心中コンテンポラリーデイズ
「ねえ七月くん、心中しない?」
昼休みの教室。いつもどおりぼんやり窓の外を眺めていたら背後からそんな物騒なことを言われた。振り返るとなんだかやたら元気そうなショートカットの女子が立っていた。
「えっと、誰?」
「あ、あたし一ノ瀬。一ノ瀬千歳、隣りのクラスの。はじめましてー」
「あうん。はじめまして」
屈託なくにこにこ笑うその口もとからは、ちらちら八重歯が覗いている。見れば見るほど健康少女っぽい。多分陸上部とか女バスとかだろうなあ部活。
「えっと、で、なに?」
「うん。心中しようよ、あたしと」
「はあ」
一ノ瀬さんは笑顔でぐいぐい僕の腕を引っ張る。この積極性と明るい笑顔からは全然自殺願望が見えてこない。
「あの、えっと一ノ瀬さん」
「あ、千歳でいいよー」
「うん、いや、一ノ瀬さん」
「なに?」
「えっと、なんで僕?」
「うーん」
一ノ瀬さんは僕の隣りの席(佐藤さんが転校してからいまだ空席だ)にどっかり座って肘をつき、しばらく宙を仰いだあと、「優しそうだから」と言った。とってもありきたりな感じはするけど、言われて悪い気はしなかった。ていうか普通に嬉しかった。
「あのね、みんな言ってるんだよー、あたしのクラスの子」
「え、何を」
「心中するなら相手は七月くんだよねーって」
何を話してるんだ隣りのクラスの女子たち。てかこれは僕モテてるってことだろうか。なんかあんまり嬉しくないなあ。
「で、他の子が七月くんと死んじゃう前に早めに声かけなきゃーって急いできたの」
「はあ」
「あ、もしかして、もう相手決まっちゃってるとか……?」
「いや決まってないけど」
「よかったー」
露骨に嬉しそうな様子を見せる一ノ瀬さん。
「ね、じゃあ、あたしと心中しよう」
「え、うーん」
こんなに目をきらきらさせて僕と死にたいなんて言ってくれるとは、嬉しいを通り越して正直ちょっと不気味だ。ていうかこの子、うんって言ったら今すぐ死ぬんだろうか。そんなデンジャラスな精神状態には見えないけどなあ。
「どうする? どういう死に方にする?」
「あ、えーっと一ノ瀬さん、それって急ぎなの? 返事は今すぐじゃないと駄目?」
「え、いや、ううん。……でも出来るだけ早めに返事欲しい」
うーん。こう潤んだ目で見つめられると、今すぐ返事しないと悪い気がしてしまう。こんな普通に可愛い子が他でもない自分を選んでくれてるのに何を悩んでるんだ僕は。いや、でも一生に一度の選択なんだからここは慎重にいかないと。うーん。
僕が無言でじっと考えていると、昼休み終了を知らせるチャイムが鳴り響いた。それを合図に一ノ瀬さんはため息一つつくと重々しくゆっくり立ち上がり、教室から出るべくとぼとぼ歩き始めた。その背中に向かって慌てて呼び止める。
「あ、一ノ瀬さん」
「え?」
振り返った彼女の表情からは、最初に僕に見せた健康優良児的笑顔はすっかり消えていた。なんだか罪悪感。
「えっと、一つ訊きたいんだけど」
「なに?」
「一ノ瀬さんは、えっと、その、僕が好きってことだよね?」
我ながらあまりに恥ずかしい質問だったので、最後の方はかなり小声になってしまった。
一ノ瀬さんは数秒間、じーっと僕を見つめたあと、
「ううん」
と小さく首を振り、教室から出て行った。
残された僕は国語辞典を取り出し、急いでページをめくった。
心中。相愛の二人が一緒に自殺すること。情死。転じて二人以上で一緒に自殺することにも用いる。
肩の力が大きく抜けた。僕はてっきり心中っていうのは恋人同士で死ぬこと限定だと思っていた。僕の考え方は古かったのか。現代社会ではもう気持ちとか情とか関係なく、ただ誰かと一緒に自殺することを全部心中って言っちゃうわけだ。これを知ったら門左衛門は泣くだろうなあ。
