第8話

「へぇ、割りと綺麗な部屋で良かったな」

安い所を探して入ったので感じたままの感想を言ったがベッドが一つしかないのは宿泊料が安いからだろうか?


そもそも俺にはまだ人間の価値観がよくわからないので大して気にも留めなかったが杏奈はちょっと違った。


興味津々といった感じで部屋のあちこちを見て回りながらいちいち声を出しては大騒ぎしている!

俺は浴槽にお湯を適当な温度で溜め終わると少しだけ落ち着いてきた杏奈に先に入るように勧めた。


出て来た彼女のバスローブ姿を見て下着だけをリュックから取り出した俺はバスルームに向かった。


明日はどんな行動予定にするかを思案しながら入浴を済ませて出て来ると杏奈はソファーに座りテレビを観ていたが俺に気づくとベッドに移動し、布団を剥いで寝転び隣りに来るようにと手で合図した

男と女が一緒に寝るのがどういうことなのか知ってはいるが、兄と妹の場合はこれが普通なのだろうと思い素直に彼女の隣りへと並んで寝転び布団を被った。


犬であった頃は美希に抱え上げられ一緒にベッドで眠ったものだが人間となってから2人で寝るのは初めてだったので懐かしさもあるが多少、居心地が悪い・・・

きっと身体が急に大きくなったからだろうと思った。


次の日の予定をお互いに話し合ったり、彼女の風貌や特徴などを質問されて答えてるうちに2人とも疲れもあり自然と眠りに落ちたらしい・・・


目が覚めた時はお互いの顔が目の前にあった!

杏奈から昨夜、泊まった場所がどういう場所だったのかを聞かされたのは外に出て朝食代わりのパンを食べながらコーヒーを飲んでいた時のことだった。


確かに寝るだけなら設備の行き届いていて面倒な手続きも必要じゃない場所ではある。


「俺はここで花束を添えに来る人を待つことにするよ」

路地側にあるコンビニ前のベンチにリュックを下ろして腰掛けながら言うと

「私もバロンと一緒にここに居てもいいかな?」

杏奈はリュックを背負ったまま遠慮深そうに訊いた。


俺がベンチに置いたリュックを持ち上げ足元に置き頷くと嬉しそうな表情を浮かべた彼女は同じようにリュックを足元に置くと隣りに腰掛けた。


いつ現れるかわからない待ち人を待ちながら取り留めもない会話で時を過ごしたが杏奈は何かを話し出そうとして切り出せない・・・そんな感じがした


時間は十分にあるだろうからと無理に問い掛けることもせずに話しているとしばらく無言が続いた後に俺の方へ向き直ると真剣な表情で杏奈は話し出す。


「最初はその顔を見るだけで嫌だったけど顔は同じでも眼差しが優しくて声が同じでも喋り方が兄とは違う」

「きっとそんなバロンを飼い主だった美希さんはとっても大切に思っていたんだと思う・・・」

「自分が大切に思う存在が突然、自分の前から消えるってことは一体、どれほど悲しくて寂しくなるんだろうね?」

言葉を一つ一つ選ぶようにゆっくりと話す杏奈はあの頃の彼女と何だか似ているような気がした。


あの頃の美希も誰かを悪く言わないように気を付けながら自分の気持ちを俺に対して正直に伝えようとしていた

誰かに話せば少しは楽になるのだろうと俺は思っていたが誰でも良かった訳じゃなかったのだ!?

杏奈が話す真剣な表情を見ながら俺はそのことに今になり気づいた自分を情けなく思った。


「だからね、今のうちに言って置きたいの」

「す、すごく変かも知れないけど私はバロンのこと・・・」


杏奈の話を聴いていた俺の視線の先に美希の姿が見えた!

その手に小さな花束が握られているがその腕は隣りを歩く母親に掴まれ、支えられているように見える。


「来たっ!」

思わず立ち上がり叫ぶように言ってしまった俺の声に言い掛けた言葉を胸に仕舞い込んだ杏奈も俺の視線の先を追い掛けるように振り返った。

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