孤独王
入り口から、朝の明るさがななめに入ります。
木の床を、白く反射させています。
光に、ちらちらと、舞う砂が輝きます。
ここはアイの住居。
アイはワールドザワールドのシンボルともいえる、町をでて、川を越えて、丘陵を登ったさきにそびえる巨大樹の、太い根元にあるほら穴に住んでいます。
樹が巨大なら、根も巨大です。
その根が浮かんで地面とできた隙間に、木の板をはめこんで作ったのがアイの部屋です。
出入り口には扉はありません。ついこの前壊れたので外しました。窓は一つだけあります。
狭いワンルームに家具や生活用品、おもちゃやお宝、ゴミなどが散在しています。
アイはここを「アイルーム」と呼ぶのでした。
もちろん彼だけがそう呼でいて、みんなはアイの家とか、アイの部屋とか呼びます。巨大樹と言う人もいます。穴という人もいます。
アイルームにはアイと、ペットであるウサギが住んでいます。
いま、ウサギは外で、草を食んでいます。
……違和感に目を覚ましました。
いつもは朝から元気なアイも、今朝ばかりは苦痛に顔をしかめました。
全身がくまなく痛むのです。
すぐに彼は自分が床に寝転んでいることに気づきました。
おかしい。
昨夜はきちんとベッドに寝たはずなのに。
起き上がって状況を確認してみますと、アイのベッドには、知らない青年が寝ていました。
顔は薄く日に焼けて、黒髪は長くうねり、目は深くに落ちこんだ、そんな顔つき。色の悪い魚のような唇が、一直線にひかれ、頬にはよだれが横たわっています。
誰だろう。
「アイ、私これから出かけてくるから」
そのとき、ワールドザワールドの女神がやってきて入り口の外から顔だけを中に入れて、言いました。
すると彼女もすぐ、青年の存在に気がつきました。
「あら、あなた、彼氏連れ込んだの」
「彼氏じゃないよ」
「うん。でも誰かしら。見たことないわね」
「アイも」
「独特で、綺麗な顔の人ね」
朝ごはんをタニシの女神のところで食べるようにと、彼に言い残すと、彼女は仕事へ出かけるのでした。
部屋はふたたび静かになります。
青年の寝息だけが、平和に穏やかに響くのでした。
アイは青年を起こすため、指先を使って肩を揺すってみました。
すると、青年はパッと目を開けて、
「何だ」
「あ。……おきた?」
「うるせえ」
青年は起き上がり、「どこで顔を洗うんだ」とアイに聞きました。
「川、かな。今ちょっと井戸の調子が悪いから」
青年はアイの話を聞かずに部屋を出ました。
そしてすぐに戻ってきて、川までの道を聞きました。
アイは川のある場所を教えました。
青年は川まで歩いて行かなくてはならないことに文句を垂れながら、足元にひょこひょこと跳ねてきたウサギを邪魔だと蹴飛ばして、去っていきました。
「ああ、ウサギちゃん。かわいそうに。まったく、なんてことするんだ。ひどい」
とアイはウサギを抱き上げて、彼を見送ったのです。
〇〇○
タニシの女神のところへ行くため、服を着替えたアイは歪んで見える鏡の前に立って、変顔の練習を一通りしました。
それから今度はキメ顔をしてみる。
いい顔です。
「おい! 何してるんだ、馬鹿みたいに」
戻ってきた青年はイラついたような声を出して叫びました。顔はびしょ濡れのままです。
「拭くものをなんで持ってこない」
「知らないよ。それなら、部屋の中から探さないといけないよ」
「じゃあ探せよ」青年はアイの部屋を見て「きったねぇな」と言うのでした。
アイはタオルを引っ張り出し、青年に手渡しました。
「できれば、もう少し言い方があると思う。アイに、頼み事をしてるんだから」
「臭えタオルだな、これ」
「名前はなんていうの。どうやって呼べばいい?」
「俺はな」と青年は誇らしげ、胸を張って言いました。「孤独王と呼ばれている」
「孤独王……」アイはつぶやきます。「ぴったりだね」
「お前はアイっていうのか」孤独王は言った。「変な名前だな。適当につけられただろ」
