幼馴染以上、「いただきます」関係
立花
第一話
空に浮かぶ月が、うっすら黄色くなっていく。もう少しで真っ暗になりそうだ。もう真夏で日が高いといっても、7時になるともうほとんど夜だ。そのくせ気温はまったく下がった気がしないのだから、部活帰りの体にはこたえる。住宅街を歩いていると、あちこちの家から漂う夕飯の匂いと肩にかけているエナメルバッグの重みが、体力を限界に押しやっていく。
街灯がともり始めた頃、やっと自宅の目の前にたどり着く。そうして玄関に鍵をさして開ける——ことはせず、自宅を通り過ぎて3軒隣まで歩いていく。いつも通りにインターホンを鳴らす。
『はい。』
「俺。」
最低限のやり取りをすると、数秒経ってガチャっと玄関の鍵が開く音がした。それを聞いて遠慮なく玄関を開ける。
「お邪魔します。」
そう言ってリビングに行くと、キッチンで一人の女子が配膳をしているのが見える。セミロングの髪をざっとまとめエプロンをした姿が様になり過ぎていて、たまに本当に母親をやってるように見える。彼女は俺に気付くと、顔を上げた。
「おかえり。」
少し口角を上げて彼女が言う。
「ん、ただいま。」
こちらもいつも通り。
「今日、何?煮付け?」
「残念、肉じゃがでした。」
醤油の匂いをヒントに考えたが、はずれだ。どっちにしろ好物なのでいい。そもそもこいつの作る料理で嫌いなメニューなどないのだが。
「あとよそったら終わりだから、ちょっと待ってて。」
「了解。」
俺はバッグをテーブルの脇において、手を洗いに洗面所へ向かう。戻って棚から茶碗をとり、炊飯器から二人分のご飯をよそる。その間に彼女がおかずをテーブルに並べる。
「「いただきます。」」
二人とも席について、合掌。さっき聞いた肉じゃがと、みそ汁、冷ややっことお浸しが並ぶ。早速じゃがいもを口に運ぶ。味が染みてて旨い。消耗した体力が戻っていく感じがした。
「どう?調子は。」
おかずに一通り口をつけたあたりで、彼女が聞いてきた。
「うん、まあいつも通り。悪くはないと思う。」
調子というのは、部活の、バスケの事だろう。明日が今年、2020年夏のインターハイの県予選初日だ。ここで勝つか負けるかで、俺たち高校三年生の引退のタイミングが変わる。
「莉子、明日はどうすんの?」
目の前の彼女——莉子に訊ねる。
「行けない。朝から夕方まで塾があるから。」
みそ汁の椀に目を落としながら、莉子は答えた。運動部の俺と違って美術部の莉子の引退は秋だが、その分今から勉強に集中する、と以前言っていた。国公立クラスにいるし地元の国立を志望しているんだと思うが、成績優秀なこいつはそんなに今から頑張らんでも、と思う。スポーツ推薦を狙う俺の視点だから、ずれているのかもしれないけど。
「裕の引退試合だし、応援行きたかったけど。」
裕、というのは俺の名前だ。
「勝手に引退させんな。勝ち抜いて引退先延ばしにしてやるよ。」
「お?言ったね?」
莉子がにやっと笑う。じゃあ本当の引退試合は行くよ、といたずらが成功したような顔をしてみそ汁をすする。そこからはいつも通り、他愛ない話をしながら夕飯を食べた。
「はい、これ。」
帰り際に、莉子が何かを手渡してきた。見ると、ゼリードリンクのパックに入ったスポーツドリンクが1つ。
「応援行けない代わりに。」
「おう、さんきゅ。じゃ、またな。」
「ん、またね。頑張れ、裕。」
山本莉子は幼馴染、みたいなものだ。
みたい、というのは、仲良くなったのが小学校中学年というなんとも微妙な時期なのが原因だ。当時ここに引っ越してきた俺の最初の友達があいつ。近所だというので親同士も仲良くなった。そうして、親が共働き同士の俺達が一人でご飯を食べるのがかわいそうだ、ということで、俺が平日ほぼ毎日、夕飯を莉子の家で食べるようになった。最初は莉子の母さんが作っていってくれたものを食べていたが、中学2年くらいから莉子が作るようになった。
でも、そうやって一緒に夕飯を食べるのもあと少しの間、下手したらあと数回。あいつが夜まで塾に行くようになるからだ。数年続いていた関係だけに、こうしてベッドに転がって想像するだけでも喪失感が大きい。ぎゅっと目をつぶって浮かんだ寂しさをかき消す。
そんなことより今大事なのは明日の試合だ。明日の試合は、遠方の大学からバスケ部の監督が何人か来る。その中に俺が志望している東京の大学の監督もいる。試合で活躍すれば、声をかけてもらうなり練習に呼んでもらうなりのチャンスがある。勝つことも大事だが、俺はそっちの意味でも、明日は重要なのだ。
頑張らなくちゃ、いけないんだ。
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