第73話 遭遇 【3/3】

 叩き飛ばされて動かなくなったジーマを一瞥し、事切れている事を確認した後でクレデューリは息を吐いた。


「素直に罪を認めればよかったものを」


 彼女は本心からそう漏らす。

 罪を認めて謝罪をすれば、罪人として罪を償う道もあったはずなのだ。なのに、悪人はいつも短絡的に死ぬ道を選ぶ。

 クレデューリなりの、僅かばかりの哀悼の気持ちであったが、すぐにそれは別の考えで塗り潰される。


 単純な悪人であった方が心が痛まなくて済むというのは、嫌な話だ。


 地面に置いてあった剣を拾い上げてから、陰鬱な気持ちを改めた彼女はカナリアに声を掛けた。


「不埒な者は私が始末させて貰った。

 もう大丈夫だ。安心してこちらに……」


 誇るつもりは毛頭なかったが、言い始めた瞬間のクレデューリは自らの行動を善行だと自覚していた。


 しかし、異様な雰囲気に気付いて、彼女は言葉を途中で止める。

 威圧という訳ではない、だが、その空気は尋常ではない。無理やり言葉にするならば、周囲の気配が氷の様に冷たく、固まっている。

 その異様さが漂ってくる先が、助けたばかりの裸の少女からというのは、さらにクレデューリの勘を刺激していた。


「ああ、もしかすると、私の方を警戒しているのか?」


 柔らかい口調で言葉を発したつもりではあったが、彼女の右手は自然と剣の柄を掴む。


『ああ、そうだ。こんな所で騎士が一人? しかも女だ?

