第68話 旅立ち 【5/6】
隙があったわけではない。
信じただけなのだ。単にジョンの事を信頼しただけなのだ。
カナリアはジョンに勧められた飯屋の中で、出されたものを前にしてそう反芻していた。
昼飯時からはずれている事もあるが、皆は見送りに出ているのだろう。客は他に誰もいない。
店に居るのはカナリアと年老いた店主のみ。
『言わんこっちゃない』
呆れるようにそう呟くシャハボの後に言葉を繋げていくのは、カナリアでは無く、その店主の方であった。
「ご要望のタキーノの名物だ! 食ったらとっとと出ていけ!」
出されたそれは、言わずと知れた麦粥と薄い豆のスープに相違無い。
珍しくと言うべきか、いや、カナリアにしては本当に珍しく、出された食べ物に手が出ない。
「なんだ? ええ? どこぞの大した冒険者様はこんなもの食えないってか!
ああそうだろうなぁ!」
カナリアの耳にはそんな店主の罵詈雑言は入っていなかった。
頭の中にあるのは、食べ物に釣られた自分の失策を反省する事しかない。
【パンジョン、ある?】
カナリアは視線を皿に向けたまま、店主に石板を見せつけた。
「なんだ、お前、パンジョンを知っているのか。ちょっと待て、持ってくる」
辛いペーストであるパンジョンの名前を出した途端、店主の態度が少し柔らかくなったことに、カナリアは気付きさえしない。
出されたパンジョンをたっぷりと麦粥に混ぜ込み、彼女はえいやと口にするが、その瞬間、彼女は固まる。
「はっはっは、そんなに混ぜ込んだら辛くて食えんだろ!
これだから程度を知らん若い者は!」
老店主の再三の言葉はカナリアの後ろに流れ去っていた。
彼女が思う事は、【味が違う。辛さが足りない】と言う事のみ。
カナリアが固まり続ける中、状況が動いたのは店の入り口からであった。
「カナリアさん! こちらに居らっしゃいますか!!」
大声で乱入して来たのは現在のオジモヴ商会の商会長であり、男装の礼服に身を包んだウサノーヴァであった。
渡りに船とばかりにカナリアは顔を上げて、ウサノーヴァと視線を合わせる。
「なんでぇ、誰かと思ったらイザックの所の小娘か! いや、今はイザックの後を継いだんだったな」
ウサノーヴァに声を掛けたのは老店主の方が先であった。
だが、それには少し会釈を返しただけで、ウサノーヴァはカナリアを見つけるなりすぐに駆け寄る。
「ああ! 生き……ご無事……いや、ここでしたか!」
ウサノーヴァの二度の言い間違えは、この場に部外者が居る事に気付いて言葉を選んでいたからであった。
【大丈夫でない。助けて】
カナリアは今の気持ちを素直に石板に出し、その後で皿を指さす。
石板を読んだ瞬間にウサノーヴァの顔は険しくなり、その後、指さされた皿の中身を見た後で彼女の顔は解ける。
続いて出たのは、彼女にしては大きな笑い声であった。
「ふふ、本当に、本当にカナリアさんらしいですね」
ひとしきり笑った後で、呆気に取られている老店主と憮然としたカナリアを前に、ウサノーヴァはこう言った。
「まぁでも、丁度良かった。良い物があります」
静かになった周りをよそに、ウサノーヴァは持って来た包みをカナリアに手渡す。
それは、小瓶に入ったパンジョンであった。
「これらは父の手作りです。カナリアさんが好きだと聞いていたのでこれだけは用意して来たのです」
ウサノーヴァの言葉にカナリアは顔をしかめた。
しかし、その手はウサノーヴァの持って来たパンジョンに伸び、たっぷりと混ぜ込んだ上で再度麦粥を口にいれる。
それは、激甚な辛さの、カナリアにとってはいつもの味であった。
まずいが食えるようになった麦粥を、ゆっくりと彼女は食べ始める。
カナリアが食べている間、ウサノーヴァの相手をするのは当然シャハボの役割であった。
『で、お前はどうやってここがわかったんだ? それに、今はキーロプの見送りの最中じゃなかったのか?』
「ああ、ここに来たのは言伝を貰ったからです。素性を隠した女性から渡された暗号文でしたが、内容はすぐにわかったので少しの間だけ警備を任せて飛んで来たのです」
カナリアとシャハボがその相手がアンだろうと見当をつけるが、お互いにそれを態度に表しはしない。
『一応聞くが、どんな内容だ?』
「紙片にて、『小鳥が汚いエサ台で麦をついばむ』でした」
カナリアは味の薄いスープを飲み下すついでに、それがアンの物だと確信して頷く。
「おい、ここが汚いエサ台だってのか!」
「ああ、ロブさん、そういうわけでは無いのです。単にこれは言葉遊びです。良く父が言っていたじゃないですか」
当然だろうとばかりに怒鳴り散らす飯屋の店主を、ウサノーヴァが宥めようとする。
けれども、ロブと呼ばれた老店主は止まらない。
「おうよ、あのイザックはいつもそうだった。
毎晩遅くに飯を食いに来ては、店が汚いだの飯は不味いだの言いやがって!
