スウィート・ブラッド・サヨナラガール
昼休み、食堂でカレーをぱくぱく食べていると大して喋ったこともない同じクラスの小林圭子があたしの向かいの席に座り「狐ノ
「あのね、エリコを殺して欲しいの」
小林はまあまあの音量でそう言った。
「エリコってどのエリコ」
「木村のエリコ」
中臣鎌足みたいな言い方するのでちょっと面白くて笑ったら食べてたカレーの米粒が喉から上がって鼻のほうに行ったのでむせた。むせてるあたしに小林はポケットティッシュを差し出した。ありがたく頂戴して鼻をふんふんすんすん思いっきり何度もかむ。かんでる間に小林はべらべらとよく喋った。詳しい内容はよくわからなかったけど、というか詳しく理解するつもりがないまま聞いてたので当然理解出来なかったんだけど、なにやら小林圭子は木村のエリコ(これ気に入った)に彼氏をとられたらしい。結構長く付き合ってた彼氏だったらしい。で、殺したいらしい。青臭い殺意にあたしは失笑した。失笑してたら鼻からぷんっと米粒が出てきてすっきりした。
「それであの、お金とかってやっぱいるんでしょ?」
殺意を吐露し終わった小林はおそるおそるそんなことを言った。ああ勘違いしてんなあと思いながらあたしは首を振る。
「いらないの? え、どうして?」
「プロだから」
あたしは極めてシンプルにそう答え、カレー最後の一口にパクついて席を立った。スプーンは持ってくことにした。去り際に、
「カレーのお皿返しといて」
と振り返らないまま声をかけたけど、果たしてそれが小林圭子の耳に届いたかどうか。届いてたらいいなあと思いながらあたしは食堂を後にする。
木村のエリコを探す前におしっこしとこうと思って入った一階北側女子トイレで鏡見ながら前髪をこねこねこねくり回す木村のエリコと鉢合わせた。軽くびっくりしながらあたしは急遽予定を変更する。先に殺して後でおしっこしよう。さっさと制服を脱ぎ、出来るだけ小さく丸めてトイレの床の隅っこに置く。静かに。
「木村さん」
振り向かない。
「木村さん」
振り向かない。
「木村さん」
振り向かない。ので、木村の頭を鷲掴んで無理くり振り向かせた。振り向かせたというかもはやねじったって感じで「痛っ」尖った声を出して木村があたしを睨む。その目、右目、の、目玉と骨の隙間を狙ってスプーンを一気に突き刺した。「ご」古い排水溝みたいな音を出す木村。ぐりぐりぐりとスプーンの柄を時計回りに三回転させるあたし。昔駄菓子屋さんでやったガチャガチャを思い出してちょいノスタルジック。口からかぽんって景品出てきたらいいのにとか思いながらもう三回転ぐりぐりぐ、り。肉と神経が千切れる手ごたえとゆるい震えがスプーン伝ってあたしの腕へ。木村の後ろ、鏡に映るブラ一枚のあたし。あれ? 今日ブラ黒だったっけ。似合わないなあ。あーもう少し胸欲しい。木村の目からだらだら垂れてくる赤ペンキ。「ご、ご」一体全体木村のエリコは『ご』から始まる何という言葉をあたしに伝えたいのか。あたしはスプーンを握った手をパンチするみたく思いきり前に突き出す。もはや足腰生まれたての子鹿並みの力しか入ってない木村はされるがまま後方に大きく揺らぐ。鏡。鏡に激突する木村のエリコの後頭部。割れる鏡と木村の頭。そのままスプーンを下方向にぐいっとやるとテコの原理よろしくバクッと、いや音こそしないけどもうほんとにバクッという感じで眼球が穴からほじくり出されて飛んで抜け落ちトイレの床にぬるんと転がる。それをすかさず拾い「あ、あ」と断続的な音を出し続けるぐちゃぐちゃの木村通称グチャ木村の口に放り込む。食べさせてあげる。顎を掴んでわしわし噛ませる。わし、わし、わし、はいごっくん。ごっくん。ごっくんしないで吐こうとするので口を大きくこじ開けてあたしの怒りの握りこぶしを喉の奥の奥の奥の奥にお見舞いする。なんならこのまま喉奥のやらかい部分を突き破る勢い。てか実際ちょっと突き破ったくさい、爪伸びてたから。「げ」とか「げえ」とか言いながら木村が左目を白黒させる。右目は食道通って胃の中へ。割れた鏡に映るあたしはえらく無表情。眼孔から跳ねた赤い血を少し浴びた腹部の白さに黒いブラのコントラスト。あーやっぱも少し胸欲しい。口からこぶしをゆっくり引き抜く。木村は動かない。
