第130話 バニラエッセンス

 図書館から家に帰る前に、私は消しゴムの持ち主のもとへと寄ることにした。


「えっ、ちーちゃん?」


 インターホンを鳴らして出てきた持ち主――乃亜のあさんは最初、私の姿を見て目を丸くしていた。だけど私がやってきた理由を聞くと照れ笑いを浮かべて、


「ありがとう。落としちゃってたなんて恥ずかしいなあ」


 えへへ、と頭をかく。うーん、かわいい。


「でも、明日でもよかったのに」

「早い方がいいかなって。もし乃亜さんが家でも勉強するなら困ると思ったし」

「もー、ちーちゃんってばやさしいなあ。だから好きー」

「すっ!?」


 予想外の単語に私は口がεこんなふうのまま固まってしまう。

 まてまて。なにを動揺してるんだ西村にしむら千秋ちあき。乃亜さんは変な意味で使ってるんじゃないんだから。あくまで『LIKE』だ。


 とまあ私が現状の整理に躍起やっきになっていると、乃亜さんは「あ、そうだ」となにか思いついたみたいに声を上げる。


「よかったら上がっていってよ」

「えっ?」

「わざわざ届けに来てくれたんだもん。このまま帰らせるなんて申し訳ないよ」

「い、いやいやいや! 私の方こそ悪いよ。いきなりお邪魔するなんて」


 全力で否定、もとい遠慮する。や、別に乃亜さんの家に上がりたくないとかそういうのじゃなくて。

 だって乃亜さんの家だよ? クラスの人気者にして実は魔法少女な女の子の家だよ?

 なら、もっとオシャレしてこないとダメじゃない!


 今の私は無地むじのTシャツにグレーのロングスカート。地味オブ地味。ダサいオブダサい(自分で言ってて悲しくなる)。これじゃダメに決まってる。乃亜さんの家に上がるなら、それこそドレスコードがあると思ってきちんとした服装で来ないといけない。

 もしこんな服装でお邪魔して、乃亜さんの家族に見られでもしたら……


『あら、そんなみすぼらしい姿でよく我が家の敷居しきいまたぐことができわね』

『ふむ……乃亜よ。学校でお付き合いする友人はもう少し選んだ方がいいんじゃないか?』


 なんてことになっちゃう!


「えー、私は上がってほしいもん。ダメ?」

「う、うん」

「どうしても?」

「う……」

「なにがなんでも?」

「……じゃ、じゃあテスト。テストが無事に終わったらちゃんと遊びにくるから」

「ほんと?」


 ぱああ、と乃亜さんの表情が明るくなる。


「約束だよ?」

「う、うん。約束」


 にっこり笑顔で出された小指に、私も小指を差し出してからめる。指切りっていうより、ガッチリとロックされた気分だった。

 とりあえずテストが終わったら爆速で服買いに行かないと……。


「んーと、でもこのまま帰らせるのも悪いしなあ……あ、ちょっと待ってて? お母さんがクッキー焼いたのがあるから」


 そう言って家の中に入っていったと思ったら、すぐさま戻ってきて、かわいらしくラッピングされた包みを渡してくる。中にはカラフルなクッキーに、漂ってくるのはほのかに甘い香り。


「はい、どうぞ」

「あ、ありがとう。でもいいの? こんなにおいしそうなのもらっちゃって」

「いいのいいのー。それにありがとうは私のセリフ。消しゴムのことだけじゃなくて、勉強にもつきあってくれてるし」

「いやいや、私はなにもしてないよ。ミカさんのおかげだし」


 あの人がいなかったら今ごろどうなっていたことか。もしかしたら投げ出してたかも。


「ねえちーちゃん」


 と、乃亜さんが私の名前を呼ぶ。さっきまでよりもどこか目をせた様子で。


「やっぱり私が勉強ニガテだと……変かな?」

「え?」


 どういう意味、だろう。


「そんなことない、と思うけど……」

「そっ……か」

「どうかしたの?」

「ううん! なんでもない、気にしないで!」


 乃亜さんは勢いよくかぶりを振る。そこにあるのはいつもの笑顔だ。


「それじゃあまた明日! 勉強がんばろうね!」

「あ、うん。また……明日」


 そうしてあいさつを交わし、私たちは別れる。乃亜さんは家の中に。私は夢崎ゆめさき家の敷地から出る。


 ……なんだったんだろう。

 考えてみるけど、答えは出なかった。まあ乃亜さんだもん。仮になにかあるとしても、私が心配する必要なんてないだろう。


 それよりも、だ。

 私は周りを見る。そして誰もいないことを確認してから、ここに来たもうひとつの・・・・・目的のために、小さく声を出した。


「エリーさーん……」


 ……しーん。


 返事はない。ここなら会えるかなって思ったけど、いないみたいだ。そりゃそうだ、私だってベルといつも一緒にいるわけじゃないし。というかそもそも敵である私の呼びかけに答えるわけが――


「呼んだかしら?」

「ひゃっ」


 足元から声がして、思わず飛び上がりそうになる。視線を落とせば、いつの間にか真っ白なもふもふの塊――白猫のエリーさんがいた。


「なによ、呼んでおきながら失礼ね」

「ご、ごめんなさい」


 エリーさんは優雅に、そしてしなやかな動きで夢崎家のへいへと上る。必然的に、私を見下ろす形になった。


「それで、なにかしら?」

「え」

「私に用があったんじゃなかったの?」

「あっ、はい。そうでした」


 ビックリしたせいで忘れそうになっていたのを思い出す。私がここに来たのは、消しゴムを届けるためだけじゃない。この白猫と、がしたかったから。


「えっと、実は――」

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