの城壁に比べるとあまり高くなく、外からの攻撃にそなえるというよりは、領地の範囲を示しているようで、中の様子がよく見えた。中の建物は、新しく作られたとわかる土壁の家と見覚えのある赤茶色のレンガで作られた家があった。
「あのレンガ、見覚えがある。私の故郷でも使われていたものよ」
「そうなの…、本当にあなたはロートから来たのかもしれないわね。あんなレンガはここ以外では見たことがないわ」とユキが答える。
「とにかく、中に入ってみましょう。見ての通り、誰もいないから安心して」といいながらユキは城壁を飛び越えていく。
中に入ると本当に中にはだれもおらず、茶色い物体が転がっているだけだった。
「あなたの話は本当だったのね。シュヴァルツの様子もこんなかんじだったわ」とカロンが言った。
「でも、家のなかにいるってこともないの?電気がついているような家もあるみたいだけど」とヒドラが指をさしながら言った。指さすほうを見ると確かに窓からランプの光が漏れている家がある。よくよくほかの家を見てみると、ニクスが見つけた家にカーテンがかかっていなかったからあからさまだっただけで、ほかの家にもちらほら明かりのともっている家があった。
「いってみるか?」
「いや、それは危険だ。やめておいたほうがいい」とやはりこの状況ではあのニクスでも不安なのだろう、そう話すニクスとヒドラの会話が聞こえる。
「人がいたら散策しずらいわ。見に入るのは危険だとしてもこの状況のままでいるのも危険よ。人がいるか、いないか…、何か騒ぎを起こして人が出てくるかどうかを調べたほうがいいわ」
「どうやってやるの。人がいっぱいでてきて襲われるようなことがあったら、元も子もないわ」
「仕掛けを作っておいて、障壁の外から作動させるのよ。失敗はしないから安心しなさい」といいながら、近くにあった明かりのついていない酒場に入っていく。
アルコールのにおいが染みついていることはわかるが暗くて中はよく見えない。私たちは壁に張り付くようにして息を殺した。私たち以外の人の様子は感じられない。ユキが何やら拳銃のようなものを構えながら一人先に行ってしまった。
しばらくして、少し離れたところからシュッと音がして明かりがともった。とたんに、あたりが明るくなっていく。明かりに慣れていない目がしょぼしょぼしたが、だんだんと慣れてくると、机代わりにされている酒だるがいくつも備え付けられている様子が見て取れた。樽には飲みかけのビールがこぼれ、床にはおつまみが散らばっている。よく見ると樽の周りを囲むようにして茶色の物体がここにもたくさん転がっていた。
一つの樽の前にユキが一枚の紙を手に取ってじっと見ていた。駆け寄るとユキの目の前の樽にはたくさんの名前が書かれた紙が置かれている。チーム分けがされているようで、数人ごとに区切られている。ユキの視線が注がれている気がして目を向けると、ユキの持っていた紙が目の前に突き付けられた。
「これ、あなたが住んでいた里じゃない?」
町のほうに行くことはなかったのでよく知っているわけじゃないが、目の前に出されたそれを見るとどことなく町の形が似ている気がする。それに、この獣舎と学校の位置関係。
「うん…。これ、私がいたところ。どうして…。」
もう一度よくその地図をみるといくつもの矢印が引かれているのがわかる。その矢印が最も多く向かっているのが獣舎だった。
「おそらくここの奴らが、責めたのね…」ユキが静かにそう告げた。
なぜだか、床に転がる茶色い物体からあざけるような笑い声が聞こえた気がした。
ユキは地図を紙に置くと、樽に黒っぽい箱を取り付け始めた。
「これは爆弾よ」といいながら五つのそれを手際よく取り付けていく。
「なんで爆弾なんて持っているんだ」とニクスが疑っていった。
「私はヴァイスの人間よ機械いじりは大の得意なの。それくらい知ってるでしょう。ギプスもロートもヴァイスに比べたら全然大したことないわね。時代が止まってしまっているわ」といった。ニクスはギプスが馬鹿にされたことに憤慨していたが雪はそんなことには目もくれず
「はい、セット終わり、城壁のそとにいくわよ」といってそそくさと出てきてしまった。
私たちは城壁に背を付けてみがまえる。手がじっとりと湿り、城壁についたコケからぷーんと何とも言えないにおいがする。
「さあ、いくわよ」というユキの掛け声とともに先ほど取り付けた五つの爆弾が時間をおいて爆発していった。
シーンと静まり返った夜が広がっていた。足音が聞こえてく様子はない。
