教員としてのカゲヒコ、もといクロノスの生活は思いのほか充実していた。

 もともと賢者として魔法を極めた人間である。生徒達の質問には大抵答えられるし、そんなクロノスのことを徐々に他の教員たちも頼りにするようになっていった。


 プライドの高い特進クラスの生徒達はクロノスに反発していたが、あまりにも反抗的な生徒は模擬戦でとっちめてやると大人しくなった。 ともと実力主義が強いクラスなため、きっちりと格付けをしてしまえばあとは素直なものである。


「クロノス先生、質問よろしいですか?」


「もちろんですよ。ミス・サロモン」


 特にルナ・サロモンはクロノスを慕ってくれていた。昼休みのたびに職員室に押しかけてきて、クロノスの担当ではない座学の内容の質問までしてくるくらいだ。いつの間にか呼び方まで変わっている。


 黒野カゲヒコは怠惰な性格の男だが、決して面倒見は悪くない。勇者パーティーでも最年長者として他のメンバーのフォローをしていたくらいだ。

 そんなカゲヒコにとって、臨時講師クロノスとしての生活は思いのほかに性分に合っていた。


「ふう、充実した毎日だ…………って違う!」


 なんで教師として溶け込んでいるのだ! 危うく怪盗を引退するところだった!


「やれやれ、意外に教員生活が楽しすぎたな。本題を忘れるところだった」


 そもそも怪盗シャドウが学園に潜入した目的は、学園に隠された秘宝『セージ・タチバナの遺産』を手に入れることである。


 きっかけは今から1ヵ月前に古書店で手に入れた本だった。

 上質な羊皮紙で書かれたその本はなんと日本語で書かれており、執筆者の氏名には「立花 誠司」と書かれていた。


 気になって本を購入したカゲヒコは、200年ほど前に召喚された当時の勇者パーティーの【賢者】セージ・タチバナのことを知った。


 内容はタチバナがこの世界に召喚されて当時の魔王と戦った経緯について。

 元の世界に帰るために魔法の研究に打ち込み、タチバナ魔法学院を設立したことについて書かれていた。

 本の最後には、「学院の最奥に私の遺産を隠す。どうか同じ日本人にそれを引き継いで欲しい」と書かれていた。


(同じ日本人の遺志を継ぎたい……なんて言うつもりはないけどな。俺と同じ【賢者】の遺産ってのには興味がある。ぜひともお目にかかりたいものだな)


 学園には侵入者を察知するための結界が張られているため、いかに怪盗シャドウといえども無策で侵入するのは難しい。

 ましてや、肝心の遺産がどこにあるのかもわからないのだ。堂々と学園に入ることができる臨時講師という肩書はとてもありがたいものだった。


(学園の最奥……普通に考えれば学院長室なんだけど、あそこには何もなかったよな)


 すでに目ぼしい場所のいくつかには探りを入れているが、いまだに秘宝につながるヒントは見つかっていなかった。


「あ、クロノス先生。ちょっといいですか?」


 クロノスが職員室で物思いにふけっていると、同僚となったエマから声をかけられた。


「ああ、エマ先生。何か用ですか?」


 クロノスが教員の仮面を被って答えると、スーツ姿の女性教師は机に置かれた大量の本を指さした。


「今から資料を書庫に返しに行くんですけど、手伝ってくれませんか? 私一人だと、その……」


「ああ、なるほど。いいですよ」


 クロノスは本を抱えて、エマと一緒に書庫へと入った。


「ひゃっ!?」


 書庫に入るや否や、エマが何もないところで足を滑らせた。抱えていた本が宙へと放り投げられ、バサバサと盛大に紙の音を立てる。


「第3階梯魔法【反重力アンチグラビティ】」


 魔法を発動させて宙に舞った本をカバーする。同時に一方の手で本を抱えて、もう一方の手でエマの身体を支える。


「あ、ありがとうございます。助かりました!」


「いえいえ……相変わらずのドジっぷりですね」


 2週間ほど学園に勤めてわかったことだが、エマ・カローラという女性は非常に、とんでもないほどのドジっ子である。


 道を歩けば何もないところで転ぶし、お茶を渡せばひっくり返す。

 魔法なんて使わせた日には見当違いの方角へと飛んでいって、自分の教え子や同僚の教師に命中させる始末である。


 いっそ呪いでもかかっているのかと思わんばかりのドジっ子ぶりを発揮させる彼女は、書庫などの重要な資料を収めている場所には一人での立ち入りを禁止されていた。


「ええと、それじゃあ本をしまいますね。そっちの本は下から二段目で、それは向こうの本棚。その本は……ひゃんっ!?」


「ああ、また……」


 今度は書庫のカーペットに足を引っかけて尻もちをつく。

 両脚を大きく開いたせいでまくれ上がったスカートの中にさりげなく視線を向けつつ、クロノスはエマに手を差し出した。


「大丈夫ですか、エマ先生」


「す、すいません、クロノス先生」


「ケガはありませんか? カーペットを直しますからどいてください」


「あ、私がやりますよ!」


「構いませんよ。動かないで、くれぐれも、本当に動かないでください」


「うう……」


 これ以上場を荒らされてしまわないようにしっかりとエマに言い含めて、クロノスはカーペットをまくって皺になった部分を丁寧に伸ばす。


「ん?」


 カーペットの下に奇妙な文様があるのを見つけた。円形の図形の内側に幾何学的な文様が刻まれている。


「これは……魔法陣か?」


「え……ああ、本当ですね。これは文様魔法で使われる魔方陣ですよ」


 クロノスの肩越しに、エマが覗き込んでくる。

 文様魔法とは、特定の図形を刻み込むことによって発動する魔法であった。

 この魔方陣の内側に刻まれた図形1つ1つが詠唱の役割を果たしており、魔方陣に一定パターンの魔力を注ぎ込むだけで魔法を発動できるのだ。


「ええと、誰がこんなの書いたんでしょうか?」


「さて、それはわかりませんが……」


 エマにはそう答えながらも、クロノスはその魔法陣を刻んだ人間が誰なのかを察していて。


「セージ・タチバナ……こんな所に隠してたのか」


 魔法陣の上には、はっきりとした日本語で「ここ掘れ ワンワン」と書かれていた。

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