輝くな、君は美しい

 なんてことのない普段どおりの朝だった。僕は平々凡々、いつもどおりの時間に校門をくぐった。さあこれから特筆すべきでもないような授業が始まる、とか考えていたとき。

「それ、髪、セットしてるの?」

 背後から鋭い一声を浴びせられた。振り返るとでかでかとした腕章を付けた、なんだかぱっとしない感じの女子と男子。ああ、風紀委員か。朝から生活指導、まったくもってご苦労なことだ。

「セットしてるでしょそれ」

「はあ、まあ軽く」

 つんけんした表情で高い声を上げる女の子。男の方は無言で僕をじとーっと睨みながら距離を狭めてくる。なんだなんだ。髪セットするぐらい紳士のたしなみだろう別に。

「そういう個性を出そうとしちゃ駄目」

「いや別に個性ってほどでもないよ」

「鈴木君、やっちゃって」

「了解」

 了解の「い」の音が聞こえるかどうかぐらいの瞬間には、僕は頭から水をかぶっていた。髪の毛からぽたぽた垂れる雫とぐっしょり濡れた体。鈴木君と呼ばれた男子の右手にはバケツがぶらぶら揺れている。全然意味がわからない。

「えと……なにこれ」

「個性を消させてもらったの」

「は?」

「あ、言い遅れたけど私たち、これだから」

 そう言って、二人は自分たちの腕章を僕の眼前にずばっと突き出した。わざとらしいほど息ぴったり。その腕章にでかでかと書いてある文字は。

「没個性推進委員会」

「そ、覚えといてね。義務教育に個性なんか必要ないんだから」

 女子は勝ち誇ったようにそう言い放つと、鈴木を引き連れ颯爽と校舎へ歩き去った。まだ僕は全然意味がわからないままだった。


 ぽたぽた水滴を垂らしながら着いた教室には、僕と同じようにびしょ濡れの男子がぱっと見でも十人ぐらいいて、床板が水拭きした直後みたいに変色していた。濡れた男子たちはみんな、一様に腑に落ちてない表情で教室内をうろうろしていた。なのでそれを見習って僕もうろうろすることにした。

「七月、お前もやられたの?」

 素潜りでもしてきたのかと思うほど水分を帯びた三田が、僕に近寄り声を掛けてきた。

「三田、お前、すごいな」

「いや今日さ、髪いじってたらちょっと調子づいてきちゃってソフトモヒカン的な感じにしてみてたんだけどさ、そしたらこれだよ。バケツで水ぶっかけられてその後ホースでびゃーってやられて」

「なるほど」バケツ一杯じゃ個性が消え切らなかったんだろうなあ。

「七月、あいつらどこのクラスの誰かわかる?」

「うーん、男の方は鈴木って名前みたいだったけどね」

「俺、あいつら見つけてぜってー痛い目見せてやろうと思って」

「そか」

 三田が息巻く気持ちもよくわかる。気持ちが少し冷静になった今、僕だってあいつらに抗議なり報復なりしてやりたいと感じる。でもなあ。なにぶん没個性的でどこにでもいそうな顔立ちの二人だったし、三田の捜査は難航するだろうな、きっと。という僕の予想は大きく当たったらしく、

「七月、あいつらほんとにここの生徒か? よその学校の奴だったりしないか? もしくは幽霊とか」

「よしよし落ち着け」

 ちょっと時間が空く度に校内中を血眼で走り回っていた三田は放課後、僕に向かってそう音を上げた。とりあえずかわいそうだったので頭をなでてやった。

 実は僕は僕で、没個性推進委員会がどんな奴だったか覚えてる奴がいないか、ずぶ濡れ被害を受けた生徒たちに地道な聞き込み調査を展開していたのだ。が、結局失敗に終わった。顔も背丈も特徴も、誰一人としてはっきり覚えていなかったのだ。かく言う僕も覚えていないんだこれが。恐るべし没個性。


 次の日、その次の日と、日を追うごとに被害を受けた生徒は増えていった。髪をざくっと切られた奴なんかざらにいたし(それから考えると水をぶっかけられるぐらいで済んで僕は幸運だった)、またある女の子なんかは鞄に付けていたお気に入りのどでかい熊さんのストラップをバーナーで燃やされたらしい。そのせいで黒く焦げた鞄は逆に強烈な個性を放ってしまっていただとか。

