第61話 マット・オナスとタキーノ自警団 【5/6】
『それは無理じゃなくて無茶だ、リア。賭けにしても分が悪すぎる。
魔法を使う前に刺されていたらどうするつもりだったんだ?』
開口一番、《
【演技でなんとかした。出来ていたでしょ?】
『結果的には、だがな。三手、いや四手挟んでからの方がもっと安全だったろう?』
【そうかもしれない。でも、あれが気になった】
そこまで答えたカナリアはようやく祈る姿勢を解いて顔を上げる。
彼女が見据える先に居るのは、タキーノ自警団のまとめ役にして鳥かごの中の最後の生き残りであるマットであった。
カナリアは殆ど予備動作も無く、両膝を地面に突いたままの姿勢から《
今回のそれは威力は絞っていない、最初から殺傷を目的とした一撃。
にもかかわらず、《
【やっぱり。あの盾、普通じゃない。《
それが予測の通りであったことを彼女はシャハボに伝える。
『……なるほど。これが勝負を急いだ理由か』
【うん。もし彼があの盾をもって合流していたなら、大きな魔法は使えなくなっていたと思う。
見た感じ他にはそこまで強力な魔道具がなさそうだったから、離れているうちに他を仕留めたかったの】
『《
【うん、多分取り込もうとしていたら《
それだけじゃなくて、端に近寄られたら籠でさえ破られるかも】
シャハボにそう話しかけながら、カナリアはおもむろに立ち上がっていた。
彼女はそのままマットの方を見続ける。
顔まではっきりと見えるような距離ではない。それに、カナリアの綺麗な顔立ちであれば、普段ならば睨んだ所で大した凄みにもならないはずなのだ。
だがしかし、小鳥たちが啼かなくなった今は違う。
マットの目には、カナリアの姿は血に塗れた災厄としか映らない。
そしてそれは、彼に退路が無い事を印象付ける。逃げれば殺される、前に進んでそれを殺さねば活路は無いぞと。
果たしてそれはカナリアの意に叶い、走り寄ってくるのはマットの方からであった。
マットが動いたのを確認した後で、カナリアはゆっくりとした動作で地に刺さった自分のナイフを拾い上げる。
ナイフは右手、キーロプからもらった『
杖の先に光る緑の宝石は、強い光を発しながら振り回した通りに宙に軌跡を描く。
『《
そう確認するシャハボの声には、珍しくやや驚いたような感情が含まれていた。
【うん。出来ると思ったからやってみたけれど、本当に出来た。
この杖、普通じゃない。魔力の保持量も異常過ぎる】
『その杖といいあの盾といい、ここで見る魔道具は危険な物が多いな』
【うん。でも、これは私の手にある分には有難いかな】
シャハボにそこまで答えたカナリアは、手杖をマットに向けて魔法を発動させる。
《
イザックに使った時の様に手加減した物では無く、強化こそしないものの全力の魔法。
全身を固めて盾ごと風の槌で叩き壊すその魔法は、咄嗟に盾を構えたマットを打ち抜くのではなく少しだけ後退させるにとどまっていた。
【硬い。これもダメなら、《
それはカナリアの戦術を否定する事を意味する。
近接戦の際に、彼女は武器に《
この盾が相手ならば、『
幾ら普通でない魔道具とはいえ、元々の用途を考えればそれは好ましくはない使い方であった。
カナリアは手杖を腰にあるケースにしまい、かわりに左手にナイフを持ち替える。
カナリアの武器はそれだけ。
対して相手の装備は強固な盾と片手剣。
相手が盾を使った堅実な戦い方であれば、勝負が長引く事は想像に難くない。
連戦続きのカナリアは既に消耗が激しかった。故に、長期戦は避けたいと強く思う。
【やらないで済むならそれに越したことは無いんだけれどね……】
そんな彼女の心情は、シャハボにしか伝わらない。
「貴様は悪魔か!」
身を守りながら、カナリアの近くにまでやってきたマットはそう叫んだ。
悪魔では無くて人間だ。悪魔とは稀少種族の名前であり、私はそうではない。
カナリアがそこまで思った後で、『そういう意味じゃない』とシャハボからの突っ込みが入る。
「クラス1を持っている人間が、虐殺の限りを尽くして心が痛まんのか!」
それも違うとカナリアは思う。
そもそもカナリアは虐殺する事が主の目的ではないのだから。
イザックの計画に踊らされている事はわかっている。
それでも、自分の目的の為にそれを行っているだけなのだと心中で答える。
「何か言え!!」
続け様にマットが叫ぶが、石板の無いカナリアにそれは無理であった。
そして、同じ事をマットも気づいたのか、彼はすぐにクソっと悪態をつく。
「……やるしかないのか」
さらに続けられた彼の言葉からは勢いが消えていた。かわりに乗せられているのは、戦う事への決意。
カナリアはそれに静かに頷き答える。
マットに対して気の毒だと思う気持ちはあった。カナリアが始末した他の人たちに対しても。
けれどそれはカナリアにとって些事に過ぎない。
マットは腰を沈め、左腕を曲げて盾で自らの前面を守った。時を同じくしてカナリアも左手を前に突き出して構えをとる。
互いは静かに臨戦態勢に突入し、機を見計らう。
《
初手でカナリアが放ったのは、ジェイドキーパーズのジェイドを地に沈めた魔法であった。それは予想通り、『
小細工を意に介さないマットは、返しとばかりに盾でしっかりと身を守りながら右の剣で突きを数回放つ。
牽制程度の攻撃ではあるが、それはマットが慎重に構えるつもりだと言う事をカナリアに伝えていた。
盾持ちを相手にする場合、定石通りであれば盾の持っていない方に回りこんでの攻撃が有効となる。
