この世の花に魅せられて、今はあの世で生き候

龍玄

第1話 三途の川の渡し船

 「龍之進…龍之進」


 微かに私の名を呼ぶ声が聞こえる。

 遠く、遠く、ふわふわとした、心地よい囁きだ。

 夢なのか、現実なのか。声のする方に目をやる。

 空気が揺らいでいる、緩やかな渦をなしながら。

 渦はゆっくりと龍之進へと近づいてくる。

 靄が大蛇のように纏わりつき、離れない。全身を覆い尽くす。

 ガクン。

 後頭部が抜け落ちていく感じがした。

 ズトーン。

 谷底に落ちていくような感覚に襲われた。

 漆黒の闇に。薄皮が剥がれるように落ちていく。

 ふわっと体が浮いた、真綿の雲に包まれるように。

 次の瞬間、強烈な閃光が音もなく目を覆った。

 白い閃光は、急速に渦の中心に吸い込まれ、朝陽が水面を照らす如く、

 優しく白い世界を形成し始めた。

 光の球体が現れた。核に人影が。周りを後光が包み込んでいく。


 「なんと、高貴で穏やかなんだろう」


 龍之進は、その心地よさに酔いしれた。何が起きているのか…。


 「龍之進…龍之進」


 誰かに呼ばれている。目を覚まさなければ。

 重い瞼を押し開けると、見知らぬ僧侶らしき者が居た。

 目を凝らしても、輪郭のすべてが霞んで見えた。


 「我は、大言厳法師と申す」


 なんだこの包容力、安心感は。落ち着いて気づいたことがある。

 大言厳法師と名乗る人物は、宙に浮いている。

 なのに、この違和感のなさは何だ?

 龍之進は、摩訶不思議な感覚に包まれたまま、彼の話に聞き入った。


 「そなたにはまだ理解できぬだろうが、足元を見るがよい」


 今まで気づきもしなかったが、龍之進も浮いていた。

 その足元には…

 はぁぁぁぁああ…

 ミイラ化した男が、背を大木に寄りかかり、朽ち果てていた。


 「驚くは、仕方あるまい。それが、そなたの今の姿じゃ」

 「わ・わ・わたしは…そんな…まさか…死んでいるということか?」

 「そうじゃ、受け入れがたしも無理はない」

 「信じられない、いや信じたくない。ほら、今、こうしてあなたと…」


 そう、龍之進は、紛れもなく宙に浮いている。

 ということは…はぁぁぁ、これが現実なのか?

 自覚もなく、息絶えたということか?


 「酷なようだが、その亡骸に触れてみよ」


 そう言われても…。法師が小声で何かを唱えた。

 すると恐怖心や躊躇いが消しさられた。手を近づけてみた。

 手が震える感触に反して、空気を掴むように亡骸を摺り抜けてた。

 木も土も葉も、全てに感触がない。

 認めざるを得なかった。

 肉体を失い、霊的存在になったことを。

 これが私の人生か、儚いものだ。


 変わり果てた亡骸を見ていると失望の笑いが、くすくすと込み上げてきた。

 虚しい、虚し過ぎるではないか…。

 暫し呆然とし、動けなかった。

 如何程、時が経ったのか、要約自らの立場を受け入れられるようになってきた。


 「さて、そなた、どうなさるかな」

 「どうなさるって、どうにもならない。それとも、あなたがどうにかして下さるのか?」 


 龍之進は、行き場のない自らの存在に、少々苛立ちをみせていた。


 「そなたが望むなら、選択肢はある」

 「選択肢?」

 「このまま霊界に赴き、転生する道。霊的を放棄し、魂として半永久に我らと共に過ごす道」

 「意味が分かり申さん」

 「分からぬは自然の理。簡易に言えば、肉体を持つか否かじゃ」


 龍之進には、まったく意味が分からなかった。

 法師は、続けて言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る