〇〇○
腹が減ったということで、孤独王もタニシの女神のところへ連れて行くことにしました。というより、彼がついてきたのでした。
アイは少し心配でした。
タニシの女神のところで、この孤独王が失礼なことをするのではないかという心配です。
二人は村へ到着しました。
かたい土の路の両端に家が立ち並んでいます。
町に比べると貧相に見えますが、それなりに人も多く住み、何よりみんなが元気なところです。
アイは自分の家から近いこともあり、この村が好きでした。
「俺の住むところも、見つけねえとな」
と孤独王は言いました。
タニシの女神の家はこの村の一角にあります。
見た目は他のどの家ともさほど変わらない、壁は木の板、ガタピシ引き戸、四角いガラス窓、屋根は斜めで木の皮の瓦が組んであるのです。
けれど、中に入ると他の家と少し違います。
部屋の中央には大きな四角い机が置いてあります。そこには紙束や辞書があって、虫かごも積まれてあります。
この虫かごは、虫のいるのもあれば、空のものもあるのですが、アイはそれらを覗くのが好きでした。
「おはよう、タニシの女神」
「ああアイちゃんか、おはよう」
彼女はいつも鼻詰まりのような声をしています。
茶色い髪の毛を丸く束ねた、細身の女性です。
今日は茶色いショールを肩からかけています。
「ん、誰か連れてるね」と彼女も孤独王に気づいて言いました。「何よ、この男前。ふふ。この子もうちで朝ご飯食べるの」
「うん。ごめんなさい、勝手に連れてきちゃった」
「いやあ、いいのよ」
「孤独王!」と孤独王は自分の名を、右手を上げて名乗りあげました。「腹が減ったから来たんだ」
座ってて、とタニシの女神は準備のため奥へ消えました。
アイもお手伝いのためについてゆきました。
アイが朝食を両腕に並べて出てきます。
タニシの女神は机の上のゴタゴタしたものを押しのけてスペースを作り、そこに朝食を並べました。
「いただきます」
と明るく挨拶をして、アイは食べ始めました。
孤独王も食べはじめます。
タニシの女神はいつも朝食を抜いて生活しています。ときには昼食も夕食も食べません。食欲があまりない体なのです。
二人が競うようにガツガツ食べ始めたとき、扉を静かに開けて、クァシンが入ってきました。
「初めての人がいるね」
と優しく目を細めて笑い、アイに「こんどは誰を連れてきたの?」と聞きました。
「孤独王っていうんだ。今日朝起きたら、アイルームで寝てたんだ」
クァシンは頬杖をつき、上半身を机の上に寝かせるような格好で二人を眺めました。
「今日は何する?」
とアイが、口に物を詰めながら言うと、
「何する?」とクァシンは聞き返します。
「うーん」と二人が悩んでいると、
「俺の住むところを探せ」
と孤独王が言いました。
二人はうなずきました。
今日の予定が決まったのです。
〇〇○
「高いところがいいな」と孤独王は言いました。
「広くて、周りにうるさい奴がいなくて、子どもとかな、歌うやつとか、そういううるさいのがいなくて、明るいところだ。お化けが出ねえところ。あと水の近くは無理だな。泳げねえから」
「泳げないんだってさ、アイと同じだね」
クァシンに言われ、アイは顔を赤くします。
「お前泳げねえのか。っはは、だっせえな」
「孤独王も泳げないんでしょ」
アイは立ち上がって言い返しました。
けれど、孤独王は「俺はいいんだよ」となぜか余裕の表情です。
「でも、そんな都合のいい場所ところ、そうそうないよね」
とアイはクァシンの方を見て言います。
「まあね、条件通りにはなかなか行かないけれど、村の端に余った土地があったはずだよ。とりあえず、そこへ行ってみようか」
「行ってみよう」とアイは賛成します。そして、
「ありがとうタニシの女神、おいしかったよ」
と言って、出発の準備を始めました。
奥から「はあい」と声だけが帰ってきました。
