第5話

「こんなに早い時間に行かなくてもいいじゃない!?」

家からここまで懸命に走って来たのだろう・・・

杏奈は息も途切れ途切れに責めるような目で俺を見た。


「この先、俺がどうなるか想像も出来ないんでどんな別れを告げればいいのかわからなかったんだ」

ここまで走って来た杏奈を気遣い今度はゆっくりと歩きながら俺は言うと

「静かに出て来たつもりなんだがよく気づいたな?」

準備でもしていたのだろうか、リュックを背負いながら歩調を合わせて歩く彼女に訊いた。


「お母さんが教えてくれたの」

「バロンが出て行ったみたいだからついて行くように言われ、慌てて起きて走って来たのよ」

この身体が持つ翔太という名前ではなく犬であった頃のバロンという名前で呼んでくれるよう頼んでいた。


飼い主であった美希から日に何度も何度も呼ばれていたその名前が俺はとても大好きだったのだ!


「そうだったのか、まだ人間の社会には不慣れな部分が多いから一緒に来てくれると確かに助かるんだけど杏奈に色々と迷惑を掛けることになってごめんな」

俺は彼女に素直な気持ちで謝った。


「いいのよ!」

「私が見たのはお母さんが兄さんの首を絞めてる姿だった」

「兄は苦しそうにもがきながら暴れててお母さんは涙を流しながら私の顔を見たの・・・」

「私は暴れる兄さんの身体を必死で押さえ付けた!」


「動かなくなってもずっと押さえ続けてた・・・」

「私も正直に言えば死んだバロンが犬から兄さんの身体に乗り移ったとは信じられない」

「私のお母さんもきっとそうだと思うからバロンがこの先どうなるのかを確かめたいんじゃないかと思う」


「私は何ヶ月も一緒に暮らしたバロンが人間へと姿を変えて飼い主さんだった人の前に現れたらどうなるのか興味あるし彼女に信じてもらえるように協力したい!」

「信じてもらうのは結構、難しいと思うわよ」


敢えて明るい口調で話そうと試みてはいるが杏奈が抱える罪の意識は俺の姿を見る度に繰り返されるのだろう?

悪夢のような記憶と言うものは忘れることが出来ないだけに人の心を苦しめ続ける。


この世を自在に操れる神が居るとするならばどのような結末を望み、このような状況を作り出したのか?

俺は並んで歩きながら杏奈の手をそっと握った・・・

懸命に堪えていたものを吐き出すような嗚咽を漏らし寄り添うと握られた俺の手を強く握り返した。


駅に着いた2人は俺が感じる方角を地図で確認しながら乗り込む列車の時刻を確認すると途中のコンビニで買ったパンを朝食代わりに食べながら待つ・・・

どんな因果を含んでいようと相棒が居るのは嬉しかった。


始発列車に乗り込むと俺が見覚えのある景色を探しながら車窓から外を眺める隣りで歩き疲れたのか、杏奈は静かな寝息を立てながら深い眠りに落ちていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る