第3話 私…魔法少女になります!

 お風呂上がりの夜風は、心地いい。


「ふー」


 パジャマに着替えた私は、自分の部屋からベランダに出て火照ほてった身体を冷ましていた。ぼーっと空を見上げれば、半月がぽっかりと浮かんでいる。


「結局アニメ見返しちゃった」


 家に帰ってCDを聞いたら、いてもたってもいられなく、気がついたら第1話の録画再生ボタンを押していた。


 第1話――主人公が妖精と出会って、悪と戦う力を手に入れて、魔法少女に変身する。

 そう、ちょうどこんなかんじの月夜のシーンだ。


 私もあんな風に光り輝く生活を送れたらなあ。

 ……まあ、考えるだけ無駄か。

 今日は猫を助けられたんだ、小さいことかもだけど、私にはそれくらいがお似合いだ。


 それにしても。


「あの空耳、なんだったんだろう」


 テレビくらいでしか聞いたことのない関西弁だから、妙に耳にこびりついている。それに、けっこうしぶい声だった。


「昼間はおおきに」


 そうそう、ちょうどこんなダンディーなかんじで……。


「……え?」


 頭の中で思い浮かべていたのと同じ声が耳に入り込んできた。反射的に、私は横を向く。


 そこには、1匹の猫。

 放っておいたら夜の闇に溶け込んでいきそうな真っ黒な毛並み。首についた小さな黄金色こがねいろかね。見間違えようがない。公園で助けた黒猫が、お行儀ぎょうぎよく、ちょこんと私の隣に座っている。


「やー、どもども」


 またも関西風のイントネーション。だけど今度はこの目ではっきりと確認できた。その声は間違いなく、黒猫から放たれていた。


「え、猫……しゃべって……え?」


 驚きのあまり、その場に尻もちをついてしまいそうになるのを手すりにつかまってなんとか耐える。


 しゃべってる? 目の前の? 猫が? 日本語? しかも関西弁?

 状況がぜんぜん理解できない。


「あーせやった。猫はここじゃあ言葉しゃべらんもんな。そりゃービックリするわな」


 え、猫が言葉話せる世界ってあるの?


 黒猫はひょいと軽い身のこなしで手すりへと移動する。チリン、と首の鐘が鳴った。


「驚かしてかんにんな。さっきのお礼をどうしても言いたくて来てん」

「はあ……」


 生返事しかできない。流暢りゅうちょうに関西弁を使いこなす猫と会話したことなんてないんだもん。


「えっと……」

「おおっと、そういや自己紹介してへんかったな。オレのことは『ベル』って呼んでくれたらええわ。みんなそう呼んどるし」

「ベル、さん……」

「さん付けなんて他人行儀にせんでええって。ほんで、あんさんの名前は?」

「あ、西村にしむら……千秋ちあきです」

「千秋か、うんうん。ええ名前や」


 ベル……さんは、まるで自分の名前のことみたいに満足げにうなずいて、


「あ――――――――っ!」

「ひゃっ」


 いきなり声を上げるので私は後ずさりする。どんっ、と背中がベランダの壁に当たった。


「こんなのん気に自己紹介しとる場合ちゃうねん。もっと大事な用があるねん」

「大事な、用?」

「せや」


 手すりの上を、器用に脚を動かして近づいてくる。バランスを取るためだろうか、しっぽがふりふりと揺れていた。

 ベルさんは、目の前まで顔を近づけると、こう言った。


「あんさんに、助けてほしいんや」


 助けて、ほしい……私に?


「えっと、もうさっき助けたと思うんですけど」

ちゃちゃう。そうやのーて、これからの話や」


 まったく話についていけない私をよそに、ベルさんは話を続ける。


「あんさんのその優しさ。オレは心を打たれ、あんさんしかおらんと思うたんや」

「わ、私はべつになにも」

謙遜けんそんなんてしなさんな」


 ベルさんは前脚をくいくいと動かす。


「話がそれてしもうたな。それで助けてほしいっちゅう話なんやけど……」


 あれ?

 そこで私は、デジャブを感じた。猫に話しかけられる体験なんてしたことないはずなのに。


「オレらはずっと戦ってきた。でも今、危機にひんしてるねん」


 現実ではありえない、人の言葉を話す生命体に、悪と戦うために助けを求められる。

 そう、こんなかんじの月の夜に!


 間違いない! この状況は、さっき私がプリピュアで見た主人公が魔法少女になるシーンと瓜二うりふたつ!


「だから、あんさんに力を授ける。その力で、オレと一緒に戦ってほしいんや」

「はいっ!! もちろんです!」


「……はい?」


 即答した私に、今度はベルさんが目を丸くしていた。


「え、ええんか? ちょっとは迷ったりとかするもんかと」

「迷うわけないですよ! 敵と戦うために、私の助けが必要なんですよね?」

「お、おお。まあそうなんやけど」

「だったら私、やります! ベルさんの助けになりたいです!」


 覚悟? そんなものとうの昔にできている。夢にまで見た魔法少女。はじまりの第1話は何回だって見直した。


「あんさんに素質があるのはわかってたけど、こうも快諾かいだくされると逆にこっちがどうしてええかわからんくなるわ」

「せっかくやる気なのにそんな風に言わないでくださいよ」


 それに素質、だって。ざまーみろ! 子ども趣味だと笑われるリスクを背負いながらもずっと隠れて魔法少女を愛してきた私の勝利だ! わっはっは。


「ま、まあ話が早いのはオレとしても助かるわ」


 戸惑いを隠せず、前脚で顔をくるくるでる。


「一応聞くけど……ええんやな?」

「はい!」

「このことは誰にも秘密やし、今までの生活には戻れへんで」

「望むところです」

「……よっしゃ」


 小さくつぶやくと、ベルさんは首を一回横に振った。反動で、鐘がチリン、と音を立てる。


 瞬間。


 鐘から淡い光があふれ出した。手のひらサイズのそれは、ふわふわと漂うと、私の目の前までやってくる。


「触れるだけでええ。それで、あんさんに力を与えることができる」

「……わかりました」


 メガネ越しに見える、どこか優しさを感じる光の球体。私とベルさんの顔だけでなく、ベランダ全体をほんのりと照らしている。


 これに、触れれば……私も。

 さすがに少し緊張しつつも、私はゆっくりと右手を上げ――


 光に、触れた。


「……っ」


 刹那せつな、視界は真っ白になる。光が私の身体を包み込んだのだ。

 身体が細胞レベルで変化していくのがわかる。変わっているのだ、私の身体が、悪と戦う力をそなえるために。


 私は、今からなるんだ。

 あこがれるだけだった存在に。画面越しに見てうらやむことしかできなった姿に。


 お母さん、お父さん……。


 私――魔法少女になります!

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