ハッピーファッキン・ハチクロファッカー
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンピンピンピンピンピンピンピンピンピピピピピピピピンポーン。
けたたましいなんてレベルじゃない超絶連打チャイムで叩き起こされた午前六時三十二分。布団からのろのろ立ち上がる僕は尋常じゃない低血圧、ゆえに足取りふらふら。眠い目をこすりこすり、あくびを噛み殺しながら玄関を開けると。
「おはよーコンテ、二年ぶりーっ! 殺しにきたよーっ!」
初恋の女の子が、銃を構えてとびきりの笑顔で立っていた。
「…………え、ざらめ?」
「うん、ざらめ。ほんとひさしぶり! 往生せいやーっ!」
ニカニカ笑いながら僕の胸に銃口を突きつける彼女は、紛うことなく僕こと
ところどころツンツン跳ねてる真っピンクのショートヘアー。だるんだるんの長袖ジャージにてろんてろんのマイクロミニデニムスカート。そして耳には無数のピアス。高校時代から全く変わってないこのラフい雰囲気。そして彼女の手に握られた、それはそれはちっちゃくてちゃっちい、水鉄砲みたいな色と質感の銃。
ああ、なるほど。
これ、夢か。
うん、じゃあ夢診断でもしよう。
診断結果→銃は男性器の象徴です。初恋の人が銃を持って殺しに来る夢を見たあなたは、今かなり性欲が高まっている状態です。オナニーでもしましょう。以上。うんうん、あー確かに最近ヌいてなかったかも、結構バタバタしてたし。よし、じゃあもうどうせ夢なんだし適当なこと言ってみるかーと、
「ね、ざらめ。僕ちょっと溜まってるから早速だけどフェラとかしてもらっても」SPAM!
耳をつんざく爆裂音。
胸に走る熱と圧と鈍痛。
目の前、にっこり微笑むざらめ、の手の中の銃、の銃口からうっすら立ち上る硝煙。あー。理解。撃たれたんだこれ。というか、あれ? 普通に痛かった、し、まだ全然痛い、ってことは、これは夢じゃない。え? ……夢じゃない?
ゆらーり、とゆっくり後方に倒れゆく僕の体。
ふんわり真っ白になる意識。
がんっ。思っくそ後頭部をフローリングに打ち付けて。
どんより真っ黒になる意識。
――――――暗転。
* * *
「えーなんだよぉそれー。なんでそんなもん着てんのよーっ」
ぶうぶうとほっぺたを膨らませるざらめ。
現在、午前六時四十八分。
十六分前のSPAM! がどうやら最後の一発だったらしく、弾を失うと同時に戦意も失くしたざらめは、へなへなっと部屋に上がり込んできて、意味もなくだらだら狭い室内(1K六畳ユニットバスで家賃六万)を歩き回っていた。
僕はと言うと、ぶつけた後頭部をアイスノン代わりの冷凍チャーハンで冷やしながら、布団の上に座って彼女を見上げている。
「ねーってばコンテなんでそんなもん(、、、、、)着てんの? わけわかんないよー反則反則反則じゃんそんなのっ、あーもうクソなんで」ざらめが口をとんがらせながら喚く。
僕はパジャマの前ボタンを二、三個外して、下から出てきたそんなもん(、、、、、)――防弾チョッキの表面を軽く撫でた。うん、ほんとに着といてよかった。備えあれば憂いなしで嬉しいなって(ちなみに、これ着てても撃たれたら痛みは結構感じる。嘘だと思うならどうぞ試してみて)。
と、ざらめがガシッとおもむろに僕の肩を掴み、ぐわんぐわん前後に揺らしだす。がっくんがっくん揺れる僕の首。
「ねーなんで防弾してたのよ? ねーなんでなんでなんでっ?」
「うーん……じゃあ逆に、なんでざらめは僕に着弾してきたの」
そう訊くと、ぽっかん、とざらめは心底不思議そうな表情で、
「そんなの仕事だからに決まってんじゃん。殺し屋さんだもん、あたし」
……。
約一秒の沈黙。
「ふうん、そっかあ」
わりかしスッと受け入れる僕。
うん。確かに殺し屋やりそうな雰囲気あったかもなあ高校の頃から、向こう見ずっていうか特攻系っていうか日常生活アウトロー寄りっていうか例えばその頃から髪ピンクだったしピアスじゃらじゃらだったし授業中でも平気で立ち上がって教室出て屋上とか行っちゃうしあるときそれを追って屋上行ってみたら一人でふかふかタバコ吸ってて一本ちょうだいって言って吸ってみたらそれタバコじゃなくてシャブだったし。うん。それにしても初恋の相手が殺し屋になっちゃったっていうこの状況、自分のことながら結構笑える、ので、笑いながら、
「でもざらめ、殺し屋さんならあれなんじゃないの、僕を一発で仕留められなかったのは失態なんじゃないの結構」
「むうーなんだよ勝ち誇ったよーにっ!」
ぷほおーっと頬を膨らませながらざらめは僕が後頭部に絶賛当てていた冷凍チャーハンを奪い「超ちくしょーっ!」それを壁に向かって力任せに投げつける。BAN! 完膚なきまでに叩きつけられる冷食。おー、荒々しい。
……にしても。
僕もとうとう、命を狙われるようなポジションになっちゃったんだな、と一人でこくこく頷き、軽くため息を漏らす。それに重なるようにざらめがぶへえーとため息をつき、
「えーもうなんなのコンテ、急に一人でアンニュイっちゃってさーアンニュいりたいのはあたしだよっつって、ねねね、だからなんで防弾」
なんでって言われてもなあ。
「うーん……まあ、話すとちょっと長くなるんだけど、こないだ親父が寝込み襲われ」「わーなんかチャーハン触ったらおなか減ったかも知れない」僕の話をいとも容易く遮りながら、ざらめは冷蔵庫を勝手に開けて「あーっ! ねねねこれ食べていい?」中から食べるラー油のビンを取り出す。
「……いいけど、え、単品で食べるのそれ」
「ロンモチ! あたし素材の味を大事にする派だもんよっ。いっただきまー!」
ざらめは意気揚々と蓋を開け、どしんとフローリングの上にあぐらをかき、腰に手を当てビンを口に当てコーヒー牛乳@風呂上り的な姿勢で食べるラー油をぐびぐび一気に流し込んでいき当然のように「ケハッ」と咳き込みビンを口から離して「ケハッケハッうえ辛っ、無理だこれーケハッあははっケハケハ」真っ赤になって咽(むせ)ながら、床をバシバシ叩いてけらけら笑う。相変わらず見てて飽きないなーと、高校時代から変わらない彼女のその雰囲気に、少しホッとしたり、軽くハッとしたり、わりとドキッとしたりする。いや、だってざらめ、高校んときより更にぐーっと可愛くなったよなー、可愛いというか、綺麗というか、きらきらしてるというか、パンツ見えてるというか。うん、パンツ見えてるな。マイクロミニデニムスカートのそのマイクロさゆえに、そしてあぐらをかいてるその姿勢ゆえに、思いっきり、割合で言うと八割以上は見えてる。ちなみに色は髪とお揃いのパッションピンク。更になにやらテカテカの光沢。つまり総じてエロい。僕は目をそらしたりせず、ちらちら見たりもせず、ただまじまじと、まっじまじと真正面から見つめる。と、ざらめが僕の視線に気づき、
「おっ、パンツ?」ひさしぶりじゃん元気? みたいなテンションで言う。
「うん、パンツ」ぼちぼちやってるよー、みたいなテンションで返す。
そして訪れる、ゆるやかな静寂。
ざらめは特に隠したりもせず。
僕も特に見る以外のことをせず。
ただ、まったりと数分、時が流れた。
…………。
わー、なんだこの状況。
と、そのとき。
ちゃらららら ちゃら ちゃら ちゃららららあぁーーーん♪
哀愁たっぷりのフルオーケストラサウンドを響かせながら、枕元に置いた僕の携帯が震え出した(ちなみに曲は、まあイントロでわかったと思うけどゴッドファーザー愛のテーマ)。もうちょっとパンツ見てたかったなーと思いつつ、まあでも充分堪能したかーとも思いながら、よっと布団にスライディングダイブして携帯を掴む。
ディスプレイには、『
と、いうことは。
…………ああ。
もしかして、もしかしちゃったか、と軽く髪をむしゃむしゃ掻きむしり、のろのろと、至極のろのろと電話に出る。
「……ん、もしもし」
「おはようございます兄貴! 目奈ですっ!」
きーーーーーーーーんとする僕の耳。思わず携帯を数センチ離す。あー、僕より何歳下だっけ目奈、二歳? ということは今、高三? つまり現役女子高生最後の年? うーん、こんなこと考えるのもなんか老人じみてて嫌だけど、若いよなーとこのバカ気張った声を聞く度にしみじみ思う。あと受験大丈夫だろうか、大学受験。もう数ヶ月でセンターだろうに、この元気さ、シャカリキさ。いや悪いことじゃないけど、むしろ元気は良いことだけど、この道の人間としては。――まあ、それはそれとして。
「ん、どした」
どうしたのかなんて大体察しついてるけど、一応、尋ねてみる。
すうっ。
耳元で、小さく息を吸う音が聞こえて。
「……親父が、先ほど、息を引き取りましたああぁっっ!」
もう内耳でカキ氷食ったんじゃないかってぐらい耳がきーーーーーーーーーーーーーーんとした。携帯とほどよく距離をとっているにも関わらず。というか、
うん。うーーん。うーーーーん。
…………来ちゃったか。
ばふんっ、と枕に思いっきり顔を押し付けて、ぶはあーと腹の底から重い重い重いため息をつく。そんな僕の様子なんて知るよしもなく、電話の向こうの目奈は言葉を続ける。
「……兄貴、こんなタイミングで言うのも、なんですが」
「ん」
「七代目襲名、おめでとうございますっっっ!」
きーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん、からの、ぐにゃあっ(視界が大きく歪んだ効果音)。
ああ。
ついに、襲名しちゃったんだ僕。
――七代目・
「兄貴、とりあえずですね、今から事務所のほうで親父の告別式と兄貴の襲名式、簡単にでも一通りやろうかって流れになってるんで、お手数ですが事務所までお越し頂いてよろしいでしょォかァっ!」
半端なく気合入ってるせいで語尾が裏返る目奈。僕は終始無言。
「あっ! それと、
この世の終わりかってぐらい咳き込む目奈。僕は依然無言。
「げほごほっ、うう……あ、それでえっと、あのっ……兄貴っ、実はそのっ、盃事やる前に、あの、私……あ、兄貴にっ! だ、だだ、大事なお話がありましぐえっほっ! げっほげほごへえぐごぉーっ」とりあえず僕は、そっと電源を切った。そして、ぽいっと携帯を適当に放り投げ、布団に突っ伏す。視界真っ暗闇。
「コンテー、電話誰からだったのー」
そんなに興味なさげな感じのざらめの声。
「……誰って、うーん」
悩む。なんと説明したらいいかわからないので、とりあえず、
「……後輩というか、僕を慕ってくれてる子」
と、正解ではないけど間違いでもないぼやーっとした答えを返しておいた。
「へーへーあっそうてかてかさーさーそもそもコンテコンテは今今なになにやってんのー?」
その変なリズムを完全スルーしながら、僕は、ふっと考え込む。
今、なにをやってるか、か。
目を瞑り、真っ暗な視界で考える。
なにを?
