第4話

 裁判員裁判2日目は、被告人質問のみが予定されていた。それが終わると、次は、もう翌日の判決を残すのみとなる。

「それでは、10時になりましたので、開廷します。被告人は、証言台の前に立ってください。……では、弁護人から、どうぞ」

「弁護人山口から、お聞きします。私は、今からあなたのことを佳夫さんと呼んでお聞きしますね。佳夫さんは、安田一郎さんを包丁で刺して殺したのですね」

 安田佳夫は、頷いた。

「あ、すみません、記録をとっていますので、被告人は、マイクに向かって言葉で表現していただけませんかね」

「&%*+‘」

「え、今何とおっしゃいました」

「%&‘(I=‘+*)」

「えっと、ちょっと聞き取れないのですが……。弁護人、あ、それから検察官もですが、公判前整理手続の段階では、どちらからも通訳人はいらないということで伺っていましたが、やっぱり通訳は要るんじゃないですか? 念のため、動物との通訳ができる人を呼んではいるのですが……」

「いえ、その必要はないと存じます」

 山口は、自信を持って、裁判長の方を向いて答えた。

「私も、通訳の必要はないと存じます」

 佐藤は、その場で起立して、裁判長に対し、そう答えた。

「とは言いましてもねぇ。これではこちらのやりようがありませんので……」

 裁判長は、失笑しながらそう言った。

「いえ、佳夫さんの声をしっかりと聴いていただければ、佳夫さんが何を語っているのか、理解できるものと存じます」

 山口は、毅然とした態度で、裁判長に向かってそう言った。

「う~ん、まぁそこまでおっしゃられるのでしたら、もう少し続けてみましょうか。裁判員の方はそれで大丈夫ですか」

 裁判長は、左右を確認し、その言葉に対して、裁判員が頷くのを確認して「では、続けてください」と言った。

「もう一度、お聞きしますね。佳夫さんは、今回、安田一郎さんを包丁で刺して殺してしまったのですね」

「はい」

「それはなぜですか」

「とっさの出来事でよく覚えていません」

「まず、佳夫さんと安田一郎さんの関係についてお聞きします。あなたが、安田一郎さんと初めてあったのはいつですか」

「よく覚えていませんが、私が子どものころです。私が実の親に捨てられたところを、彼に拾われたと聞いています」

「それから、誰に育てられましたか」

「私は、彼に育てられました」

「佳夫さんは、実の親ではないと思っている安田一郎さんに育てられたということですか」

「はい」

「なぜ拾われたと思ったのですか」

「彼から、『お前なんて拾わなければよかった』と言われたことがあるからです」

「佳夫さんの覚えている範囲でいいのですが、安田一郎さんとの生活は、どうでしたか」

「子どものころは、色んなところにたくさん遊びに連れて行ってもらいました。それにとてもかわいがってもらっていたと思います」

「では、佳夫さんは、安田一郎さんから愛されていたということですか」

「あるときまでは、そうだと思います」

「あるときまで、とはどういうことでしょうか」

「私が大きくなったとき、彼の態度が変わっていきました」

「どう変わったんですか」

「暴力的になりました」

「暴力的になったとは、どういうことですか」

「毎日、安田さんから暴行を受けるようになりました。顔を殴られたり、身体を蹴られたりするようになりました。ひどいときには、顔や頭をつかんで机に思いっきりぶつけられるなどされました」

「それに対して、あなたは、いつもどうしていたのですか」

「何もしませんでした」

「抵抗することはなかったということですか」

「はい、そうです」

「どうして何もしなかったのですか」

「抵抗するには私に力がありませんでしたし、抵抗すると、もっと恐ろしいことが起こると思ったからです」

「もっと恐ろしいこと、とはどのようなことでしょうか」

「たまにゴルフクラブを持って脅してくることがあったので、それで殴られるのかなぁと」

「それで佳夫さんは、安田一郎さんに何も抵抗しなかったのですね」

「はい」

「そのような暴行はいつから始まったのでしょうか」

「10年くらい前からだと思います」

「10年くらい前から、どのような頻度で暴行を受けましたか」

「毎日です。暴行を受けない日はほとんどなかったと思います」

「ほかには、佳夫さんが、安田一郎さんからされたことはありますか」

「はい、暴力と一緒に暴言を吐かれました」

「どのような暴言ですか」

「『お前なんて生きてる意味ないんじゃ』とか、『お前がいるから俺はこんなことになったんじゃ』とかです」

「なぜ、そんなことを言われるようになったのですか」

「分かりません。ですが、たぶん、私のせいだと思います」

「具体的には、どういうことですか」

「私は、勉強もあまりできませんでしたし、字もあまり書けません。彼の言っている意味がよく分からないことが多く、違うことをやってしまって、彼をイライラさせてしまうこともありました。それに、体調が良くないことが多く、普通の料理だと身体の調子が悪くなってしまうのです。それで余計に手間をかけさせたのだと思います」

