第119話 ボス代理、昇進、それってつまり?
「さて、と」
高らかな乾杯でおつかれさま会が始まってから1時間。ボスは自分のグラスを飲み干すと、不意に立ち上がった。
「僕はそろそろ行くよ」
「行くって、どこへですか?」
「東京だよ」
まるで近くのコンビニに行くみたいにさらりと言う。東京、中学生の私にしてみればかなり遠い場所だ。
「お仕事、ですか?」
「うん。今からなら、新幹線も間に合うからね」
ハンガーにかけてあったジャケットを
「俳優に復帰するってマネージャーに伝えたら、さっそく明日から仕事を組まれちゃったんだよ」
いい人なんだけど仕事には
「そんなあ~ボスう~。もう行ってしまうんすか~」
と、黒猫が千鳥足で近づいてきた。なんていうか、完全にできあがってる。
「オレはあ~、もっと一緒に戦ってほしいんや~」
「ちょっとベルさん、飲みすぎですよ」
「ボス~、もう1杯くらいええやないっすかあ~」
「まったく、しょうがないな」
ボスもやれやれと肩をすくめる。そして一度深呼吸をしてから、
「――ベルよ」
「はっ!? はいっ!! ここにおりますっ!」
聞こえてきたのはいつもの「黒い影状態のボス」としての声。すると一瞬にして黒猫は姿勢をただす。条件反射というか、恐怖が身体にすりこまれているかんじだ。
が、声はすぐに元に戻って、
「ベル、あとは頼んだよ」
「はっ、はい! お任せください!」
「前みたいに影で定期的に報告を聞きにいくから」
「りょっ、了解しました!」
「うん、任せたよ。それから――君も」
そう言って、ボスは私の方を向く。
「え、えっと……」
だけどベルと違って、すぐに返事ができない。
なんてったってボスの代理だ。正直、うまくやれる自信はない。オッケーしたからには期待に応えたいって思うけど……。そんな大役、私に務まるか不安はぬぐえない。
ちゃんとできるかな、私に。
「はい、これ」
と、ボスは私に小さく折りたたまれた紙が差し出してきた。
「これは……?」
「僕の連絡先。困ったことがあったら連絡してくれてかまわないから」
「い、いいんですか?」
「もちろん。仕事で出られないことが多いと思うけどね」
「は、はい……」
渡されるがままに、11ケタの数字が書かれた紙を受け取る。
これ、よく考えなくてもすごいことなんじゃないだろうか。
え、だって有名俳優の電話番号だよ? 私みたいなどこにでもいるふつーの人、いやそれよりも下にいる陰キャはどう転んでも知ることはないものだ。それに、流出のリスクとかあるだろうし……。
「それじゃあ、今度こそ行くよ」
でも。
裏を返せばそれだけ私のことを気にかけて、信用してくれてるってこと。
だったら私は少しでも――
「あ、あの!」
個室を出ようとするボスを呼び止める。
「私、力もまだまだで、ボスみたいに戦えるかどうかはわかりませんけど……がんばります。魔法少女のライバルとして」
ホワイトリリーとしのぎを
少なくともボスがボスとして戻ってくるまで、私はできることをやろう。そんな決意をこめての言葉だった。
「うん。期待しているよ」
ボスは振り返りながらそれだけ言うと、部屋から出ていく。残った私たちは、それを黙って見送った。
「行っちゃっ……た」
なんだか嵐が過ぎ去ったあとみたいな感覚だ。それに、すごくいろいろあったようにも思う。ボスと知り合ったのはつい数日前のことなのに――
「よっしゃ! ほんなら飲みなおすで!」
すると、私の思考を遮断するようにベルが叫んだ。
「え、ボスも帰ったし、もうお開きじゃないの?」
「なに言うてんねん。むしろここからが本番やで!」
ビールのおかわり頼むで、と店員さんを呼ぶスイッチを勢いよく押す。なんだか部活で怖い3年生がいなくなって急に調子に乗り出す2年生みたいだった。部活してないからよくわかんないけど。
「いや、私もそろそろ帰ろうと思ってるんだけど」
「なんでやねん、まだ8時やで」
「もう8時だからよ」
それに、いくら橋本さんたち大人が一緒だからって、居酒屋に中学生が長居するのはあんまりよくないと思う。お母さんに晩ごはんはいらないって言ってるけど、帰りが遅くなったら怒られそうだし。
「なんやあんさん。つれないこと言わんといてえな。今日は朝まで飲むつもりやったっちゅーのに」
「さっきの私の話聞いてた?」
「あーあ、せっかくあんさんの昇進祝いしたろうと思ったのになあー」
「昇進って……」
まあたしかに幹部からボス代理になったわけだから、ランクアップ……なのかな。ていうかボスの次だからナンバー2? もしかしてベルよりえらい? いや、それは違うんだろうか。
いや、待てよ?
と、そこで私はひとつの疑問が頭に浮かぶ。
「ねえベル」
「なんや?」
「昇進ってことはさ。私……お給料って上がるの?」
「…………」
「え、ちょっとなんで黙るのよ」
忘れてはいない。ボーナスと
もうあの悲しみはくり返したくない、そう思ってベルのことをじっと見つめる。
「な、なんのことやろなー」
が、ベルは私と目線を合わせようとしない。というか、目が泳いでいる。
「あんさんはもともと組織の幹部なんやから、そんなことはないでー?」
「いやだって昇進だってベル言ったじゃない。それに、お祝いしてくれるくらいならお給料上げてよ」
お父さんも言ってた。たしか出世すると手当? がプラスでつくとかなんとか。
「ねえベル、どうなのよ」
「……」
「ねえってば――」
「よおーっし! あんさんの言うとおり、今日のおつかれさま会はここまでや! ほな、みんな気いつけて帰ってなー」
するり、と私の身体をかわして逃げようとするベル。
「あっ、こら待て!」
「ちょっとベルさん、お会計どうするんですか」
「みんなで払っといてくれ! オレはそれどころやないねん!」
「いやいやそんなの無理だって。私、今月厳しいんだから」
「待ってくださいよベルさん!」
ミカさんも橋本さんたちも、みんなで追いかける。
「ひー!
「待ちなさいってば!」
……やっぱり私には代理は無理かもしれません。ごめんなさい、ボス。
目の前で揺れる黒猫のしっぽを捕まえようとしながら、私はそんな謝罪を心の中でつぶやいた。
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