……。
えーっと。
…………。
「大学生、あとヤクザ」
なんとか遠回りな表現で表せないかと考えたんだけどめんどくさくなったのでもう率直に伝えた。ヤクザなんだからヤクザとしか言いようがない。文句あるか。と、ざらめが、
「あーなるほどー! だからあたし今日コンテのこと殺しに来たんだーっ」とか、とびきり大きな声を出す。
まあ、そうだよなあ、と思う。
僕が次期組長候補であることを知った何者かが、ざらめを雇って僕を殺させに、って流れだったんだろうきっと。ありがちな話だ。そして実際、たった今、候補→組長になってしまった僕は、これからもこうして命を狙われたりするんだろう、それはもう頻繁に、月一とかで、多い時なら隔週で。あー、どんどんネガティブ思考になっていくスパイラル。よくないよくないと頭をぶるぶる振りながらガバッと顔を上げると、ざらめが体操座りで冷蔵庫に寄っかかり、フンフン鼻歌混じりでマンガを読んでいた。
羽海野チカ・作。
『ハチミツとクローバー』七巻。
「あ、神巻だ」つい口に出た。
と、ざらめがハチクロから顔を上げ、キラキラした目で僕を見る。
「だよねっ! 超神巻だよねっ!」
「うん、うん、うん」何度も頷いてみせる。これはもう本当に一寸の疑いもなく神巻「あ」「あたし思うんだけどっ! 七巻の竹本はっ! マジいいよねっ! クソバカだけどいいよねっ! 稚内から帰ってきてさっ! この生まれ変わったような表情ねっ! そしてあの告り方ねっ! はぐちゃんオレは君が好」「あーあのさざらめ」「んあ?」すっかり大事なことを忘れていた自分に気づき、すっ、と七巻を指差す。それから部屋の隅に積んである残り九冊のハチクロを指差す。そして、最後にざらめを指差す。
「それさ、僕さ、全巻、借りてたんだよねざらめに。そう言えば」
大きな目を、ぱちくりさせるざらめ。
大きく口を、あんぐりと開けるざらめ。
そして、すちゃっと素早く銃を僕に向け、
「返せえっ!」
そう叫ばれたところで、弾が切れてることはわかってるので恐るるに足らず余裕な僕。
「うん、返すよ。てか、あー、ごめんねなんか、長々借りてて、えーっと……二年ぐらい借りてたか、ひょっとして」
「あっ」
かっくん、と首を傾げるざらめ。
「コンテ、いいや返さなくて。あたし、家にあんの。あははっ、貸したこと忘れて二セットめ買っちゃったのブックオフで、クソバカ、ぷっ」
なんかツボに入ったらしく口を押さえてくすくす笑うざらめ、を見ながら、彼女がこれを貸してくれたときのことをうっすら思い出す。
高三の冬。十二月。
クリスマスの二週間前くらい。
その時期特有の恋人作らなきゃ的そわそわ感に流されるように、僕はざらめに告白した。人生初告白。その結果、
「んー、あたし、コンテのことは友達としてしか見れないかなー」とかとってもありきたりな言葉でバッサリ切り捨てられた、その翌日、の昼休み。
前日の心的ダメージを引きずり、教室で机にぐったり突っ伏していると突然、ばちこーんと思いっきり肩を引っ叩かれた。顔を上げる。そこには仁王立ちでニカニカ笑うざらめ、が、僕の机の上にどさっとハチクロ全十巻を置いて、
「はい、これ貸すっ!」
「……え?」
「これねー、出てくる奴ら全っ員片思いなの。超クソバカなのどいつもこいつも! でもねー面白いんだよーこれ。でででで、だから、んーとさ、片思いじゃん? コンテあたしに。だから、ちょうどいいかなーって、あー、ちょうどいいってのも変かー……まー、うん、とにかくこれ読んでさ、えーとそのなんだ、笑ったり泣いたりしてよっ! っていう意味。OK?」
なんだか少しバツが悪そうに苦笑しながら、そんなことを言うざらめ。これは彼女なりの気遣いなのかも知れないけど、よくわからん気の遣い方するなあと少し笑えた。そしたらざらめも嬉しそうに笑った。
で、その日、家に帰って全巻読破した。ざらめに言われたとおり、笑ったり泣いたりしてしまった。こんなクソったれなマンガが世の中にあったなんてと、これをこのタイミングで貸してくれた斬々坂ざらめと、これを描いた羽海野チカ先生と、あとマンガの神様(一般的には手塚治虫だけど僕的には名前のイメージも手伝って漫☆画太郎)に心から感謝しつつ、僕はハチクロ全巻をもう一周した、ら、朝になってた。そんなねむたい初恋の思い出。
ふと。
今、目の前、僕の部屋にいるざらめを見て、あの頃から何年もたった今、突如僕の前に現れたざらめを見て、あの頃と変わらないざらめを見て、変わらないまま、でもあの頃より格段に綺麗になったざらめを見て、なんだか、不意に。
ここじゃないどこかに行きたくなった。
「ねねねってかコンテさー、さっき電話でヘコんでたよね? っしょ? どした? ヤクザしんどい? ん?」
ざらめは柔らかく微笑みながら、引き金に指を掛けてくるくる銃を回している。それをぼんやり眺めながら僕は、
「うん、しんどいかも」
自分でも驚くほど素直に答えてしまい、
「しんどいっていうか、先が見えないなーっていうか、その」
自分でも驚くほど素直に言葉が出てしまい、
「親父がさ、あ組長、先代の、が、おととい、マメ入れられて、あえっと、銃で撃たれたってことなんだけどマメ入れられるって、うん、親父、寝込み襲われたんだ、鉄砲玉に、あ鉄砲玉ってえっと、ヒットマンのことなんだけど、ざらめみたいな、にさ、襲われて、多分最近僕らと出入りしてた組の奴が、あ出入りって抗争のことね、が、雇ったんだろうなって思うんだけど鉄砲玉、だから僕ら近々返しに行かなきゃで、あ、返しって仕返しのことね、うん、でもさ、なんていうか、組長になっても…………いいことないなーって、倒れた親父見て、ありありと思っちゃって……なんかこれって未来ないなーって……そしたら僕が、なっちゃって、七代目に……で、なんだろう、これ違うなーって、でもなら僕は、なにがやりたいんだろう、とか……あー……」
自分でもびっくりするほどつるつる喋った挙句、急に頭がもやもやごちゃごちゃしてしまって、僕は言葉に詰まった。瞬間。
GABBA!
と音こそしないものの、唐突に、ものっそ強い力で僕は布団に押し倒された。目の前には、揺れるざらめのピンクの前髪と、僕を見つめるざらめの真顔。その距離数センチ。つまり、覆い被さられている状態。え? なに? どういう流れ? レイプされる流れ? とか不安と期待と期待と期待で頭いっぱいになっていると、
「目の下、やっぱクマあんね、コンテ」
ゆっくり、静かに、ざらめが囁いた。
「来たときからずっと思ってたんだーずっと。クマっぽいのあんなーって。寝不足? っしょ? さっきだって業界用語みたいのいっぱい使っちゃってさ、どっぷりじゃんコンテ。しんどいね、疲れてるね、疲れてるでしょ? ん?」
ゆるっと首を傾げながら、僕の頭をわしわし撫でるざらめ。
「…………そう、かも」小さく呟く僕。
「うんっ。じゃあじゃあじゃあさ」
ざらめがニカッと大きく笑う。
「どっか行っちゃおっか。一緒にっ!」
「え?」
* * *
さて。
ここで僕は、ハチミツとクローバーの七巻について説明しなければならない。
以下、ざっくり。
竹本くんっていう美大生がいて、はぐちゃんっていう女の子のことが好きなんだけど、彼はある日、恋愛とか恋愛以外とか諸々あんま上手くいってないなー的もやもや&からっぽマインドに襲われて荷物も持たずに突然家を飛び出して、ママチャリであてもなく疾走し続けてついに北の端、稚内、宗谷岬に到着しちゃうんだけど、そこで、なにかこう、言葉に出来ないなにかを得て、そして東京に帰ってきて、はぐちゃんに告る。すっごい良い顔で。そういう話。
以上、ざっくりでした。
で。
今、僕とざらめは、その竹本くんの追体験をしている。具体的にどの部分をかっていうと、『ママチャリで北に向かう』ってところを追体験中@国道四号線。
「うひー風きもちーねーコンテーっ! よーしじゃあとりあえず今日は宇都宮? とかそんぐらいまで行っちゃおーっ! そこであたしが依頼されてるターゲットに、会える、かも知れないし? 会えない、かも知れないよーっ! あははっ、なんか超楽しー!」
僕の前を颯爽と走るママチャリ。乗っているのは、ざらめ。
彼女の後ろを必死でついていくママチャリ。乗っているのは、僕だ。ちなみにこのチャリは地元の駅前でパクった(誰か知らないけど持ち主の方ごめんね)。持ち物→ざらめはカゴに真っピンクのリュックサックを一つ、僕は荷物ゼロ、財布と携帯だけポケットにというガチ竹本くん状態(ってもまあ竹本は携帯も持ってってなかったけど)。というか今そんなことどうでもよくて、とにかく前を行くざらめのスピードがめちゃくちゃ速くてどうしようもない、ので、
「ざらめざらめっざらめってば、早いよ早いっ早い早い漕ぐの早いってもうちょいゆっくり」
とか言ってるつもりで息が上がっちゃってるせいで全然声にならなくて、ただ、ひゅうひゅう喉から空気だけ出る。出しながら、必死で漕ぐ。なんかもうよくわかんないけどひたすらペダルを踏む、踏む、踏む。頭真っ白。ゴミみたいな町並み、バカみたいに立ち並ぶビル、アホ面さげた通行人どもが、びゅんびゅん僕らの後ろへ消えていく。さよなら東京。がんがん車に追い越されて、車道出過ぎたらクラクション鳴らされて、意外とそれが気持ちよかったりして。
そうして、何個目かわかんないけど出発してからいくつか目の赤信号で、僕は息も絶え絶え、隣りに並ぶざらめに尋ねる。
「……ね、ざらめ、あのさ、ママチャリ、なんで、ママチャリ?」
「なんでってあたしずっとこれだもん、高校卒業してからずーっと乗ってんのこれ。で、ターゲットを見つけてはBAN! さながらさすらいのヒットマン。どおー? かっこいいしょ? 好き?」
「は、ああ、うん、好き」
「あははっ、さんきゅー」前を向いたまま、にっこり笑うざらめ。いや実際ほんとに好きだけどなーとその横顔に見とれたりしていると「来た青っ! うし行くぞー! もうすぐ埼玉だーたぶんっ!」と猛スタートダッシュしながら叫ぶざらめ、を僕は慌てて追いかけた。漕ぐ、漕ぐ、漕ぐ。
ぱっ、と目を開ける。
僕は、ベッドの上で寝ている。
やたらでかくて、ふかふかなベッド。
ん、え夢オチ? と思って隣りを見ると、ざらめが仰向けに寝っ転がってマンガを読んでいたので、あ、リアルっぽいなとちょっと安心した。ちなみに読んでるのはハチクロ七巻。
「え、また?」思わず口に出た。
ざらめはマンガから目を離さずに、
「おっ起きたー? おはよーっつって夜だけどねー」足をバタバタさせる。