ふ、と一息。
経験上。肌で察するに。ここまでで、およそ一分半。
すごくちょうどいい。
『死体遊びは長くて二分。遊び過ぎたら体に悪い』。これ鉄板。
グチャ木村を見ながら適当な鼻歌まじりに手を洗い、さっと制服を着てトイレをあとにする。はい、おしまい。
あ――――おしっこすんの忘れた。
あたしは、殺しのことは殺しと思ってない。死体遊び。そう思ってる。
友達と遊ぶより死体と遊んでるキャリアのが長いと思うあたしの青春時代。
たとえばここ一ヶ月でどんだけ遊んだか、思い出せるだけ思い出してみると……えー、ベビーカーに乗った赤ちゃん(傘で一突き)とそれを押してた母親(傘で二突き)、公園で遊んでた園児三人(とんかちで頭叩き割った)、橋の下に住んでたホームレス(包丁で腹裂いた、臭かった)と一緒に住んでた痩せた黒猫(踏んじゃった)、頼まれたから殺した三年の佐治って男の先輩(便所で首吊ったように見せるという高度なテクニック!)、頼まれたから殺した数学の衛藤(夜中に家まで行って殺ったんだけど犯されかけたからあれは正当防衛)、あとは通りすがりの名もない(いやあるだろうけど)あたしの人生のエキストラさんたち五、六人くらい(どうやって殺ったかも覚えてない、ごめんね)。
うーん少ないほうだ今月。色々忙しかったから。
引越しと、転校の準備で。
残り二十分そこらの昼休み、行く当てのないあたしはなんとなく食堂に戻ってきた。さっきまで座ってた席にまた座る。机に肘をつく。カレーの皿がない。小林圭子が返しといてくれたらしい。なんだかほっとしながら、ぼんやり考えごとをする。
あたし、今日、転校すんだよな。
今日で最後だってのにカレー食べちゃったなあ、いや別にカレー好きだけど、最後の日なんだしどうせならもっと豪勢なもん食べればよかった、いや豪勢っても限界あるけど、せいぜいA定食にプリン付けるぐらいとかになるけど。そういや木村の目玉、触った感触まるでプリンだった。うーんプリン食べたい。
「狐ノ宮さん」
顔を上げると、小林圭子があたしの向かいに座っていた。笑顔でプリンとスプーンをあたしに差し出す。
「これ食べて、お礼」
こいつエスパーか。あたしが欲しているものをこうも的確に。というかあたしは殺しのお礼はいらない主義って言ったのに(あれ? 言ってなかったっけ)。でもプリンはめっちゃ食べたいので「ありがと」とスマートにもらっとく。ペリペリ蓋めくってスプーン刺してすくって口へプリン。
「見てきたよ、すごいね狐ノ宮さん」
「え、ああ、ども」
「すぐ出来ちゃうの、ああいうの」
「ま、そう、だねうん」
「へーかっこいい」
かっこいい? 何が? 殺しが? お世辞言うにももうちょっと実のあるお世辞言って欲しいなあ云々思いながらもう一口プリン。
「でもあのぐちゃぐちゃになった木村見たら、ウネリ泣いちゃうかなあ……あたし悪いことしちゃったかなあ」
声を潜めて言う小林圭子。というか、
「ウネリ……って」
「ん? ウネリ? B組の、
「巣廻くん、うん知ってる……が、え?」
「あたしの彼氏」
いや元彼氏だろ。故・木村の現・彼氏だろ。いやでもそれは全然どうでも。
「巣廻くんと、付き合ってたの?」と訊く。
「え、あたし?」自分を指差す小林。
「うん小林さんも、木村さんも」
「え、うん、そうだよ」
「はへ」
はへ、というよくわからない音が喉から出た。
「あ、ねえ、狐ノ宮さん、今日でお別れなんだっけ」急にそんなことを言う小林圭子。
「え、あ、うん」お別れ。
「そっかあ、寂しくなるなあ」
「うん」
