②
如何にして黒野カゲヒコが教師として、セント・タチバナ学院に勤めることになったのか。それは数日前までさかのぼる。
「なんだ、今日は一段と客が少ないじゃないか。いよいよこの店も潰れるのか? まあ、ハゲのヒゲが作った飯なんて誰も食いたがらねえもんな」
「縁起の悪いことを言うんじゃねえ! イチャモンつけるなら帰りやがれ!」
夕方、表の仕事である冒険者としての職務を終えたカゲヒコは、行きつけの食堂へと晩飯を食べに来ていた。
店主の顔が恐ろしいせいか味の割に人気がない食堂は、いつも以上に客足が少ない。ハゲ頭の店主も厨房で料理を作ることなくカウンター席に座っている。
「いやー、だってよ。今を何時だと思ってんだよ。飲食店の一番のかき入れ時だぞ? こんな時間に空いてる店に未来はないっての」
「ちっ、好き勝手言いやがる! うちの店が空いてるのは俺のせいじゃなくて、アレのせいだよ!」
「アレ?」
店主が指さす方向を見ると、テーブル席に女性の姿があった。
紺色の女物スーツを着た若い女性が酒瓶を片手にテーブルに突っ伏して、えぐえぐと嗚咽を上げている。
「誰だい、アレ。初顔だな」
「あの陰気な女のせいでせっかく入ってきた客もすぐに出てっちまうんだよ! ったく! 迷惑なことだぜ!」
「おいおい、いくら何でもそんな大声で……」
「ううう、どうせ私は邪魔者です。蛆虫です。蛆虫にたかられる鼠の死骸です。私なんかがこの世界に生まれてきたせいでみんなに迷惑が掛かってしまうんです。生まれてきてごめんなさい……」
「……なんだ、あれ?」
「昼過ぎに店に入ってきて、ずーっっっっっっと、あんな感じなんだよ。最初は常連客が慰めようとしてたんだけど、すぐに諦めて出ていっちまった」
「そうですよう、みんな私を見捨ててどこかに行ってしまうんです。そうやって私は世界にたった一人で残されて、最後の審判の日までずっと、ずっと孤独にぼっちに生きてくのです。私のせいで世界が……」
「……美人っぽいのに、えらく残念な女だな。いや、顔見えねえけどよ」
テーブルに顔を埋めているため顔は見えないが、長い黒髪や白い肌、スラリと長い脚から見てもかなりの美人オーラが出ている。惜しむべくは胸のサイズが平均にとどいていないことくらいか。
「もうカゲヒコでもいいから、あれをどっかに連れてってくれ! お前の自宅にでも、連れ込み宿にでも、好きなようにしてやってくれ!」
「……あんな湿っぽい女は抱く気になれないんだが。胸も小さいし」
「どうせ私は胸も人間の器も小さいですよ。小さすぎてプチトマトだって入りませんとも。いつか子供が生まれても、きっと私の胸が小さいせいで母性に餓えた子供になって、不良になってブタ箱にぶち込まれちゃうんです。それで私は一人寂しく老後を……」
「…………俺も出てっていいか?」
「そう言うなよ! しばらく飯代まけてやるから!」
ヒゲ面の店主が拝むようにしてカゲヒコに頼んでくる。カゲヒコはやれやれと肩をすくめた。
「やれやれ、厄介なことになっちまった。ま、適当な所で捨ててくるかね」
「うー?」
カゲヒコは女性をテーブルから起こし、半分抱きかかえるようにして店から連れ出した。
顔が露わになった女性はメガネが良く似合っていて、理系美女といった顔立ちをしている。まともにしていれば相当な美女なのだが、頑なに右手の酒瓶を放そうとしていないあたりかなり残念である。
「第2階梯魔法【
幻術を使って自分と女の姿を隠し、浮遊魔法を使ってふわりと身体を浮き上がらせる。そのまま屋根の上を飛び越えていき、適当に人気のなさそうな公園へと女性を連れて来る。
「ま、結界は張っておいてやるから襲われることはないから安心しとけよ。風邪をひくかもしれないが、それは自業自得という事で」
女を公園のベンチに座らせて、カゲヒコはその場を立ち去ろうとする。
しかし――
「無詠唱魔法。それに二重発動……?」
「ん?」
「すごい……なんて、すごい……」
女がカゲヒコの服の端をがっしりと掴む。先ほどまで親の形見かと言わんばかりに酒瓶を握りしめていた指が、今はカゲヒコのことを逃がすまいと掴んでいる。女はガバリと勢いよく顔を上げる。
「すごい、すごいすごい! こんなのまるで賢者様じゃない! 貴方はいったい何者ですか!」
「うおっ!?」
目を爛々を輝かせた女がカゲヒコに詰め寄ってくる。
先ほどまでの陰気な雰囲気はどこに行ったのか、メガネの奥の瞳には感動と好奇心が炎のように燃え盛っている。
「ああ、こんなところで賢者クラスの魔法使いに会えるなんて、これは運命です! お願いします! 私の代わりに、魔法学校の先生をやってください!」
「は、はあ?」
有無を言わさぬ女の剣幕に、カゲヒコは間の抜けた声を漏らすのだった。
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