とにもかくにも一つ結論が出た。別に僕はモテているわけではない。「好きだから」とかじゃなくて「誘えばすぐ一緒に死んでくれそう」みたいなふわふわした理由で選ばれたんだろう。隣りのクラスの女子からなんとなーく手ごろな男に見えてるんだ僕は。なんか考えててだんだん腹が立ってきた。僕ならお人よしでバカっぽいから簡単に引っ掛けられると思ったのか。誘えばほいほい死ぬと。遊びで心中するにはもってこいだと。うわ。
「それは違うよ七月くん」
放課後、再び隣りにやってきた一ノ瀬さんは僕のほとばしる不満を聞いてそう言った。
「いや、まあでも、そんな風に思わせちゃったあたしが悪いね、ごめんね」
ぺこん、と心からすまなそうに頭を下げる一ノ瀬さん。クラスの連中はみんなさっさと帰ってしまっていて、あっという間に教室は僕たちだけになっていた。
「でもあたしも、別にそんな軽い気持ちで言ってるわけじゃないよ」
まあ、そりゃ軽い気持ちで自殺しちゃ駄目だ。命は大事にしなきゃ。
「じゃあ一ノ瀬さんは、本気ってこと? 僕と心中したいっていうのも」
「もちろん」
強く頷く彼女のよどみない目。訊いといてなんだけど、なんか恥ずかしい。
「だって七月くん優しそうだし、それなりにかっこいい方だし、死に方とかも一緒に真面目に考えてくれそうだし、それに、あ、これが一番大事なんだけど」
「うん」それなりかあ。まあ喜ぶべきではあるよなあ。やったー。
「例えば一緒に首吊ってあたしが先に逝っちゃったとしても、一人でずるして途中で縄解いたりしないで一緒に死んでくれそうだし」
「……はあ」
「飛び降りとかして万が一打ちどころ良くて七月くんだけ助かっても、後追ってきちんと死んでくれそうだしお腹とか切って」
一ノ瀬さんはまっすぐ僕を見つめて熱弁する。果たしてこれは僕は評価されてるんだろうか。飛び降りした後に引き続き切腹する自分を想像するとなんだかシュールだ、すごい死にたがりみたいで。切腹でも死ねなかったらはらわた出したままもう一回飛び降りしたりして。
「ねえ聞いてる?」
「あ、うん聞いてる」
「じゃあ、あたしの気持ち伝わった?」
「うん、まあ」
「じゃあ死ぬ?」
「それはまだちょっと」
「うーん、そっかあ、うーん……」
途端に一ノ瀬さんは電源がオフになったみたくしょんぼり黙り込んでしまった。
「あ、なんか、ごめん。なんか」
「ううん別いいんだけど……他の子に取られちゃわないか心配だなーって」
「いや、そんな心配いらないってば」
「じゃあ、もし心中するなら迷わずあたし選ぶって約束してくれる?」
「え、はあ、うん」なんだこの特殊な会話。
「ほんとに?」
「まあ」
「ほんとのほんと?」
「ほんとのほんとっていうか、まず僕を奪い合うような状況が来ないから」
「来るよ絶対」
「いやいや」
「来るよ絶対」
翌朝、教室に入ると僕の席の周りに二十人ぐらいの人だかりが出来ていた。
「なにこれ」
そう呟いた僕を見つけるや否や、あっという間に人だかりが僕に群がった。
「七月くん、私と一緒に死んで」
「お願い、私と飛び降りて」
「私、死に方は七月くんに任せる」
「一緒に手首切ろ。ナイフ持ってきたから」
「私もう切ってきちゃったから七月くんも早く自分の手首切って」
「七月くんの首周りにぴったりの縄、編んできてるの」
「七月くんの致死量ぴったりの砒素、用意してきてるの」
「七月くんが絶命するのにぴったりの電圧のスタンガン、買ってきてるの」
「七月、先生と一緒に死んでくれ」
これでもかと浴びせられる死の誘い。四方八方から引っ張られる腕、足、首、体。目の前に次々差し出されるナイフやら斧やら日本刀。僕はたまらず叫ぶ。
「ちょっと、あの、ちょっとみんな聞いて」
「七月くん」
「七月くん」
「首を」
「腹を」
「血が」
「死ぬ」
