第2話・5月31日(日曜日)Ⅰ

ぶちこんでやろうと思った。

日野元杏奈(ひのもとあんな)に一発ぶちこんでやろうと、桜は思った。


フルフェイスマスクが擦れるほど近くにある地面から、乾いた土の臭いが漂ってくる。太陽光線が迷彩服越しに背中を焼く。

どうして自分は今、フルフェイスマスクをつけて迷彩服を着て、馬鹿みたいに重いスナイパーライフルを構えて土臭い地面にしゃがみこんでいるんだろ、と桜は自問し、どう考えても杏奈のせいだな、と自答する。

風がそよそよと流れる。


どうせ暇でしょ桜ー、サバゲーの人数足りなくなったから来てよー。と受話器越しに喋る声が桜の鼓膜で反響し、グリップを握る手に力がこもる。

杏奈からの誘いがなければ、今頃桜はテレビの前に座り込んで『きんいろペンギン5th Anniversary the gold moon』を観ていたはずだった。

迷彩服の代わりにきんペンのあやっぺ生態記念Tシャツを着て、スナイパーライフルの代わりにペンライトとあやっぺの応援うちわを握り、あやっぺの歌唱パートに合わせ狂ったように腕を振っていたに違いなかった。

目を左右に動かす。

ゲームが始まって5分は経っているはずだが、周囲に未だ人の気配はない。

感覚を研ぎ澄ませながら、桜はこの一ヶ月を思い出す。


思えば、バイトに塗りつぶされた一ヶ月だった。きんペンのライブB Dを買うため、自分は狂ったようにバイトをした。寄り道もおやつも我慢し、行き遅れの店長からの横暴に耐え、突然のシフト変更にブチ切れながら、雀の涙のバイト代をためにためて手に入れた虎の子の2万円。

それは十秒の取引で二枚組のB Dに変わった。

血と汗と涙で作られた2万円のB D。

今日は、そのB Dがようやく届く日であって、記念すべき初お披露目会当日だった。

だったのに。

ぎゅう、と握りしめた勢いで引き金を引きそうになり、桜は慌ててグリップから手を放す。照りつける太陽と、眼前の葉から漂う青臭い森の臭いが、桜のストレスを増幅させていく。


この日のために、と桜は思う。

この日のために、前々から自作のうちわを作り、ペンライトを買い替え、UFOキャッチャーでゲットしたあやっぺTシャツを着込んで眠りについたというのに。

寄り道もおやつも我慢し、店長からの横暴に耐え、突然のシフト変更にブチ切れながら、バイト代をためにためて手に入れたのに。

日曜日が終わって月曜日が来れば、再び悪夢が帰ってくる。桜の部屋にかけられたカレンダーには『バイト』という殴り書きとそこから伸びる矢印が、6月全てを埋め尽くすようにして広がっている。7月に開催されるきんペンのライブ遠征の資金繰りのために、桜は再びバイトの戦場へと身を投じる必要があった。

今日を逃せば、次落ち着いてお披露目会ができるのはいつかわからない。


だというのに。


だというのに!


杏奈のアホぉ!


お願い、桜。という杏奈の声が、桜の鼓膜で反響し、

桜は地面に顔を埋め、駄々をこねる子供のように手足をバタバタさせる。

杏奈の『お願い』に自分は逆らうことができない。お出掛けだろうがサバゲーだろうがもしくは人殺しだろうが、杏奈に『お願い』されたなら手伝ってしまうだろう。

わかっててやっているなら、杏奈は本当に良い性格をしている。


そういうわけで、杏奈に一発ぶちこんでやらなければ気が済まなかった。あやっぺとの時間を奪った責任を取って貰わねばならない。

スナイパーライフルでは満足感が足りない。それよりは、サブウェポンのハンドガンが良い。杏奈を見つけたら、こっそり後をつけて、杏奈が振り向いた瞬間にハンドガンで体のど真ん中をぶち抜く。これが理想だ。

