一本杉のコアラ

今日は二人で野原へやってきました。


みごとな快晴です。

空高く風が吹きます。


アイとクァシンは幽霊女神に相談があるからとここに呼ばれたのですが、彼女は待っても待っても、幽霊女神はなかなか来ません。

退屈した二人は、遊んで待つことにしました。

アイが持ってきたボールでキャッチボールをすることにしたのです。


いくらかキャッチボールは続いたけれど、それにも飽きました。


すると突然、アイが面白いことを思いついたとクァシンに提案したのです。


「アイが犬になるから、クァシンが投げてよ」


「い……ぬ……?」


「そう、犬!」


アイは四つん這いになって、その場でグルグル回りました。そしてお尻を振りながら「ワンワン」と鳴くのでした。


「ワンワン」


「いいね、本当に犬に見えてきたよ。じゃあ、僕が人間をするよ。でも、人間ってどうやって鳴くのかな」


「ありがとう、とか、ご機嫌よう、とかかなワン。……ワンワン」


「ありがとう。ご機嫌よう。ありがとう」

「ワンワン」

「いえいえ、こちらこそ。お気になさらずに」

「ワンワン、ウゥ〜……ワン!」

「さすがです社長。社長のおっしゃる通り!」


お互い鳴き声を飛ばし合います。


そしてようやく、クァシンは目一杯ボールを放り投げました。投げられたボールは大空へ吸い込まれ、アイはそれを、四つ足で野を駆け、追いかける追いかける。


高く上がったボールは頂点でスッと止まり一回転すると、今度は地面へ向かって放物線の後半を落ちてゆくのです。これが物理です。


アイは落下地点を見きわめ、走ります。


だんだん距離を近づけるボールとアイ。


しかし、ボールとアイは巡り合いませんでした。


ボールが飛んでったその先に、一本だけ孤独に生える一本杉があったのです。

高い高ーい一本杉です。


つまり何が起こったかというと、ボールは地面へは落ちずに、一本杉の枝に引っかかって、


——さらにアイは木の幹と衝突しました。


鼻から血を流すアイ。


クァシンが心配してやってきます。


「大丈夫かい」


「うん。でも」


アイは高い木を見上げました。

落ちてこないボール。

一本杉を蹴ってみましたが、びくともしません。


「よし」とアイは再び思いつきました。「今度は、猿になるよ」


「どういうこと?」


犬の次は猿です。


「この木を登る」


アイは木の幹に腕を回してしがみつきました。


クァシンが下からお尻を押し上げます。


少しのぼりました。


「いいよその調子」


アイは少しずつコツを覚え、やがてするすると登って行けるようになりました。

ボールのある枝までゆくにはかなり時間がかかりそうです。

クァシンはもう座って本を読み始めてしまいました。


しかし、アイは弛たゆむことなく木登りを続けます。三十分くらいのぼり続けて、ようやく枝のある高さまでやってきました。ここまでくると枝を握ったり、足をかけたりできるので、かなり楽に移動することができます。


ずいぶんな高さまでやってきました。

首をめぐらせボールを探します。


すると、彼に話しかける声がありました。


「君も逃げてきたのかい」


もそっとした、覇気のない声。ちびまる子ちゃんの長沢くんのような話し方です。


「けど、ここの葉っぱは、あまり美味いとは言えないぜ」


アイはすぐにその声の主を見つけました。


コアラでした。


コアラはアイより少し高いところの幹にしがみついて、杉の葉っぱをちぎっては口に運んでいました。

そしてコアラはそこにあったボールも葉と間違えて掴んでしまい、そのまま口に入れてしまいました。


喉をつまらせるコアラ。


アイはすぐにそこまで登って、コアラのポケットに手を突っ込んで、ボールを取り出しました。


「ありがとう。人間」


「違うよ、アイは猿だよ」


「知ってるよ。けど、人間も猿だぜ」


「けれどコアラさん、なんでこんなところにいるの。いつもはユーカリの木にいるよね」


「それが、俺の家が火に燃えちゃってね、住むところがなくなったんだよ。すると、あの恐ろしい存在から身を守れなくなるから、一旦、ここへ避難してるんだ」


「あの存在?」


「俺はあれを恐れてる。恐るるにたる存在だ。恐れないではいられない。恐れるほかあろうか。恐れる以外にやり方があるなら、教えてほしい……二本足で歩き、手を使って道具を利用し、あの赤く張り切った体に浮くほどの血を漲らせている、あの……」


