第23話 真摯

 ショック療法というのはあるもんだ。


「私の部屋で休んで行けば?」


 というあまりに想定外の向坂の申し出にビックリしてしまい、俺の身体を支配していた重たい感情が一気に霧散してしまった。


 俺はもう大丈夫だから……といっても向坂は言うことを聞いてくれず、代官山にある向坂のアパートまで強引に連行されてしまった。


 道玄坂から代官山までは徒歩でもそれ程の距離ではない。代官山駅に向かう大通りから少し入ったところに向坂の住む高級感溢れるアパートがあった。


 ここ芸能人も多く住むメッチャ高級住宅地だよな?……向坂、おまえホント何者だよ!?……ってそうかお前も芸能人か……ムムムやっぱスゲ〜なお前。


 三階建てアパートには……高い外壁扉がありその入り口にある守衛室には屈強なガードマンが睨みを利かせていた。外壁の入口は声紋認証のオートロック。すごいセキュリティーシステムだ。


 まあ、向坂は過去にストーカー被害にあった可能性もある訳だから当然と言えば当然かもしれない。


 向坂の部屋は最上階の三階にあった。


 さすがに女性の一人暮らしの部屋に入るというシチュエーションは初めての経験だ。いやが応にも緊張する。ましてや向坂の部屋だ。


 また男をこうも簡単に部屋に入れる向坂のガードの甘さにははやり一抹の不安を感じる。


 連絡先を知っていただけであれだけの不満を漏らした東郷さんがこの事実を知ったら激憤のあまり卒倒するな……


 俺はいよいよオートロック式の分厚いドアから向坂宅に入った。


 玄関から少し長めに伸びる廊下。そこには少し原色がキツイ……どちらかと言うと向坂らしくない雰囲気の絵がところどころに飾ってあるのが目に付いた。


「それ、私の好きな画家なんだ」


 俺の視線に気付いた向坂がそう話してくれた。


「なんと絵にも造詣が深こうございましたか」


 俺はおどけた調子で答えた。


「フフフ……やっぱ深層心理を学ぶなら、こう言った絵にも興味持たないと?」


「どういう理屈だよ?」


 俺はちょっと強引な向坂の説明に少し吹きだしてしまった。


「あら?絵が深層心理に与える影響は、義人なら理解があるんじゃないの?」


「まあ、それは分かるけど、これがそうなの?……なんか思いっきり表層意識にしか訴えてこない絵に見えるけど?」


「浅いなあ〜義人は……こういう分かりやすい原色で彩られた絵の方が素直に深層意識に入ってくるんだよ?」


「ふ〜む……確かに説得あるなその話……それ誰の説だよ?」


「向坂女史の説」


 そういって向坂は両手を腰に当ててちょっと偉そうな仕草でおどけて見せた。


 一流モデルでもある向坂は、そんな他愛もない仕草でもホントにファション雑誌から飛び出してきたのかと錯覚する程様になる。


「おまえそういうポーズとると流石にカッコいいな」


「フフフ……なんなら写真撮っとく?」


 そう言って向坂はちょっとだけはにかんだ。


 これもさっき俺が見せてしまった精神的な動揺を気にしての励ましでもあるのだろうと思うとちょっと気恥ずかしく思う。


 廊下を抜けて俺は部屋に通された。


 2LDKの間取り。


 部屋は、白を基調とした明るめのインテリアで想像通り余計なものはあまりないが、部屋にいくつか配置された小さな家具のセンスが向坂らしい品の良さを感じさせた。


 また思ったより部屋が広くないと感じたのは、小さな家具とは対照的に置かれた背の高い大きな本棚が2つも並んでいたからだ。


 本棚には……びっしりと心理学関係の本が詰まっていた。これが……これこそが彼女がもがき苦しんだ証だと思うと胸が締め付けられる思いがした……


「義人は読んだ本ばかりでしょ?」


 向坂はことさら明るくそう言った。


「なんか俺の部屋の本棚と勘違いしそうなくらいだな。ただ……この辺の洋書がうちにはないな」


「へへ……すごいだろ?」


「なんだよ、その自慢」


 自分の心の闇に立ち向かうために始めた心理学だとは思うが、洋書の原典まで読破する向坂と言う女性は、深層心理が好きで心理学を誰よりも真面目に学ぶ学生なんだとつくづく思った。


