第30話 願望

 俺は今、研究棟の二階にある田尻研究サークルの部室にいる。


 時間はまだ朝一の講義がはじまる前……なんと午前八時だ。


 さすがにこの時間から好き好んで大学のキャンパスにいる生徒はほとんどいない。


 俺にいくら友だちが少ないからと言って、友だちを求めて朝から部室でたむろしようとしてる訳ではもちろんない。むしろうっかりこの時間から寂しく一人小杉先輩がコーヒー飲んでたらと不安になったくらいだ……


 さすがに小杉先輩の姿がなくてほんと安心しましたよ……



 なんで俺はこんな朝早くからここにいるのかと言うと……


 田尻の呼び出しを食らったからだ。


「呼び出しを食らった」というと何か俺が悪いことでもして呼び出された感じだが、むろんそうではない。


 昨晩……俺は向坂についに告白をし、向坂もそれを受け入れてくれた。


 俺は天にも昇る勢いで”心ここにあらず”で帰宅すると……まるで俺の帰宅したのを待っていたかのように抜群のタイミングでスマホにショートメールが入った。


 田尻からだった。



 ”田尻だ。帰宅したか?明日、八時に研究棟二階に来るように。答え合わせをする。向坂君は呼ばずに君一人で来るように”



 なんだ?このメール?


 ホントに俺が家に入るのをどこかで見てたんじゃないの?タイミング良すぎでしょ?ホント怖いよあのおっさん。……しかも答え合わせって……俺は課題とかレポートとかだされた記憶ないんだけど?


 いや……そうではない……実は分ってる。


 話はむろん向坂のことだろう。




 田尻とは昨日、気まずい雰囲気のまま別れている。いや気まずいというよりは俺が一方的に凹んでいたいだけなのだが……


 田尻と別れた後、小杉先輩と森内が俺と向坂を待ち伏せさせていたということはきっとその後の展開も田尻が予想していたストーリーだったのだろう。


 いや、もしかすると田尻が予想してのではなく田尻が描いたストーリーの上を俺たちがただ踊らされていただけかもしれないが……


 だとすると田尻はおそらくあの後、俺と向坂がどうなったのかも知っている可能性が高い。


 メールにある”答え合わせ”とはなんのことだ?


 まあ、考えても仕方ない。


 俺に田尻の思考を読み解こうなんて絶対不可能だ。


 ただ唯一気になることがある。


 朝一に呼び出されたことだ。


 そもそも田尻がわざわざ呼びつけるという行為そのものが異常事態ともいえる。それが朝一というのがどうも気になる。


 しかも向坂を呼ぶなということも引っかかる……


 俺は自分で入れたコーヒーを飲みながら田尻が来るのを待っていた。


 普段、この部屋では大抵小杉先輩が入れてくれたコーヒーを飲んでいる。ホント後輩のくせに自分で入れろよ!と思うが……なんか小杉先輩の”コーヒーは俺の役目”と頑なに譲らない様子を見ていると、むしろ自分で入れる方が失礼のように思えてしまって……ホント実は小杉先輩っていい人なんですよ?


 ……って、また小杉先輩のこと色々思いださなきゃならないんだよ?昨日の今日なんだから思い出すのは向坂だろ?なに小杉先輩に負けてんだよ向坂!……ホントふざけるなよ小杉先輩?キスの途中でもちょっと思い出しちゃったんだから責任とってくれよ!……いや責任とるのは止めてください。


 くだらない妄想をしているとようやく田尻は部屋に入ってきた。


 さて……今度は何がはじまるんだ?


 どうしても田尻の前では普通でいられない。


 どうしたって構えてしまう……


 田尻は席に着くと……開口一番意外なことを口にした。



「まずは櫻井……よかったな」


 俺はキョトンとしてしまった。


 田尻がこんなセリフを吐くとはちょっと想像していなかった。


 むろん田尻が”よかったな”と言ったのは俺と向坂の想いが通じたということを指しているのだろう。


 俺はのっけから動揺してしまったが、そう田尻から言われたのは素直に嬉しかった。


「まあ……お陰さまでなんとか……その、小杉先輩と森内に聞いたんですか?」


「いや、何も聞いていない。彼らからは予定通り君と向坂君に会えたかだけ確認しただけだ。それさえ分かれば後は確認するまでもない」


「じゃあ……どうして……」


「ん?どうしてとは?」


 え?どういういこと?なんか会話がかみ合っていない。


「いやどうして俺の告白のことを」


「だから言っただろう?小杉達が君と会えたならその先は確認するまでもないと」


 いやいや……確認しましょうよそこは?それだけで確信めいて”よかったな”って言えるのはあたなだけですよ?