カナリアが全力を出せるのであれば、この戦いもさして苦労もしなかっただろう。
しかし、大勢とやり合った今となってはカナリアにその力はない。
《
使える手は多くは無い。この状況下で適切なものをと考えている間に、彼女に一つの策が浮かぶ。
『リア、それはやめろ』
カナリアがそれを決める前に、シャハボからの制止の言葉が飛んでいた。
今までのそれとは違い、シャハボの言葉は明確にカナリアを止めようとしている。
しかし、今この時は、カナリアは止まらない。
【ごめん、ハボン。あとでいっぱい私を叱って】
そうとだけ返答を返したカナリアは、一旦少しだけ後ろに退いた後、ナイフを持つ左腕をしっかりと横に延ばした。
何をするのかと注視するマットに向けて、カナリアは右手で伸ばした左腕を切る仕草をする。
マットは無言のまま何も動かない為、その顔を見た後でカナリアはもう一度同じ仕草を繰り返す。
「貴様、舐めているのか!」
そう叫ぶマットはカナリアに切り込んで来るが、守りを固くしたままの攻撃は生ぬるい。
カナリアはそれを易々と避けた後で距離を少しだけ置き、もう一度同じ仕草をする。
「何が言いたい! 腕を切れとでも言うのか!」
カナリアはマットの言葉に頷く。
それは本当にカナリアが望む事であった。
誰がどう見てもわかり易い罠。
マットにもそれは理解が出来る。彼は既にカナリアが後の先を狙っている事に気付いていた。
だが、腕を切れと言う事に対しては理解が及ばない。
腕は、自分の腕のはずなのだ。
マットは自分の行った事とそれを比較する。タキーノ自警団の連中を、自らの策の為に多数見殺しにした。だが、死んだのは他人であって自分ではない。
有利を掴むために犠牲を強いるのは理解できるが、それが自らの腕と言う事には理解が追いつかない。それを犠牲にして、そこから勝てたとしても腕は戻らないはずなのにと。
考えながら手を出すマットの攻撃は、腰が入っていない為にカナリアにかすりもしない。
仕切り直しで距離を取った後で、彼が見たのはさらに驚くべき光景であった。
カナリアは自らの腰にあるベルトを外して、杖を地面に落としたのだ。
カナリアはわざとらしくナイフを見て、それを右手で指さす。
あとは、再三、いや四度目となる腕切りのポーズ。
マットはカナリアが言葉を話せない事を知っている。
そして、その仕草に込められたメッセージも理解している。
伸るか反るかの話では済まない。失敗すれば死ぬことは確実。
だからこそ見え透いた罠にマットは直ぐにはかかろうとしない。慎重な彼は積極的に攻めようともしない。
このまま根比べが続いたのであれば、状況は体力の切れかかったカナリアに不利であった。
だが、カナリアは牽制の突きにさえ丁寧にナイフで受けて躱していく事で、マットに力量差という名の危機感を植え付けていく。
やった事と言えば、一つや二つの攻撃を受け流されただけである。
しかし、それはマットの心に焦りと余念を抱かせていく。
まともにやっては勝てないのではないか。
戦いを長引かせては、他の連中の様に何かの魔法で絡めとられるのではないか。
……たとえ目に見えるそれが罠だとしても、喰い破ればいいだけなのではないか。
仕切り直しと共に五回目の腕切りを見せられた時に、いよいよ彼は決心した。
このまま守っていては勝てぬ。攻めるぞ。
マットは右手の剣を握りしめ、左の盾をしっかりと体の前に構える。
盾を使う以上、彼はそれの欠点を知悉していた。勢いよく剣を振れば、その分盾の守りは疎かになる事も。
攻撃をすればカナリアが何らかの手で返してくる事もマットは確信していた。
斬れというのはあくまで誘いであり、本当に斬られる事を望んでいる筈はないだろう。
であれば、カナリアの攻撃はこちらが手を出した後、腕を斬りに行く瞬間に違いない。
機が読めればまだやりようもあると彼は考える。
腕が囮だと言うならば、後の先を取られる前に先の先で詰めてしまえばいいのだ。
策士は常に策に自信を持つもの。よってその策を真っ向からぶち壊してしまえば失策に狼狽えるはず。
先に腕を斬り、カナリアが狼狽える隙に胴を薙いでしまえばよい。
間違いない。これならば勝てる。
勝利への道筋を見出したマットはじりじりとカナリアとの距離を詰め、必要最小限にして最高の一撃にてその機会を狙う。
マットが餌に食いついたと判断した時点で、カナリアは両の目を閉じていた。
マットはそれを更なる策かと警戒するが、事実その通りでカナリアが魔法を使う準備に過ぎない。
目を閉じながら、《
そして、それらの魔法は『
警戒をそのままにマットはカナリアににじり寄る。
半歩、いや、足の指一本分と近づきながら、彼は静かにカナリアを剣の間合いに収めていく。
剣の握りを緩め不用意な力を抜きつつ近寄ったマットは、カナリアを自らの間合いに収めた瞬間、最低限の隙で収まるように、だが全身の力を込めて一発の縦切りを放ったのだった。
それは彼の人生の中で最も速く、鋭い一撃であった。
振り下ろしはカナリアの細腕を
過去に幾度しかか体験した事の無い会心の一撃。全身の筋肉が一意に動き、対象を綺麗に斬り分ける。
全てがゆっくりと進む感覚。余韻、達成感を長く味わう。
眼前に飛び散る血さえも彼にははっきりと見えていた。
よし! 俺はカナリアの腕を斬ったぞ!
それが、タキーノ自警団長であったマット・オナスの最後の思考であった。
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