第3話 ジェイドキーパーズ 【3/3】

 飛び跳ねた泥と血はカナリアの下着と体を汚していた。

 残ったのは、腰を抜かして座り込んでいるササだけ。


『まぁ、こうなるわな』


 いつの間に飛び上がっていたのか、シャハボはカナリアの肩に舞い戻る。


【ちょっと、悲しい】


『仕方ないさ。向こうから手を出して来たんだ。人間なんてクソで欲望まみれだ』


【シャハボ、私も人間よ?】


 声を出すのはカナリアのゴーレムだけ。カナリアは石板で自分の意思を言葉にする。

 声が一人しか聞こえない会話をしながら、カナリアはササに歩み寄っていく。


【質問があるの、いい?】


 尻もちをついたままいまだ立てずに後ずさろうとするササに、カナリアは石板を見せつけた。


「い……いや……、こ、こ、こ、ころさないでください………」


 ササの顔は涙と鼻水と恐怖で酷い事になっていた。それだけではなく後ずさった彼女の跡には小さな水溜まりも出来ている。

 それを見たカナリアはため息を一つ吐く。そして、吸い込んだ瞬間に理解してしまう臭いに顔をしかめた。


「たたたたすけて……命だけは…………」


 普段ならばカナリアがしかめっ面をした所で、元々童顔なためそれほど怖いわけでは無い。

 けれど、生きるか死ぬかの瀬戸際だと感じているササには、それが恐怖の対象として目に映る。

 結果として、水溜まりはまた大きくなる。


【じゃあ、ちゃんと答えたら命は助けてあげる】


 『おいおい……』と非難の声を上げるシャハボを無視して出した助命に、ササは何でも答えますから命だけはと飛びついた。


【じゃあ一つ目の質問。どうして私を襲ったの?】


 大まかな話はジェイドの通りだろう。だが、カナリアはササがどこまでそれに関与しているか知りたかった。それに、なんとなくカナリアはうさん臭さも感じていたからだった。


 泣きじゃくりながらするササの話はあまり早くは進まなかったが、概ねはジェイドの言葉通りの話であった。

 補足があるとすれば、ジェイドキーパーズは思ったよりも良いチームだったようで、チーム全員がササの母親の事を気にかけていて、早く大金を集めようとしていた事。

 ジェイドがどこかのツテから、カナリアの喋るゴーレムを欲しがる貴族の依頼を受けた事。

 あとは、本当にササたちが、カナリアが魔道具で魔法を使っていると信じていた事ぐらいだった。


【やっぱり悲しい。私は魔法使いですって言ってたのに】


 カナリアの石板を読んだササは、目の色を濁らせる。


「……だって、魔法を使う時に魔法名を言わなかったじゃない……」


 ぼそぼそと話すササに、今度はシャハボが答える。


『お前、バカか? たとえそうだとして、自分の手の内をおいそれと明かす奴がどこに居るんだよ』


「普通なら魔道具で魔法を使っているって思うじゃない……」


 たしかに、基本的に魔道具は決められた事しかできないが、起動するときには魔力を注げばいいだけで、魔法名を告げる必要は無い。

 護衛任務でカナリアが使ったのは一般的な《火の玉ブールドフゥ》と《灯りエクリアージ》ぐらいで、それも腰に横刺し出来る程度の小さな手杖を使って行っていた。

 カナリアにとっては単なる魔力節約の為の増幅器としての杖だったが、見る人が見れば幾つかの魔法を行使できる魔道具とも取れなくはない。


『それを信じて丸腰の魔法使いを襲って返り討ちとは、自業自得もいい所だな』


 シャハボの言葉はササの心から反抗する力を奪う。


【冒険者のクラスもあなたたちより上なのに、信じていなかったのね】


 カナリアの冒険者証タグはシャハボの体に括り付けられていた。冒険者証タグに書かれているのはカナリアと言う名前、クラスは1。その横にはえぐられたような丸いくぼみ。

 対して、ジェイドは3で、他のメンバーは5だった。


「……ジェイドさんは、その冒険者証タグは盗まれたものか、恐らくはカナリアちゃんの親か後見人だった人のもので、本人のものではないだろうって言っていました。

 みんなそれを信じたんです。だって本当にクラス1だとしたら、こんな辺境で護衛任務なんてしないでしょうし……

 それと、任務の時のカナリアちゃんは高いクラスの動きって感じじゃなかったですし、使っていた魔法も特にすごいとは思わなかったから……」


 冒険者証のクラスは0~6までがあった。6は見習い、5が一般的で、4になると騎士や名のある剣士、もしくは十分に経験を積んだ冒険者が持つ。

 3ともなれば地方では英雄として扱われ、2まで行くと本当の英雄として大きな功績を上げた冒険者や魔法使いなどがそれを受け取る事になる。(そしてクラス2を受領した冒険者の大体は、引退した後、地方の領主になったりする)

 1はクラス2になってからも十二分に功績を積み、土地や他人に縛られずに生涯自由に生きる事を望んだ凄腕の冒険者がなれるクラスとされていた。

 ちなみに0は、幾つかの国に認められるレベルの功績を積んだ者だけが得られるクラスで、大体は死人が貰う名誉クラスだった。


 実際の所、若いカナリアの容姿でクラス1の冒険者証を持っているのは不自然極まりなかった。不自然だからこそ本物と信じるか、他人の借り物と見るか、後者の方が圧倒的に多いだろう。

 カナリアが言葉を話せない事も合わせて。


『やっぱり自業自得以外の何物でもないな』


 シャハボは吐き捨てるようにササに言い放つ。


「だって! おかしいじゃないですか!

 言葉は話せないのに魔法を使ってたり、クラス1の冒険者証を持っていたり!!

 それに、そのしゃべるカナリアのゴーレムを売ったら私たちみんな幸せになれたんですよ!