 警戒しない方がおかしいだろう?』


 答えたのはシャハボであった。


「なるほど。道理だな。

 君は、君たちはと言った方が良いのかもしれんが、騎士の事にも詳しいのだな。流石にクラス3と言った所か」


 逡巡したのは一瞬。すぐにクレデューリは鞘をつけたままの剣を再度胸の前で掲げる。


「この剣に誓おう。

 ここに来たのは偶然であり、私は君たちとは何の関係もない。単なる人助けの為だ。

 私と敵対しない限り、私は貴女方を害する事は無い」


 彼女が剣を下ろすと同時に、張り詰めた空気は一気に解けていた。


 安堵するクレデューリの視線の中で、カナリアは自分の荷物に向けて歩き始める。

 一度は安堵したものの、クレデューリの心中は乱れたままであった。


 眼前に居るのは、可憐な線の細い少女である。クラス3という事なのだから、少女という年齢では無いのかもしれない。だが、見た目にはそうとしか見えない。

 なのに先ほどの緊張感は何だったというのだ、とクレデューリは自問する。


 戦いが始まるというよりは一方的に狩られるような気さえしたというのに、視界に映る少女の姿はそれを否定する。

 騎士としての勘と、見えるものとの差に困惑したクレデューリは、カナリアを見続ける。


 当のカナリアはクレデューリを全く気に掛けようとはしていなかった。

 かわりにだが、視線に気づいていたシャハボはカナリアの肩から応対する。


『こっちは誓う物なんて冒険者証タグぐらいしかないが、敵意が無いなら先に手を出す事はしないと約束するさ』


 お互いに不戦の約束をしたのにも関わらず、クレデューリは安心しきれていなかった。

 カナリアが体を拭いて身支度をする間も、彼女はどこかに行くでもなくカナリアから少し離れた位置に立って様子を見守る。


『律義に見守りか? 気にしなくてもいいんだぞ?』


 近場の石に居場所を移したシャハボは、そんな彼女の話し相手になっていた。


「ああ、いや、その……君たちは何者なんだ?」


『さっきも言ったろう? クラス3の魔道具使いのカーナだ。

 俺の事は気にしなくてもいい。単なるお目付け役みたいなもんだ』


「む……信じていないわけでは無いが、もし良かったら冒険者証タグを見せて貰えないか?」


 カナリアが頷いたのを確認してから、シャハボはクレデューリの手元近くに飛んでいく。


『絶対に俺に触るなよ。カナ……カーナが怒るからな』


 シャハボは飛びながら身を捩じり、器用に首に掛けてあった冒険者証タグをクレデューリの近くに落としていた。


「……なるほど。本当のようだな」


 クレデューリが確認した後でシャハボは冒険者証タグを咥え、着替えと荷物の支度を済ませたカナリアの元に戻る。

 冒険者証タグをシャハボの首にかけ直したカナリアは、この場から立ち去る事を決めていた。


『じゃあな』


 去り際にかけたシャハボの言葉とて素っ気ない。

 そんなカナリア達の行動に声を上げたのは、クレデューリであった。


「ちょっと待ってくれ」


 振り向いたカナリアに、クレデューリは続けて声を掛ける。


「カーナ。恩着せがましいかもしれないが、感謝の言葉は無いのか?」


 小首をかしげるカナリアの姿を見て、クレデューリはシャハボの言葉を思い出す。


「ああ、すまない。声が出ないんだったな。

 だが、なんだ、礼ぐらいはないのか?」


 カナリアは礼を返す事はしなかった。かわりに、返答とばかりにその細指を伸ばす。


『あると思うか? そこを見てみろ』


 クレデューリはシャハボの補足に従い、カナリアの指の先を追っていく。


 そこに居たのは、立木の下で頭を下げて座り込んでいる男であった。

 ただし、その木の幹には、何か大きなものが叩き付けられたような跡が残っている。

 それだけではない。叩きつけられた跡が赤く染まっている様子は、そこで何が起こったのを言外に物語っていた。


 異音に気付いて乱入して来たクレデューリではあったが、目の前の脅威に気を取られていたお陰で、今の今までその死体に気付いていなかった。


 カナリアの方を向いたクレデューリは、静かに感想を漏らす。


「私がわざわざ手を出さなくても、大丈夫だったと言う事か」


 表情を変えずに頷くカナリア。


 クレデューリの心の中から、困惑する気持ちは消え去っていた。

 カナリアの強さの一端を目にしたクレデューリは、自らの感覚を信じてカナリアを強い者と認識したからであった。


 得体の知れない者から、単に強いと理解が及んだところで彼女は少しだけ緊張を緩める。

 敵では無いと互いに宣言し合った事も、彼女の気を緩ませる後押しとなっていた。


 剣から手を離し、真の意味でクレデューリが息を吐いた瞬間であった。



 ぐぅーと、大きく彼女のお腹が鳴った。

 


 緊張が溶けた事が、クレデューリの体に空腹を知らせるきっかけになったのは間違いなかった。

 場違いなまでに大きな音が鳴った後で、カナリアとクレデューリ、互いが動かぬまま視線のみが交差する。

 相変わらず表情を変えないカナリアと対比して、クレデューリの顔は恥ずかしさで少し赤くなっていく。


「……すまない。では私も去るとしよう」


 恥に耐えかねたクレデューリが踵を返した直後に、シャハボが声を掛けた。


『おい、ちょっと待て』


 振り返った彼女が見たのは、カナリアが胸の前で掲げた石板。

 カナリアが見やすい様にと近寄り、そこに書いてある文字をクレデューリが読み取る。


【お腹空いてるなら、ご飯ぐらい奢ってあげるよ。

 必要は無かったけれど、助けに来てくれたその気持ちのお返し】


「これは……?」


 再度戸惑ったクレデューリの確認先は、カナリアでは無くシャハボであった。


『カーナが会話するための石板だよ。

 で、食うのか? 食わんのか? どっちだ?』


 素っ気なく返される返答を前に、クレデューリは少しだけ考えてからカナリアに向かって答える。


「む……であれば、ご相伴させて頂くとしようか」


 この時クレデューリは知らなかった。

 カナリアが致命的なまでに料理下手である事を。そして、それを振舞うと言う事は、惨劇の幕が開けるのと同義である事を。

 

 クレデューリの反応に対して、シャハボがやや諦めたように首を振っていた事を、彼女は見ていなかったのであった。

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