寂しくなるっつったってほぼ今日が初コンタクトだったくせに、と頭の中でぶーたれながらも、そんなこと言われるとちょっと嬉しいし寂しくなる変なあたし。お別れ。お別れか。プリンをまた一口。
巣廻くんとも、お別れだ。思った瞬間プリンが無味に。
巣廻くんとの初コンタクトいつだったっけなあと思い巡らし流し聞く五限の古文。
半年前の秋。
下校中、歩道橋の階段の途中でへばってるお爺さんの荷物持ってあげて、一緒に上ってあげて、下りの階段で思いっきり背中突き飛ばして蒲田行進曲的な感じで殺しちゃったとき、背後でその一部始終を目撃してたのが巣廻くんだった。
「え、いま」
振り返った目の前、背があたしより低くて髪があたしより黒くて顔があたしよりちっちゃくて目があたしよりおっきい(総じて悔しい)男子が立っていた。
「え、可愛い」
びっくりするほど正直な感想を口にしてしまったあたしに、巣廻くんは(そのときはまだ名前知らなかったけど)一瞬きょとんと黙って、へへと笑い、
「よく言われる」
その、その言い方が、全然鼻につく感じじゃなくて、でも全然控えめじゃなくて、謙遜でもなくて自慢げでもなくて、それでいてちょっと嬉しそうで、今思えばその「よく言われる」であたしは――彼を好きになったのかも知れない。
「ね、今、君がしたこと」あたしの鼻先を指差す巣廻くん。
「え、うん」
「俺、誰にも言わない。黙ってるからさ、だから、んと。その代わり」
その代わり。
……彼があたしに要求したのは。
「うわーすっごい! これ全部食べていいんだ全部! はあ、もう、俺、これ喉に詰まって死ぬまで食べる今日!」
店に入るなり、あたしを見てきらきら笑う彼。彼を見て、ちょい目をそらしたあたし。
学校の最寄り駅の隣りの隣りの駅に最近出来たデザートバイキング。ぴっかぴかに明るい壁と照明と音楽と彼の笑顔。色んな色した制服の女子高生がごちゃごちゃ立ったり座ったり食ったり食ったり喋ったり。あたしは結構くらくらした。
店の隅っこの小さなテーブルで、あたし達は向かい合って座った。あっつくてうっすいコーヒーをずるずる飲むあたしの目の前で、彼はピンクや茶色の小さなケーキを次から次にぱくぱく食べた。その食べ方もなんだかリスとかそういう森の愉快なげっ歯類的な愛らしさがあって、あたしじゃどんなに特訓してもここまで可愛く食べれないなあと思った。
「君さ、なんでお爺さん殺しちゃったの?」
三個目のモンブランを食べ終わったとき、彼は不意にそんなことを言った。
「なんでって……なんでだろ」
「理由ないの?」
「ないかも」
「理由なき殺人者?」
「なにそのキャッチコピーみたいの」
「え、君ってさ、なに、プロ的な感じなの」
「プロ……まあ、そうかなあ、どうかなあ」
そう言うあたしを、彼はまっすぐ見ながらこくこくと頷いた。
「なるほど、プロの殺人鬼なんだ?」
なんの躊躇もなくよくそんなこと訊けるなあと思いながら、
「鬼、ってほど鬼気迫った感じで殺ってないけど数だけで言えば鬼かも」
「鬼と一緒にケーキ食べるなんて俺、天国と地獄だね」
上手いこと言ってるようでわけがわからない。でもそのはにかむ表情がここ数十分の間で一番ぐらい可愛くて、あたしは少しめまいがした。しながら喋る。
「あのさ、なんでケーキバイキング?」
「え? 甘いの大好きだから俺。でも、だからって男一人でこんなとこ入るの恥ずかしくって」へへ、と目を細め笑う彼。
「それでだからあたしを?」
「うん、そう」
あたしは一秒二秒黙って、それから、
「彼女と一緒に来ればいいのに」
と言ってみた。たら、
「彼女が甘いの全然ダメでさ」
さらっとそう返された。
彼女いるんだ。鎌かけてみるもんだ。
ふ、といきなり意識が五限の古文に戻ってきて――そのまま数十分前に遡るあたし。
昼休み。スプーンでプリンを一口すくい、小林圭子に言う。
「あの、プリン、食べる?」
「ううん、いらない」
あたしの語尾に食い気味で拒否の意を示す小林。
「もしかして小林さんって、甘いものって全然ダメ?」
