第96話 お出迎え 【1/4】

「お休みの所すまない。ここはウフ村で間違いないか?」


 切り株に座っている彼に近づいて声を掛けたのは、クレデューリであった。

 はっきりと喋る彼女の声は、よく通る。

 しかし、彼からの反応はすぐには返らない。


 微動だにしないその男は、まだらな染みのついた長袖を着こんでいた。洗っていないだけなのか、それとも染みついてしまっていて取れないのか、どちらにしろあまり綺麗な様子ではない。

 それに加えて、服から伸びる枯れ木のような手足は、村の住民の生活状況が宜しくない事を想像させる。


 カナリアとクレデューリが村の状態を推測するのに十分な時間が取れた後で、ようやく彼はゆっくりと顔を向けた。


「ん? ああ、そうだよ」


 そう言った彼の顔色は、お世辞にも良くはなかった。

 やはり栄養が足りていないのか、死人じみた土気色の顔を向けたまま、手にしている鍬のような棒切れにすがって、ゆっくりと彼は立ち上がる。

 

「ここはウフの村だ」


 出す声も、しゃべる事が億劫なのか、単調に響く。


「そうか。私たちはこの村に用があって来たんだ。もし良かったら村を案内頂けないだろうか?」


 声の出ないカナリアの代わりに、当面の応対はクレデューリが行う事になっていた。

 目の前の相手に対する疑問を心に浮かべながら、彼女は表情柔らかく対応する。


「私たちは旅商ではないが、塩や幾つかの物品をノキから持ってきている。

 必要ならば少し分ける事も出来るが、案内料としてどうだろうか?」


 クレデューリのリュックが重い理由の一つがこれであった。何かの為に、彼女は塩や香辛料など、少量でも希少な品を詰めてきていたのだ。

 本来であれば、辺境の村ではそういった品物は重宝されるはずである。


 けれども、男は全くそれらに見向きする様子を見せなかった。


「そうか。お前たちもこの村に入りたいのか」


 そう言った彼は、土気色の顔をクレデューリに向けたまま、腕を伸ばしある地点を指さす。

 カナリアとクレデューリが見たものは、三つの土饅頭。

 二人とも、一目でそれが何かを理解していた。誰かの墓である。

 それ以上でもそれ以下でもない認識ではあったが、彼はそれに補足を入れる。


「先日もお前たちみたいな連中が来た。

 この村の肥やしにはちょうど良かった」


 それは、土饅頭の顛末。

 即座に理解したカナリアとクレデューリは、危険を悟り、直ぐに男の方を振り向く。


 二人が見たものは、力なく立っている男の姿ではなかった。


 彼の動きは素早かった。

 クレデューリとカナリアがよそを向いている間に、近くに居るクレデューリに突進していたのだ。

 鍬だと思っていた物に刃はついておらず、まっすぐな木の棒を持った彼は、すぐに彼女を射程に捉える。

 枯れ木のような体に似合わぬ鋭い突きは、一切ぶれることなくクレデューリの胸の中央を狙っていた。


 それは、上手な奇襲であった。

 殺意を一切見せることなく、意識を他に向けさせる事で、一瞬とはいえ、二人の虚を突く事は出来たのだから。


 しかしながら、クレデューリは速かった。

 人相手ならば遅れる事はないとは、本人の言の通りである。

 実際のところ、謀略と亡略が渦巻く王都において、王女を直近で守っていた事実は伊達ではなかったのだ。


 旅疲れしている上に、背中に荷物という不利を抱えているにも関わらず、クレデューリは突きの一撃を後ろに飛びのくことで回避していた。

 追撃はなく、十分な距離を取った所でクレデューリは剣を抜く。

 