「七月くん、切腹って個性ないと思う? 正直に言って」

 すっかり僕のクラスに馴染んだ一ノ瀬さんが、登校するや否や声を荒げて僕にそう言い、椅子ではなく机にどかっと腰掛けた。しかも僕の。

「なんのこと」

「下駄箱で変な奴らがいきなり、どんな死に方が一番理想なのーとか訊いてきたのね」

「うんうん」

「だからあたし、色々あるけど一番はやっぱり切腹ってばしっと言ってやったの」

「うんうん」

「そしたら、それは無個性でいいねーって」

 さて意気揚々と腹を切りたがる女子中学生のどの辺が無個性なのか。

「この国のオーソドックスな自決の仕方だから切腹はありきたりだって言うの。信じられる? あたしもうすっごい侮辱された気分でさー」

 なんで侮辱された気になってるのかその感情の流れはわからない。あと没個性推進委員のずれた日本観を持つ外人(フジヤマゲイシャハラキリ)的な価値観もまたよくわからない。でもただ一つわかっていたのは、一ノ瀬さんのその雪辱を晴らす術は僕の中ですでに整っているということだ。

「なに笑ってんの七月くん。え、切腹を侮辱」

「してないです」


 待ちに待った昼休み。僕は鞄を持ってトイレへ走った。

 さて数分後。

 僕は真っ赤なワンピースを着て、テンガロンハットをかぶり、バカみたいにでかいサングラスを掛けてトイレから登場した。生徒たちの好奇の目線をいともせず(というかサングラスのせいでよく見えてなかっただけだけど)僕はしゃなりしゃなりと優雅に廊下を闊歩した。

「七月、お前、なんか悩みあるなら言ってくれよ」

 途中出会った三田が僕の肩をがくんがくん揺すりながら言った。うん、いい友達だ。

「違う違う。三田、僕わかったんだよ」

「なにがだよ」

「どこにいるのかわからなくても、こっちが個性出せば敵は向こうから食いついてくるはずだって」

 三田の眉がみるみるハの字に変化していくのが見えた。僕の言ってる意味がぴんと来てないらしい。

「まあとにかく。いつぞやの仇は僕がびしっととってくるからね」

「七月……いつでも頼っていいからな」

 僕はよき友と意思が疎通しきれない歯痒さを感じながらも、その場を後にした。僕には行くべき場所があったのだ。校内で一番、個性ある場所。


 大きな椅子にどっしり腰掛け、ものものしい机の上に足をどでんと預けることほんの数分。重い扉の音と共に、奴らはついに現れた。そして僕に予想通りの第一声を投げかける。

「個性的過ぎ」

「そうかな?」

 僕はわざととぼけてやった。そりゃ個性的過ぎるだろう。この部屋はなんてったって天下の校長室だ。こんなところでこんなかぶいた格好してるわけだから、もう個性的というか変だろう僕は。

「それ脱いで、ここから出なさい」

「やだね」

「鈴木君、やっちゃって」

「了解」

 言うが早いかずかずか僕に近づいてくる鈴木。ひるまずそこで僕は立ち上がる。

「委員長さん。君は僕がこれ脱いで部屋から出りゃ無個性になると思ってるんだね」

「当たり前じゃない」

「ふうん。委員長さん、名前は」

「田中」まあそんなもんだとは思った。

「田中さん。僕の名前知ってる?」

「知らないし興味もない」

「七月って言うんだよナナツキ」

 田中さんの息を飲む音がはっきりと耳に届いた。僕からワンピースを脱がそうとしていた鈴木の動きも止まった。僕は余裕綽々で赤ワンピースその他全部脱ぎ捨ててやった。

「没個性推進委員会は、どうやって僕のこの個性を潰すのかな?」

 僕が喋り終わる前に、田中さんは唇を噛み締めながらものすごいスピードで走り去っていた。それを追って鈴木も走り、部屋から消えた。勝った。僕は勝利の余韻を味わいながらゆっくり再び椅子に腰を下ろした。