「それってまさか」


アイはそのコアラの怯えた目を見て、必要以上に怖くなってしまうのでした。


アイは口をつぐんで、息をのみます。


さっと目をそらしたコアラは、体を震わせながら、弱々しく、恐れているその正体の名前を言いました。


「そうなんだ。……あの、コアラ喰い鬼さ」


「コアラくいおに?」


あいにく、アイの知らない存在でした。てっきり、人間と言うんじゃないかと思ってました。けれど、そこはワールドザワールド、何でもいます。


すると向こうから、ずん、ずん、と重たい音が聞こえてきました。——ずん、ずん。


——ずん、ずん。


——ずん、ずん、ずん。


——ずしん、ずしん、ずしん。


コアラを見ると、もうこの世の終わりかというくらい怖がっています。


「あ、あ、この足音は!」


「コアラ喰い鬼なの?」


「そうに違いない。違うと言ってくれ。いや言えるはずない。違わないからだ。そう言わない法があるだろうか、あったら教えてくれ!」


コアラは情けない声を出して、力いっぱいにがっしりと一本杉にしがみつくのでした。


おもむろに、その一本杉が揺れ始めます。だんだん揺れは激しくなって、ついにはもう、コアラは顔を白くして、小便を垂らしていました。


アイは下を見下ろしました。

何が起こっているか確認できました。

木の下では本を開くクァシンのすぐ横で、赤い大きな影が、体から湯気を出しながら、両腕を木にぶつけ、揺らしているのです。


アイはこれがコアラ喰い鬼かと、初めてみるそれに背筋を冷やしました。


体は大きく張り切っています。

肌は血塗られたように真っ赤で、腕が八本、お腹のところに裂けた大きな口があって、その口からは太い舌がだらりと垂れているという、見るだに恐ろしい鬼なのです。


さらにはその鬼の背中に、小さな白い羽が生えていて、飛ぼうと思えば空でも飛べそうです。

この鬼が苦手なのは唯一、ユーカリの葉の匂いなのでした。


「ああ、もう終わりだ。俺はあれに喰われてしまうんだ。食われる他に道はあるだろうか、いや無い。喰われる運命を定められているのだ」


コアラの悲痛な叫びです。

しかし、そこでアイが立ち上がったのでした。


「僕があの鬼を退治しよう」


「無理だよ。だってあれは」


そう言ったとき、アイとコアラ、二人のすぐ真横で、太く低い咆哮が聞こえました。


コアラ喰い鬼が、羽をパタパタ、空を飛んですぐ横まで来たのです。


「奴は飛べるんだ。もうダメだー」とコアラは絶望します。


「アイだって飛べるさ。アイは鳥なんだ。鳥にもなれるんだー!」


そう言ってアイはちょうど翼のように見える葉のつき方をした枝を二本手折たおると、それを羽ばたかせて空を飛びました。


それを見たコアラとコアラ喰い鬼の、驚いたのなんの。

両者唖然としました。

ただアイだけが、まるでそれが努力の結果、当たり前の現実であるかのように木の枝を羽ばたかせ宙に浮いています。


グオーー。


とそれでもコアラ喰い鬼は居丈高に吠え、アイに襲いかかります。


アイも負けじとコアラ喰い鬼へ向かってゆく。


殺気と殺気がぶつかり合います。


そして、両者、空中で交差しました。


・・・。


一体、決闘の行方は……。


「あぐ、あぐ、あぐ」


コアラ喰い鬼が苦しんでいます。


そのうちに、コアラ喰い鬼はついに、力尽きて地面へ落下しました。

どしんと音を響かせ気を失ったコアラ喰い鬼の口の中には、あのアイのボールがつっこまれています。


「あれは」とコアラは驚きました。


「そう、君の胃袋を通ったあのボールは、ユーカリの匂いでぷんぷんだったのさ」


コアラはアイに感謝しました。

アイはコアラを背負って地面へ降りました。


読書に集中しているクァシンに呼びかけます。


「ねえクァシン。ユーカリって育てられる」


クァシンは隣に伸びている赤い鬼に興味津々でしたが、コアラを抱いているアイにも興味をもちました。


「ああ、コアラくん、はじめまして。ユーカリの木だね。そうか、コアラくんは家をなくしてしまったんだね」


と飲み込みの早いクァシンは言います。


「ユーカリの木が必要なんだね。それなら苗木を持っているから、コプくんに頼んですぐに住めるようにしてもらうよ」


コプくんと言うのは、町の南のはずれのいなかに住む発明家の卵で、クァシンとは昔からの知り合いでした。


「本当に感謝する」


コアラはアイの肩から降りると、丁寧にお辞儀をしました。


「お礼に二人にはこれをやろう。僕の先祖がつくって、それから家族で代々継いでいる秘伝のジュースなんだ。ぜひ飲んでくれ」


コアラはポケットから瓶を二本出しました。


アイとクァシンはそれを飲んでみて、いままで飲んだことのない不思議な味に驚きました。


「これはなんていうジュースなの」


「この名前は、発明した曽祖父の名からとって、コカコアラっていうのさ」


クァシンもアイもすっかりこの新しい飲み物を気に入りました。

砂糖やらユーカリやらの重層的な匂いが楽しい、素敵なジュースなのでした。

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