川口家のとある朝食

しおぽてと

川口家のとある朝食

「あなた達、いつになったら子の顔を見せてくれるのです?」


 川口家の大黒柱であるおたきの言葉を皮切りに、食卓は騒がしくなった。白米が喉に詰まったのか、長男の廉太郎れんたろうは激しく咳き込む。飲んでいたお茶が鼻に入り、一時の頭痛を起こしたらしい廉太郎の嫁の明子あきこは頭を抱えてその場で静かに悶絶していた。あらあら、とお滝は茶碗と箸を膳の上に置くなり肩をすくめる。


「何です、二人とも。行儀の悪い」

「は、母上の所為せいでしょうっ!?」


 咳をしつつ廉太郎が抗議すると、まあっ、とお滝は顔をしかめた。


わたくしはただ、子の顔をいつ拝めるのかと聞いただけではありませんか」

「どうしてそれを食事中に……しかも、なにゆえ朝に言うのです」

「夜中にあなた達の部屋から声が聞こえないからですよ!」

「ぬ、盗み聞きをしているのですかっ!?」

「廉太郎、この家の壁の薄さをなめてはいけません」


 廉太郎は眉根を寄せ、片手で額を抱えた。


「廉太郎、明子さん」


 呼ばれた二人は居心地悪そうに、改めてお滝を見た。


「祝言を挙げて、早一年が経とうとしています。それなのに、子の話を一切しないのはどういうことですか!」

「ど、どうと言われましても……」

「ちゃんとはげんでいるのですか!」


 廉太郎はちらっと明子に視線をやる。明子は恥ずかしくて物も言えないのか、体を小さくして再び俯いていた。どうなのですか! とお滝は追及する。あまり答えたくはないが、仕方なく、廉太郎は口を開いた。


「十日に一度は、励んでいます……」

「ちゃんと明子さんを満足させているのですか!?」


 どうしてそこまで聞いてくるのかと思いつつ、はい、と一呼吸置いてから首を縦に振る。


「では、俯いている明子さんにお尋ねします」

「は、はいっ」


 突然、名前を呼ばれたからか、明子は声を上ずらせて返事をすると、顔を上げて再びしっかりとお滝を見た。


「満足をしているのなら何故、子が出来ないのです?」

「えっ、そ、その……問われても、返答に、困り……ます……」


 ふいと軽く目を逸らし、着物と同じくらい顔を赤く染めた。あまりそういった話をしない明子にとってその質問はある意味、拷問に近かった。では、とお滝は強気に発言する。


「いつになったら子は出来るのです」

「あ、わ、わかりません……」

「わからないでは困るのです!」


 膝を叩き、お滝はまるで西洋の武器である機関銃のように早口で続けた。


「良いですか! 川口家は江戸のはじめより代々上様のお召し物を作って献上してきた由緒正しき家柄! 家の者だけでお召し物をつくろい、その技は血縁の者にしか伝授しない……それが我が家です。御維新後となった今でも誇りなのです」