三人はタニシの女神の家を出て、クァシンのいう「余った土地」の場所に向かうのでした。
村を歩き、小橋を渡り、村の端までやってきました。
到着した場所で、三人は、その土地を見下ろしました。
そこにあったのは、もちろんただの土地です。
土が剥き出しになった土地。
「こんな壁も天井もないところには住まねえぞ」
「自分で建てるんだよ」
そう、アイが言いました。
それはこの世界の常識で、みんな住むところは、みんなで協力して作るのです。
すると突然、孤独王は走り出しました。
どこへ行くのかと追いかけてみると、彼は昼が近づいてきて人通りの多くなった小橋の欄干に立って、その橋を通る人を物色しているようでした。
そして、そこからめぼしい人物を見つけると指差して、命令しました。
「おい、お前、そうお前だ。俺の家を作れ。広くて快適な寝心地の良い家だ。ちょっと待て。くそ、ああ、お前は俺の料理係にしてやろう。こっちへこい。ここに座っていろ。お前は……」
何が行われているのかと、徐々に人が集まり始めます。
それに気を良くした孤独王は、
「お前ら凡人たちに価値を与えてやろう」
と、集まった人々に仕事を指示し始めました。
しかし、それがあまりに適当で、自分勝手だったので、すぐに反感の声が上がりました。
そしてみんな三々五々、散ってゆきました。
孤独王に冷ややかな言葉を浴びせる者、罵声を浴びせる者だけが残りました。
二時間くらい経ちましたでしょうか。
孤独王は四面楚歌に陥っています。
だんだんと村人たちは孤独王の勝手に我慢ができなくなり、また橋へ集まり始めました。
それと同時に孤独王の方でも、怒りの声に恐れる反面怒りもおぼえて、イライラと胸に膨らませているのでした。
そのころにはすっかり孤独王のことは放ったらかしにして、別な会話をしながら歩いていたアイとクァシンが、偶然そこを通りかかりました。
そのときです。
孤独王が怒鳴って村人を非難し、それに呼応して、村人たちからも反撃が出ました。
怒号が最高潮に達したのです。
その喧騒によって、アイは橋の欄干に立っている孤独王を見つけたのです。
「あ、孤独王だ」
と指差したとき、ちょうど群衆の誰かが孤独王に小石を投げました。
それがちょうど顔に当たって、孤独王は、ひるんでよろけて、そのままバランスを崩しました。
橋からから落ちたのです!
橋の下から、深い水の破裂音だけが聞こえてきました。
「もう!」
アイは解散する群衆の間を通り抜けて、橋の欄干までくると、孤独王を追って川へ飛び込みました。
〇〇○
それから二人は、なかなか上がってきません。
それから。
それから。
……それからいくらかたちました。
川岸に、濡れ鼠となった二人が上がってきました。
ずいぶん川に流された先でのことでした。
口からジャバジャバと壊れた蛇口くらい水を吐くアイが、濡れて冷たくなった孤独王を引き上げて、出てきたのです。
孤独王から手を離すと、その反動で力尽きたように倒れ込みました。
土手の上からクァシンが降りてきました。
「大丈夫だった?」
「うん」
アイはよろよろと立ち上がって、水をたらふく飲んで餅のように膨れた、孤独王の腹に足を置いて、ぐっと押しこみます。
すると、孤独王の口からピューっと噴水が上がりました。
水を吐き切ると、目を覚ましました。
「死んだぜ」
と一言目に彼は言い、それから、
「家は完成したか」
とアイに聞きました。
アイは首をふります。
「作っておけ。要望は聞いたな。広くて心地の良い家だ。それまでお前のあの狭い散らかったアイルームで我慢してやる」
孤独王は一気に言い終えると、アイの部屋へ向かうのか一人で先にその場から立ち去ってしまいました。
「どうする」
とクァシンが聞くと、アイは、
「つくろう」と言ったのでした。
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