酒と協力とバックドア

「残業、つきあってくれてありがとね、千田ちだくん」


 さ、どんどん飲んで、今日は私がおごるから、とビール瓶を向けられて「あっ、すいません」千田は両手を添えたグラスをおずおず差し出す。

 黄色の炭酸が洗剤のように濃厚な泡を形成する。千田はほとんどそれをなめる程度にごく少量を口にした。

 ソフトドリンクの炭酸飲料は好きでよく飲むがアルコールはそれほど好まず、ビールもうまいと思ったことがない。が、本心からありがたく酌をちょうだいする。先輩の立花たちばな千尋ちひろには本当に世話になっている。


 今年の春に大学を出た千田は、五次請けの開発会社に入った。本当は大手志望で、こんな中小など視野になかった。我流ではあるが、この歳にしてすでに十年以上積み上げたプログラミングスキルには自信があったし、海外のハッカーコミュニティーでも善良なハッカーホワイトハットたちから腕を認められている。大学のサークル内では、ITへの造詣は頭ひとつふたつどころか五つぐらいは抜けており、セキュリティー関連の実習では教授を含め二十五人全員の端末へ密かにバックドアを設置した。能力はうぬぼれではないはず、引く手あまたのはず、だった。


 が、就職活動を始めてみると、大手はおろか中堅にも歯牙をかけられない。

 書類選考や筆記試験は問題なく、面接までスムーズに進むのだが、ほぼ一次で落とされる。自己紹介や志望動機などで、自身がいかにコンピューターやネットワークの知識・技術を有しているかを示しても、問われるのは専門分野ではなく一般的なことがらが多くを占める。準備もなく突撃した大手企業では――生来のやや気弱気味の性格もあって――しどろもどろの撃沈を繰り返す。これはまずいと面接対策のサイトを見て臨んだ中堅も、ITにしか関心のない千田は担当者の満足する回答ができず、彼のイメージするステレオタイプなPCオタク像とはかけ離れたいわゆる陽キャたちが、自信に満ちた態度で受け答えする横で縮こまるしかなかった。

 人の話を聞かない彼も初冬に差しかかるころにはさすがに危機感を募らせ、教授と就職課を頼って悪戦苦闘し、どうにか中小に潜り込んだ。先日、駅で偶然会った教授に『今年はコロナの影響で苦戦してるけど、去年までの売り手市場であれだけ内定の取れなかった学生もそういないよ』とあきれられた。


 就職できてひと安心かと思ったら今度は激務が待っていた。ニュースでよく見かける働きかた改革というものは興味がないのでよく知らないが、たぶん、自分の会社には無縁の話なのだろう。とりあえず週に一度は日付をまたがないと気がすまない拘束時間、ひとりであれもこれもと抱え込まされるオーバーワーク、仕事は盗んで覚えろ式の時代錯誤な徒弟制度――しかもたいていの場合、技術的に疑問符のつく水準の設計・コーディングが散見する。

 これに、広がり始めた新型コロナウイルスの影響が加わり、混乱する現場が新人の面倒をみる余裕はなし。常態化しているデスマーチの波も押し寄せ、コロナや大正島や動画問題で世間が騒いでいることもほとんど知らず、千田は疲弊。フライングで五月病を先取りし、ついひと月前までひとごとだと思っていた自殺・過労死が頭をよぎるようになって、ある朝、無断欠勤。会社からの電話やメールを無視し、そのままフェードアウトするつもりだった。


 ゴールデンウィークの谷間、欠勤五日目に立花千尋が家へ来た。

 応対する気はなく無視していたが、五分たっても十分過ぎても彼女はドア前から引かない。三十分近く粘られて千田は根負けした。コーポじゅうに妙な噂がたつのはいい気がしない。

 会社に向かう電車内で、千田は、自分のような情けない新入社員が辞めるのも困るほど人手不足なのかと自嘲を交え尋ねた。先輩プログラマーは、半分当たり、半分はずれと笑んでみせた。