 カナリアちゃんだって今みたいな冒険者の生活よりいい生活が……」



『そこらへんで止めとけ、死にたくないならな』



 感情を荒く吐き出すように話し続けたササは、突如として背筋の冷えを感じ、瞬時に言葉を止めた。

 次に感じたのは、小冷えどころではなくて頭に氷水を掛けられたように凍える感覚。本能的に感じるのは、それはただの寒さではなく、命が消えてしまう寸前のものだと言う事。

 二人しかいないこの場で誰も見るものは居なかったが、この瞬間にササの黒髪は恐怖によって根元から白く変わり始めていた。

 ササはその目だけを動かし、カナリアの持つ石板を見る。


【私からシャハボを奪ったら、許さない】


 許されないとどうなるのかは、もうその目で見ていて、その身で感じていた。


 ササの脳裏には、子供の頃に両親と囲んだ食卓の風景が思い浮かぶ。

 楽しかったり、悲しかった思い出。父親が急死し、母親も病に伏せた事。

 その後、なんとか食いつないでいた時に現れたジェイドの事。親身になってくれて、ジェイドのチームに誘ってもらった事。


 それからの、決して楽ではなかったけれど、実入りも十分にあった任務の数々。

 頼れる姉として振舞っていたミラルドに、軽口を叩きながらも細々とサポートしてくれていたルドリ。

 市場で売られている豚や牛のように開かれたミラルド、私には出来ない電撃の魔法に貫かれたルドリ。

 《大地の束縛リィアン・デ・テラ》の上位魔法で命乞いさえ出来ぬままに沈んでしまったジェイド。


 ササの心は完全に折れてしまっていた。

 目は涙を流し、うわごとの様に「お母さんごめんなさい」を繰り返す。


『どうするかね……これ? 後腐れない事を考えたら始末した方が早いんだがなぁ?』


 シャハボはどうと言う事も無く、ササを殺す事をカナリアに提案した。

 始末という単語に反応して、一瞬ササは体を震えさせたが、そのまま額を地面にこすりつけるような体勢を取り、「助けて下さい」としか言わない置物になった。


 カナリアは石板を抱えながら少し考えこむ。自分にかかった血の匂いが気になり、無言のまま一人でくっさい! と身振りで感情を表した。

 その後で、カナリアは頭を下げ続けるササの肩をツンツンとつつく。


 「ひふぇああぁ」と、言葉にならない声と共に、ササの体は動かなくなった。


 何度か突っついても動かない為、カナリアはしゃがみ込んで横からササの顔を覗き見ると、彼女の顔は狂相を保ち地面を向いたまま気絶している様だった。


【ああ、もう】


 カナリアの持つ石板に言葉が浮かぶ。


【別に殺したいわけじゃないのに】


【私は人を探しているだけなのに。シャハボを作った人。その人に会うために冒険者なんてやっているだけなのに】


【シャハボは唯一の手掛かり。私の大事なもの。それを取り上げようとしたら反抗したってあたりまえじゃない】


 誰も読まないカナリアの気持ちは、石板に浮かんでは流れていく。


『別に俺の事は気にしなくて良いんだぞ?』


 その言葉に、カナリアは強く首を振った。


【ダメ、絶対ダメ。私はシャハボの為に頑張るんだから】