 俺ははじめて向坂に会った時、田尻の講義で目を輝かせながら必死にノートを取っていた向坂の姿を思い出していた。


 向坂は確かに俺が知る誰よりも美しい容姿であることは間違いない。


 しかし俺はそんな向坂の美しさよりも、少女のように無垢で一直線な瞳を輝かせて必死に心理学を学ぶ向坂に魅かれたんだという事をあらためて思い出していた。


 そうなのだ……俺はただ彼女の外見とか、よく分からない魔性な部分とかそういったことではなく、俺は……彼女の真摯に勉強する姿に魅かれ、憧れて、尊敬して……だからこそこんなにも彼女の事が好きなのだと思い出していた。


 俺のよう平凡で、子供のように腹をたてて、落ち込んで……そんなダメダメ俺なんかを必死に励まそうと明るくふるまう向坂の事が好きなのだと……


 そうなのだ。俺は目に見えない「残党」とか「魔性」なんてモノに魅かれたわけでは断じてない。


 そんなくだらない想像の産物なんて無視していい。


 目の前にいる彼女を見ろ。


今まさに俺の目の前で俺の身体の事を心配して必死に励まそうとしている誰よりも素敵な女性を見ろ。



 くだらないフィルターなんか通さずに実物大の向坂という素敵な女性を見るなら……俺は決して彼女を見誤ることはないのだ。


 この向坂という女性は……今、俺の前の目の前にいる。


それ以外にはどこにもいないのだ。



 俺は向坂を得体の知れない化け物のように想像し、そんなくだらない妄想で動揺していたことに恥ずかしくなった。





「向坂……」


「ん?」


「ありがとな……」


「え?……どうしたの急に?」


「いや、なんか色々はげましてくれたんだろうなあって思って」


「まあ、義人のことだからバレバレだったと思ってたけど……フフ」


 向坂は照れ隠しなのか少しはにかみながらそう言った。


「ホント……助かった……危うく間違えるところだった」


 俺は誤魔化さず、自分の正直な気持ちを彼女に伝えたかったのでそう真摯に応えた。


「ど、どうしたのよ義人?……ま、間違えるって……な、なんかよく分からないけど……そんなあらたまって……焦るよ」


 俺のいつにない真摯な態度に向坂はあたふたとしていたが、それでも嬉しそうに笑ってくれた。





「ただ、ちょっとだけ意見していいか?」


 あまりシリアスに暗そうにしてても、それはそれでまた向坂坂に心配されそうなので、ことさら明るい調子にテンションを戻した。


「え〜?何よ?」


 向坂も安心したように調子を合わせてきた。


「おまえさ、こう簡単に男を部屋に入れるなよ?まあ部屋にいる俺がいうのもなんだけど……ガード甘すぎだろう?」


「そこはご安心を。こう見えて私は鉄壁のガードだから。MISAKIちゃんも言ってなかった?」


「ああ……確かに言ってたけど……いや、そうじゃなくて現に俺を部屋に入れてるだろ?」


「アハハハ……義人はいいんじゃないの?」


 義人はいいんじゃないの?ってその心はなんだよ?言い方微妙すぎるだろう?


 〝義人は男性のカテゴリーじゃないから安心〝ってこと?


「おまえ、そこは〝義人は特別だから〝って返すところじゃないの?」


「……フフフ、……それでもいいよ」




 ……前言撤回。


 こ、この女……やっぱ魔性だ!!

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