『うちの会社は、人員にかぎらず冗長性ってものを無視する典型的なブラックだから』

『けど新人の無断欠勤は普通に一発解雇。開発のスキルなんて二の次で、ぎりぎりの納期のなかでとりあえず動くものを作ればいいって考えだから、仕事に穴をあけるのには容赦なし。自宅訪問これは私の裁量よ』


 いわく、千田の現状とポテンシャルを見込んでの自称慧眼。入社して一、二週間のころ、設計や開発体制に進言しては、上流工程との兼ねあいやスケジュールなどを理由にことごとく一蹴される場面を見ていて、適切な指導で千田は化けると踏んだという。


『千田くんの歳で、C、C++と順番に足固めしてC♯もあつかえるJAVA使いはほんと貴重。新人くんにありがちな、日本語サイトしか調べてませんってのもないし』

『独学中心でプログラミングをものにするとチームでの開発にとまどってしまいがちなのよね。私もそうだった。上下左右の人間関係っていう面倒な属性値パラメーターも考慮に入れないといけないのが本当にわずらわしくて』


 社内への車内で、語り、聞く彼女とのやり取りは、就職活動から入社以降にかけて右肩下がりだった千田に、自信と希望を取り戻させた。

 出社後、千尋の口添えを得て開発部長に詫びを入れ、彼女の下へ配置転換された千田は、その育成のもと、少しずつ頭角を現すようになる。


 立花千尋は、千田から見ても確かな実力を備えたエンジニアだが、プログラミング以上に参考になったのはソーシャルスキルだ。

 千田も薄々感じてはいたが、開発部門といえど会社組織というものは大なり小なり体育会系の気質がある。その風潮を無視して輪の外で遠巻きに見ていると、知らぬ間に異分子に分類カテゴライズされ、やがて居場所を追われてしまう――立花千尋けいけんしゃはそう力説く。

 集団内へ残存するためにはコミュニケーションを軽視せず、飲みの場があればとりあえず参加し、飲んでるふりでもいいからしたたかに顔つなぎをしておく。それが、コミュ力至上主義のこの国で仕事をするうえで最低限の処世術なのだと。

 GoogleやMicrosoftのような外資に行けばこんなくだらないことにあくせくしないですむのかな、と千田がぼやくと、千尋をして『私たちは一般人よ。ムリムリ』と苦笑する。超絶実力主義社会のうえに、人外に近い能力がなければ秒単位で脱落必至と。


 そんな彼女のお礼と実地訓練を兼ねて、会社帰り、駅そばの居酒屋のチェーン店へ立ち寄っている。時刻は二十二時をまわったところだ。金曜の夜にしては客足はまばら。学生とおぼしきバイト同士の雑談もよく耳に入る。

 七月、緊急事態宣言。仕事に追われて気にとめる余裕がなかったが、改めて周りを見渡してみると、新型コロナウイルスは街のいたるところで時間短縮・休業・廃業を強いている。千田の会社でも、取引先やその関係先で陽性の社員が出ただのと騒ぎを耳にする。

 ――うちの会社は感染者が出ても操業停止なんてしないだろうな、と千田はちびちびビールをなめる。へたしたら、陽性反応が出た当人さえ出社させかねない。千尋からの伝聞では、十年か二十年ぐらい前までは、インフルエンザを押しての出勤がほめたたえられたらしい。開発会社のくせにテレワークへの移行が鈍いのもうなずける時代錯誤ぶりだ。筆書きの『努力・根性・奉仕・不退・必勝』との言葉を額縁で飾っているし。昭和か。


 なぜこんな旧態依然の会社にこの人は残っているのか。ちょっとごめんね、と携帯端末をいじる先輩の顔を千田は盗み見る。手もとの機種は当然のようにiPhoneではなく、国内メーカーでもないAndroid端末。お手製のアプリも複数入っている。壁紙は水色がかった灰色の無地。女性社員らしくない無骨さだ。右も左もわからず入ってきた自分と違って、こんな古めかしい会社など辞めてどこへでも行けそうな気vがするが。



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