 思いを伝えるかのように、彼女の細指は愛おしそうにシャハボの体を撫でていく。

 気持ちよさそうに体をゆすった後で、シャハボは口を開いた。


『で、どうするんだ? もう一度聞くが、始末するのか?』


 2度目の始末と言う単語に対して、もうササの体は反応しなかった。


【ううん。母親の事は本当みたいだから、殺さないでおくよ】


『そんな甘い事を言って、面倒事に巻き込まれても知らんぞ?』


【きっと大丈夫だよ。生きている事を大切にしてくれて、自分で何か他の方法でも見つけてくれるよ】


『そうか。リアがそう言うなら、俺は良いさ』


【あ、でもね、ハボン?】


 シャハボはカナリアと二人だけの時に、彼女の事をリアと呼ぶ。そして、カナリアは、二人だけの時にシャハボの事をハボンと呼んで……書いていた。


『なんだ?』


【死んだ人たちの事、どうしようか?】


『いつも通り適当に埋めておけばいい』


【でも、こんな事にはなったけれど、結構いい人たちだったんだよ?】


『よく言うぜ! リア、お前殺されかけたんだぞ!?』


 声こそ出さずに、笑う仕草をするカナリア。


【ハボンを取られそうになったからちょっとだけ強くしちゃったけれど、多少彼らは手加減してくれていたんじゃないかなって、私は思う】


『……』


【だって、ただ盗るだけなら、問答無用で私を殺しに掛った方が早いじゃない?】


『……考えが甘すぎるぞ』


【そうかな?】


『そうだ。そして、どうせお前の事だから、かわいそうだから供養したいとか言い始めるんだろ?』


【うん。正解。供養って言うのもなんだから、せめて冒険者証タグぐらいでも、ギルドに返してあげようかなって】


 そう言って、リアはトントンと地面を足で二回踏む。魔力の光がうっすらと走り、水が沸騰するように地面が泡立つ。

 地中から浮かんで来たのは、ジェイドの冒険者証タグだった。


【ササちゃんは生きてるから多分このままでいいでしょ。あとの二人も取って来るね。あ、ついでにもう一度体洗い直さないと】


 カナリアの挙動は既に平時と変わらず、あまり緊張感の無いものに戻っていた。

 開かれ、焼け焦げ、生き埋めらた死体がそこらにあるにも関わらず、彼女は平然としていた。


 カナリアはクラス1の冒険者証タグを持っている。それは、事実カナリアの物であり、彼女がその冒険者証タグにふさわしい実力と経験を積んでいると言う事に他ならない。

 この程度の人の生死は見慣れており、彼女にとってはなんら動じるような事では無かった。


 未だに微動だにしないササを一瞥した後、石板に言葉が浮かんだ。

 

冒険者証タグだけあっても人から信用されるって難しいなぁ】


『そのセリフ、前も言わなかったか?』


【そうかもね】


 死人の冒険者証タグを拾い、改めて沐浴を済ませ身支度を整えたカナリアは一人で地方都市のタキーノへと向かう。


【地方都市ってぐらいだから、何か手掛かりになる情報でもあればいいなぁ】


 そんな希望的な気持ちを石板に浮かべながら。

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