「ね、七巻また読んでるのそれ」
「うんっ! あちなみにこれ、コンテんちから持ってきたんだ全巻、実はリュックに積んでたのーこっそりと、あははっ気づいた?」
にこにこ笑うざらめを見ながら、えー返さなくていいって言ってたじゃんかーと頭の中でちょっとぶーたれる。しょうがない、僕も自分でブックオフで買い揃えるか、いや、というか、
「ざらめ、あのさ、ここどこ?」
「ウェルカムトゥー宇都宮ギョーザシティ」
「あうん地名でなくて」
「コンテ着くなりバタンQだったんだよ? つか、わりかし記憶も失ってるっしょもしかして」
確かに東京抜けた辺りから全く記憶がない。こう、ちょっと車が減ったなー気持ち緑が増えたなーみたいなことを思ったような思わなかったような、いや、
「それはそれとしてそうじゃなくて、ここどこなの。この建物」
「んー? ラブホだけど普通に?」
言われて改めてくるりと見回してみる。照明暗い。壁紙安っぽい。部屋の六割をベッドが占めてる。よくわからない古いパチスロ台が置いてある。なるほどラブホだ違いない。状況確認。ラブホにざらめと二人きり。……うん。そうか。よし。じゃあ、
「いい?」曖昧ながらも核心を突く僕の質問に、
「いいよ?」平然と答えるざらめ。
わー、言ってみるもんだなー。勇気って大事。よし、ならこの寝起きのふわふわテンションで何も考えずサクッといただいちゃおうかな先述だけど最近溜まってたし実際、と内心ちょいドキドキしながら(なにせ初恋の相手だし)仰向けに寝転がるざらめの両手を掴んで勢い任せにがばっと上に覆いかぶさると、ふわ、と彼女のにおいが鼻先をくすぐって「うわ生ゴミくさっ」思わず口に出た。「へ、あたし? ……あーでもそーかも。三日ぐらいノー風呂だったそういや」「……」みるみる勃つものが勃たなくなっていく僕の体。性欲と嗅覚の密接性を実感しつつ、しょうがないのでこのよくわからないタイミングで気になってたことを訊く。
「あのさ、あー、ざらめって今、彼氏いんの?」
「彼氏いる女は殺し屋やんないよー普通っ」
果たしてそれがどこの世界で通じる普通かわからないけど、そっかいないのか、ならワンチャンあるかも、と少し高鳴り始める僕の胸。数年ぶりに会った高校の同級生とそういう感じになるとか、すごくヤングアニマル嵐みたいで理想的(偏見)。ついでに、もう一つ気になってたことがあったので尋ねる。
「ざらめ、僕のこと、殺さなくていいの?」
「ん? あたしねー、最初の一発で仕留めらんなかったターゲットはそれに免じて見逃してあげるタチなの。ディスイズ美学」
わー、ぬるいなー、と同じアウトロー業界の人間としては結構ヒいてしまう。まあでもその美学のおかげで助かったんだし、いいか。てか、全然関係ないけど柔らかいなざらめ。というのも今現在、体勢だけはセックスの格好なので、彼女のそのふんわりした肌感だとか少し汗ばんだ体温だとかが服越しではあるけどじわっと伝わってきてるわけで。うん。よし。一度は諦めかけたけど、ヤっちゃおう。ヤッちゃいたくなってきた。ざらめ@生ゴミスメルは、あんまし息しないことで防ごう。そうと決まれば脱いじゃおう。シャツに手をかけバッと一秒で上裸になり、ズボンに手をかけバッと二秒でパンイチになり、パンツに手をかけ、た、その瞬間。
DAWN!
とんでもない音と共に壁が派手に揺れた。思わずビクッとする僕とざらめ。顔を見合わせる。あ、近っ。そりゃセックス的な体勢なんだから当然だけど、近っ。そしてざらめ、まつげ長っ。目きらきらっ。唇ぷるぷるっ。あれこれ意識した途端、さっきまでヤッちゃおうと意気込んでたくせになんだか急に照れくさくなってしまい、いそいそと体を離す僕オブチキン。と、
DAAAAWN!
再び大きく揺れる壁。いやどんなセックスしてんだよ隣りの部屋。なにプレイ? いやだなー怖いなー怖いけど気になるなー(CV稲川淳二)とひっそりこっそり壁に耳を当てていると、
「コンテコンテコンテコンテ、見に行こ見に行こ見に行こっ」
ありったけウキウキした調子で歌うように言いながら、ざらめがベッドからすたんと跳び降りた。そして、ベッド脇に置かれた真っピンクリュックを開けて中からなにやら取り出すと、今度は懐から自分の銃、あの水鉄砲みたいなちゃっちい銃を取り出してカチャカチャやり始める。弾詰めてんのかなと予想しながらぼーっとその一部始終を眺めていると、ざらめがふいっとこっちを見て、ぐいぐいーっと僕の腕を引っ張る。引っ張られるままにあれよあれよで部屋を出て、廊下、隣りの部屋の前に来てしまう。パンツ一枚で。寒っ。
「……で、ざらめ。見に来たのはいいけど、どうやって中入るの」
「うわっ考えてなかった! あはは、クソバカあたし。えーあーどーしよ」
どーしよどーしよと連呼しながら、ノブをがっちゃがちゃがっちゃがちゃ。当然、開かない。チッ、とまあまあでかい舌打ちをしたかと思うとおもむろにざらめは銃を取り出してSPAM! SPAM! SPAM! とやたらめったノブに向かって撃ち込む。そしてDONG! とドアに思いっきり体当たり。そんなんで開いてたら世話ないよなあと思いながら眺めているとキキーッとゆっくり開くドア。うわー世話ない。わーいっとはしゃいで意気揚々部屋に入っていくざらめ。いわゆるクズ商売であるところのヤクザの僕がこんなこと言うのなんだけど、ざらめ、クズだなー。人がセックスしてるとこ見に行くか普通、と頭の中では真っ当な人ぶるもわりと興味ありありでざらめの後を追って入室する僕もクズ。人のセックスを笑ってやろう(by山崎ナオコーラ)と一歩踏み込むと、
「あ」そこには、知った顔がいた。
ベッドに腰掛けてぽっかーんと僕らを見ている黒髪・黒服・黒ブチメガネの若い男。あ、あ、と指をさし合う僕ら。
「え、あなた、曲鳴組の、次期」と黒ブチ。
「あうん、屑入紺手です、ってあーいや、もう僕、次期じゃなくて今期になっちゃって」と律儀に訂正する。「いやそんなことより、あーキミは、あれだ、えーっと、
「あ、はあ、そっす、はい」
「だよねやっぱり。あ、ごめん急に部屋入っちゃって、僕たまたま隣りに泊まってて今、あーしかもパンツいっちょだし、重ね重ね」
「いえいえそんな全然、気にしないでください、はい」
ぺこん、ぺこん、とお辞儀をし合う僕たち。
そしてDAWN! と震える部屋の壁。
ざらめが僕ら二人の顔をきょろっと見比べ、
「んん? えっ、なになになに知り合いさん?」
「んー、知り合いっていうか…………敵? なのかな一応、抗争中だし。……あ、どう? 敵って認識であってる?」
DAWN! また震える壁。
「え、あー、そう、っすねえ、はあ」とメガネをずり上げる狙間。
「えーすごい、やっぱ敵同士って仁義ない感じ? ねねね、仁義ない感じ?」
やたらテンション上がって鼻息をふんすかふんすかさせるざらめ。僕はうーんと首をひねって傍にあった丸椅子に腰掛け、
「いやまあ、そんな大仰なもんじゃないけどね実際。……あ、でもこないだうちの事務所にカチコんできたのって、あれお宅だよね?」
DAWN!
「え、あ、はい、そうっすね」ぽりぽり頭を掻く狙間。
「やっぱり。というか本拠地ってこっちなの? 栃木?」
「あ、はい、そうっす」うん、意識してみれば確かに語尾に微かな栃木訛りを感じるような。
DAAAWN!
「え、てかじゃあわざわざ来てくれたんだ東京まで。なんか悪いね」
「いえいえいえそんな、つーかすいません、カチコんだとき、そちらの事務所、留守じゃなかったっすよねもしかして」
DAAAAAWN!
「あー、そうだね。ちょっとどんくさいのが二人くらい残ってて、うーん、窓ガラスの破片? 刺さったとかぎゃあぎゃあ言ってたかなあ」
「うわマジですか、うわ、すいませんっ、きっちり確認しなかったからオレらが」
DAAAAAAAAWN!
「いやいや違うの違うのほんとに、そんな謝んないで、あれはあいつらが悪いんだ、うん。カチコまれるときはあらかじめ留守にしとくなんてさ、この業界じゃ常識なんだから知らないウチの奴らが悪いんだよ。きっつーく言っとくから僕のほうから」
「いえいえいえそんな、マジで申し訳ないっす、すいません! あ、あ、
DAAAAAAAAAAAWN!
「え、いやいやいいよそんな、ってか、あーこんなこと言うのあれだけど……いらないっていうか、うーん、ぶっちゃけ貰ってもしょうがないよね
「ウチは、あー……まあ、普通に、捨ててますね……ゴミの日に、はい」
「だよねー、うんうん、ウチもそう」
DAAAAAAAAAAAAAAAWN!
ざらめが僕らの間にずずずいっと割り入ってくる。
「あんさコンテとヤクザのお兄さん、談笑中のとこ悪いんだけどー」
「ん、どうかした」
「一体全体その子なんなのー? その子その子それソイソイソイ」
ひょいひょいベッドの上を指差すざらめ。
そこには、濃紺のブレザーを着た今どき珍しい嘘みたいなおさげ髪した女子高生、が、ぺたんとお姉さん座り(それ以外になんて言うのあの座り方)で、壁に向かっている。いる、というか、ずーっと向かってたんだけど僕らが部屋に入ってきたときから、ずっと。で、力士のぶつかり稽古よろしく壁にタックルをDAAAAWN! してたんだけど、ずっと、一定の周期で。いやもちろん僕だって部屋に入ってすぐこの異様なおさげちゃんの存在には気づいてたけど、うーんあれかなー触れちゃいけない系の子なのかなーと思って触れないようにしてたわけだ。
と、狙間がちらっとおさげちゃんを見、黒ブチメガネを小さくずり上げて、
「……あー、この子は、ちょっとあのー、売ろうと思ってる子なんす」とぼそぼそ。それを聞き、ざらめは目をまん丸くする。
「ほあー。売るってホンコン? マカオ? ヤフオク?(冗談で言ってんだかなんなんだか実に判断がつかない)」
「あ、国内す国内。最近JKは海外より国内のほうが需要高くて」
「へーへー! えっ、でもでもさあ、じゃあなにこれこの」
DAAAAAAAAAAAAAAWN!
「ずーっとやってるこの壁タックルは?」
あー……、と言いにくそうに狙間は頭を掻きながら、
「バツ入れたんすよねー、さっき」
わー。結構ガチなことするなあ恵好組。感心。
「んー? バツってなに? GUILTY?」
「ざらめそれ罰じゃなくて罪」やんわり訂正を入れて「バツっていうのは、メチレンジオキシメタンフェタミン、いわゆるMDMA」詳しく説明もしてあげる実にスマートな僕。
「えむでぃーえむえー? なにそれAVメーカー?」
DAAAAAAAAAAAAAAAAWN!