「君は、パンツ一丁で、私の椅子に座って何してるの」

「あ、すいません」

 入ってきていた校長に怒られ僕はすごすご退散した。


 翌昼休み。僕はまたしても真っ赤なワンピースで校長室にいた。

「こんにちは七月くん」

「おい、あれ、どういうことだよ」

 ドアが開いた瞬間、僕は食って掛かった。田中さんは昨日の悔しそうな顔はどこへやら、むちゃくちゃ余裕の笑みを浮かべていた。なぜか隣りの鈴木も笑顔。

「どういうことってそのままじゃない。私の父とあなたの母が結婚するってだけでしょ」

「だけで済まされないだろそんな」

 昨夜、夕食の席で母が突然、田中という男性と再婚するかも知れないという爆弾発言と、自分が数時間前にどれだけ運命的な出会いを成し遂げたか顔を赤らめて僕に語りだしたのだ。その時はさすがに度肝を抜かれて、僕はちょっと泣いた。

「没個性推進委員会の恐ろしさがわかった?」

「恐ろしさっていうか、ほんとに結婚しちゃったら田中さん、僕と兄妹になるんだよ?」

「いとわない」

 いとえよ。というかまあ別に僕もいとういとわないの議論をするためにわざわざ再度ここにかぶき者として登場したわけじゃない。

「田中さん」

「なに、弟」兄妹だからって弟って呼ぶのはどうなんだ。いやまだ兄妹ではないけど。

「僕、下の名前、那由他なゆたっていうんだけどさ」

 息を飲む田中さんと合わせて息を飲む鈴木。

「いや、それも……私たちが、どうにか、無理やり改名させたりするから」

「うん、いやそれはそれとして、僕が話したいのは別の話っていうか」

「なに」

「個性的っていうのはさ、少数派かどうかっていう判断で成り立ってるわけでしょ二人の中では」

 僕は机に肘をつき、前に体をぐっと乗り出して二人に語りかけた。

「どういう意味」

「たとえば僕の名前、那由他っていうのは珍しい、数が少ない名前だから個性的、そう思ってるわけでしょ。逆に数が多いのは一般的だって」

「……そうね」こくりと頷く田中さん。

「じゃあさ、生きてる人と死んでる人、どっちが一般的?」

「は? 生きてる人に決まってるじゃない」

「うん、違うんだよねそれが」

「どこがよ。その辺見たって死体なんてめったにないじゃない」

「そうじゃなくて、もっと大きな視野で見てみてよ。いい? 人類の歴史から見て、今現在生きてる人間と、今までに死んでいった人間、どっちの方が数が多い?」

 二人は思案し、みるみる顔色を変えていった。

「うん、実はまだ死んでない僕らの方が、広い視野で見れば少数派ってわけ。生きてるほうが珍しいんだよ変な話」

 ちなみにこれは一ノ瀬さんが僕を自殺に誘うときに論じた話だ。死んでる人の方が多いんだから死んだ方がいいよっていう、日本人の民主主義性を絶妙に突く論法だった。いや、詭弁だけどね。

「でも田中さん、だからって全員が死ぬわけにはいかないでしょ。僕の名前の話もそうだけど、細かいこと言っていったら全員が全員一律の没個性になるなんて不可能なわけ。個性があってこそ没個性が輝く、そして逆も然りなんだから。だからさ、そんなバカな活動なんかもう辞めて、今この時代に生きてるっていう個性と喜びを深く噛み締めて、一人ひとり空の星のように違う輝きを見せていくために、僕らは手を取り合ってこの学びやで勉学に勤しんでいくべきなんじゃないかな」

 僕は完全に己の饒舌っぷりに酔っていた。話してる内に感極まって噴出した涙を拭い、目を開けると、そこには二人の姿はなかった。

「君は、おかしな服装だが、良いことを言うね」

「あ、ありがとうございます」

 入ってきていた校長に拍手を送られながら、僕はすごすご退散した。


 さてそのあと没個性推進委員会はどうなったかというととても単純で、授業中に二人とも教室で切腹して死んだそうだ。普通ってことで授業中の教室を選んだんだろうけど、そこに切腹が入ると化学反応が起きるということまで気が回らなかったらしい。

 結果的に、二人はとっても個性的なカップルとして(心中だと思われたらしい)我が校のみならず全国に名を馳せることになってしまったんだとか。なんともバカバカしい結末だ。

「切腹、先越されちゃったよー」

 と一ノ瀬さんがびーびー騒いでいたが、まあそれはまた別の話ということで。

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