「うん全然ダメ」
「やっぱり」
「え?」
「なんでも」
ついやっぱりとか言っちゃったあたしだった。
で――今はまだ五限の古文。
「天の原、ふりさけみれば春日なる」
とかなんとか、正月でもねえのに百人一首なんかやってて、どうせやるならあたしのこの思い出にあわせて恋的な歌やってくれよ、とか思う。こんな空気読めない学校転校してやる! とか頭ん中で叫んでちょっと笑う。
結局、今日は七限まである日だったんだけど五限で終わった。理由は単純で、トイレから死体が発見されたから。ってまるで他人事みたいな言い方するあたし。古文が終わってすぐ担任が入ってきて「ちょっとその、事故が、ちょっと起きてしまって、校内の、点検を」とか全然要領得ないぼやけた説明をし、解散。転校するあたしのお別れの挨拶的な時間なんてからっきし設けられないまま、解散。うーんちょっと寂しい。いや自分で撒いた種だけど。もっと人に見つかりにくい場所(トイレにしても個室の中とか)で殺るべきだった。ただ勢いで殺っちゃうようなのはガキで、あたしはプロとして、巣廻くんに言われたようにプロとして、プロなんだから、先を見据えた殺人鬼にならなきゃいけない。いけないっていうのもなんだか変かも知れないけど。なりたい。そう思った。
担任の解散宣言の後「起立、礼」とほぼ同時に、校内全体が少しざわつき始めるのを感じる。教室を出たあたしは、早上がりに浮かれる嬉しそうな生徒らの波に飲まれ、あれよあれよでげろっと校門の外へ吐き出される。振り返る。薄汚れてて半端にでかくて、威圧的だけど弱々しい校舎。さよなら学校。ごめんね学校。なんだか変に血生臭くして。軽く校舎に頭を下げる。歩き出す。一人。
帰り道。一人でふらふら歩いてたぴかぴか赤ランドセルのちっちゃい女児を薄暗い公園のトイレに連れ込み首絞めて、絞めて吐かせて吐いたら緩めて「え」とか一言何か言いそうになったところでまた絞めて、絞めて吐かせて吐いたら緩めて、絞めて吐かせて吐いたら緩めて、吐くものがもう胃の中になくなったっぽくなったらすぐに便所の水(水道のじゃなくて便器に溜まってるほう、当然!)がぶがぶ飲ませてまた絞めて、絞めて吐かせて吐いたら緩めて緩めて吐かせてまた絞めて、たまに飲ませて緩めて吐かせて吐いたら飲ませてまた絞めて、延々そんなことやりながら、あたしはまたぼんやり思い出にふけった。
ケーキバイキングの後。それからこの半年。
あたし達はケーキ友達だった。彼いわく「ケフレ」。ひどい名前。
「甘いもの食べに行かない?」
と巣廻くんからメールが来たら(ちゃっかりアドは交換した)その日はケーキの日。ケーキの日には死体遊びは我慢した。なんでかって明確な理由は自分でもわからないけど、ただそうしたかったから。エチケット? わかんないけど、そんな感覚。
ケーキの放課後、いつもあたしはあの歩道橋の上で彼を待った。
彼はいつも背後から「いっす」だの「うい」だの、すごい軽い挨拶と人懐っこい笑顔で現れた。あたしはそれに「あ、うー」だの「お、ん」だの、重たげな音とそらし目で返した。それから二人で電車に乗って、ごとごと十分弱。ケーキバイキングの店はいつも混んでた。「混んでるね」「混んでるね」変わらない会話。いつもモンブランを何個も食べる彼。あたしはさっぱり栗が好きじゃないので彼がパクついてるのを見て少し吐き気すらする。すらするけど、それでも彼の美味しそうな顔はずっと見ていた(あくまでちらちら)。
「ケーキ食べたいなあ」
思わずぽつり呟きはっとする。ここ公園のトイレだケーキバイキングでなくて。手元を見てまたはっとする。いつの間にやら絞める手に力入れ過ぎてて、小学生女児は眼球が若干3Dってた。首がいつか殺した赤ん坊みたいにぐらぐらしてる。あー申し訳ない。殺しちゃったことがじゃなくて君から命がなくなる瞬間をちゃんと見ていなかったことが。遊ぶにしてももっと真剣に遊ぶべきだった。プロとして。ぽいと女児を便所の床に投げ捨て、手を洗い、歩き出す。もう夕暮れだ。遊び過ぎた。あ、あと今日トイレでしか遊んでない。ワンパターンは良くない。変化が欲しい。変化、変化、変化。