「どういう了見かは知らないが、先に手を出したのはそちらだ。

 覚悟は出来ているのだろうな?」


 彼女が声に出して確認を取ったのは、相手の男に対してでは無い。


『人間相手だ。任せはするが、出来れば穏便にな』


 クレデューリの確認相手はカナリアであり、答えたのはシャハボであった。


 仲良くすべき村の住人に対して手を出すのは、カナリアの事情的には間違いなく得策ではない。

 しかしながら、問答無用で先に手を出されようものならば、やむを得ないという事もあるのだ。


 カナリアは、クレデューリもではあるが、礼と義は重んじる性格である。

 故に、カナリアとクレデューリは、前もって話をしていたのだ。

 相手が非礼非道で迎えるのであれば、いくら有用な相手であっても敵として扱うと。


 それ以前に、ウフ村が何らかの罠の可能性も捨てきれないのではあるが、兎も角して、カナリア達の許可も降りた以上、クレデューリは瞬時に戦う姿勢に切り替わる。


 彼女が荷物を下ろすという多大な隙でさえ、相手の男は間合いを図るに済ませていた。

 クレデューリの利き手である右手からリュックの背負い紐を抜く時などは、剣を持ち換える際に明確な隙が出来ていたにもかかわらずである。

 彼女の周りに張り詰めた空気は、手を出せば只ではすまないと威嚇を続けていた。

 故に、踏み込んで打てば届く間合いに近づいても、痩せぎすの男は積極的に攻撃をかける事はしなかったのである。


 クレデューリは重い荷物と外套を下ろした後、男に対して半身の姿勢をとって肘を畳み、右手をねじり上げる。

 手の甲がしっかりと上に向くその体勢は、突きを主体とする細身の剣を使う際の基本であった。

 寄らば貫くと気合を入れた上で、クレデューリは口を開く。


「先ほど奇襲で来た割には、律儀に待ってくれるのだな。騎士道でも順守するつもりか?」


 対する男は、腰に棒を構えたまま、口で答える事をしない。


「まぁ答えないか。なんにせよ、騎士道を守るというのであれば、私はこの剣のみでお相手することを誓おう」


 もちろんではあるが、クレデューリは誓いの姿勢をとる事はしなかった。

 彼女はゆっくりと位置を変え、カナリアと男の一直線上を避けるように動いていく。


「我が名はクレデューリ。もし名があるならば、今のうちに名乗るといい」


 無言で始めたのならば、男は最後まで無言を貫くだろう。それがクレデューリの予想であった。

 だが、その予想を反して、彼はクレデューリの言葉に反応したのだ。

 

「名前……名前か。俺の名前は、何だったのだろうな?」


 心底訝しむような口調で男は呟く。

 何を言っているのかとクレデューリが関心を持った瞬間であった。


 彼は狙っていた。クレデューリの心が動く瞬間を。


 惑いを隙とみて、先ほどよりも格段に速い突きがクレデューリに迫る。


 それは、一瞬の噛み合いであった。


 相対する者からすると点でしか見えない突きの一撃は、クレデューリの巧みな重心移動によって回避されていた。

 それだけではない、彼女の右足は既に前に出ており、男に対して交差気味にクレデューリも突きを叩き込んでいたのだ。


 棒などの長物は、突きの後に払う事で広い間合いを攻撃できる優秀な武器である。

 無論、男も避けられればそうするつもりであったのだろう。

 しかし、クレデューリの交差の一撃は、彼に避ける事を強要し、続きの手を封じていた。


 互いが互いに一撃を繰り出し、それを避ける一合目。だが、後から被せたクレデューリの方が、姿勢は格段に良い。

 次の攻撃を行ったのはクレデューリであった。


 伸ばした勢いをそのままに、はじき戻す様に腕を畳んで再度の突きを繰り出す。

 男は崩れた姿勢ではあるが、体を捻りそれを避けていた。

 続ける三度目のクレデューリの突きは、男の体を掠めるが直撃はしない。


 直後に彼は、手にしていた棒を離し、クレデューリに対して蹴りつける事で彼女との間合いを取る。

 ただし、彼が取れたのは少しの間合いと姿勢回復の時間だけであった。

 破れかぶれで蹴り上げられた棒は、クレデューリの左の手甲で弾かれ、姿勢十分な彼女は攻撃を続けていったのだ。


 それは、お手本通りといった、とても綺麗な連続突きであった。

 剣速は速く、急所を狙う動きに狂いはない。

 突きが十を超えたところでも剣速は衰える事さえしない。


 十五を超え、二十になる前にクレデューリは剣を止め、距離を置いた。

 高速の連撃を繰り出したにもかかわらず、彼女の息は上がっていなかった。


 やろうと思えば攻め続けられたはずの攻撃を止めた理由。

 それは、相手の男が未だかすり傷程度しか負っていない事にあった。

 クレデューリの攻撃は生半可なものではない。それを避けきるとはどういう事か。


「貴様、ただの村人ではないな?」


 かけるクレデューリの言葉に返答はない。

 男はほぼ棒立ちのまま、無手でその場に立っていた。

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