第31話 覚悟

向坂が見せた純粋無垢な少女の顔……


それは今の等身大の彼女の顔だ。


仮面をかぶる前の……本物の顔。


”本物が欲しい!”と涙目で誰かのように叫ぶまでもなく……


愛する女性の”本物の顔”を見ることができたことは、俺にとってはこの上ない喜びだった。


しかし……彼女の本物の顔がなぜ少女時代の面影なのか?


その答えを田尻は俺に悟らせた……


彼女は少女時代まで、”心”を戻す必要があったのだ。


何のために?


彼女が本物の顔していた頃まで戻って……


やり直す必要があったのだ。



向坂が……仮面を被ってしまったのはなぜなのか?


それはいったいいつだったのか?




中学生ともなれば女性は第二成長期を迎えて異性への関心が高まる時期だ。


しかし向坂はその時期に「男子の視線」を嫌悪するあまり男子生徒との一切の関わりを断ってしまった。


ここに無理が生じた。


向坂が仮面を被るきっかけとなったエピソードだ。


つまりこれこそ……


「闇」を背負うきっかけだったのだ。





表に出るはずのものが無理やり押さえられたらどうなるのか?


その抑えつけられた力は残念ながら消えてなくなることはない。


その「異性に見られたい」というその力は抑えつけられて、「闇」となって心の奥底でくすぶり続けることになった。



思春期に男子に嫌悪感を示す女子中学生は決して少なくはないだろう。


ただ普通は高校生にでもなれば男女の交際が自然にできるようになり、その抑圧されていた「闇」はガス抜きされて問題にならないレベルで落ち着くことになる。


しかし向坂には普通の女子中学生とは少し違っていた。


一つは圧倒的な容姿だ。


だから彼女に向けられた男子の視線の数は普通の女子中学生の比較にはならない。そして彼女は以前に「霊が視える娘だった」と話していた。


実際に霊がみえていたかなんて俺は知りようがないが、そのことから予想がつく彼女の性格は非常に「繊細」かつ、おそらくは「人の目を必要以上に気にする」というものだったに違いない。


