雨あがり
今年高校に上がったばかりの少女、井上あかりは追い詰められていた。吹奏楽のコンクールの本番まで、残り1ヶ月となったというのに、どうにも調子がでないのである。所謂、スランプに陥っていたのだ。何をやっても思い通りにいかず、ついには先輩から吹かなくてもよいと告げられるまでに至ってしまった。それでも猛練習したが、なにひとつ結果はでないまま、残り1ヶ月を迎えてしまったのである。
一心不乱に、同じところを繰り返し繰り返し練習し、頭が茹であがりそうになってようやく我に変える。制服が汗でびったりと身体にまとわり付くような不快感をぬぐい去ろうと、教室の窓を開けるも外は雨。空は重っくるしい灰色で風もふかない。むしろ嫌に蒸し暑く湿った重い空気がのしかかってくるだけであった。朝よりも激しくなった雨が、空気を通して、楽譜を湿らせていく。雨はまだやむ気配はない。
そういえば、憧れの先輩もスランプになったことがあると言っていたような。
「迷ったならば、休憩だって大事さ。けど、重要なのは、自分は何をしたいのかをもう一度思い出すことなんだ。」
一度原点に戻ることだってね、と彼はサックスをケースに戻しながら告げた。その後、退部届けを提出し、彼は部活から去っていった。その日も雨が降っていた。
プロのジャズ奏者として新たな道を歩き始めた彼に、自分を重ねてみる。私はただ単純に音楽をしたいだけだった。深い意味は特にない。楽器を吹くことが誰よりも好きな自信はあった。
しかし、それだけだった。中学まで学んできたことや、培ってきた技術と自分なりの音楽感が、高校でそのまま通用するほど、甘い世界ではなかった。時に食い違い、不満に思うことすらあった。それでも自分が正しいのだと頑なに他を否定し続けた結果が違和感となり、歯車が食い違うようなズレが生じ、スランプという形になって現れてしまったのだ。自分のやりたかったこととは、果たしてこんな独りよがりな音楽だったのだろうか。自分に都合のよいことばかりに目や耳を向けて、果たして理想に近づけるのだろうか。
ふと気づくと、合奏の時間になっていた。皆はいそいそと、音楽室に戻ろうとしていた。あかりもあわてて窓を閉め、皆に続き教室を出た。電気を消して廊下に出たとき、雨は少し弱くなっているように感じた。
合奏も終わり、その後何度か練習をし、ようやく部活が終わった頃、雨は上がっていた。あかりの心もまた、まだ完全にとは言えないものの、頭上で輝く星空に負けない希望の灯が灯り始めていた。
その後、地区大会までに完全にスランプから抜けきれなかったものの、 みごと全国大会まで上り詰めたのは別のお話である。
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