いつもだ! 毎晩来ては同じ事をいう奴だった!
美味いだなんて一つも言わないくせに、毎晩飯をねだりに来やがって……」
年老いた人のそれなのか、話は重複しており中身にまとまりは無かった。
それでも、イザックがここの常連だったと言う事はカナリア達にもよく伝わる。
ひとしきり文句を言った後で、ようやく落ち着いた彼は気に入らなさそうな表情のまま、口調だけを変えてウサノーヴァにこう聞いた。
「で、イザックが死んだのは本当か?」
「……ええ。マットさん達と一緒に」
「そうか……」
肩を落とす様は、カナリア達が来てから初めて見る、老店主の静かな姿であった。
しかし、静かであっても不機嫌そうな所はかわらず、ゆっくりとだが食事をしているカナリアをよそに、彼はウサノーヴァに突っかかる。
「で、そいつらはお前のなんだ?」
「彼女は父の元で働いていたのです」
「だが、ジェイド達を殺したのはこいつらだろう?」
市中の噂は彼にも届いている事をカナリアは知る。
しかし、彼女は皿を空にする事に取り組んでおり、何も反応しない。
シャハボとてわざわざ面倒な会話に入ろうともしなかった。
そんな中で、ウサノーヴァはロブの質問に答えを返す。
その回答は、今まで突っ張っていた彼の態度を一転させるものであった。
「それに関しては、私からは何も言える事はありません。
ですが、あえてこう言いましょう。彼女は、今やタキーノの古き民です」
「どういう意味だ?」
「彼女はここに来てからずっと、毎食この麦と豆を食べ続けているのです」
「……本当か?」
話を振られたカナリアは、一旦スプーンから口を離して頷く。
カナリアを見ていたロブに対し、ウサノーヴァはカナリアに渡したパンジョンの小瓶を持って、眼前に見せつけながらこう言った。
「カナリアさんが父のパンジョンを求めたのも、それが所以です」
彼女はその瓶の蓋を開け、味見をするようにとロブに突き出す。
彼はその様子に気圧されてか、仕方なしにスプーンを持って来て口にした後で、すぐに咳込むことになる。
「これは昔の作り方の奴じゃねぇか!
保存するにはいいが、辛すぎて若い連中は絶対に食わん奴だろうに!」
そう言ってから、ロブはカナリアが何をしていたかに気付く。
「ええ、カナリアさんは市中に出ている気の抜けたような味のパンジョンでは無く、これで無いと満足できないのですよ」
ダメ押しとばかりのウサノーヴァの言葉にロブは言葉を失い、カナリアは【何それ?】と状況判断に困る感想を持つ。
しかし、ウサノーヴァが次に言った話によって、カナリアは全てを理解することになる。
「そして、今は誰も食べていないこの麦粥と豆のスープを、タキーノを去る最後にここの店で食べようとした事こそが、彼女がタキーノの古き民になった証拠なのです」
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