第71話 遭遇 【1/3】

 この世界の魔法は声に出す事で発動される。

 カナリアと呼ばれる少女は魔法を使う魔法使いウィザードだった。

 ただし、物心ついた時から彼女の声は出ない。


 声が出ない魔法使いウィザードは一人もいない。カナリア以外は。

 彼女が声を出さずに魔法を使えるのは、特異な能力のせいなのか、それとも身に着けている道具のせいなのか、余人は知る由もない。


 しかし、今のカナリアは偽りの冒険者証タグを用いて魔道具使いのカーナと名乗り、その秘密を隠す。


 わかりやすい理由は真実を隠す助けになるが、うわべに簡単に騙されるような想像力の足りない人間は何処にでも存在する。


 地方都市タキーノにて、シャハボを直す手掛かりとなる情報を得たカナリアは、一人、その手掛かりが存在する場所へと旅をしていた。

 そんな彼女の前に二人の男が現れる。両者共に手入れの届いていない長剣を持ち、無手のカナリアを威嚇する。

 彼らもまた、真実を深く考えない人間である事は疑いようが無かった。


「大人しく捕まってくれれば悪い様にはしねぇよ」


 カナリアに向かって最初に陳腐な脅し文句を吐いたのは、頭が薄くなった中年の、風体だけ見れば冒険者か野盗かわからないような男である。


「へっへっへっ。なぁに、ちょっと持ち物を全部譲ってもらうだけさ。

 お前自身に手は出さんから安心していいぞ。


 そう続けたのは、体の大きな、と言ってもガタイの良さでは無く不健康そうな太り方をした、こちらも中年の男であった。


 距離を開けて囲む事をするでもなく、仲良く揃ってカナリアの前に現れたのは無策なのか、そもそも警戒と言う言葉を知らないのか。

 カナリアは前者だと目算をつける。

 そして、彼女は一糸纏わぬ姿のまま、彼らと対峙した。


 男達は機を計って出て来たのだろう。カナリアは、木々に囲まれた少し大きめな湖のほとりで水浴び中であった。

 男に見られているにもかかわらず、相変わらずのつつましい胸と濡れたままの肢体を、彼女は隠そうともしない。

 カナリアの《収納ストカージ》付きのリュックや会話用の石板、貰い物の手杖である『小鳥の宿木ギー・ドワゾゥ』は、全て水際から少し離れた所に置いてあった。


 今その近くには、二人の男が立っている。

 本来は、片方がカナリアの相手をし、もう片方が荷物を物色する算段であった。

 彼らは、カナリアが裸でいる所に飛び出す事で、事態を飲み込めずに狼狽える事を期待していた。

 しかし、カナリアが何も驚く様を見せずに平然としている事で、逆に二人は気後れする。


 その状況は、以前、いや、つい数ヶ月前にも経験した事とほぼ同じ。

 ただ、カナリアの状況こそ似れども、今回の相手は前回のそれとは毛色が違う。

 カナリアは半ば対処法を決めつつあったが、それを決めるかどうかは彼らに尋ねる事にする。


 そうは言えども、水浴び中であったカナリアの手に石板は無い。

 だから、不埒な者どもの相手をするのは、カナリアの相棒であり、小鳥のゴーレムであるシャハボの仕事であった。


『で、覗き見に来た事への謝罪の一言はないのか?』


 何処からともなく飛んで来てカナリアの肩に留まった、くすんだ色の金属の小鳥は、カナリアの口に成り代わってそう言葉を話す。


 男達はお互いに顔を見合わせ、片方がピュウと口笛を吹いた。


「見ろよ、あれはかなりな値打ちものになるぞ!」

「ああ、女に魔道具に冒険者証タグ。金のなる木ってのはあるもんだな!」


 シャハボからの質問には答えず、かわりに大声で叫んだ下品な言葉は、彼らの運命を明確に決めてしまう。


 カナリアは何も言わずに首を横に振った。

 過ぎた話ではあるが、ジェイドキーパーズはやはりいい人たちだったと彼女は再認識する。

 問答無用と言う訳では無かったし、やりようによっては他の結末も選べたかもしれないのだ。

 そう。今目の前に居る彼らには、もう既にその選択は選べない。


『下卑た話をするのはいいが、名ぐらい名のっておいたらどうだ?

 冥土の土産ぐらい置いて行っても罰は当たらんだろう?』


 シャハボの言葉に、二人はまた顔を見合わせる。

 口から飛沫が飛び散ったのも気にせずに、彼らは大笑いした。


「ぶっはっはっ!! おお、怖いねぇ!

