第18話 秘密の夜会 【5/5】

 

 金? いや、毒?


 観客席に配置された人間からカナリアに向かって投げつけられた無数の小袋の中身に対し、カナリアは後者を強く疑う。

 が、見極めてから対処しようとするいつもの癖が、この時は裏目に出た。


 毒ではないが故に、カナリアの《危険探知ディテクション・デダンジー》には引っかからなかった。

 袋の中身はピメの粉だった。タキーノの名産品で、とても辛くて刺激のある香辛料。

 カナリアはそれを頭からかぶってしまう。


 カナリアの目と鼻と口と喉すべてに激痛が走る。


 痛い! 痛い!


 久しく感じていなかった激痛に体をよじって悶えるが、逃がさんとばかりに上からさらにピメの粉が投げつけられる。

 とめどなく流れる涙や鼻水、止まらないくしゃみも、断続的に投げられ続けるピメの粉には全く太刀打ちが出来なかった。


 これは、ヨーツンが隠し持つ、魔法使い殺しウィザードキラーの秘策であった。

 商売品のピメの粉を大量に使う事になるのが玉に瑕ではあるが、この攻撃を受けてしまえばほとんどの人間が無力化されてしまうし、こと、発音をしないと魔法が使えない魔法使いにとっては天敵ともいえるやり方であった。

 何せ、のどが痛いし、くしゃみも出るしで発音どころではないのだ。

 今のカナリアもそうだが、もはや戦える状況にはない。普段ならば弓矢の一本でそのまま射殺してしまうところだが、用心深いヨーツンはピメの粉を投げさせるのを止めなかった。

 彼は、このままピメの粉まみれになれば人が呼吸が出来なくなって死ぬと言う事を知っていた。

 わざわざ弓矢など危険なものを使う必要は無い、このまま無力化しつづけて殺してしまえ。それが、万が一ストラスドルフが負けた際に用意していた対策だった。


 カナリアにとっても、このような策を受けるのは初めてだった。痛みと、止まらない咳とくしゃみで、魔法を使うために集中する事さえできない。


【シャハボ、ちょっと助けて】


 ようやくといった体で、彼女はシャハボの体を撫でる。


『危険だがやるしかないか。カナリアの体を一時的に少しだけ麻痺させるから、その間にぶっ飛ばしてしまえ』


 シャハボの手段は、単なる《回復リキュペレー》の魔法を使う事ではなかった。《回復リキュペレー》で体調を治す事は可能だが、そうした所で今の状態ならばまたピメの粉で同じ状況になってしまう。

 それ故に、シャハボはカナリアの感覚を《小麻痺プティ・パラリゼ》で止めてしまう事を提案した。一時的にでも、痛みを止めてしまおうというのだ。

 カナリアが同意を示すと共に、シャハボが《小麻痺プティ・パラリゼ》を発動させる。


 カナリアの全身に痺れるような麻痺の感覚が広がり、代わりに痛みが消えた。

 彼女は、そのままうずくまるように地面に伏せる。

 傍から見れば、その姿はピメの粉にやられて倒れてしまったようにも見えただろう。

 今や、ヨーツンの配下のみならず、安全な所に居る観客までもがピメの粉の入った小袋を買って、カナリアに投げつけていた。

 カナリアの近くではもうもうとピメの粉塵が舞っているが、それは観客席までは届かない。



 多少風が吹いてきた所で、それは届かない。



 幾人かが気付く。建物の中にすきま風が吹き込んできた事に。

 ヨーツンの手下は気になって窓を確認したが、それらは閉まっていた。けれども、隙間から少しずつだが空気が室内に入り込んでいる。


 窓が、出入り口の扉が、次第にガタガタと音を立て始める。

 一人の手下が外で強風でも吹いているのかと思って、確認の為に窓を開けた。すると、堰を切ったように強い風が室内に吹き込んでいく。

 窓を閉めようとするが、風が強すぎていくら力を込めても閉まらない。


 そんな中、観客の一人が不思議な光景を見つけた。

 一瞬だけ、つむじ風のようなものを闘技場の中で見たのだ。

 次の瞬間、運悪く飛んで来たピメの粉が目に入ったようで、激痛にもんどりうつ。


 もんどりうつ姿を見て笑った別の観客は、視線上に不思議な風の流れを発見し、それを目で追った。そして、その終着点が、闘技場の直上、観客席よりも少し上の位置にあると彼は気が付いた。