「これ、どうやって中の様子をたしかめるんだよ?お前の機械の技術とやらで透視できるような道具を作れたりしないのか?」とニクスが言う。
「材料がなければ私だって何も作れないわ。材料がありさえすればできるけど」と困ったような顔をする。
「結局何にも役に立たないんじゃないか」
「あなたこそなにもしてないでしょ。そんなんならあなたが見に行けばいいじゃない」
「すると頭の上から、誰も出てきてなさそうよ」とカロンの声がする。
「はあ、言い争ってるのはいいけど、ほどほどにね慎重になりすぎても手遅れになってしまうことがあるんだから」となんだか彼女らしくないことをいう。
カロンに続いてみんなも城壁から顔を出すが、確かに町の中に、人影は見えない。しかし、家の明かりが消えている様子もなかった。
「家の中を見に行ってみるしかないわね」というユキの言葉に、ヒドラのつばを飲むおとがした。
玄関のドアを開けると、広い玄関が広がっていて、立派な青色の花が活けてあたが、まだ、みずみずしく咲き誇っていて、靴箱も特に荒らされている様な痕跡は見当たらなかった。しかし、半開きになったドアの扉を開けると様子は一変した。ドアに手をかけるような形の茶色の物体が転がっていて、周りの家具が散乱している。キッチンのほうには、椅子から転げ落ちたような人とたべようとしていたのであろうスープが床に散乱し、テーブルにかけられていたクロスもずり落ちそうになっていた。
「やっぱり、何か予期せぬ状況が突然起きたって感じね」とくぐもったカロンの声がきこえる。正直、この光景は気味が悪い。
「この国全体が、おそらくこんな状況なのね」
となりのいえでも、家族の人数などの少しの違いはあれど同じように人型の茶色の物体が転がっていた。
私たちは図書館、もしくは資料館を目指そうと町を散策した。硬い床はきちんと舗装されていて、時々茶色い物体が転がっているほかは特に変わったところはなかった。
スーパーの棚はきれいにそろっていて、荒らされた様子はない。ただ、茶色い物体が転がっているところだけ、商品が床に散乱していた。どれほど苦しいものなのか計り知れない。劇場のようなところには『本日上映』という文句とともにかわった服を着た女性が黒色の髪を左右でお団子にしているポスターが張られていた。どれほどの準備があったのか…、彼女が舞台に立つ日は永遠にないのだと思うと一層町が静まり返った気がした。
「ここがおそらく、図書館ね。そんな大切な資料があるかはわからないけれど歴史書くらいはあるんじゃないかしら。」確かに建物の看板には○○図書館とか書かれている。もう日は完全にあがっていたが、中に入ると真っ暗で中の様子があまりよく見えない。
「まずは明かりをつけないと資料をよむどころじゃないわ」といいながらユキがカウンターの奥に入り込んでいく。
「キャっ」という短い悲鳴がカウンターの中から聞こえてくる。
「大丈夫か」とニクスが追いかけるよりも先に、
「私は大丈夫、気にしないで」という声が聞こえた。いったい何があったのだろうかと思って中に入るとユキが立っている周りに、茶色の物体がいくつも転がっている。よく見るとユキの足の下にも粉々になった茶色い物体があった。
「おそらく、あたりの変化に気づいた人がこの中に逃げ込んだのね。意味はなかったようだけど」といいながら壁に取り付けられていたバーを下げる。図書館の明かりがともり、並んでいる本が照らされていた。
あの故郷の図書館に負けず劣らずの蔵書の量でこれを見ていくのは大変そうに思われた。高さが自分の4倍はありそうな本棚にはいくつもの梯子が立てかけられ、全く同じような本棚が三十個以上は並んでいる。梯子の下や椅子の上には茶色になった人たちがここにもころがっていた。
「ここが歴史書のコーナーね」とユキが言ったところを見てみると、そこには代わり映えのない本棚が並んでいる。
「さすがに歴史書となると数を絞るのは難しいわね。ここの列が両側とも歴史書みたい」と困惑そうだ。一冊をてに取り、ぱらぱらとめくる。読み慣れたなつかしい文字がそこには並んでいた。覗き込んだニクスとヒドラが二人そろって顔をしかめる。
「うわ、読みにくいな。これ文字の列が曲がってるんじゃないか」とか
「これは、見たこともない文字だな蛇がのたうち回っているみたいだ。」とか好き勝手に言っている。
俺らにはこれは無理だわ。子供のほうの絵本とかのほうの担当をするよ」といって走って行ってしまった。一人で適当に本を取り出して眺めていたカロンはというと、本をパタリと閉じ、