「うん、それはTMAね(よくわかったな僕)。MDMAっていうのは、あー、平たく言うと、シャブ的な。セックスが気持ちよくなる的な」
「あーあーあー! じゃこの子、幻覚見てパッパラパーなの今?」
「そだね。
「なるなるなー! ざらめ、把握しやしたっ!」
と、極上の笑顔でVサイン。うわー変なテンションだけど妙に可愛い。惚れ直した。いや、というか、
「あのさ狙間くん、恵好組って、売る女にいちいちバツ入れてるの? なんかそれって手間と金かからない?」
「あーいえ、そういうわけじゃないんすけど、この子はー……ま、味見というか、オレが今ここで頂いちゃおうかなーと思ってっすね」
「ああー」クズいなあ。でもちょっと興味湧く。「ね、やっぱ薬に漬けたほうが気持ちいいもんなの? 男も」
「あ、それはもう全っ然違うっすよ」人差し指をピン立てる狙間。
「へーどのへんが?」身を乗り出す僕。
「いやそれはもう、当たり前っちゃ当たり前っすけど、まず締まりが全ぜ」SPAM!「んっ」SPAM!「っう」ぱたん。
静かにベッドに倒れる狙間。
というか、故・狙間。
「……あらら」
一回目のSPAM!の瞬間、顔におもっきしビシャッと跳ね飛んだ生ぬるい液体(おえっ)を手で拭いながら、僕は振り返る。
右手に銃、左手に携帯を構えたざらめ。
「……あの、なんで撃ったの?」
「ん? ターゲットだったから」
ああ、そうか。ざらめが殺し屋だってことちょっと忘れてた。
「これねーあたし殺んなきゃいけないターゲットさんたちのこと携帯にメモってんだけどー、なーんか聞いたことある名前だよなーと思って確認してみたら恵好組の狙間さんビンゴだったんだ! どうよどうどう?」
にへらにへらと得意げに笑いながら、ざらめはもう一発SPAM! と故・狙間の体に撃ち込んだ。完全なるダメ押し無駄撃ち。辺りを見回す。もう壁もベッドも真っ赤っ赤。うえっぷ。思わず手で口を軽く押さえる。
「えっなにコンテ、ヤクザのくせして血とかダメ系ー?」
「あー……僕、元々インテリヤクザだから。会計とか事務とかそういう」
「へーってそっからよく組長にまで成り上がったね! よっ、このYAZAWAっ!」バシバシ肩を叩かれる。ぐらぐら体が揺れる。結果吐きそうになる。おげー。と、ざらめが携帯をしまって僕の腕を引っ張る。
「よしっ、逃げようコンテ」
「えー」
まだセックスしてないのにーパンツ一枚になり損じゃんか、と不満が募るも、ぐいぐい引っ張られてあれよあれよで部屋からエスケープの流れへ。ドアを閉める間際、ざらめは「あっ」と呟くと、すたこら部屋に戻って自分の銃を壁タックルおさげ子ちゃんにしっかり握らせ、そのまま手ぶらで戻ってきた。
「いたいけな女子高生にGUILTYなすりつけてきたー! あははっ!」
とびっきり爽やかに言っちゃうざらめを見て 、あ、クズだなあと、なんだかちょっとまた惚れた。と、
DAAAAAAAAAAAAAAAAWN!
むなしく響く壁タックル音。あわれおさげちゃん。アーメン。
「てか銃いいの? あげちゃって」
「いいのいいのっ、あたしあれとおんなじのあと三つ四つ」
「マジでか」クズだなあ、と改めて。
* * *
@国道四号線。
宇都宮からまあまあ走って関東と東北の境、なんていうのか地名はあんまりわからないけど(那須塩原? かなあ、なんかそんな名前を標識で見たような)、福島県に入る直前の峠、左右見渡す限り森林森林また森林というそんな登り坂の途中で僕らは軽く昼寝をした。いや、すぐ横をバケモノみたいなでかいトラックがズカドン通ってったりしてさっぱり寝るに適した環境じゃないんだけど、にしても眠くて眠くて疲れちゃって膝が痛くて痛くてたまんなくなっちゃって、ので、国道沿いのガードレールを乗り超えて、がさごそ草むらを掻き分けて、適当な草地の中で二人、自転車を並べて停めた。ごろりんと横になり三秒でぐーすかぴーすかイビキをかき始めるざらめ。わー野生児。ん、というか、これ膝枕チャンスじゃないかもしかして。その突発的思いつきに結構わくわくバクバクしてしまいながら(いつの時代も男の憧れ好きな女の膝枕)、ゆっくりしゃがみ込み、ざらめのマイクロでミニマムなデニムスカートから伸びる脚、の太もも部にそーっとそぉーっとじわーっと頭を乗せ、横になり、目を閉じる。あ、天国ってここにあったんだ。意外と身近に。しかしふわふわ。あー。おー。
――。
――――。
――――――ちゃらららら♪
けたたましいゴッドファーザー愛のテーマで目を覚ます。あーブタうるせえ(寝起き特有の口の悪さ)。マナーモードにしよう常時これか
ら。あれ? てか電源切ってたはずだけどなー確か。寝転がったままぼんやり空を見上げると日が七割方落ちていてもうだいぶ薄暗い。てか寒。ぶるっと身震い一つさせながらちゃららららあぁーーーーん♪とゴッドファーザーをかき鳴らし続ける携帯、を取り出すためごそごそポケットをまさぐる、けど見つからない。あれ?
どこ? というかあれ? 僕、膝枕に寝てないな今。うん。草の上に直で寝てる。後頭部冷たっ。え、ざらめは? 起き上がり、ふっと振り返る。そこには僕の携帯を握り締め、 「おはよコンテ! あ、これ勝手に借りて勝手に電源つけちゃったってごめんねあたし超勝手! あははっ」あぐらをかいてげらげら笑うざらめ。完全パンツ見えてる。うーん、でもなんかもはやパンツ見えてるのわりとデフォルトだしありがたみ薄「もっしもぉーしっ!」陽気な声で電話に出るざらめ。えー勝手にもほどが。慌ててざらめの手から携帯をひったくる。
「……あー、もしもし」喉の奥から搾り出す営業ボイス(つまりドスの効いた声)。
「兄貴っ今のオンナ誰ですかっっっっ!」
冒頭『あ』の音で僕は全てを察しゼロコンマ数秒で携帯を耳から遠ざけた。ゆえに、きーーーーんは防いだ。
そう。声の主は、憚目奈。
……あ。
「というか兄貴、今、どこにいらっしゃいますかっ! 私、昨日から何度もかけてたんですが全然つながらなくてっ!」
……やばい。
「なお! 現在! 事務所に! 組員一同、待機しております!」
……今日だっけ。
「盃事をっ! 大安吉日であるっ! 本日中に必ずっ! 執り行いたくごっほげほがはあっ」
……参ったなー。完全にバッくれてしまった。いや、元々バッくれるつもりで出てきてるんだけど。うーん。
とりあえず、出来る限り今の自分の状況を伝えたほうがいいかと思い、「目奈、あー、えっと、俺(仕事では自分のこと俺って言ってる一応ね一応)のほうは、あー、今、あー」にしたって関東からエスケープ中とか正直には言えないよなーと「ちょとこう、あーその、そう、さっき電話に出たオンナと、いや」そもそもざらめのことなんて説明したらいいのか全然「なんというか、えーっと、早めの、ふ、冬休み頂こうかと」って変だよなあヤクザにそんなもんないし「じゃなくて、えーっと、急用で、さっきのオンナと、あー、高校の同級生なんだ、さっきのオンナ」正直に説明してみたけどだからってバッくれた理由にはならないし「ちょっと久々に会ったんで、そう、飲み行こうかって話になって、そしたらオンナが、あたし稚内に良い店知ってるって言うから」ないないないない行くわけない「なーんちゃってー。……うー、えー、あー」もうなにがなんだか全然落ち着かなくなっちゃって立って座ってを無意味に繰り返す。悩み、悩んで、悩み抜いた挙句。
……まあ、いいか。率直に言うか。
こほん、と一つ咳払い。
すーっ、と一つ深呼吸。そして、
「……とりあえず、行けないわ、悪い」
至極シンプルに、そう伝えた。
そして訪れる、数秒間の空白。
僕は来るべき耳きーーーーーーーんを防ぐため、つりそうになるくらい腕をピン伸ばして携帯を遠ざけに遠ざけて、目奈の返事を待った。沈黙。沈黙。沈黙。……待つこと数十秒。
「わ…………す」
携帯から漏れ出たのは、あまりにも覇気のない曇った声。というか遠ざけ過ぎたせいでなに言ってんのかよく聞き取れなかった。『わ』から始まって『す』で終わる言葉ってことだけ。なんだろ、『わさびベース』とかだろうか(用例→僕は寿司をわさびベースで食べる)。そんなわけもないので、携帯を耳に当て、尋ねる。
「あー、目奈、いま、なんて言った?」
「私、兄貴のことが好きですっっっっ!」
きーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん、からの、
「…………え?」
「私、そのっ、兄貴がななな、七、七代目に就任して、えと、盃事をするその前に、どうしても、伝えたいって、思ってましてっ! 本当は、本当は会って直接伝えたいんですが、もう、き、気持ちが、止まらなく、止まらなくてっ!」
ほとんど泣きそうな声で叫ぶ目奈。
「私あのっ、そもそも、この業界に入ったの、兄貴に憧れてだからっ、そのあのっ、私まだ高校生ですし、しかも女ですし、それなのに組に迎え入れてくださって、変なタイミングですけどその、本当に、本当にありがとうございまげっほぉごほごほがはがはっっ!」
目奈の激しい咳を聞きながら、思い出す。
僕がヤクザになってまだ二ヶ月とかそんくらいのときの話。
僕の通う大学の最寄駅、その南口の外れに位置する小汚いドブみたいな歓楽街で、組の人間数人といわゆる盛り場パトロールをしていた、ある夜。
やってんだかやってないんだかわからない寂れたラブホの前で、男たちに絡まれている女子高生を僕は見た。うちの大学の学生なのか知らないけどもうとにかく見るからに頭の悪そーな男数人の陰から、ちらっと見える制服姿。背は目算僕より二十センチは低くて、髪は長くて真っ直ぐで真っ黒で、男たちを見上げる戸惑った表情は純粋純朴そのもので、もう全然この場にそぐわない、ピュアっとした女の子。
で。
ヤクザになりたての僕は、ヤクザになりたてゆえに、肥大化した自己顕示欲となんら根拠のない自信と妙に出っ張った無意味な正義感に満ちあふれていて、満ちあふれるがままに、組の人間たちの集団から離れ一人でその女の子の元へ向かった。瞬間、僕に気づいた頭の悪そーな男たちは、僕および僕の後ろにずらっと並んだ派手なスーツに身を包む面々を見て、すーっと引き潮みたいに素早く散っていった。それを見て、あ、見た目より頭悪くないな、と少し感心した。ほんとに頭悪かったら向こう見ずに喧嘩ふっかけてきたり、喧嘩とまでいかなくてもなにかしらのリアクションをしてきたりするわけで、うん、それは一番ダメだ、僕らみたいなヤクザものが近寄ってきたときに引かずに押しちゃうような奴は本格的に頭が悪「あのっ!」
「……え?」
「あの、あっ、ありがとうございましたぁっ!」
小さな小さな女子高生は、その小さな体に似合わないバカどでかい声で礼を言いながら、ぺっこーんっと深く勢いよく頭を下げた。そして頭を上げ、ガシッと僕の手を掴み、
「あのっ! 兄貴と呼ばせてくださいっっ!」
「…………はあ、お好きに」
ヤクザに対して引かずに押してきた頭の悪い人間、それが、憚目奈だったわけだ。
それから。
目奈が自ら組に入ることを志願するまで、さほど時間はかからなかった。さほどっていうか、ぶっちゃけ先の「…………はあ、お好きに」のあとすぐ「というか仲間に入れてくださいっ!」と続いたんだけど。で、組の連中にも確認した上で、即OK。元々ヤクザなんてのはやる気とガッツと情熱(全部重複してる)さえあれば当カジノは誰でもウェルカム的来る者を拒まない仕事なわけで、そもそも僕だってそれで入れたんだし、なので目奈が入れない道理があるはずもなく、で、そのあとは非常にとんとん拍子。目奈は持ち前のやる気とガッツと情熱とパッションと熱意とやる気とあとなんだとにかくやる気で、あっという間に幹部クラスへ躍進した(余談だけど女子高生のことを姐貴と呼ばなきゃいけなくなった強面連中のこと、僕は結構面白おかしく拝見させて頂いてました)。そして彼女の熱心かつ献身的なサポートを受け、僕も二年そこらで組長へ大躍進を遂げてしまったわけで、まあなんというか、ベタな結論だけど「困ってる女がいたら迷わず助けてやれ(CV高倉健)」という話。しかし総じて考えてみれば、こうなることは必然だったような気さえしてしまって、こうなること、というのはつまり、恋愛感情を抱かれ、告白されること、だ。
あー。
どうしたもんかな。
携帯を持ったまま草むらに座り込み、ぼーっとしていると。
SPAM!