 四方八方から何かがそこに集まっている。特に、下の闘技場から巻き上げられている粉の流れは、顕著に目に映った。

 その光景は、空間に穴が開いているように彼は感じていた。

 穴の開いた桶から水が流れ出るように、空間に穴が開いていて、そこに空気が流れ込んでいる。


 ありえるのか? そんな事?


 気づく人が増えていく。数人がカナリアの仕業かと思って見たが、カナリアはうずくまった姿勢のまま動かない。

 彼らは魔法に関して素人であった。また、ヨーツンのように多少の知識を持つ者であっても、その現象はカナリアが引き起こしているとは確証が持てないでいた。

 大魔法使いエルダーウィザードストラスドルフがもし生きていれば、彼ならばそれが魔法だと確実に断定出来ただろう。


 カナリアはうずくまった姿勢のまま、ある魔法に集中していた。


 それは、空気の圧縮である。

 カナリアは自分の頭上の高い所に、空気を集め、圧縮させていた。

 微かだが発生した気流は、カナリアにまぶされたピメの粉をも吸い上げていく。

 本来はそれで少しは楽になるはずだが、既に感覚を麻痺させているカナリアにはあまり意味が無い。


 彼女は、麻痺している触覚は切り捨て、うずくまっているが故に視界も捨てて、知覚の全てを《危険探知ディテクション・デダンジー》等の魔法によるものに切り替えて警戒を厳にする。


 その上で、空気を一点に集めどんどんと凝縮していった。


 使っている魔法は《気流操作フォンクションモ・フルーデア》。それ自体は難しい魔法では無い。だが、カナリアはそこに、《超圧縮スーペアコンプレッション》を追加して、《超圧縮気流スーペアコンプレッション・フルーデア》として魔法を発動させていた。

 ある程度までは知覚されないように静かに魔法を発動させていたが、気付かれ始めた時点で全力発動に移行する。


 建物の窓が一気に破れた。

 空気と一緒に割れたガラス片や木片が飛来し、カナリアの頭上高くに集まる。


 次々に上がる悲鳴は、それらの欠片が体に突き刺さった観客からだった。


 闘技場からはやや距離のある場所に座っていたヨーツンは怪我こそしなかったが、遅ればせてこれが魔法による現象だと気付く。

 彼は逃げようとしたが、時遅く、立ち上がろうとすると風で引き寄せられてしまいそうになるため、その場に這いつくばるのが精いっぱいだった。

 ヨーツンは這いつくばった姿勢のまま考えた。この魔法は何なんだと。ストラスドルフが居ればわかったのかもしれないのにと。


 実際ストラスドルフが居た所で、魔法の正体はわからなかったろう。わかった所で、それが《気流操作フォンクションモ・フルーデア》の系統である程度。

 カナリアの魔法が慮外の使い方でもあるし、ケタが違うのがその理由であった。


 魔法の《圧縮コンプレッション》はあまり使いどころが無い技術だと一般的には言われていた。事実、一般的使い方としては、干し草や食料等の柔らかくて嵩張る物を圧縮して固形化させるぐらいだ。

