第32話 変化

 田尻からの忠告で焦燥感に駆られた俺は、ダッシュで駅に向かった。


 俺がここで走ったからといって時間にすれば大して時間の短縮にもならないだろう。


しかし、田尻と別れてから、心にどんよりと立ちこめる不安感を拭うには……ただただ全力で走るしかなかった。


 T駅から飛び乗った電車はまだ通勤ラッシュの抜けていない満員御礼の車両。汗だくの俺に不快な目を向けるOL……悪かったね。でも俺の彼女は君より百万倍美人だからね!!……とクズ全快の妄想反撃でその視線を跳ねのけながら、少しでも意識を上向きする。


 渋谷駅のハチ公口を降りるとスクランブル交差点は通勤途中のリーマン、OLで溢れかえっていた。


 毎度の混雑ぶりにウンザリしていたが……その混在の中から手を上げて俺に近寄ってくるヤツがいた。


「よう!櫻井!……なんでお前がこんな時間に渋谷にいるんだよ?」


 急いでいる時に、ちょっと面倒だなとは思ったが……無視する訳にもいかないか。


「逆井、それはこっちのセリフだよ……ホンっとお前ってタイミング悪いよな」


「なんだよ、俺に会えてそんなに嬉しのかよ?」


「人の話し聞けよ……」


 ああ、うれしい、うれしい……。


「で、櫻井は何してんの?俺バイト帰りなんだけどさ」


「え?お前夜中バイトやって朝帰りとか?……そういうところ”だけ”はちょっと尊敬するわ」


「まあな……もう眠いから帰って寝たいんだけど、どうだ朝飯でも食うか?」


「いや……だから俺が急いでるの。この汗、この不安な表情とか……察しろよ?」


「……もしかして向坂さん絡み?」


 ま、……なんで急に鋭いんだよコイツは?


「まあ……野暮用だ。ちょっと向坂のスタジオに……」


「え?向坂さんの撮影スタジオ?……なに、櫻井ってそこまで向坂さんに踏み込んでんの?」


 お前~!!”踏み込む”なんてワード安易に使うなよ?……昨日だったらそれ地雷ワードだかんな?


……まあ、もう踏み込んだからいいんだけどさ……


「ああ……色々あってな……」


 逆井?なに目輝かせてるの?……お前眠かったんじゃないの?早く家に帰って寝れば?


 しかしまあ……この後東郷に会って、もみ合いの乱闘騒ぎになるとは思えないが、敵対する男が多い環境に突っ込むなら一人により案外いいのかもしれない……


「逆井ってさ……武道とか格闘技の経験者だったりするの?」


「ん?何の話?……小学校までは空手の町道場通ってたけど……まあ経験者と公言出来るレベルじゃないな」


 ああ~全くの素人と同じってヤツだな……まあいいか。


「お前も行くか?スタジオ」


「い、いいのか?俺が行っても?」


「まあ、俺も部外者っちゃ部外者だけど……向坂の関係者というのは嘘ではないし、あと最悪何とかしてくれる人もいるから……」


 まあ上條社長に言えばどうとでもなるだろからそこは心配する必要はない。


「そ、そうなのか……なんか櫻井と友だちで初めて良かったと思ったよ」


「はあ?……おまえ俺と親しくないって自分で言ってただろう?」


「いつの話だよ?案外根に持ってんなあ、お前?……ホントはあの時なにげに凹んでたとか?」


「バアッカ!……そんな訳あるかよ……」


 俺達二人は、道玄坂を昇ってKスタジオを目指した。



 逆井は興奮冷めやらぬ様子で俺の後を付いてくる。


 ただ俺は浮かれている場合ではない。


 まず向坂に会って今の状況を……闇の最後の抵抗が起こり得るリスクを本人に伝えないといけない。



 道玄坂の路地に入り、俺達はKスタジオの前についた。


「ここか?」


「ああ」


「お前、結構来てるの?なんか……メチャ入り難い雰囲気なんだけど?俺達ホントに入っていいの?」


「今更何言ってんだよ……入るぞ」


 まずは向坂の姿を探す必要があったので、もう人目を気にしている場合ではない。だから表のエントランスから俺達はスタジオに入った。



 スタジオに入ると……俺の顔を覚えている奴もチラホラいるようで”チッ!アイツか!”という敵意ある視線を向けられた。逆井の存在はおそらく軽くスルーだろう。



 俺はスタジオ内をぐるっと見回してみたが……


 一見すると以前の雰囲気と大きく変わったという印象はない。


 まあ俺が告白して昨日の今日だ。向坂が変わったとはいえ、その変化はせいぜいコラッタがラッタになったくらいの変化だろう……う~ん分り難いですか?