聞き慣れた破裂音と共に、僕の手から携帯が吹っ飛んだ。
「……え?」
草むらの奥の奥へと弧を描きながら消えていく携帯をぽけらーっと眺めていると、ざらめがざざざざっと携帯が消えたほうへと走り寄り、SPAM! SPAM! SPAM! と三連続で銃声を響かせる。僕の頭はぽけらーっの三乗。と、ざらめが僕のほうを向き、
「コンテのしがらみ、殲滅完了しましたーっ!」
輝く笑顔で掲げるVサイン。うーん、可愛い。
「ねーさあコンテ、竹本はさ、稚内行くとき携帯持ってかなかったでしょ?」
「……ん、それハチクロの話?」
「竹本っつってんだからハチクロの話に決まってるでしょー。ぶっちゃけハチクロ以外の竹本なんて全員殺せと思ってるぞあたしはっ!」
「おーリアル鬼ごっこ的発言」
「ででだから、携帯撃ち壊したからねっ! ダメだよー? 自分探し中に色々思い出しちゃ」
「はあ、うん、そっか……え、自分探し?」
ざらめは、きょっとーんとした顔で、
「え、そうじゃん」
「え、それは誰が?」
「え、普通にコンテが」
「え、今やってるこれが?」
「え、ってかそれ以外になにが」
「え、そか、うわなんだろ、恥ずかし」
くすくす笑いながら、ざらめがこっちに歩み寄り、
「見つかったらいいねー、コンテの自分っ!」
と、僕の頭をわしわし撫でてくる。僕は黙って撫でられる。
わしわしわし。
わしわし。わしわし。
撫でられること数分間。
よーし、とざらめが頭から手を離して、
「ほらほらほらほらそろそろ行くよーコンテ。今日中に仙台牛タンシティまで行っちゃいたいんだからーっ」と僕の腕をぐいぐい引っ張る。「はあ、うん」引っ張られるままに立ち上が「ん、え遠くない? 仙台? まだここギリ関東」「牛タン笹カマずんだ餅ひゃっほぉーっ!」
自転車の鍵をさっさと外して気合充分四号線へ戻っていくざらめを、僕は慌てて追いかける。
壊れた携帯は、もうそのまんまにしといた。
* * *
夜。
「うっはあー! やっぱ肉食ったあとのシャブさいこーっ! 生きててよかったぁーっ!」
僕の隣りで煙をふかふかさせながら、ざらめが両手をズバーッとハンズアップさせる。
「ざらめ、一応ここお店の中だし、シャブって言葉もあまつさえシャブ吸うのも、どうだろう」
「だいじょーぶだよぉ、あたしらだけだしー」
ふうっとため息をつきつつ狭い店内を見回
す。まあ確かに客は僕らしかいない。し、一人しかいない店の人間も厨房に引っ込んでる。し、照明も間接照明というかただ電気切れかけてるだけというか、とにかくわりかし暗い。し、窓が一つもない。ので、誰かに怪しまれるようなことはなさそう。だけどそれでも少しどぎまぎしてしまう僕はやっぱりヤクザなんて向いてなかったんじゃないかなー元々、とか、あー忘れよう仕事のことは、ぶるんぶるんと頭を振る。
人でにぎわう華やかな仙台駅前から、どこをどう通ったのかわからないけどざらめが進むがままについてったら辿りついた、汚い路地裏にある暗ーい小さーい牛タン屋に、僕らはいる。
「今日中に仙台牛タンシティまで行っちゃいたいんだからーっ」というざらめの発言から、実に五日が過ぎていた。わかりきってたことだけど、そんな簡単に着くわけがない。距離的にもだけど、体力的にも。なにせ僕はもう体がボロボロだ。まず膝がやられてる。くだんのハチクロで竹本くんはケツが痛いケツが痛いとずっと言ってたけど、あれはフィクションだということを僕は知った。本当にずっとチャリ漕いでるとケツより先に膝にくる。これがリアル。うん。そして次に寒さにやられた。先刻の関東・東北間の峠を越えた瞬間、福島に入った途端に気候がガラッと変わってしまって、具体的に言うと郡山辺りで横殴りに吹雪とか吹き出して、防寒ゆるゆるガバガバの僕はもう完全に戦意を失ってしまった。うん。あともう一つ、
ずっしり重々しく頭を抱える僕のことなんて気にもかけず、隣りではざらめがいつの間にか追加注文した牛タン一皿をぱくむしゃやりながらこれもまたいつの間にか注文していた生中をごくーっと一気に、あれ? ていうか、
「ざらめ、お金、あるの?」
「んー? あーだいじょぶだいじょぶ気にせず食べちゃって! ここはあたしが持つからっ」
と明るく言い放ってぱくむしゃごくごく。食べちゃって! って言われても僕はまったく食欲がない。しがらみから脱するためにこんなとこまでチャリで来たのに、しがらみに取り巻かれ続ける僕。ハチクロでいうところの竹本くんのように北の端に辿り着けばなにかが吹っ切れるんだろうかってうーんそんな気さっぱりしないなーとテーブルにがっつり肘をついてぼんやりざらめの食事風景を眺める。それはそれは美味しそうに牛のタンを一気に二、三枚箸で掴んで口の中にぽいぽい放り込んでいくその食べっぷり。あー、ざらめのこういうとこもわりと好きだったんだよなーそう言えば。高校のときよく一緒に昼飯食べたっけ。美味しそうにいっぱい食べる女の子っていいよなー。あー。結婚したいなー。うん、いっそざらめと結婚して、誰も追ってこない北の北の北の端、稚内とかそういうケチくさいこと言わないで日本とか飛び出してもうほんと永久凍土的な地図にも載ってない小さな小さな島で二人きりの生活を、なんて飛躍を重ねていく僕の想像力。と、牛タン&生中を平らげたざらめが勢いよく立ち上がり、
「おっちゃーん、ごちさまーっ、おかいけーっ」
どこにという対象を絞らずただ大声で呼びかける。と、厨房の奥から店長と思しきやたらめったらハゲ散らかした痩せぎすの中年男性が、ぬらーっとゆっくり現れる。そのままぬらーっと近づいてくる。ぬらーっとした無表情で。モンスター級にどでかい肉切り包丁を持って。いや物騒だな置いてこいよなんの肉切る気だおっちゃん、そんなバカなサイズの
――と。
ざらめが携帯を取り出して画面を見ながら、
「おっちゃん、名前なーに?」
「……クマナガ」非常にガサガサした声。
SPAM! 瞬間、響く銃声。
うん。まあ携帯取り出して名前訊いた時点でそーだろうなあとは思ってたんだけどやっぱりそうだった。ぬらーっと真後ろに倒れていくハゲ散ら店長。ばったん。からのSPAM! SPAM! SPAM! うーん。狙間が撃たれたときも思ったんだけどこの倒れたあとの数発の無駄撃ち、ほんとに無意味だな。そして撃たれるに合わせてぶしゃっぶしゃっぶしゃっと真っ赤っ赤な液体を吐き散らかす故・ハゲ散ら店長を見て、牛タン食べなくてよかった、とつくづく。おえっぷ。
「……てかざらめ、なんで?」
「なんでってあたしの携帯に名前があったからだよー? 仙台でお肉のお店やってるクマナガさん。ビンゴっ!」
ざらめの携帯もうほとんどデスノートだなーとかぼんやり思いつつ、
「いやでも、なんでこの人ターゲットに? 普通に普通のカタギの人でしょだって」
「それがそーじゃないんだなぁー」ちっちっちとわざとらしく人差し指を振ってみせながら「なんとなんとなななななんとっ! 警察当局から直々に殺しの依頼を受けたんですよーあたしこの人のっ!」と勝ち誇ったような顔を見せるざらめ。話がまったく見えないので、とりあえず無言の僕。にまにましながらざらめはさっきまで使っていたテーブルにどっかり座って脚を組む。かちゃかちゃっと微かに揺れる牛タンの皿と中ジョッキ。
「このクマナガさん、こんなに温厚そうにハゲ散らかしといて実は凶悪殺人鬼らしーよっ!」
「……なにそれ都市伝説?」
「ううん都市事実! あたし食べてはっきりわかったもん。こいつクロだなって」
「……食べてって、なにを」
「肉ぅー」そりゃそうだ。でも、
「え、牛タンでしょ?」
「NOっ! 人タンだねあれは間違いなく」
「……は」
からっぽになった皿を見る。人タン? えー嘘だー。そんなフィクショナルな殺しがこの世に「あんねあんねーなんだろなんだろ、とにかく硬かったんだよねなんか、噛み切りにくいってーかさ、やたらぷりぷりしてるってーかさ、牛のじゃないなーって明らかに、ぷっ」と床に何かを吐き出して「あーほらまだ奥歯に挟まってた。ね? ほんとすごい噛みにきぃーの。この筋ばった感じから見て多分ガキんちょのベロだと思うなーこれ。でもでもさ、警察も傲慢ってか怠惰ってかてか、クマナガって名前までわかってんなら自分で探して自分で捕まえるなり殺すなりすればいいのにねーって思わない? 思うでしょでしょ? でもねーこれはあたしら殺し屋界隈では有名な話、ヤクザとか殺人鬼とかそーゆう、なんだろ、言っちゃえばクズ側フィールド? に住んでる人間を処理したいときは、警察って自分じゃやんないで全部あたしらに回すんだよねー実は! めんどくさいんだってさ、そういうゴミ捨て作業はっ! そう、つまり警察はお得意さんっ! あたしらヒットマンの主な取引先はなんと国家公務員っ! クラスのみんなには内緒だよっ! あははっ、楽しいーっ!」
酒とシャブのミクスチャンポンで明らかに普段の三倍程度テンションにブーストがかかってるざらめを見ながら、あ、今これ僕もしかして世界の恐ろしさを垣間見たのかも知れない! 日本の警察は僕らヤクザの人権を守ってはくれないんだ! いやそりゃそうだろうけどそれにしてもリアル! わりとガチで日本から脱出して北の北の北にある永久凍土的小さな小さな島にざらめと結婚していや結婚しなくてもいいから二人で暮らすことも視野に入れ始め、うーん、いや、でもまだ信じられない。そんなわけわかんない殺人鬼がこの仙台タナバタシティにいてたまるか。というか仮にガチだとして、じゃあざらめは人タンだって知ってておかわりまで? え、なに? 鬼? 怖っ。と、