 また母上のお家自慢が始まった、と廉太郎は小さく息を吐いた。たこが出来るほど聞かされたお滝の話は、否が応でも耳に入ってくる。


「私も老いた身。いつまでもあると思うな親と金です。早く孫に私の技を教えて、ゆっくりと隠居したいのですよ」

「そういうことでしたら、母上から技を受け継いだ私が、いつか生まれてきた子に教えますからご安心ください」

「私が直接、教えたいのです! 廉太郎は黙っていなさいっ」

「ええー……」

「あ、で、でもっ。お母上様はもう隠居してい」

「明子さんもお黙りなさい!」


 すばやく二人の言葉を遮り、かく、とお滝は継ぐ。


「早く孫の顔が見たいのですよ。このままでは死んでもしに切れません。でなければ、亡くなったお父上様にあの世で顔を向けることができません!」

「家云々うんぬんではなく、単なる母上の願望なのですね」


 呆れたように言う廉太郎に、悪いですか! とお滝は次いで声を荒げた。


「廉太郎、明子さん。あなた達は子が欲しくないのですか!」

「いや、まあ、欲しいといえば欲しいですが……なあ? 明子」

「えっ!? あ、は、はいっ。わたしも、欲しい……です」


 徐々に声を小さくしていく明子に、このような雰囲気ではあるものの廉太郎は思わず可愛いなあと和む。


「でしたら! 早く子を作りなさい! 今すぐに!」

「今!? 母上、それはいくらなんでもっ、」

「口答えは許しませんよ廉太郎!」


 なんて親だ、と廉太郎は口の中で呟く。


男子おのこでも女子おなこでも構いません。私に早く孫の顔をお見せなさい!」


 びしっ、と指をさしてお滝は結んだ。言いたいことをひとしきり言い終え、冷めた茶をずずっと一啜りする。ほっと息を吐いたお滝を横目に、何故今日に限ってこうも口うるさいのかと廉太郎は考えた。


「あ、の……お母上様? ひとつ、お尋ねしても良いですか?」

「何です?」


 黙っていた明子が恐る恐る口を開く。


「何故、今日はそのような話をなさるのですか?」


 廉太郎の聞きたかったことを代わりに質問してくれた。お滝はキッと明子を睨んだが、それもつかの間のことで、ほどなくして少し寂しそうな色を浮かべた。


「今朝、総一郎そういちろうから手紙が届いたのです」


 総一郎とはお滝の弟で、現在は大阪に住んでいる。


「息子夫婦に第一子誕生、と」


 総一郎宅の息子夫婦と年齢が近い為、廉太郎は仲が良い。おおっ、と思わず歓声をもらした。


「それはめでたい! では後ほど、祝いの物を見繕い贈らねばなりませんな!」

「総一郎の息子夫婦に先を越されたのが悔しくてならないのです!」

「ええー……」


 きーっ! と着物の袖を噛むお滝に姉弟きょうだいで何を競っているのだと廉太郎は呆れた。それが誠の母の胸の内かと思うと、急に虚しい気持ちにもなった。


「お母上様……総一郎様とあまり折り合いがよろしくないですものね」


 納得したようにぽつりと明子はこぼす。気を取り直したのか、お滝は深呼吸を一つしてすぐに先程の迫力を取り戻した。


「廉太郎、明子さん、良いですか! 向こうは正直申せば、ざまーみさらせ女子が誕生したそうです。こちらはなんとしても男子を生むのです!」

「そう仰られても、生まれてくるまでは女子か男子かはわかりませんし……」

「あなた達の遺伝子を継ぐのです、きっと男子です」

「意味がわかりません」


 お滝は勢い良くお膳を叩き立ち上がった。その拍子で箸が宙を舞い、お滝の結い髪にまるで簪のように刺さる。廉太郎は頭を抱え、明子はぽかんと口を開けた。

 子を作らねば、と続けてお滝は一度、仏間へと消える。数秒と経たずに戻って来たかと思えば、手には薙刀が握られていた。刃はぎらりと光り、うわあっ、と二人は声を上げ立ち上がる。傍へやってきた明子を抱きしめ、廉太郎は顔を引きつらせた。そんな二人に、お滝は薙刀の刃先を向ける。


「二人とも、これから十日十夜とうかじゅうや、励みなさい!!」


 果たして二人は、こくこくと何度も頷いた。

 この時のお滝の影は人型ではなく、太陽の光の加減もあってか、まるで鬼のように角を生やしていた。更にくっついている廉太郎と明子の影が薙刀に重なり金棒のように太く大きく写り、まるで鬼婆そのものであった。

 

 それから月日は経ち、明子は無事に懐妊、男児を出産した。川口家はてんやわんやの大騒ぎ。あれほど騒いでいたお滝もぴたりと小言をもらさなくなった。廉太郎も安心し、家族はいつまでも仲良く暮らすことと相成った。

 ――のは、ほんの一年と少しだけのこと。

 ある日、一通の手紙により再び鬼婆もといお滝の小言は始まる。「息子夫婦に第二子誕生」という総一郎からの報せで、生まれてきたのは待望の男子。一姫二太郎だという。それが羨ましかったのか、はたまた家族が増えたという嫉妬心からか、次は女子を生みなさい! と騒ぎ出したのは、また別の話――。

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