「君達はアンバーグリスという物を知っているか?」


「にゃあ、聞いたことがないにゃ」


 カゲヒコが口にした言葉にノノが首を傾げた。他のネコミミ女性達も同様に疑問符を頭上に浮かべている。

 まあ、一般的な言葉ではないから知らないのも無理はないだろう。


「クジラというのはね、海に棲んではいるけどエラ呼吸ではなく肺呼吸の生き物なんだよ。つまり、犬や猫、俺達、人間と一緒だな。そのクジラの嘔吐物がアンバーグリスだ」


「にゃあ?」


 さらに首を傾げるネコミミ女性達。

 どうやら、この世界ではエラ呼吸と肺呼吸の違いは一般的ではないらしい。クジラが魚の一種とみなされているのだから当然といえば当然だ。


「・・・まあ、詳しい話は置いておくとして、ようするにこいつは人間と同じように呼吸をしていて、ゲップや嘔吐をすることもあるってことさ」


 カゲヒコは火属性の魔法を発動させた。

 第4階梯魔法【炎熱方陣】。さきほど千年鯨の胃壁へと放ってあっさり無力化された魔法である。


「にゃ、その魔法はさっき効かなかったにゃ」


「それは使い方によるだろ。俺の狙いは・・・こっちだ!」


 カゲヒコは魔法を放つ。千年鯨の胃壁ではなく、船の下の胃液と海水に向けて。

 千年鯨の胃袋の中には船を浮かべることができるほどの水量がある。その水を火属性の魔法で一気に蒸発させる。


 水は加熱すると気化して、水蒸気になる。水と水蒸気の体積比はおよそ1・1700。すなわち、気化することで体積が1700倍に膨れ上がるということになる。


 カゲヒコの魔法によって生じた水蒸気が、瞬く間にクジラの胃袋を満たしていく。


「うにゃー、耳が痛いにゃ!」


「船から出るなよ。水蒸気爆発で死ぬぞ」


 船の周囲にはあらかじめ魔法で結界を張っている。中にいればとりあえず、死ぬことはないだろう。


「【炎熱方陣】! 【炎熱方陣】! 【炎熱方陣】!」


 繰り返し魔法を発動すると、状況に変化があった。


『ボオオオオオオオオオオオオッ!!』


「うおっ!」


 地鳴りのような声が響き、地震が起こったように水面が激しく揺れる。どうやら風船のように膨れ上がってしまった胃袋に限界が来たようだ。


「来たぞ! 全員、船につかまれ!」


「にゃー!」


 カゲヒコの指示通りにネコミミ女性達が船につかまる。次の瞬間、それは起こった。


『ゲエエエエエエエエエエエエエッ』


「にゃああああああああああああ!?」


 千年鯨が激しいゲップ音と共に嘔吐をする。

 胃の中身が上下にひっくり返り、食道を逆流していく。


「だ、第3階梯魔法【高速化ハイラピッド】!」


 魔法を使って船の速度をさらに上昇させた。カゲヒコ達が乗った船は弾丸のような勢いで千年鯨の口から射出される。船は飛行船のように空を飛んで、水切りの石のように何度も海面を跳ねる。


『ボオオオオオオオオオオオオッ!!』


「よっしゃああああああああ!」


 後ろを振り返ると、船を吐き出したままの姿勢で苦しそうに千年鯨が鳴いている。


「脱出成功!」


 カゲヒコは笑顔で叫んで、船のマストへと身体を預けた。

 カゲヒコとノノがクジラに飲まれたのは昼過ぎだったが、今は東の空に朝日が昇ろうとしている。

 これが何度目の朝日かはわからないが、とりあえず助かったようである。


「にゃー・・・」


「うにゃー」


 船のデッキではネコミミ女性達が目を回して倒れている。


「やれやれ、命拾いをした・・・・・・ありゃ?」


 何か大事なことを忘れている気がする。

 カゲヒコは朝日を眺めながら、口をへの字に曲げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る