「はいはい了解ご用命どーもでーす、じゃあお金のほうはいつもどおりあたしの口座に振り込んどいてくださーい、ん? 違う違うUFJのほうでなくてスイス銀行のほう。うんうんそうそうゴルゴゴルゴゴルゴあははっ! うん、で、確認だけど関東にいるんだよねその女ヤクザ。んー、だったらもしかしたらもしかして来年になっちゃうかも知れないなーって今ねーあたしちょっとハチクロしてるんですわーうーんまあ出来るだけ早めになんとかしてみようと努力してみないこともない所存でもないですっつって、あっやべ、ごめんなさい忘れてた、そいつの名前教えてくれます? 名前わかんないことにはあたしどーにも。……ふんふん……え? は? なにそれどういう字? えー難しくない? どういう漢字? てかそれ苗字? 変なのー」とか相当な早口(BPM180オーバー)で電話に向かってまくし立てながら、ざらめはもう何本目か知らないけど紙に巻いてタバコっぽくしてあるシャブ(所持・使用は十年以下の懲役。末端価格1グラムあたり四万~七万円)を口にくわえて美味そうにくゆらせる。ちなみに一気に三本くわえてる。火の点った三つの先端からもうもうと立ち上る白い煙。これが僕の頭をほわほわさせてる原因くさい。一般的な成人男性だったら副流煙くらいで別段どうこうなるもんでもないはずなのに僕からっきしダメだ、血もシャブも苦手なんてほとほと向いてないんじゃないかアウトロー。軽くへこんでがっくり垂れた頭をガリレオガリレイ言うところの振り子の等時性に則ってぐらんぐらんぶらんぶらんさせながら、はー気持ち悪くて気持ちいいなーと込み上げる吐き気&高揚感を抑えに抑えて僕は店の奥、厨房へと歩み行く。そう厨房。なぜ厨房? そこに厨房があるからだ。エベレストやマッキンリーなど数々の名厨房を制してきた登厨房家である彼はそう言って我々取材陣に人懐こい笑顔を見せたっていうかあーくらくらくらくらくらくらくらくらしてだいぶ相当気持ちいー吐きそーだけどそれが気持ちいーとか言ってる間にハイ着きましたーチューボーですよー星三つでーすいただきましたー☆☆☆でっ
圧倒的空白
ちゅんちゅんちゅん。
朝を知らせる、ありふれた鳥の鳴き声。
ぼんやり霞んだ意識。
ぬるっと目を覚ますと。
裸の僕が、
裸のざらめと、
抱き合って寝ている、
オンザフロアー。
……うーん、状況が掴めない。ぐらぐらずっしり重い頭で推測するにシャブの煙でパッパラPになっちゃってそのまま床でバタンQQQってとこだと思うけど、それにしてもなんで裸? ヤッちゃったのかなー、だろうなー、心なしかスッキリしてるし体、わーでも記憶全然ない。もったいないなあと大変遺憾に思いつつ僕の意識は自分の体感覚へシフトする。僕の胸板には、ふっくらしていて重量感のある二つの膨らみがむにっと押し付けられていて、僕の腕は、しっとりしたざらめの背中をナチュラルにぎゅうっと抱き締めていて、あ、シャブっていいかも、と憎むべきドラッグの存在を真っ向から肯定し始める僕の心。あと全然どうでもいいっちゃいいんだけど、くーすかすうすう寝息立ててるざらめの向こう側に故・ハゲ散ら店長のダイナマイトボディ(ダイナマイトで吹き飛ばされたみたいにぐちゃってる見るも無惨な中年ボディ)が昨夜のままの状態ですっ転がっているのがさっきからずっとチラ見えしてて、ごめん、死人に対して悪口言うのあれだけど、空気読んで欲しいなーってほんとに思った。
と、ざらめがパチッと目を開ける。
「あっ、コンテだ。おはよ」
ほわあっと笑うざらめ。
「ん、おはよ」
抱き締めたままで僕。
そのまましばらく見つめ合う。
一秒、二秒、三秒、四秒、五秒……不意に。
ざらめが、ぺろっと舌を出して、
「たえゆー? あたひのタン」
目を細めて小さく首を傾げた。ので、ぱくっと勢いよく食いつこうとしたらざらめがしゅるんっと舌を引っ込めて、
「おあずけー」と、にへらにへら。
あー、やばい。
不覚にも見とれてしまった。ぽーっと、数秒。
「よーしじゃあとっとと逃げようコンテ! いつまでも、死体と眠るなあたしたちーっ!」
とか叫びながら、ざらめは背中に回った僕の腕をよいしょーっと振り払って立ち上がり、落ちてた服をさっさと身に付けていく。そんな彼女の逆ストリップを見ながら僕は、あー、さっき「あおずけー」の後の間、余韻、あのタイミング、あそこ告るべきとこだったなー確実に、と頭の中で舌打ちを一発。ちっ。
余談。
意識が☆☆☆でシャットダウンする寸前、僕は踏み込んだ厨房でとある光景を目撃した。それは、ハゲ散ら店長ことクマナガ氏が、客に人タン定食を振舞う
* * *
旅。
僕らは、東京カタストロシティ→宇都宮ギョーザシティ→仙台牛タンシティと、ずっと国道四号線をひた走ってきた。
これから先、盛岡わんこそばシティ→青森アップル帝国までずーっとこの道を進む計画でいる。これは竹本くん@ハチクロとは異なるルートなんだけど、ざらめいわく「最短距離だし一本道だし迷わないし良いことずくめ」とのことで、実際確かにそうだし、なのでがんがん四号線を走っていた。
牛タン→わんこそば間の思い出。
仙台を出て大崎ってとこに行く間に、とんでもなく長い長い下り坂があった。僕とざらめはもうバカみたいにひゃっほー! やったー! わっふうー! とか大声出してしゃーしゃー下りた。下りながら、ふっと横を見ると、黄色だったり赤かったりする名前も知らない山々がゆっくりゆっくり僕の後ろに流れていって、あ、今、生きてるな僕、と確かに思った。
「ねーコンテコンテ、素朴な疑問! なんでコンテってヤクザになったの?」
「え? ……うーん、なんでって……えーと」
「あのさーこれ超自意識オーバードライブな考えだけど……あたしにフラれてやけくそになってとかじゃないよねーっ? ねねねねー?」
「ん、は、そんなわけ」
「ま、確かにかにかに、あたしアウトローな男好きだけどね?」
「えほんとに」
「あははっ、ふーん、そっかそっかー」
「……はは、うん、はあ」
わんこそば→アップル帝国間の思い出。
この旅で初めて、僕は海を見た。
国道四号線は大半が山道だ。宇都宮を出てすぐ膝をやっちゃった僕は、登り坂で立ち漕ぎなんか出来るコンディションなわけもなく、じゃあどうしてたのかっていうと道中、登り坂は全部チャリ下りてゆるゆる引いて歩いて進むっていうなんとも老けた対処をとっていた。ざらめは早くーとかぶうぶう言いつつも一緒にチャリを下りて歩いてくれた。盛岡を出たあとからは、きつめの登り坂が続いた。二戸だとか三戸だとか辺りから坂は更にシビアになった。そのシビアさは青森県に入ってもひたすら続いた。人生山あり谷ありとか言うけど東北マジ山ばっかりだなとかどうでもいいことを考えていた。
ある日。
でかいトラックと道路工事のおっさんたちと僕とざらめくらいしか動くものがいない長くて険しい坂道を、冬だってのに汗だくになりながら歩いて歩いて歩ききった、瞬間。
視界の向こう側に、うっすらだけど確かに。
海が見えた。
――あ。
これ、やばい、と涙腺のパッキンをぎゅいーっと締めようと思ったときには遅かった。泣いた。一体全体自分がなにのどこらへんに感動して泣いてるのかもうよくわからなかったけど、でも、とにかく泣けた。泣いた。泣いてたらざらめにうはー可愛いーとか指さされてきゃらきゃら笑われて、僕は一緒になって笑いながら、また、べろべろ泣いた。
「ねーでもさーずっと思ってたけどコンテって全然ヤクザっぽくないよねー見た目」
「あー、あのね、結構今のヤクザってそれっぽく見えないように気い使ってるんだよ普段から。スーツとかも派手なんじゃなくてわざとアオキのスーツ着たり」
「へーやっぱりスーツはアオキだねーっ」
「(今ちょっと上戸彩の声マネしたなざらめ)」
「あっ! でもあたし、コンテの唯一にして超ヤクザっぽいとこ知ってるよっ!」
「ん、えなに」
「……ふふ、へへへっ」
「………………えっ、え、もしかして」
「そーそのもしかっ!」
「…………見ちゃった?」
「見ちゃったもなにも何回も裸になってるじゃんコンテあたしのセンターオブジアースで」
「……あー……じゃあ、何が描いてあるかも」
「ロンモチ把握っ!」
「わー……そう、かあ……あー」
「お? お? 顔真っ赤だよー七代目ぇ?」
「……あー、はは」
青森アップル帝国→室蘭(室蘭の名産が何かわかんないからもうシンプルに室蘭とだけ)まで、僕らはフェリーを使った。自転車のままフェリーに乗り込んだら旅してるって感じがとってもなんたらってハチクロ七巻に確か書いてあったんだけど、実際ほんとに、自転車でフェリーに乗り込む感覚は今まで味わったことがないレベルのわくわくだった。港。泊まっているフェリーの腹が大きくぱっくり開いていて、まずでかいトラックがそこにガンガン乗り込んでいく。それから次に乗用車。そしてバイク。最後の最後に自転車という順序。だから僕らは風のぴいぷう吹く青森港で、じっと、ただじっと、交通整理の赤い棒を持った警備のおっさんが、その棒を僕らに向かって振る時が来るのを待っていた。チャリにまたがったまま、おっさんのほうをまっすぐ見ながら、たまに僕をちら見してニカニカ笑うざらめ。ニカニカ笑い返す僕。
* * *
JUNK!