 だが、カナリアや、そのクラスの魔法使いウィザードは《圧縮コンプレッション》を別の用途で使う。

 攻撃能力の隠蔽や誤認を与える為に、そう、カナリアが行ったように、《火の玉ブールドフゥ》を極小にして隠したりだ。

 それにしても、練度が必要な割に小手先の技術の域を出ないと言われているのだが、カナリアはさらにそれを昇華させて独自の攻撃手段にしていた。


 それが、《超圧縮気流スーペアコンプレッション・フルーデア》。


 集めた空気を、カナリアは魔法の力で小さな空間の一か所に押し込めていく。集められたピメの粉やガラス片、その他の色々な欠片はその過程での副産物に過ぎない。

 必要とされるのはその集めた空気だった。


 引き寄せる暴風に耐え切れなかった可哀そうな観客が吸い寄せられ、木片に貫かれて血みどろになる。

 そこから流れ出るはずの血さえ、外には漏れずに中に吸収されていく。


 それを伏せながら見ていたヨーツンや他の観客は思っていた。何時になったらこの暴風は止むのかと。早く止めと祈ってさえいた。


 カナリアは、気の張る《超圧縮気流スーペアコンプレッション・フルーデア》を続けながら、《物理防壁バハリァ・フィジク》を同時に起動する。魔法の繊細な操作と複数の魔法の同時起動は、寝床作りの練習で鍛えていたおかげで一切乱れる事は無かった。



 もう一人、二人と犠牲者が吸い込まれた頃に、皆の祈りは聞き届けられた。



 カナリアが《超圧縮気流スーペアコンプレッション・フルーデア》を止めた。

 瞬時に彼女は《物理防壁バハリァ・フィジク》に集中する。



 そして、今まで《超圧縮気流スーペアコンプレッション・フルーデア》で無理やり、本当に無理やり集められて、こぶし大に圧縮されていた空気は元に戻った。



 どのくらいの空気が集まっていたのかはカナリアでさえ想像もつかないが、起きた事は大爆発だった。

 縮められた空気は元に戻ろうとする。その際に、その場にあった空気を押し除けていく。普段は気にする事も無いただの空気とて、限度を超えればその圧力は凶器になった。

 圧縮空気が解放された際の爆発的な圧力により、近くに居た人間も、遠くに居た人間も等しく吹き飛ばされた。

 近くに居る人間はその衝撃だけで即死し、遠くに居た人間は目にも止まらない速度で飛んで来た木片やガラス片で、めった刺しになってほとんどが死んだ。

 ヨーツンのように早い内から伏せていた人間はまだ幸運だった。多少吹き飛ばされようとも、飛来物の直撃を避ける事が出来たからだ。


 ただ、その爆発は建物自体を吹き飛ばしていた。

 窓も、壁も、柱も、床も、屋根も全て。



 吹き飛び、舞い上がった後に落下してくる木片や瓦礫は、多少は運のあった者達に降り注ぎ、全員に等しい結果をもたらす事になったのだった。



 カナリアとて例外ではなく、彼女は闘技場のあった場所に瓦礫と共に埋もれていた。

 《物理防壁バハリァ・フィジク》をしっかり張っていなければ皆と同じ結末を迎えていただろう。



『やりすぎだ、リア』


 瓦礫の中でシャハボが呟く。

 もはや、今この場にその言葉を聞く他人は存在しなかった。


【目も鼻も喉もすごく痛い。死にそう、私】


 未だにうずくまったまま、カナリアは指でシャハボの体をなぞりそう答える。


『リアは生きているさ。そんな事で死ぬはずがない。

 けれど、他は誰ももう生きていないぞ。みんな殺しちまったな』


 シャハボの簡易的な《感知センス》に反応するものは全く無くなっていた。

 遅ればせながら、カナリアも《生命感知サンス・ドレヴィ》と《危険探知ディテクション・デダンジー》を発動し、安全を確認する。


【もうやだ。疲れた。今日の寝床、ここにする】


 カナリアの体は《物理防壁バハリァ・フィジク》によって完全に守られていた。そして、積み重なった家屋の残骸がパズルのように積み重なり、一人分の空間だけはギリギリ確保されていた。


『こんなろくでもない所で寝るな、リア。風邪ひいても知らんぞ』


【大丈夫、私丈夫だから。警戒だけよろしくね、ハボン】


 シャハボはそれ以上カナリアを止める事はしなかった。人間の仕草のように首を振った後、カナリアの頬に嘴をつけてからこう言った。


『仕方ないな。おやすみ、リア』



 次の日、瓦礫の中で目覚めたカナリアは、残っていたピメの粉を思いっきり吸い込んでむせ返り、また涙目になるのだった。

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