 やっぱり……ほんっっとはエスパーなんじゃないの?




「それで……向坂君の顔を見たか?」


「へ?」


 田尻は唐突に意味の分らないことを言いだした。


 何を言っているのだ田尻は?俺はいつだって向坂の顔を見ている……いやちょっと見過ぎているくらいだし?


「俺の言ってることが伝わらないか?」


 田尻は少し不満げにそう言った。


「はい……ちょっと俺にはついていけません」


 田尻は少し呆れたように鼻から一息ため息を吐いた。


「では言い直そう。君が告白した後の向坂君の顔の変化には気付いたかのか?と聞いている」


 俺は驚きのあまり流石に言葉を失った。


 向坂は俺が告白した後、まるで無垢な少女のような顔に見えた。


 おそらく田尻はそのことを言っているのだろう。


 でもなぜ田尻はそれを……


「なっ……な、なんでそれを田尻先生が知っているですか?」


 田尻は眉間にしわを寄せ……また先ほどと同じようにため息をついた。


「君は一から説明しないと分からないのか?」


「はい……おそらく田尻先生の期待通りには先生の話にはついていけません」


 というかついていけるやつなんて絶対いないから……俺だけ劣等生みたいにいわないでくれよ……でも劣等生だって無双なこともあるんだぞ?あのお兄さんみたいに。


「……まあいい。では君に合わせて話をしよう」


 だから最初からそうしてくれよ?それから君に合わせてではなくて”普通に”と言ってくれ。


「向坂君はおそらく君の前で少女時代の顔に戻った……違うか?」


「……」


 俺は……ゴクリと唾を飲み込んで頷くことしかできなかった。


「櫻井はその理由がわかるか?」


 そ、その理由だと?……向坂の顔が少女時代の顔になる理由……


 向坂の少女時代……


 つまりそれは向坂が仮面をつける前の顔ってことか。



 ということはつまり……


「向坂が男性の視線を感じる以前の顔といことですか?」


「その通りだ……それがどういう意味を持つか分かるか?」


 田尻は質問の手を緩めない……


 そうか……もう田尻がメールで言っていた”答え合わせ”がはじまっているのだ。


「向坂君はなぜ君の前でそうなったと思う?」


「俺の前では仮面をつける必要がなくなった……ということですよね?」


「それはそうだな」


 そう言ったものの……田尻はその答えに満足していないように見えた。


「それ以外の意味があるんですか?」


「そんな分りきっていることは私はわざわざ質問しない」


 ……な、なんだよ?この答え結構自信あったんだぞ?ドヤ顔した俺が恥ずかしいじゃないか?どんだけハイレベルなこと要求されてんだよ……


「彼女は、これから少女時代に戻ってやり直すことになる」


「え?やり直す?何を?」


「男性との関わりだ」


「そ、そんな……そんな今更そんな必要ないでしょう?もう彼女だって立派に大学生としてモデルとして男女関係を築けて……」


 俺はそこまで言って言葉を止めてしまった。


 いや……向坂は……普通の男女関係を上手く築けてはいない。


 Kスタジオの異常な関係性は言うまでもない。大学でもあの逆井ですら微妙な距離感で無理して話をしている。


 だからこそ彼女は悩んでいたのではないか……


 俺はおし黙ってしまった。




「櫻井……今日向坂君を呼ばなかったのは……分るな?」


 それは分かる……田尻は向坂の深いパーソナルな部分を全部明るみにしようとしている。それを本人の前でやるのは、本人には耐えられることではない。


「君の理解に合わせてもう一度最初から話をすることにする……つまり答え合わせをはじめる」


 田尻は断片的なヒントでは俺が答えにたどり着けないと感じたのだろう。


 あらためて仕切り直して話を始めるようだ。


「は、はい……お願いします」


 俺は緊張の面持ちでそう答えるのが精いっぱいだった。


 ホント……レベル高すぎ。


「まず昨日、小杉と森内君との会話で君が気づいたことを言ってみろ」


 この答えはしっかり俺は持っている。


「俺は向坂に好意を抱いている以上、中立の立場は取れない……つまりカウンセラーの視点で向坂を救うことはできない」


「そうだ……昨日の君はそれすら気付けないほどに間違った方向に行っていた」


「はい……お恥ずかしい限りです」


「なら君はどうやって向坂君を救うのだ?」


「俺は男女の関係性の中で……つまり彼女に一番近しい男性として彼女を救えるのではないかと……そう思いました」


 俺は癪だけど……森内と小杉先輩のアドヴァイスでたどり着いていた結論を話した。


「う~ん……」


 田尻は眉間にしわを寄せた。


「ま、間違っていますか?」


「いや、間違ってはいない……ただ」