「普通の料理がいけない原因は分かりますか」

「化学物質? がよくないと聞いています」

「ほかには、何かありますか」

「私は、便を我慢することができずによく漏らしてしまいました。それで掃除が大変だったんだと思います」

「そういうことがあって、どうなったんですか」

「もともと安田一郎さんは結婚されていて奥さんがいました。それで奥さんと仲良く暮らしていたと聞いています。それで彼が仕事などで外に出ているときは、奥さんが私の面倒を見てくれていたのですが、私の世話が大変で彼は奥さんと離婚することになってしまったそうです」

「それはどうやって知ったのですか」

「いつのまにか奥さんが家からいなくなって、彼が私の世話をするようになっていたのと、後で彼から『お前のせいで佳奈が出て行ったんじゃ』と言われて、離婚したのかなと思いました」

「佳奈というのは、安田一郎さんの奥さんの名前ですね」

「はい」

「ほかには、ありましたか」

「私が彼の仕事を手伝ってあげたいと思い、彼の書類が机の上にちらばっていたので、片付けてあげたことがありました。次の日、彼がカンカンに怒って帰ってきて、重要な書類がなくなった、お前のせいで俺は会社に大損を出したと言っていました」

「佳夫さんが、書類をどこか別の場所に隠したりしたのですか」

「いいえ、そんなことはありません。机の上に出ているものを一つにまとめただけです」

「それで安田一郎さんは、どうなりましたか」

「彼は会社をクビになったと聞きました。それで家でお酒を毎日飲むようになりました」

「佳夫さんが、安田さんから暴行を受けたり、暴言を吐かれたりするようになったのは、いつくらいですか」

「たぶんですが、奥さんが出て行ってしばらくしてからだと思います。私の便で家がどんどん汚くなっていましたので」

「安田一郎さんがクビになる前ですか」

「そうだと思います」

「佳夫さんは、10年くらい毎日安田一郎さんから暴行を受けていたと話されていますが、いつかやり返してやるという思いはなかったんですか」

「いいえ、特にはありませんでした。私のせいで、彼の人生をめちゃくちゃにしたのだと思っていたので」

「でも、佳夫さんは、今回、安田一郎さんを包丁で刺して殺してしまいましたよね」

「はい」

「それは、何がきっかけだったのでしょうか」

「その日もいつものように暴行を受けてしました。夕飯を作っているときで、私がのぞきにいったら、『汚ねぇやつがこっちに来るんじゃねぇよ』と言われました。たくさん殴られて蹴られて、『お前の頭を直してやろうか』と言って頭をダイニングテーブルの角に思いっきりぶつけられました。それで、その場で倒れました。すると、目の前に包丁が落ちていました。たぶんそのときの暴行で床に落ちたのだと思います。

「それでどうなったのでしょうか」

「目の前に包丁が見えて、これで刺したら終わるかなと思いました。それで頭がぼうっとしていたけれどその場で立ち上がりました。すると、彼が私の目の前を通り過ぎようとして何かにつまずいて転んだので、とっさに私は彼の上に乗りました。彼はあおむけになって私に抵抗しようとしましたが、私は、彼の心臓めがけて包丁を突き刺しました。何か柔らかいものを突き刺した感じがしました。包丁を引き抜くと彼の胸から血が流れてきて、彼は慌てて血を抑えながら、右手で私の持っている包丁を奪おうとしました。それで私は、左手で彼の右腕を抑えて、もう一度彼の胸を突き刺しました。今度はすっと包丁が入りました。包丁を引き抜くとさらに血があふれてきました。その後も同様に彼の抵抗がなくなるまで彼を包丁で刺していましたが、彼がこちらを見ているようで怖かったので彼の顔も何度も刺しました」

「それで、佳夫さんは、どうしましたか」

「いつのまにか彼は動かなくなっていました。それで、彼の方からひゅうひゅうと音がしていたのですが、しだいにその音もなくなりました。そうして、大変なことをしたと思い、110番通報をしました」

「佳夫さんは、今、安田一郎さんに対して、どのように思っていますか」

「とてもひどいことをしてしまったと思います。今まで大変お世話になってきたのに。彼に、頭をついて謝りたいです」

 そういうと、安田佳夫は、涙をこぼした。

「私からの質問は、以上です」

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