 ならユンゲラーがフーディンか?アレ違いわかんね~レベル……どうでもいいけどユンゲラー見ると田尻思い出すんだよな。ホント田尻エスパー属性……


「お、おい……マジにモデルいるぞ?」


「そりゃいるだろう?」


「おまえ……スゲ~な、……お、おい!あの娘メッチャ綺麗なんだけど?」


「ああ?……ああ~あいつな……」


「え?お前知ってんの?」



 そうだな……


 まずはあのアザト高校生に状況確認するのも手かもしれない。見たところ向坂の姿はないようだし……


 俺は彼女に近づいて声を掛けることにした。


「よう!MISAKI」


 高校生モデルのMISAKIは突然俺に声を掛けられてキョトンとした。


「な、なんでいきなりMISAKIとか爽やかに名前読んでんですか?不覚にもちょっとドキッとしちゃったじゃないですか?マジ損しましたよ……私の”ドキッ!”を返してくださいよ!」


「お前、朝から絶好調だな……で、なんでホントに顔赤らめてんだよ?顔色まで変えるとかカメレオンなの?お前のあざとスキルにはホントビビるよ」


「ほんっっっっっと!櫻井さんって馬鹿でムカつく!」


 そんな俺とMISAKIのやり取りを見て逆井が例によって固まっていた。


「あ、MISAKI……こいつ逆井……そんな親しくないんだけど」


「お、お前!またそんなこと……」


「逆井さん?はじめまして?高校生モデルのMISAKIです!」


「あ、逆井最初に言っておくけど、こいつメチャあざといから注意しろよ?」


 って……あちゃ~もう手遅れだ。綺麗に決まっちゃったよ……MISAKIスペシャル。もうタップする前に意識飛んだパターンだな……ご愁傷さま。


 そういうとMISAKIはギロリを俺を睨みつつも、見事なほどにキャラをぶらさなかった


「先ぱぁ~い……なんてこと言うんですか!私はいつもこんな感じじゃないですかぁ」


「先輩って誰だよ?俺お前の先輩じゃないだろう?おまえそれ違う作品だから……脚本間違えてないか?」


「さ、櫻井?なんでお前そんな……彼女と親しげなんだよ?おかしいだろ?」


「お前何見てんの?どこも親しくないだろ?」


 俺はさすがにこのままでは向坂の情報を取れないと思い、逆井から少しだけ距離をとるべくMISAKIの手を引いてちょっとポジションを移動した。


「な、なんですか櫻井さん!……ナチュラルに腕引っ張るとか止めてくださいよ、ほ、ほんとどっちがあざといんですか!」


「おまえいちいち顔とか赤らめるなよ?……見てみろ?逆井もうお前に惚れる勢いだぞ?逆井でいいなら俺もプッシュするけど?」


「はぁ?なにいっちゃってんですか?マジありえないからやめてくださいよ。ホントやめて」


「お、お前……声のトーンオクターブ下がってマジ恐いんだけど?……さすがに寒気がしたぞ?」


「櫻井さんがクダらないこと言うからですよ……」


 あ~あ……逆井……全力で拒否られちゃったよ……申し訳ない逆井……でも俺のせいじゃないから……俺達凡人がモデル狙いとか分不相応だから諦めよう……まあ俺の場合は……ゴニョゴニなんだが……逆井ホント申し訳ない!!


