第4章 「去りてまた遭う」 第1話 幼心1
寝床についていると突然脳がぐらぐら回る、ごっそり掴まれて振り回されているような、かなり強烈な動きだが、嫌な感じではない。すると私は異なる周波数を感知して、彼らの存在がわかり交感することができる。
薫がベッドのふちに腰かけて姉である私を見ている。男か女か、子供か大人か、それを反映することはできないらしい。でも私にはわかる。この子は父に似ている。眉が太く眼が丸い、いわゆる縄文風。私の髪に混ざっている一束の美しい白髪をなでてくれる。
「へ~い、薫だね、おはよう。やっぱり会えた。このごろ、なんだか思われてならなくて。ここに居たんだ。いつも気づかなくてごめんね」
薫がうなづいてにっこりするのが見える。そこへ足音もたてずに姿が近づいた。
「あ、忍かしら、元気? 元気ていうのも変だけど、ふふ」
忍は時には大きい体格のようにも、ふっくらとした幼児のようにも見える。弟の和夫に似ている。忍が私を起こそうとするのに任せながら、私は尋ねた。
「和夫兄さんは何してるのかな。よそに行ってるの」
忍は色白の顔でうなづく。
「孫を見に行ってるよ」
不思議な音波に乗って声が聞こえる。
「そうよね、たくさん心残りがあるから」
私の弟はもういわゆる鬼籍にいる。まだまだやることがこの世にたくさんあった年齢なのに、すべてを手放した。もう十分だよとでも判断されたのだろうか。
スリッパも履き忘れ、私は薫と忍と前後しながら、寝室からキッチンへ廊下を進んだ。彼らの気配が花のように、そよ風のようにすぐそばにある。
「みんな~、私のはらから、どこで遊んでるの。久しぶりに一緒にブラックファーストしようよ」
桂と礼、5人目は翠、呼びかける間もあらばこそ、すでに私の両肩と、頭の上に3つの波動がくっきりと浮かんだ。五人もの名前を覚えるのは普段はできないのだが、彼らの姿全体がその名前そのもののようにも見えるので、忘れようがない。
私の見える光線の幅は尋常ならば七色の範囲なのだが、今日のような日にはかれらの特別に細かい周波数を感じる。ただ集中しさえすれば、桂の巴旦杏のような瞳がくっきりと見え、黒髪が柔らかに波打っているのを、触れば感じるのだ。
礼はふだんは恥ずかしがりのように思える。でも今日は私の左肩に安らってそのあるかなきかに柔らかいほほをすりよせてきた。遺伝子的には男女は決定しているのだが、私に感得できるかぎりでは区別がない。二歳くらいの幼い子供の匂いを思わせる。
翠の小さな両足が額からぶらぶらしているのをかきわけながら、私は姉らしく朝食の支度をした。
「洋食でいいかい?」
私が珈琲をつくりながら尋ねると、五人は鈴のように笑った。そうだ、かれらは食べるまねをするだけだ。かわいらしい服を身に着けているかのようにふるまうのだ。
母が喜びにうちふるえながら迎え入れた父の精子たち、父が命の喜びに達したときに自由を得て卵子まで走りだした。ついに生まれ得なかったときに両親がいかに苦心して、5人もの中性的な名前を考えたかが想像できる。目の前にいる姉と兄のように、かわいらしい子供でありえたはずと思って、悲しみに両の拳を震わしたことだろう。
しかしながら、いつのまにか長い間、半世紀以上もだれも五人のことに触れなかった。私にしても知ったのが三十年前であった。それからも無視して過ごしていたのだ。この子たちには、人と知り合う機会もなかったから、両親以外にまず近しいのは血のつながるはらからであったのに。
こんな風に共に彼らと過ごすようになったのは、私が枯れ木に一枚のこった朽ち葉のような寡婦になって、一人暮らしになって以来である。頭がおかしいとも言う人もいるだろうが、何事にも正常に反応できる、少しぜんまいが緩んで速度が遅いだけ。耳の中に騒がしい風がいつも鳴っているので、聞き間違ったり、聞き返したりするのは八十歳にちかくなれば普通の現象として。
彼らは音楽が好きだ。色も好きだ。どちらも波動なのだから彼らが認識して当たり前なのだ。私は専門家ではないが、楽器の音や、和音やあるいは不協和音、ともかく空気の振動に変わりはなく、それがたのしい。
お琴でチリチリと弾くと緑色のうす布がひらりと動く。するとそれは翠だった。全部の弦を琴爪でかきならすと、青から赤までのあらゆる紫色が楽しそうにはねる。それは桂と礼と薫が爪先立ちでくるくるくるくる、そこらを回っているからだった。エレクトーンでいろいろな楽器の音を聞かせる。意外にも忍は打楽器が気に入っている。その振動に体を任せ部屋中をはねまわった。
どんなに楽しく愛らしいか、あまりに愛らしくて涙が流れる。
私はもっと待っていた。ひそかに卵をあたためる鶏のように待っていた。
このチャンネルをただしく調整して待っていれば、きっともっと楽しくなるはずだ、それを、双葉からみるみる茎と葉と、蔓が伸びていくのと同じように待っていた。
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