ざらめはチャリを思いっきり道路にうっちゃると、その辺のゴミ箱にDONK! と回し蹴りを入れた。
夜九時過ぎの室蘭港。
フェリーから降りて、ものの数秒後の出来事。
「あぁーもぉーちくしょおぉー寝ちゃった寝ちゃった寝ちゃった寝ちゃったあたしゴミっ!」DONK! DONK! DONK!「なんで起こしてくんなかったのコンテっ!」
「なんでって、あんまり気持ちよさそうに寝てるから起こしたら撃たれるかなーって」
「ううー……ね、見たんでしょコンテ、――海」
涙目でじろっと睨むざらめ。僕は黙って頷く。
「わーもーいいなあー見たかったなあー海ぃー。フェリーの上から見たかったのにいー津軽海峡冬景色ぃー。あたしも見たかったよおー石川さゆりぃー」
「うん、最後のは見てないけどね僕も」
と、ざらめがもう一発強めにDOOONK! ゴミ箱は派手に吹っ飛びゴロゴロ車道へ。で、ちょうどそこにやって来た車が一台、ききーっと停まってしまう。わー申し訳ない(ヤクザだけどモラルあるヤクザなので僕)。車種は詳しくわからないけど左ハンドルから察するに外車。もしかしてNOTカタギの人なんじゃ、めんどくさくなったらどうしようとそわそわしているとPP! 軽くクラクションを鳴らされた。
「はあー? なによーあの車ぁーぷっぷく屁ぇ鳴らしちゃって文句があるならケーキを食べればいいじゃんよーもう」
なにをどう見たってこちら側に非があるのにぷんすか頬を膨らませながら、のっしのっしと車のほうへ向かうざらめ。イラつきにまかせて撃っちゃったりしないよなー、というリアリティのある心配が沸々と、ゆえに慌ててざらめの後を追、おうとするもまずは転がったゴミ箱を車道から退かして元あった場所にきちんと戻し、辺りに散らばったゴミをちゃっちゃと片付ける(ヤクザだけどモラルあるヤクザなので僕)。ふうと一息つきながら見ると、ざらめは車の横に立ち、なにやら運転席の人物と言い合いをしていて、うっすら聞こえるその言葉は「クソ」だの「ゴミ」だの「ファック」だの「蟹?」だの「え、ほんとっ?」だの、「わーい!」だの、なにやら途中から言い合いじゃなくなってるっぽいけど、そして今まさにざらめはドアを開け嬉々として助手席に乗り込もうとしていて、うーん、状況は掴めないけどとりあえずなにか事件になる前に止めなきゃなー同行者として、と僕はため息をつき、車のほうに向かおうとする。
――そのとき。
「兄貴っっっっ!」
きーーーーーーーーーーーーん!
耳からアルミホイル食ったような感覚。電流。
って……え? もしかして。
おそるおそる、振り返ると。
夜をバックに佇む、一人の少女がいた。
どストレートな黒髪。ど透き通った瞳。ど清潔な制服に身を包んだ、ど低い身長の。
「…………目奈」
「ご無沙汰してます、兄貴っ!」
ぺっこぉーんっと勢いよく頭を下げる目奈。
「……お、あ、ポウ」
おう、って言おうとして動揺しすぎた結果キングオブポップみたいな声を出してしまう僕。
目奈はまっすぐ、ひたすらまっすぐ、射抜かんばかりの視線で僕を見つめてくる。冷たい海風が吹き、彼女の長い髪がぶわぶわとなびく。
「……目奈、どうしてここに」
「はいっ! やる気とガッツと情熱とパッションと熱意とやる気とやる気とやる気で、考えて聞き込んで調べて探して頑張って、追ってきましたっっ!」
「……あ、ポウ」またマイケル声が出た。
そして僕は、沈黙してしまう。
突如目の前に現れた憚目奈(リアル)に対して、なにを言えばいいのか、だって僕は、フェリーに乗り込む辺りでようやく僕は、自分がヤクザである現実を忘れることが出来始めていて、もちろん完全に忘れたわけではないけど、しがらみから少しずつ解放されだした気がしていたのに、なのに急に現実に戻されてしまって、やっと北海道に着いたのに、もうちょっとで北の端なのに、あとちょっとでゴールなのに、僕の自分探しは急速に振り出しに「好きですっっっっっ!」
轟音。
気持ちが爆発する、なんてよくある言い回しだけど、実際なにか火薬的なものが腹ん中で爆発したんじゃないかってくらいの轟音。それを受けた僕の耳は、きーーーーーーーーんとする程度のレベルなんて軽くすっ飛ばして結果、今なんにも聞こえなくなってる(いやガチで)。僕の目の前では目奈が顔を真っ赤にして俯きながら、なにやら口をぱくぱくさせている。ぱくぱく。ぱくぱくぱく。ぱく。うーん、ほんとになんにも聞こえない。これは早急に耳鼻科に。あーでももう夜だし行くなら明日かーでも一応探すだけ探しとこう備えあれば、と口をぱくぱくし続ける目奈からそろーっと視線を外して、港の周り、町の様子を伺う。きょろり。うん、ぱっと見、耳鼻科らしき建物はなさそう。というか全体的にあんまりなんにもない。室蘭って名前こそ有名だし結構賑わってるのかと思いきや案外閑散としてて軽いショックを受けた。港・住宅・道路・そして妙に大きなパチンコ屋とその駐車場、以上。そんなインダストリアルな町並み。これじゃ今日の宿もあるか危うい。野宿はさすがに嫌だなーもうすぐ十二月だし。あれ? 明日からだっけ十二月。というか、ちょっと忘れかけてたけど、外車、ざらめが乗り込んだ外車が視界に入る。依然として停車しっぱなし。車内は明かりもついてない。なにやってんだろ。じーっと見ていると車体がゆっさゆっさと揺れ始める。えー? これあれ? カーセックス? いや、だよなーどう考えても。カーセックス以外で車がゆさゆさ揺れる現象を僕は知らない。車体のスイングはどんどん激しくなっていく。あーなんだろう、初恋の相手が誰とも知らない男とカーセックスゆさゆさキメてるのを見せつけられる(いや僕が勝手に見てるんだけど)のは、性的常識に関してわりとクズまってる僕(生まれてこの方コンドーム付けたことなんて一度も)でもちょっと我慢ならない。よし、行こう。行ってなにするか考えてないけど、僕が行かなきゃあいつらがイッてしまう(くだらない)。そうして僕は怒りの一歩を踏み出す。一歩踏み出して二歩下がる(ディスイズ水前寺清子スタイル)。待てよ、と。だってざらめが他の男とセックスしてるの見たいか? 見たいわけがない。僕そういう趣味はないんだなーこれが。うーん。でも行かないとあいつらがイッてしまう(心底くだらない)。これが世に言うカーセックスのジレンマ。どうするか。腕を組みこれ以上ないほど真剣に悩んでいると。
「………………さい」
微かに目奈の声が聞こえた。おー、もしかして耳回復の兆し。というか、目奈のこと申し訳ないけど見てなかった全然。告られてるっていうのに。すぐ目の前にいるっていうのに。純真な妹分の気持ちを踏みにじりつつあった自分を恥じながら、一息。目奈のほうをまっすぐ向く。
彼女は、裸だった。
「フハッ」びっくりしすぎて水木しげるマンガ的驚き方をしてしまう僕。
正確に言うと、彼女は上裸だった。ブレザーを脱ぎ、ブラウスを脱ぎ、ブラを外し、長い髪を手で掴んで体の前側に流した状態で、僕に背中を向けている。
背中。
小さな目奈の、小さな小さな背中。
「……兄貴、み、見てくださいっ」
震える声で目奈は言った。言われなくても、僕は彼女の背中に釘付けだった。いや――背中に、ではなくて。
背中に描かれた、
「すみませんっ! 私、どど、度胸なくて、痛かったんで、その、あのっ、す、すごく小さくしか入れられなかったんですけど……刺青、ですっ。見え、ますか……?」
…………うーーん。
見えるは見えるんだけど目奈が言うとおりすっごく小さくて、なんだろこれ、Suicaとかのほうがまだ全然でかいくらいのサイズ。シールとかじゃなくてちゃんと彫ってあるものだってことは見た目できちんとわかるんだけど、なにが彫ってあるのかはさっぱり。
「……近くで、見てください、兄貴っ」
消えそうなほど、か細い声。言われるまま、僕は背中に顔を近づける。近づけて思う。アバンギャルドだなーこの状況。夜の町中でこんなに顔近づけて女子高生の裸をまじまじ凝視して。けど、そんな客観的で冷静な感情は、彫ってあるものを理解すると同時に消し飛んだ。
鮮やかな青や赤で描かれた鱗状の飾りの中心に、刻まれた漢字四文字。
『屑入紺手』
――僕の名前だ。
「え……目奈、これ」
「はいっ! あ、兄貴の名前! 勝手ながら! 入れさせて頂きまげっほぐほごはあーっ!」
体を丸め、肩をがっくんがっくんさせながら咳き込む目奈。僕は彼女の背中を撫でてやりながら、ぼんやりと思う。
あー、痛々しいなあ、と。
いや、悪い意味のイタいってことじゃなくて、単純にこんな小さな体に彫られた刺青が痛々しくて、こんな痛々しい気持ちの伝え方を選択した目奈が痛々しくて、そしてなにより――僕は、僕自身のことが痛々しかった。目奈と同じ年の頃、目奈と同じ選択をした僕自身が。
はあー。
もうなんかこれ以上ないくらい僕の妹分だなこいつ、としみじみ思いながら、地面に脱ぎ捨てられたブレザーを拾って裸の目奈にそっと羽織らせる。それからさっさと自分の服を脱ぎ、今度は僕が上裸になる。うわ寒っ。肌で感じる北海道。はあ、と一息。白い息。
「……あー、目奈、あのさ、僕の、あー違う、俺の、あーもうどっちでもいいか。とりあえず、僕の背中、見てみ」
そう言ってくるっと半回転、目奈に背中を向ける形になる僕。
瞬間、視界に入るくだんの外車。
刹那。SPAM! 銃声。
二秒後。BANG! ドアが閉まる音。
そして、トコトコこっちに歩いてくるざらめ。むふうーとパンパンに膨らませたほっぺたには飛び散った血がちらほら。
「ねねねねねーもー聞いてよコンテっ」
裸の僕&僕の背後の半裸女子高生には一切触れず、ざらめはぺたんとアスファルトの上にあぐらをかいて座り込み、僕を見上げて喋りだす。
「なんかさーあの車にさー乗ってた兄ちゃんがさー蟹ご馳走してくれるとか言うからさーやったーさすが北海道! 蟹に行き遭っちゃった! ざらめクラブ! とか思ってわっくわくしながら車乗ったらさーフェラしろとか言ってくんの! いやまーそれはいいんだよ別に? コンテにも言われたしね、家入った瞬間いきなし」
「あ、覚えてたんだそれ、恥ずかし」