 MISAKIは本気で不貞腐れる様に頬を膨らませてしまった……なんだよ?こいつの地雷よくわからないんだよ……ホント疲れる……


「ああ……悪い。なんかお前だとついな遠慮なく言いたいこと言っちゃうんだよ。まあこれも俺の愛情表現といういうことで……」


「だ、だからそういうのやめてくださいよ……」


「お前もそのすぐに赤くなるクセやめろよ?……本気で誤解する男出てくるぞ……そのうち?」


「……」


 いよいよ本気で怒ってしまいそうなので話題を変えることにした……


 そうだ、まず向坂のことを尋ねなければ。


「そういえば向坂は今、どこ?」


 俺がそう聞くと……MISKAKIは俺に質問には答えずに急に興奮気味に別のことを言った。


「そういえば!櫻井さん……何やらかしてくれたんですか?」


「え?なんで俺がなんかやらかしたこと確定みたいに話してんだよ?」


「だってYUKINAさん今朝から超~おかしかったですよ?」


 俺はふざけていたテンションが一気に下がった……やっぱり向坂に変化が表れているんだ。


 MISAKIもそれに気付いている。


「おかしかったって……どんなふうに?」


「一言でいえば……別人?」


 別人だと?……


 ……そこまでなのか?


「もうなんかヤバ過ぎて……スタジオ大騒ぎ」


「ヤバいって……どうヤバいんだよ?」


 嫌な汗が背中から流れた。



「もう……恋する乙女って感じ?」





「はい?」


 なんだそれ?あまりに拍子抜けする答えに笑い顔が気持ち悪くなっちゃったじゃないか!?


「も、もしかして……まさか……櫻井さんがんばっちゃったりしたんですか?」


「ああ~っと……」


 し、しまった……拍子抜けしたせいで顔芸する余裕がなく素に照れ顔になってしまった。


「あ、……ああ……そうなんだ……やっぱり……」


「おい?なんだよ?なにいきなりテンション下がってんだよ?」


「よかったですね……櫻井さん」


「え?……なにが?」


「とぼけないでいいですよ?上手くいったんでしょ?YUKINAさんと」


「え?……お、お……おう、まあ……な」


 なんで気まずい雰囲気で答えてんだよ?何この状況?


「まあ最初から分かったんだけどね……そっか……」


「そ、そんな寂しい顔すんなよ?まあ向坂に憧れとかあったんだろうけど……なに俺がそれをとっちゃうみたいな?そんなことにはならないと思うから」


「はあ?……何言ってんですか?櫻井さんって鋭そうに見えて時々、”こいつ大丈夫か?”ってくらいバカな発言しますよね?」


「おいおい?女子高生が”こいつ”とか普通に使うなよ?流石にそれは引くぞ?」


「いいですよ……引かれても。もう関係ないし……」


「なんだよ?急につめて~な」


「ああ~あ……なんか朝からテンションダダ下がりだな……」


「なんだよ、俺に会ってからテンションだだ下がったみたいに言うなよ……」




「そっか……YUKINAさん……いいなあ」


「え?なに?」


「っ!い、いや……な、なんでもないし……」


「あ?お前、彼氏そんなに欲しいの?向坂に差つけられて凹んでるとか?そこまで対抗意識もってるとかスゲ~モチベだな?」


「櫻井さん……ほんっとバカ!」


 そういってMISAKIは去ってしまった。


 なんだ?これはまたみんなに俺の悪口言いふらすパターンじゃんかよ?


 まあいいんだけど……


 でもなんだよ?結局向坂の情報はほとんど具体的に聞き出せなかったじゃないか?なんであいつあんなムキになってんだよ……


 さて……


 またまた逆井を放置してしまった……


「逆井、悪い……」


「櫻井……マジで尊敬するぞおまえ?彼女、相当レベル高いだろ?なんでそんなことになってんだよ?」


「ああ……向坂がらみでちょっと前に話したことがあっただけだ……あいつは俺のこと嫌ってるしな」


「……櫻井、いまちょっと尊敬してたけど前言撤回……お前ホントそういう鈍いところ軽蔑するよ」


「なんだよ、尊敬から軽蔑って落差激しすぎだから……」



「ん?」


 ……


「どうした?」


「あ……スマホの着信だ……ちょっと待ってくれ」


 え?……なんだ?


 上條社長からだ……


 俺は、慌てて通話ボタンを押した。


「櫻井!……今どこにいる!」


 調子はいつもの通りだが……怒気を含んでいる……どうしたんだ?


「あ、今ちょうどスタジオに来てます」


「そうか……ちょうどいい、今すぐ社長室に来い!」


 上條社長はそれだけ言って通話を一方的に切ってしまった。


 有無を言わせぬものいい……


 なんだ?何があったのだ?


 俺はまた不安感が頭をもたげて……胃がキリキリと若くんだ……

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