だから視線の数以上にそのプレッシャーを感じてしまった可能性が高い。


向坂の場合は、その視線のプレッシャーによって……ついには男性恐怖症にまで発展してしまった。だから高校時代にも男子との接触を徹底的に避け続け……


……闇は逃げ道を失った。


それからずっと闇は長期間抑えつけられ力を溜め続けた。


それでも闇は反撃を始めることになった。


彼女の気付かないところで……形を変えて……表に出てきた。


その最初の”兆し”がモデルという職業を選んだということなのだろう。


つまり「異性に見られる」という環境を無意識的に選んだのだ。


ただ、それ自体は全く問題にはならない。


「なんか彼女らしくないよね?」


と少し疑問を持たれるくらいで、実際にこれによって向坂に何が不都合が起こることもない。


問題はその先だ……




「櫻井……向坂君の最大の問題はなんだ?」


田尻はもう出ている答えを、あえて確認するかのように俺にたずねた。



そう……もう答えは出ている。


男性の視線を集め過ぎてしまうことだ。


「なぜ向坂君は男性の視線を受けてしまうのだ?」


そして……その答えこそが”闇の仕業”だから……ということなのだ。


闇とは……抑えつけられていた「見られたい」という思いが濃縮されたものだ。


その闇の訴えが……向坂の無意識の行動を通じて……ついに表に出てしまった。





つまりそれは……向坂自身が心の底では望んでいることとも言えるのだ。


むろん向坂が意識的に、自覚的にそれを望んでいる訳ではもちろんない。


だからやっかいなのだ。


自分が気付かず……それでも男性を惹きつけるに最適な職業を選択し、洗練されたファッションを身に纏い、そして無意識的に男性を惹きつける振る舞いをしてしまう。


向坂が不幸だったのは、それを実現してしまうに有り余る容姿とプロポーションを兼ね備えていたということだ。


だからこそ……向坂は、彼女を視る全ての男を魅了した。




これが向坂が男性の視線を集めてしまう理由の全貌だ。



昨日、田尻に説明を求められた時に俺が応えるべき内容が実はこれだったのだ。


俺は昨日、それを田尻に尋ねられたが、「残党がいる」ということ以外に何も答えることができなかった。


あの時、田尻が失望したのは当然だったのかもしれない。



「櫻井……もう分っただろ?」


「はい……ようやく理解できました」


「なら君の役割は何になる?」


「俺の役割?」


「おい?まだ君はそんなことを言うのか?」


いや、向坂の闇の全容は理解出来た。しかしこの闇を俺がどうにかできると言う気はまったくしないが……



「そんな分析だけできても誰も救うことはできないぞ?」


「は、はい……でも俺はカウンセラーという立場はとれないはずでは……」


「そうだ。君がカウンセリングをする必要はない。そう言った意味では君は私が行うカウンセリングの重要な”コマ”ということになる」


「重要なコマ?……俺ホントに重要なんですかね?」


田尻は心底呆れかえってしまったように見えた。しかし諦めた様子で田尻は続けた。


「櫻井……君の視線が重要なんだよ」


「俺の視線?」


「そうだ……何十人、何百人の視線では向坂君の闇は解消しない。向坂君が少女のころから望んだのは不特定多数の男子の視線ではない。自分が見てほしいと思う男性の視線だけだったんだよ。今……彼女にその視線を向けられるのは、櫻井……おまえしかいない」


「……」


「だから彼女は少女の顔になった……君に、あの頃の自分に君の視線を向けてほしかったら」


「そ、そういうこと……だったんですか……」




「向坂君は、今回、君の告白で得たモノは……本当に欲しかった君の視線だ」


「少女時代から嫌悪した、不特定多数の視線がいくら向坂君に向いても向坂君はますますそれを避け続けるだけだ」


「つまり……どこまで行っても闇は無くならない」


「そうだ、堂々巡りになる」


「だから彼女が真に望む視線を得ることができれば……向坂君はもう男性の視線を抑え込む必要がなくなる。だから君の視線が必要だったんだ」


「俺の視線が、その負のループを断ち切れると……」



「そうだ……向坂君が君の視線を欲しがっていたからこそ……俺は君に彼女に踏み込むことを促した」


「つ、つまり先生は向坂が俺のことを好きだってことに気付いてていたとですか?」


「今更そんな当たり前のことを聞くな。そうでなければこんなことを私が仕掛ける訳がない」



なんと……ここまでのストーリーが田尻の中に既にあったということか。


ここまでやるのか……この田尻という心理学者は。


坂田さんがどうやっても追い払うことができなかった闇を……いとも簡単に「俺」というコマを使って鮮やかに追い詰めてしまった。




ということは……昨日、俺と向坂の気持ちが通じた時点でこの勝負はエンドってことなのか……


だから田尻にとっては昨日の俺の告白が最大の勝負どころだった訳か。


だとすれば……


「もしかしてこの勝負終わってるってことですか?」



「俺の仕事と言う意味ではそうだ。俺は君と言う楔を打った。だから後は君次第ということになる」


それはつまり……ここからが「俺のターン」ってことなのか。


しかし、俺がこれから何をするかのビジョンは全くない……ここで丸投げされても俺に出来ることなんて何もない。


「これから俺は……何をしたらいいんですか?」


「君は何もしなくてもいい」


「は?……何もしなくていい!?」


「そうだ」


「でも……さっき、後は俺次第だと……」


「ああそうだ。向坂君の闇を解消するのは君しかできない」


「ちょっとそれでは意味がわかりませんが……」


「何もしなくていいというのは君がことさらに具体的なアクションを起こす必要がないということだ」


「つまり……ただそばにいればいい的な?」


「まあ簡単に言えばそう言うことだ。向坂君は……まずは君の視線を感じることができて、彼女の未発達だった男女関係の再構築を……それこそ少女時代からやりなおさなければならない。そこまでやってようやく闇は解消させる」


「何かをしてすぐに解決という話ではないってことですね……」


「そうだな……ただ彼女の場合……君の視線が無くなると……再発する可能性が高い」


「なんですかそれ?俺の視線が無くなる?」


「つまり君と向坂君の仲が壊れるとということだ」


おいおい!なんだよ?なんでこれから付き合おうって人間に破局の話をいきなりしちゃってんだよ?それはちょ~とデリカシーなくないですか?