 しかしなぁ、俺達はお前を殺そうってわけじゃねぇんだ。

 だから余計な事は教えられねぇな」

「まぁこれだけは教えてやるよ。お前が魔道具使いだってのはわかっているんだ。

 それに、魔道具使いってのは裸の時は普通の人間と変わらないって事もな!」


 どちらが喋ったのか、それは既にカナリア達にとってはどうでもよくなっていた。

 名前は単に墓標に刻むのに必要なだけであり、それ以上の意味はない。

 命が必要ないと言う事だけさえわかってしまえば、それ以上の情報は本当に無用の長物であった。


 カナリアは《生命感知サンス・ドレヴィ》を隠さずに使う。

 魔法使いウィザードがそこに居れば、何をされたかわかるだろう。

 威嚇を兼ねたそれは、この場に居る二人だけでなく、近くにいるもう二人の存在を明らかにする。


 けれども、いずれの存在もカナリアの魔法に気付いた様子はない。

 魔法使いであれば確実に、もしくは一流の相手ならば僅かながらに気配が変わろうものであるが、それも無し。

 つまりはその程度の相手とカナリアは見切りをつけていた。


『隠れているのも出てきたらどうだ?』


 あと腐れの無い様に、シャハボは敵をあぶり出しに出る。


「……何言ってるんだ?」


 男のうちの片方が怪訝な表情を取り、そう答えた。もう片方は無言のまま、視線を横に向ける。

 その視線上には、《生命感知サンス・ドレヴィ》で感知した一人がいる所であった。


『そうか、お前たちは三人組か』


 淡々と告げるシャハボは、彼らを的確に追い詰めていく。


「クソ、ただ喋るだけの鳥じゃねぇってのか!

 とっとと捕まりやがれ、気色の悪い奴らめ!」


 男の言ったその言葉は、単なる脅し文句ではあるが、カナリアに先に手を出させると言う意味では非常に効果的であった。

 シャハボの事を悪く言われたと感じた彼女は、無言のまま、荷物に近い方に向けて《風槌マイエ・アヴォン》を放つ。


 絞り切って発動させたその魔法は、的確に男の胴を風の塊で打ち抜き、あばらと背の骨を粉にさせた上で後方に吹っ飛ばしていた。


 本来ならば《空刃クーペア》で首を斬り飛ばすのがカナリアの常套手であった。

 だが、断首後の噴き出る血で自らの荷物が汚されるのを厭った彼女は、いつもと違う《風槌マイエ・アヴォン》を使用する。

 結果として、確かに荷物は血汚れに塗れる事は無かった。だが、代償として、吹っ飛ばされた男の体は、後ろにあった立木に激突した事で大きな音を立ててしまっていた。


 ドンとだけ重く響いた音の後で、木々からは鳥や小動物が飛び立ち、逃げていく。


『荷を気にし過ぎたな。今日の対応は失敗だ』


 シャハボの言葉にカナリアは悲しそうな顔で返していた。


 彼女自身もすぐに失策を理解していたからであった。

 動くのであれば、誰にも気取られずに静かに行う必要がある。鉄則とも言うべき事であったが、シャハボの事で心が動いたカナリアはそれを守ることが出来なかったからだ。


 幸いと言うべきか、目の前でまだ生きている男は呆気に取られたまま動いていない。

 短く使った《生命感知サンス・ドレヴィ》によって、他の二人の状況もカナリアは把握出来ていた。

 二人組の仲間と目される相手は、一目散に逃げようとし、今まで動いていなかったもう一人は、こちらに近づきつつある。


 ならば、と、失策を嘆く前にカナリアは行動を起こす。


 ため息交じりに使うのは、《大地の束縛リィアン・デ・テラ》。

 相手の足元を局地的に泥沼にさせ、泥に踏み入れた所で固めて動けなくする魔法。

 それをカナリアは、逃げようとしている相手に対して発動させる。

 相手の速度を考慮して丁寧に絞って発動させた魔法は、逃亡者の片足のみを深い泥にはまらせていた。

 固めた直後に聞こえたのは、全力の悲鳴。


 全力で走っていた所で片足を泥穴に捕われた結果、彼の脛は綺麗に折れてしまっていた。


 あらぬ方向からの突然の叫び声はカナリア達の状況を加速させる。


「お前、一体何しやがった!!」


 生き残った髪の薄い方の男がカナリア達に叫んだが、既に機は逸していた。

 誰にとは言わないあたりは少なくとも、仲間意識があるのだろう。しかし、彼のこの反応は足を折られて叫んでいる人間、声からして男に違いない。その相手が、自らの仲間であると公言しているに過ぎない。


『逃げられないように足を折っただけだ』


 シャハボの言葉は、冷徹にその場に響く。


『ああ、もしかして、あれはお前の仲間だったのか?』


 既にわかりきっている話ではあったが、改めて確認する事でシャハボは詰めに掛かる。

 この場を斬り抜けようと何か考えているのだろう、男はすぐに返事を返せない。

 シャハボが待ったのは二息あるかないかであった。


『関係ないなら、始末するぞ』


「なっ……!」


 男が何を言おうと、もう遅い。

 カナリアは《底なし沼マラサンフン》を発動させ、どこか離れた所で骨折による激痛で叫び続ける一人の人間を、地の底に沈めていた。


 今わの際の叫び声が泥の中に消えた後、場は静まり返る。


「お前は……悪魔か……!」


 生き残った男は、後ずさりながらカナリアに声をあげていた。

 カナリアは、彼らが出て来てから一歩も動いてはいない。


 狼狽する男、沈黙したままのカナリア。

 剣呑な空気が支配する場に新たに乗り込んで来たのは、異変に気付いて様子を探りに来たもう一人の人間であった。

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