「聞いて落ち着いてみんな」
「七月くん」
「七月くん」
「私と」
「私と」
「私と」
「私と」
「いぃいぃからぁ聞けぇっ」
僕は机の上に飛び乗りあらん限り叫んだ。
しんと静まり返る。ゆっくりチャイムが鳴り始める。
「…………えっと、まず、僕の考えというか気持ちを聞いてもらいたいんだけど」
虚ろげに僕を見上げる人々。関係ないクラスメイトもみんな僕を見ている。
一息ついて。
「僕死ぬ気ないから」
言ってやった。周囲の口という口が、一斉にぽかんと開いた。
「いや、だって死にたくないもん全然。心中とかしないよそんな、バカバカしい」
四方を見下ろし見回しながら、一人一人にしっかり意思を表明する。長いチャイムがようやく鳴り終わる。
「あ。だからって無理心中とか、駄目だよ。そういうことしようとしてきたら殺すからね本気で。一人で逝ってもらうからね」
あらんかぎりの威嚇と殺意を体中で表現して見せる。ひるむみんな。
「……以上です」
僕は、ふうと小さく息を吐き、ゆっくり机の上から降りて席に着いた。周りの人ごみはそんな僕を見つつ、じわじわ、ぢりぢりと散りながら、口々に小さくざわめき出した。
「死なないんだ」
「がっかり」
「死にたくないんだ」
「信じらんない」
「せっかく切ったのに」
「意味わかんない」
「冷めた」
「チキン野郎」なんとでも言え。僕は死なない。
自殺志願者の群れはぶつぶつと執拗に僕を罵倒しながら、ゆるやかに教室から消えていった。僕は勝った。
「ほら来たでしょー、奪い合うような状況」
放課後、やっぱり僕の隣りにきた一ノ瀬さんは勝ち誇ったようにそう言った。
「でも七月くん、他の子選ばないで、死なないでいてくれたんだね」
「ああ、うんまあ」
「約束守ってくれてありがとう」
一ノ瀬さんは八重歯を覗かせて嬉しそうに笑う。約束守るために死を選ばなかったわけではないんだけど、まあいいや。
「あ、そうそう、あたしね」
「うん」
「明日からこのクラスに入るんだ。よろしく」
「ん?」
「いや、あたしのクラス、みんな死んじゃったから今日」
「ん? え?」
「七月くんにフラれた子みんな、クラスの男子とぼろぼろ心中してっちゃって。自棄になったのかなーわかんないけど」
「はあ」
「六時間目とかあたし一人で受けてたんだよ教室の真ん中で」
なるほど、どおりで放課後が近づくに連れて壁の向こうの生気を感じなくなってきたわけだ。もしかして僕、悪いことしちゃったんだろうか。罪悪感がむくむくと。
「で、明日から一ノ瀬は隣りのクラスに入りなさいって副担任が。あ、担任も死んじゃったからね。フッたでしょ?」
確かに一人、先生をフッた覚えはある。ああ罪悪感が。
「あ、でも七月くん、罪悪感感じることないからね全然」
「うわ、見透かされた。いやでも、なんか実際僕のせいでみんな」
「違うよ。みんな本気じゃなかったってことだよ。死ぬ気ないって言われたらすぐ諦めて手近な男とほいほい心中なんてさー、むかつくよね。そんな半端な気持ちで七月くんに近寄んなっつーの」
一ノ瀬さんはぐっとこぶしを握り締めて、本当にちょっと怒りに体を震わせていた。それを見て、なんだか嬉しさを感じてしまった。変な話、一ノ瀬さんとなら一緒に死んでもいいかなあなんて思いも。
「で七月くん、死ぬ気にはなった?」
「いや、まだ全然」
翌日から彼女は宣言どおり僕のクラスに入った。そして大方の予想に反することなく、僕の隣りの席に座ることとなった。
「死ぬ? もう死ねる?」と授業が終わる度に笑顔で尋ねられたり「早く死のうよー」と書かれたちっちゃいメモが授業中配送されるようになったけど、僕はまだまだ元気に生きています。かしこ。
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