「いいのいいの別にフェラくらいならあたしは、うんうん、変なタイミングでゲロるけどあたしそこそこビッチだし、あっなんかソコソコビッチって名前のサッカー選手いそーだねってそれはいいんだけど、でね、じゃあしょーがないなー蟹のためだしと思ってズボン下ろしてやろうとしたらっ! いきなりっ! 兄ちゃんがあたしの首をぎゅーって! 絞めてきやがんのっ! で、絞めながら『生者とのセックスなんていう汚れたものはオルタモントで死んだんだ』とかなんとかブツブツ! もうあたしどん引きですよっどんどんっ! で、あっこれもしか屍姦パターン? ってピンときて、うおーと思って超暴れて、ズガドンズガドン適当に蹴っ飛ばしまくってたら男が財布落っことしてバーって中身飛び散って免許出てきて、それ見たらなーんか知ってる名前でさー、雪国もしや! と思って携帯確認したらビンゴ! ターゲットだったからBAN! なんかねー道に棲む悪魔(ハイウェイ・ロマンチカ)とか呼ばれてる殺人鬼さんだったらしく警察からのご依頼を受けてた案件でしたーちゃんちゃんっ、てかさーコンテなにやってんの? さっきからハダカで」訊くの遅っ。
と、背後から、か細い声が聞こえる。
「……兄貴。兄貴も、入れてたんですね、刺青」
背中に感じる視線。
うん。そう、そうだ。
目奈が言うとおり、僕も入れている。
目奈のそれの云十倍のサイズ、背中一面の、かなりでかいサイズ。正直カタギには戻れないようなサイズ。
入れたのは、高校卒業したての頃。ヤクザになった直後。
描かれてるのは――文字だ。
「これって……兄貴の、その……お、想い人の、お名前ですか……?」
なんだその古今和歌集ばりの言い回し、と軽く笑ってしまいながら、こくっと頷いてみせる。そして僕は、ふいっとざらめを指差して、
「この人だよ、それ」
そう教える。
ん? と僕を見上げて首を傾げるざらめ。
訪れる静寂。
長い、長い、静寂。
「…………そっか、そう、なんですねっ」
僕の背後で小さく呟く目奈の声、その節々にしゃくり上げるような音が微かに混じっていて、僕はどうしたらいいのかわからず、ただ自分の髪をむしゃっと掻く。静寂。静寂の中、すん、すん、と小さく鼻をすする音が断続的に響く。すん、すん、すん。それを聞きながら僕は、ただぼんやり遠くを見ていた。すん、すん。突如、
ふううーーーっ。
大きく息を吐く音、と共に、僕の背中にふんわり吐息が当たる。そして目奈が背後から、僕の前へと、ゆっくり静かに歩いてやってきた。
ざらめと向かい合い、
すううーーーっと大きく息を吸って、
「姐貴と呼ばせてくださいぃィっっっ!」
それでまた、聞こえなくなる僕の耳。
「では私はこれで、失礼しますっ! ご迷惑おかけしましたっ!」
ぺっこおーんっと首が取れそうなくらい思いっきり頭を下げる目奈。そしてがばっと顔を上げる。相変わらずのまっすぐな表情、まっすぐな瞳。目奈の手には、僕がざらめのリュックから引っ張り出して渡したハチクロ全巻がしっかり抱えられている。ざらめ→僕→目奈。不毛な片思いをする連中の間を廻っていくハチクロ。
「じゃあ、まー、なんだろ、えーと、よろしく」
僕がポリポリ頭を掻いていると、
「任せてくださいっ! 組のほうにはしっかり伝えておきますっ! 兄貴が、死んだって!」
……うーん。自分で提案した解決策だけど、亡きものとして扱われるのってあんまりいい気分じゃないなー、あと、ほんとにこれで僕はもう戻れなくなっちゃうなーと、ぼんやり考えた。
ま、いいか。
「では、失礼しますっっっ!」
きーーーーーん、とする僕の耳。この感覚味わうのもこれが最後か、と思っている間に目奈はくるっと回れ右、すたすたすたっと夜の中へ消えていく。だんだん見えなくなっていく。
「あ、ねねコンテっ、一応、訊きたいんだけど」
「ん」
「あの女の子、名前、なんてーのー?」
ざらめの右手には銃、左手には携帯。
「……屑入目奈。僕の妹」
えっ! とざらめは目をまん丸にする。
「あれ妹ちゃんなのっ? 似てる要素皆無っ! 遺伝子神話崩壊っ! ……って、あー、うーん、そっかメナかー、下の名前だけビンゴってる子いるんだけどなー違うかあ。んー、しょーがないなあー、関東帰って地道に探そーっと」
ぶーたれながら携帯と銃をしまうざらめ、を見ながら僕は、まあ最後に兄貴らしいこと出来たかなー一応、とか考えながら一人で笑った。
* * *
室蘭→苫小牧→札幌。
旅は確実に終わりに向かっていた。いや、稚内に辿り着くことが終わりなのか始まりなのかわからないけど、とにかく。
旅。
北海道はでっかいどうっていう僕が知る限り一番くだらないオールドスクールジャパニーズジョークが指すとおり、確かに北海道はでかかった。車道が広い。車道以外も広い。あと、これが一番重要なんだけど、空が広い。空の広さなんてどこでも同じ? バカ言え。そんなこと言う奴は生きてる世界が狭いだけ(ほんとに)。
旅。
ハチクロ七巻では、北海道に入って北の端、宗谷岬に着くまでの様子はたった6ページで描かれる。圧倒的あっという間感。でもそれは、羽海野チカの怠慢でもなんでもなくて、リアルに、本当にあっという間なんだということを僕は知った。距離の話じゃない。気持ちの話。
北海道上陸後の僕らは、チャリを漕いでる間、もうほとんどずっと無言だった。ただペダルを踏んで、踏んで、踏んで、前を見て、前を見て、前を見た。僕はもう、なにも考えていなかった。ただ前を見て、僕の前を漕ぎ進んでいくざらめの背中を見て、ペダルを踏み続けた。
札幌→稚内。
「なんかねなんかねーコンテー、タクシーの運ちゃんに話を聞いたところっ!」
「うんうん」
「この時期、札幌から北にママチャリで行くのは……自殺行為だってーっ! ぶっ、あははっ、ジサツコーイっ! クソおかしーっ!」
体をよじってきゃらきゃら笑うざらめ。そっか、そりゃそうだ。現在、札幌、気温マイナス3度。雪ガンガン。そう、時期が違うわけだそもそも、竹本くん@ハチクロとは。あいつは夏に来てるんだけど、僕らは冬だ。冬の稚内にママチャリで? あー僕らほんっと頭がプーだ。でもこういうなーんにも考えてない感じが、良いなあと心から思った。だから僕は、ざらめと一緒になってげらげら笑った。
で。
僕らは結局、稚内まで電車で行った。だってここまで来たら絶対見たいでしょ北の端。稚内行きの電車は朝と夕方、一日二本とかしか出てなくて、僕らは朝七時発の電車に乗り込んだ。「あーシカっ! コンテ見て見てシカシカっ!」雪の降りしきる窓の外を指差すざらめ。「え、わ、ほんとにシカだ、え、これエゾシカ?」「なんでもいーよーシカはシカだよーすごー雪の中で生きるシカ、強っ!」わーわーうるさい僕ら。二分後には寝ちゃって静まる僕ら。
――そして。
稚内→○○。
地の果て。
ハチクロで竹本くんはそう言った。
でもここは地の果てなんかじゃなかった。
「続いてるじゃん全然、向こう」
僕は一人でそう呟いた。
ハチミツとクローバー七巻、130ページで見た、あの三角形のオブジェ、宗谷岬に佇む北の端を示す記念碑には、土台部分を覆い隠すくらいまで雪がどっかり積もっていた。そのオブジェの先、生まれて初めて見るオホーツク海は、なんだか青くて黒くて、深かった。空は雪で真っ白で、白と青と黒の三色がここの全てだった。
海の向こうには当たり前だけどずっと海が続いていて、空の向こうは真っ白で今は何も見えないけど当たり前の顔をしてずっとずっと続いているはずで、だから僕は、あ、全然果ててないじゃんか、と思った。それがなんだかどうしようもなく嬉しくて、だから僕は、ずーっと海と空の向こうばっかり見ていた。
「コンテコンテ、これあげる! はいっ!」
背後からざらめが僕の後頭部になにかを押し付ける。ん、と振り返ると、ざらめの手の中でぶらぶら、金色のキーホルダーが揺れていた。楕円形の板。受け取る。『到達証明書』という文字と記念碑のイラストが浮き彫りされていて、うっすらと日付が刻印されている。
「ね見た? 日付入れてもらったの今日の! 十二月三日、123! どうどう? すごいよね! クソラッキーだねあたしたちっ!」
あ、なんかマンガで読んだことある。殺し屋ってやたらこういうゾロ目とか連番とかでゲン担ぐのが好きって。あれほんとなんだなーと、にっこにこ笑うざらめを見ながら思った。ピンクの髪に積もる白い雪。
「にしても来てみなきゃわかんないことっていっぱいあるねーコンテ、だってこの三角形オブジェくんの向かいにみやげ屋があるとかすぐ隣りにはでかい公衆便所があるとか近くにバス停あるけどバスマジ全然来ないとか、ハチクロには一切書いてなかったもんねー、事実はマンガより奇なりっつってほらほら見てほら」
ポケットから丸まった七巻を取り出して、ぺらぺら捲り出すざらめ。
「え、ざらめそれ、目奈にあげたはずじゃ」
「七巻だけは別に保管してたんだーあたし」
ふふん、と得意げに笑いながら、ざらめは、
「で、どう? コンテの自分、見つかった?」
わしわしわし、と僕の頭を撫でた。
撫でられながら思う。
あ。
ここだな、と。
だから。
ばっ、とざらめの肩を掴んで抱き寄せた。
ぽとっ、と雪の上に落ちる七巻。
「ざらめ」
「……んー?」
「僕、ざらめのこと、好きだよ」
沈黙と、雪。
「……うん。あははっ、ありがと、コンテ」
ざらめは、また僕の頭をわしわし撫でた。
そして、よいしょーっと僕の腕を引き剥がし、ゆっくり体を離して、
「あたしね、うーん、まだまだ殺し屋やりたいんだー、言ったっけっか、彼氏いる女は殺し屋やんないんだよーって、うんうん、という、こと、かな、うん、よっ」
と雪の上の七巻を拾い、
「はいこれっ、これねー出てくる奴全員片思いでクソバカでねーってあははっ知ってるかー、ってことで読んで、はい、もう貸すっつか今回は完全にプレゼントフォウユウっ!」
ぷっ、と小さく笑ってしまう僕。
あー。
ま、いいか、これで。
「ん、ありがと」
と丁重に七巻を受け取り即ぽーいと海に向かって放り投げる。大きな放物線を描きながら白色の中へ飲み込まれていく単行本。羽海野チカ、オホーツクに消ゆ。
「ああーっ! なにしてんのコンテーっ!」
「うーん、なにしてんだろうね、ほんと」
そして顔を見合わせる僕とざらめ。
僕らの間をがんがん舞う雪。
じっと静かに見つめ合う。
一……二……三……。
で、四秒後。
ぷーっ。
二人同時に吹き出した。
あ。
これが自分探しの答えかも、とか一瞬。
でも、そんな考えはすぐに消し飛び、ひたすら二人で雪を浴びながらげらげらひーひー笑う。笑いながらざらめが銃を取り出し安全装置をかちゃかちゃ外して「ねねねねコンテこーゆーのどうこーゆうの!」と、海に向かってSPAM! SPAM! SPAM!「あーうんいいかも僕にも貸してざらめ」と銃を手に取り海に向かって僕もSPAM! SPAM!「あははっねーなにやってんのあたしたちっ!」「ねーなにやってんだろ僕たち」そして最後に二人で笑いながら一緒に引き金に指を掛けて海と空の間の白くてぼんやりした曖昧な境界を狙って、
SPAM!
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