杏奈はどんな顔をするだろうか。ヒットを宣言する杏奈の悔しそうな顔が頭に浮かび、おかしくて桜は笑いそうになり、


気配を感じた。


思考を止める。息を潜め、周囲に耳をすませる。風に支配された静寂の中に、葉のついた枝が揺れるかすかな音が混じっている。

そっとスコープを覗く。

レンズの向こうに、手入れが行き届いた人工林が広がっている。円形に切り取られた視界の中に、人の姿は映っていない。

いや、映っていないように見える。

桜は、さっき気配を感じた方向に意識を集中させる。目を凝らすと、林の奥に置かれた細長い茂みが目についた。風の流れとは無関係に、茂みが不規則に揺れている。


ビンゴだ。

 引き金に手をかける。

腕を撃ち抜いてやろうと思い、いやいやターゲットが杏奈だったらどうするのだと思い直す。撃たずに追跡するべきだろうかと迷い、近くの地面に着弾させて脅かしてやろうかなどと考え、でもせっかくだし倒しちゃった方が気持ちいいかなとも思い、迷い、考え、考えるのがめんどくさくなってきて、結局、腕を撃ち抜くことにした。

茂みの揺れが、左から少しずつ右へと動いていく。

桜は、相手の腕に弾を当てるイメージを描く。

こちらからあちらまでを繋ぐ、透明な射線が見えたような感覚があった。

引き金に力を込める。

射線は捉えた。あとは撃つだけだ。

腹に力を込める。


撃った。

バイオB B弾が銃口から撃ち出され、直線軌道で茂みに吸い込まれていく。何かにぶつかった打撃音、「うわっ」という男の声、数秒の沈黙。

「ヒット!」という悔しげな声が聞こえた。

迷彩柄に身を包んだ男が、ヒットでーす、と言いながら手をあげてフィールドの外へと消えていくのを、桜は茂みの中から見つめる。

杏奈でなくて、ほっとしたような、残念なような、妙な気分だった。

深呼吸を一つして、気合を入れ直す。

今回のゲームはフラッグ戦であり、フラッグの代わりにブザーが丘の上にあり、一回のゲームは十五分区切りであり、桜の体感ではすでに十分ほどが経過していた。

つまり、1ゲーム目はそろそろ終わってしまうということだ。茂みの中でぼんやりしていたのが仇になったかな、と桜は思う。


早く杏奈の元に向かわなければいけない。桜は腰からハンドガンを引き抜き、スナイパーライフルをその場に置いたままで茂みを飛び出そうとし、

背後に感覚があった。

桜は中腰のまま素早く振り返り、相手の射線上にハンドガンの銃口を合わせるようにして引き金を引く。

桜の斜め後ろ、今まさに桜に狙いを定めていた男に向かってB B弾が飛び、アサルトライフルを構えた手の甲に命中する。ライフルを取り落とし、男は信じられないような顔で「ヒット」と呟く。


もっと早く撃てばいいのに、と思う。

狙いをつけたりしているから先制されてしまうのだ。

桜は男に背を向けて茂みを飛び出し、ブザーの元へと向かう。

杏奈は大混戦の中を暴れ回るのが好きだから、ブザーの周辺にいるはずである。もしかしたらもう流れ弾の餌食になっているかもしれないが、それならそれで仕方ないかな、と思う。

どうせ、杏奈ほどのサバゲー狂いがこの1ゲームで帰宅するはずがないのだ。復讐の機会はまだいくらでもある。

ブザーのあるエリアへと急ぐ。茂みをがさがさとかき分けながらも、周囲への警戒は怠らない。目を高速で左右に動かす。ブザーエリアへと踏み込んだ瞬間、今度は体の横っ腹に射線を感じた。とっさに前に転がる。さっきまで自分がいたところを、B B弾が通り過ぎていく。


近くの木の影に転がり込む。立ち上がって体勢を立て直し、注意深く周囲に耳をすます。誰かが空になったマガジンを抜き、新しいマガジンを押し込んだのが聞こえた。誰かがレバーを引き、遠くでは枯れ枝をぱきぱきと踏みながら誰かが移動していた。


2人___いや、3人だ。さっき撃ってきたのが2人。コンビで動いているらしく、片方がこちらから見て斜め左の木に隠れてこっちをうかがっている。もう片方はトランシーバーで誰かに連絡をしている。

そして3人目はかなり遠くにいたが、どうやらさっきの銃撃でこっちに気づいたらしい。ブザーを守るため、大慌てでこっちへ向かってきている。

3人に合流されたら厄介だ。連発で一気に撃たれたら、いくら射線が見えたところで意味がない。蜂の巣になって終わりだ。

ベルトに引っ掛けたマガジンポーチからマガジンを引き抜き、B B弾を詰め直す。

やるなら今しかない。

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