「私にもこの本はちょっと難しいわね。でもあの二人よりは読めないことはないわ。昔、ロートから流れ着いてきたという本を読んだことがあるの。時間はかかるけど…。でも…」と歯切れが悪い。
「あのね、図書館案内があったから見てみたのだけどこの奥の隅のほうに医療書の棚があるようなの。あなたの資料探しも手伝いたいのだけれどあの茶色の正体も突き止めて、ゲルプにこれ以上の被害が出るのを防ぎたい。…だから、そっちに行かせてほしいの。何か手掛かりになりそうなことがあればちゃんと報告するわ」といった。その強い目に断ることはできなかった。
私は手に持っていた本をめくり文字の列に集中することにした。
昔、昔、ズィルバーという国には、美しい銀の民が住んでおりました。
銀の民はそれはそれは美しい銀色の髪の毛を持ち、大きな竜を従えておりました。
竜の背に乗って空を飛び回り、竜の噴く炎で調理をし、竜の翼で風を起こし、竜の慟哭により雨を降らせ、竜の力で傷を治すことができた彼らは、竜を大切に育てて暮らしていたのです。
ひっそりと、ほかの種族と関わることなく暮らしていました。
竜のことを大切にし、代々守り育て、そのことに誇りを持っておりました。
ズィルバーという国は、まだ聞いたことのない国だ。挿絵には聖眼とうり二つの生き物が描かれている。
自分と同じ銀色の髪…。一体どういうことなのだろうか。聖眼とともに暮らしていたのは故郷の人たちであって,銀髪ではなく赤髪のはずなのに。
ほかの国とかかわりを持たないズィルバーでしたが、隣国とのロートとは友好関係にありました。
ロートに住む赤の民には特別な能力も知識もありませんでした。そのことが銀の民には都合がよかったのでしょう。赤の民を通してほかの国とのやり取りをし、赤の民には農作物や畜産物を渡すことによって両国は争うこともなく、関係を保ち続けていたのです。
おそらく私が学校で習っものともアスカから聞いたものとも全く違う歴史がつづられているのだ。なにが本当で何が間違っているのだろうか。誰かが嘘をついていることは間違いがないのだけれど、どうしてそんなことをするのかがわからない。それに、この本が仮に本当ならば、もともと聖眼と暮らしていたのは、この銀の民という人たちで、赤色の民、おそらく私がずっと一緒に暮らしてきた人たちではないことになる。
ページをめくろうとした瞬間、背中に何か視線を感じて本から目を離し、後ろを振り返った。何者かのマントの端がなびいて本棚の陰に消えていった。
「どうかしたの?」と同じ列の本を見ていたユキが本から顔をあげていう。
「見知らぬ人影が…」といいながら、走り出した。カロンでも、ヒドラでも、ニクスでもない。薄茶色のフードを深くかぶった人が図書館の出入り口を出ていく。
「まって」なぜか私の本能は、この人を負うべきだと私に言い続ける。このまま追っていったらあの人影の本拠地にのりこむことになってしまうかもしれない。そこに、何がいるのか、どんな恐ろしいことがあるかわからない。そんな考えが頭をよぎるが、足が止まらない。この人を逃がしてはならないという思いが一層強くなる。だんだんと距離を詰め、近づいてきた背中にもう一度、
「まって」と、声をかけた。
その声に、そのマントを羽織った人はだんだんと足を止める。あと三メートルほどで捕まえられる、という距離まで詰めたとき、振り向いた。間違えようがない、アリサだ。気の強そうな黒色の狐目、ふっくらとした顔立ち、白い肌。しかし、その顔には疲労が浮かんでいる。それに、フードからのぞいている髪の毛は私が知っている赤色ではなく、茶色だった。
「ア…リサ?」と私は驚きながらもなんとか声を出した。
「その髪の毛…」
「本当にエミリーなのね、その銀髪、間違えようがないわ」と唇をかんで顔をゆがめる。
「生きていたんだね、よかった。ほかの人たちは、ミレアやアンナやクレハは?それにアスカも聖眼たちも。みんなどうしたの? なぜここに」話したいことも聞きたいこともありすぎて私の開いた口が止まることなくしゃべり続ける。
「ああ、ごめんなさい」そう言ってアリサは泣き崩れた。
どういうこと? みんなは助からなかったの? 視界がゆがんだ。
うしろから私たちを追いかけてきたユキが、
「大丈夫?」と言う声が聞こえたような気がした。
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