「俺は別れるとか……絶対しませんよ!」


「そうか……ならいいのだが」


「それは大丈夫です」


俺は力強く宣言した。


「では最後に……君が足りなかった最後のものを教えてやろう」


「足りなかった最後のもの?」


「そうだ……それは今、君が宣言した、まさにそのことだ」


「え?それは?」


「未来永劫……向坂君に視線を送りつ続けるという覚悟だ」


「つまりそれは」


「ああ……おそらく向坂君の闇が完全に消失するのは君と向坂君が永遠の関係を約束した時だろう」


な、なんだよ?今度は結婚まで話が飛ぶのかよ?別れたり結婚したり……その話の落差についていけないから……


「櫻井……向坂君を救うとうことはそこまでの覚悟があるのかとういうことだ」


田尻にしては珍しく……真剣な表情で、ことさらに口調を強めた。


「昨日の君にはそれを全く感じることが出来なかった。彼女に踏み込む勇気もない。彼女の闇の正体も分かっていない。自分がどういうスタンスで彼女を救うのかすら分かっていない。ましてや一生涯かけて彼女のそばにいようと言う覚悟なんか微塵も感じることはできなかった……昨日の君は足りないものだらけだった」


もう”ぐう”の音も出ない。



ホント昨日の自分に会っておもいっきりぶんなぐってやりたい。


そうだ……俺のターンでするべきことは一つのアクションをしてどうなるなんて簡単なことではない。


やるべきことは向坂と生涯そばにいる覚悟をもつかどうかということだ。


それはつまり俺のハッピーエンドは少女漫画にありがちな「結婚式エンド」しかありえないというなのか……


今更ながら俺はその重みを全身に感じた。


でもその重さは……決して不快なものではなかった。





「櫻井……もう一つ、言っておかねばならないことがある」


ここにきて田尻が改まった。


まだ話に続きがあるのか?もう答え合わせは概ね終わったはずだ。


「今日朝一に君を呼んだ意味を説明する」


そうだった……なぜこの時間に田尻が俺を呼んだのかの疑問が晴れていなかった。


「向坂君は、君の告白でもう変容のスイッチが押されている」


「変容のスイッチ?……どういうことですか?」


「向坂君は昨日までの彼女ではなくなっているということだ」


「……!!」


「だから、周りは必ずそれに気付く……特に彼女に視線を送っていた男たちは」


嫌な予感がした。


「さっきは君がやるべきアクションはないと言ったが、君はしばらく周りの男達の行動に目を光らせることだけはする必要がある」


「何が起こるんですか?」


「具体的には分らん。しかし闇が最後の抵抗を仕掛けてくる可能性は高い」


「さ、最後の抵抗?」


「向坂君の変化を望まない人たちが、なんらかのアクションをしてくる事が考えられる。それをすぐに君の口から向坂君に伝えてもらいたい」


なんだと?まさか告白祭とかになったりするのか?むむ……それはなんとも許せない!!


……いや違うだろう。田尻の声のトーンから察するにもっと事は深刻のようだ。


何せ相手は長年向坂にとりついていた「闇」だ。


簡単には向坂を諦めないだろう。


手段を選ばず何をしてくるか分らない。


「君以外に向坂君に近しい男の存在はいるのか?」


そう聞いて……俺は重苦しい感情とともに……東郷の顔が浮かんだ


「はい……一人だけいます」


「その男が巻き込まれる可能性が高い」


と、東郷が……東郷が何をするというのだ?


……俺は焦燥感で血の気が引くのを感じた。




「向坂君の今日の予定は?」


「午前中は撮影があるのでスタジオに行っているはずです」


そう聞いて田尻は眉間にしわを寄せた……”まずいな”という顔をした。



「俺、午前中講義ないから今からスタジオに行きます」


「そうだな……すぐに向坂君と会ったほうがいい。会って今の話を伝えてほしい」


「わ、分りました……」


「櫻井……くれぐれも注意しろ。君なら”闇”の恐さを理解していると思うが……」


「はい……大丈夫です」


闇の恐さは知っている。時に人の命までも巻き込むその怖さも。


さすがに人に命に関わる大事件が起こるとは考えにくいが……それでも警戒するに越したことはない。


まずは東郷だ。東郷のことはしっかり手を打つ必要がある。


具体的には何をしたら……




いや、それは後で考えよう。


今はまず向坂に会うことが先決だ。






俺は田尻と分れて……渋谷の道玄坂にあるKスタジオを目指した。

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