「変化、ないなーあたし」
何が変化ないってこうして歩道橋の上で巣廻くんを待っていることがだ。
公園出てすぐくらいにメールが来た。「甘いもの食べに行かない?」。あたしはトイレに即Uターン、ごしごしごしごし手が取れるんじゃないかってぐらい綺麗に洗った。
それで今、歩道橋。きっと最後の(何の? 人生の!)歩道橋。
こんな考え方はあんまりにもバカっぽいからしたくないんだけど、でも、神様がチャンス(何のかわかんないけど)くれたのかなとか、思ってしまう。思ってしまった。普通こういう幸運は日ごろの行いが良い子に舞い降りるもんだって世間は思ってるだろうけど、それを今、あたしは軽々覆した。ざまあみろ。どんだけ史上最強の弁護士軍団つけても百パー地獄に落ちるだろうあたしにでさえ神様はチャンスをくれる。神様は神様並みに優しい。もしくは――神様なんて最初っからいないのかも。こっちだろうね。なにせあたしに殺された奴らは『神も仏もない』みたいな顔してたからみんな! 歩道橋の上から道路を見下ろして、びゅんびゅん走る車を見下ろして、一台一台にさよならさよならと心の中で手を振っていく。
「うい」
背後から、声。
で、気づいたらあたしはベッドに横になってた。ベッドって言っても自宅のじゃなくて(そもそもあたしんち布団だし)ラブホの。でかいやつ。
布団を胸まで被ったあたしは裸で、すぐ隣りを見ると彼が寝てて、やっぱり裸だった。
ああ。
ヤったんだ。あたし。そういや。
ヤって(おぼろげな記憶では三回くらいヤったはず)くたびれて寝ちゃってたらしい。
彼の寝顔を見てみる。もう、なんだ、ケーキ食べてるときはリスみたいなのに寝てるときは猫。つやっとした髪の毛にそっと手を触れようとして、引っ込めて、もっかい伸ばして、やっぱ引っ込めて、ヤっちゃってるのにいまさら髪の毛触るぐらい何戸惑ってんだあたしとくすくす笑ってたら、彼がゆっくり目を開けた。目を開けてもなお猫。
「はよ」と彼。
「はよ」とあたし。
寝たまま向かい合って会話する裸のあたしたち。
「ヤっちゃったね」と彼。
「ん、たね」とあたし。「よく来るの? こういうとこ」とまたあたし。
「うん、来る」
「誰と?」
「女の子と」巣廻くんがにかっと笑う。「初めて?」
「え……どれが? こういうとこ来るのが? セックスが?」
「あー、セックスが初めてなのは、見て、して、わかったうん。あ、じゃあラブホも初めてかあそりゃ」ケーキを食べてるときと同じような彼の笑顔。
初めて。
初めてだった。そういえば。
うっすらぼんやり思い出す。あたしの中に巣廻くんが入ってきたとき、入れ違いであたしの中からは血が出ていった。インアンドアウト。人の中に血が詰まってるのはよくよく見てるから知ってたけど、まさか自分にも同様血が詰まってるなんて思ってなかった。ので、まじまじ見入ってしまっていた、気がする。緩く流れる赤ペンキ。
「血も涙もない鬼のあたしから血が出るの見た? 巣廻くん」
ひとりごとみたいにそんなこと言うあたしを、彼はふっと柔らかな目で見て、
「なんで狐ノ宮さんってさ、殺人鬼やってるの?」
そう言った。あたしは悩んだ。悩んだ挙句、
「巣廻くん、あたし、巣廻くんの彼女殺しちゃった。あ、今日」
わけのわからないタイミングで告白した。まったくもってちぐはぐな会話。
巣廻くんは、一瞬きょとんとして、うーんと唸った。
「彼女って、どの?」
びっくりした。
「えと、グチャ木村」
「グチャ?」
「あいや、木村のエリコ」
「の?」
「あ違えっと、木村、エリコ」
「うん、そっかあ」
うーん、とまた巣廻くんは唸った。
「そういうこともあるかあ」