「ただ?」


「君の理解が不十分ということだ」


「な、なにが足りないのですか?」


「君には足りないモノが多すぎるといったのだ」


 ま、また言われてしまった……


 でも……もう向坂との関係性に不安はないので俺に精神的ダメージは起きない。へへ!どうだ田尻!って負け惜しみです……


「私が君の告白を促したのは……なにも君の恋路に協力しようということが目的ではない……それは分かっているな?」


 まあ、それはそうだろう。田尻が俺の恋路を協力するという理由だけで生徒の恋バナに首を突っ込むなんて到底思えない。俺が告白して向坂がそれに応えることに田尻にとっても意味のあることだったのだ。


 田尻にとって……つまりカウンセラーとしての田尻にとってだ。


「はい……それは分かるのですが……ただ田尻先生がなぜそうしたのかの理由まではたどり着けません」


 また田尻はあきれ顔でため息をついた。


 だからそんな……あたなと同じレベルで何もかにも気づけませんって?いちいち人のプライド奪うリアクションやめてほしいっすよ……


「向坂君を救うためには君が一番近しい男性になる必要があった」


「え?そ、そうなですか?」


 な、なんだ?なんか……メチャ嬉しいこと田尻が言い始めてんだけど?


「その理由を君が理解していないと君が告白した意味がない」


 意味がない……それはつまり、裏を返せば俺が向坂の近しい男になることに大きな意味があるということになる。


 俺が向坂の救う上で、なくてはならない存在ということなのか?


 俺が怪訝な顔をしていつまでも結論に達することができないでいると田尻は話を続けた。


「まず向坂君は……おそらく人から注目を集める仕事をしているな?」


「ええ、彼女はモデルですから……でもそれは田尻先生も知っていましたよね?」


「そうか向坂君はモデル業を……」


「え?先生知らなかったんですか?」


「そんなことに興味はないからな」


「いやでもクライアントの情報は取集するのが普通かと……」


「そんなことをすれば余計な先入観で判断が鈍る……見たものだけを信じれば事足りる」


 聞いたことがある。アメリカがかつて超能力を軍事利用したときに能力者には一切の情報を敢えて与えなかったと……それは今田尻が言って理由と同じだ。先入観で読み間違うと。


 というか……なんで超能力と同じ手法になってんですか?やっぱあなた超能力者なんじゃないの?


「ではその向坂が注目を集める仕事をしていることに何か意味があるのですか?」


「彼女は、スカウトではなく自分から望んでそのモデルについてるな?」


そ、それも分かるのか?なんでなんだ?


「はい……そう聞いています」


「だろうな……櫻井はそのことから何が想像できる?」


「単純に考えれば”人に見られたい願望”を満足させるってことでしょうか」


 昔この話を上條社長から聞いた。


 上條社長は”女性は誰でも見られたいものだ”というようなことを言っていた。


「そうだ……しかし向坂君の性格を考えたとき、目立ちたいという理由でモデルになったということに違和感を感じないか?」


「はい……向坂はむしろそういったことは嫌うタイプに見えます……そもそも今は人目に苦しめられていますからちょっと行動に一貫性がないような……」


「ではその一貫性がない行動を起こしている理由は?」


 確かにそうだ。


 向坂の行動はどこか”ちぐはぐ”になっている。


 自分から視線を浴びせられやすい環境に飛び込んで……その裏で自分は人の視線に苦しんでいる。


 なんでそんなことになっているのだ?


 俺達が慣れ親しんだ表現をするならば、本人の自覚がない行動……つまり無意識にしてしまっている行動が向坂自身の思惑と齟齬をおこしている。


 簡単に言ってしまえば……自分では気づいてはいないが、自分から問題を招き寄せいている……


 向坂の行動は……なんでそんことになっているのだ?


「女性は誰でも見られたい願望を持っている」


 ふいに田尻は前に上條社長が言ったことと同じことを言った。


「そうですね。それは普通のことだと思います」


「しかし……向坂君はそれを無理やり抑え込まなければならない時期があった……違うか?」


 そ、そうだ……向坂は……おそらく少女時代に男性の目を怖れて男との接触を一切断っていた時期があったと聞いた。



「櫻井……昨日君が見た向坂君の顔を思い出してみろ……」


 昨日見た向坂の顔……俺の胸でな泣き続けた時に見せた向坂の顔……



 それは……


 その顔は……


 少女時代の向坂の顔だ……


 な、なんと……


 そ、そういうことだったのか……

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