からっとさらっと、でもドライ過ぎず、悲しみの色も見せながら、でも深く見せ過ぎない――簡単に言うと結構平坦な調子で彼は言った。天秤の右と左がジャスト釣り合ってるような声。それを聞いて、ああ、あたしこの人のこと好きだなあ。そう思った。死体で遊んでるときのあたしと似てる。そんな気がしてた。ずっと。初めて会ったときから。
「巣廻くんってさ」
「ん?」
「ケーキとセックスどっちが好きなの?」
んーと口を尖らせ少し考え、
「ケーキ」と彼。
「なんで?」
「ケーキのほうがいっぱい食べれるから」
「うわーろくでもない答え」
「でしょ」
で、どちらからともなくあたしたちは抱き合って、けらけら笑い合った。彼の胸とあたしの胸が重なる(やっぱも少し胸欲しい)。巣廻くんの肌はしっとりしてて、ケーキよりもケーキみたいだった。
それからあたしたちはもう一回して(あ、こんとき初めてアレ舐めたんだけどケーキのほうが万倍美味いっていうのが素直な感想、平凡な感想)ふと時計見たら二十二時、わーとか二人で慌てた声出しながらのんびりのんびり制服を着た。「なんか今から登校するみたいだね」巣廻くんが笑いながら言うので「ほんとにしちゃおっか」と言ってみて、気づく。もう登校しないんだあたし、この制服の学校に。着替える手を止めて、着替え続ける巣廻くんを見つめる。あたしが登校しなくても、彼は登校し続ける。明日からもずっと。
「巣廻くん」
「ん?」あたしを見る大きくてまっ黒な目。
「あたし、」
から先に続く、長い長い長い言葉を全部、あたしは喉の奥に引っ込めた。飲み込んだ。殺した。――ぶっ殺した!
「え?」どうしたの? と、巣廻くんが小さく首を傾げる。あたしはただ黙って一人首を振りながら、ゆっくりスカートを履ききった。
「なんでもないよ」
ラブホを出て、夜の街を二人手繋いで、でも繋ぎっぱなしじゃなくてたまに離して、思い出したようにまた繋いで、ゆっくりふわふわ並んで歩いた。あんまり喋らなかった。喋ったことと言えば、俺たちってどうしようもないねみたいな話。たくさんのケーキを食べたいだけ食べて、たくさんの女の子としたいだけセックスして、たくさんの死体と遊びたいだけ遊んで、ほんとにどうしようもないけど、これから先も全然ずっとどうしようもないんだろうね。そんな話。ありふれた話。でも今はありふれていない夜。繋いだこの手で人を殺すの、しばらく我慢しよう。股の間にまだ巣廻くんが入ってるような落ち着かない感覚が残っていて、あーこれってありふれた幸せだと思いながら彼の手を強く強く握った。
駅。
あたしは下りで彼は上り。だから改札通ってすぐにお別れ。別々の道。
彼はあたしにふりふり手を振った。初めて会ったときみたいに、いや断然それ以上に、可愛い可愛い彼だった。あたしも軽く手を振って、くるっとすぐに振り返り、人ごみの中へ歩き出す。
「ね!」
響く声。あたしに向けられた声。
ゆっくり、振り返る。
「次、人殺すときさ、見せてよ、俺の目の前で」
目を細めて優しく笑う彼。
「じゃあ、巣廻くん」
響くあたしの声。
あたしたちの間を次々通り過ぎていく血の詰まった歩く死体たち。
「巣廻くん。次はあんたを殺してあげる!」
彼に向け、思いっきり中指を突き立てて見せた。笑顔でファッ○ユー! 殺したいほどあなたが好き、とか軽々しく言ってるその辺のガキ共にこれはあたしからの宣戦布告。『殺したいほど好き』なんかじゃない。『殺せないほど好き』なんだぜ、あたし。
帰路、あたしは小さな猫を殺した。人はなんとかぎりぎり我慢した。
目がくりっと大きい黒猫のふわふわ柔らかいしっぽを掴んで、もぐらたたきのハンマーみたく力任せに地面にぼこすか叩きつけてやった。猫はあっけなく血になった。巣廻くんを殺せる日が来るまで、あたしは猫で練習しよう。地球から猫が絶滅したら、巣廻くんを殺しに行こう。
それまでさよなら、巣廻くん。
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