第22話 疑念

 向坂と俺は、Kスタジオを出て少し遅い昼食を取るために、道玄坂の途中にあるバイキング形式のレストランに入った。昼休みのピークを過ぎていたので比較的席は空いていた。


 俺たちは窓際の落ちついた席に座ることが出来た。


「なんか、ゴメンなさい。私が連絡すればよかったね」


「まあ、あの社長を向坂がコントロールすることはできないだろう」


「でも益々、義人を巻きこんでしまって迷惑かけてばかり」


「いや、それについては全く気にしないでいい。乗りかかった船だ。素敵なお姫さまのためなら男なんて単純なものだ」


「何それ?」


 向坂はようやく顔を綻ばせた。


 向坂に振り回わされることは全く俺にとっては苦痛ではない。むしろ惚れた女のためだ、どんどん振り回してもらって結構。


 ただ、今回のことはいきなり「目の当たり」にするには少々きついものがあった。できれば先に向坂から説明しておいてほしかった。


 つまり「東郷肇」という男、いや普通の男でない完璧イケメンかつ向坂のダミー彼氏という存在のことを。


 俺が唯一引っ掛かったのはそこだ。


 俺の不満は「協力してるのだから情報は事前にもららわないと困る」というような至極まっとうな理由では全くない。


「仕事場で近しい男性の存在を話してくれなかった」という嫉妬心からきたものだから、俺もちょっと強く出れない。


 でもここは俺から敢えて「メッチャ東郷を気にしてるぞ」という本心を明確にしておこうと、あえてその話を口にした。


「さっきの東郷さんのことだけど……」


 そう切り出すと、向坂はビクッ!と両肩を上げ、少し顔に緊張が走った。


 向坂としても当然あまり触れられたくないだろうが、きっと向坂にしても俺の内心を気にしているはずだ。


 だからいつもなら「無理に話さなくても」と慎重に事を進めるが、この件はお互いがクリヤーにしておくべきことだと思ったので話を前に進めた。


「彼との関係って……」


「誤解しないで!」


俺がそこまで言うと、かぶせるように強い口調で向坂が口を開いた。


「彼とはホントにダミーで恋人のフリをしてもらってただけだから」


向坂は俺の反応を気にしながら早口にそう言った。


 俺はその事実を誤解はしていない。だからそれは全く問題ない。


 ただ、なさけないことに「恋人」」というフレーズの響きに心がザワリとかき乱された。


 俺のそんな動揺が顔に出たのだろうか、向坂は慌てて言葉を続けた。


「彼を連れてきたのも上條社長で、私が選ぶとか、お願いするとか、そういうことは一切してないから……東郷さんはうちの事務所でもルックス的にも性格的に一番その……」


「ああ、それは東郷さんが適任だろうな。そんじょそこらの男ではその役は果たせない」


「そう……だよね……」


 現金なもので、向坂のそんな説明で俺はKスタジオで東郷に会った瞬間から逃れようにも逃れることが出来なかった重たい感情が、ようやくすこし軽くなった。


「でも先に言って欲しかったなあ。あの人いきなり紹介されたら正直、ショックでけーよ」


「だ、だから、ちょっと義人にはあまり知られてくなかったというか、知ってほしくなかったというか」


向坂は歯切れ悪く小さな声でそう言った。


 まあ、向坂からしたらダミーの恋人なんか友だちに知られたくはないだろうな。


 向坂にしても、苦悩を避けるための作戦が、すでに、この作戦を続けること自体が「苦悩」の一つになっていたのかもしれない。


 こんな対処療法で何がどう変わる訳があろうはずがない。決していい方法とは思えない。


 それに乗り気で協力する東郷の本意は正直分からない。


 ただ、あの調子だと真剣に向坂のことをなんとかしてあげようとういう気持ちは見てとれた。


 その根底にあるのは?まあ考えるまでもない。


 向坂への好意だろう。


 そう言った意味で、俺と同類か。


 だから俺としても「ニセの関係から本物の関係に」という漫画にありがちなテンプレートな出来事がないとは限らいいのでは?という不安がある。


 だからそんな付焼刃的な対処療法は、直ぐにでも解消してほしい。


「で、東郷さんはどうするんだ?」


「実は、今日ニセの恋人というのは、社長から止めにするという話をしてもらったの。そうしたら東郷さんが社長が詰め寄ってしまって。義人が協力する話も社長がしたものだから、義人を呼ぶと言う流れになったわけ」


 なるほどな……


 でも……


「それは俺を呼んだら話ややこしくなるだけって気付かなかったのかな?……上條社長にしては読みが甘かったな」


「いえ、社長は止めた方がいいって言ったんだけど、私が……その無理やり呼ぶように言ってから」


「お前もちょっと男心読めよ」


「え?どういうこと?」


「だから東郷さんの気持ちとか?」


「東郷さんの気持ち?」


 う〜む……まったくこの娘ときたら。まあ、これも魔性の女の一側面なのか?


「どう考えても東郷さんお前に好意があるだろう?それに気付かなかった?」



「え?!それはないと思うけど!?」


「は?バカかおまえ!!」


「何よ!それは義人の思いこみだと思うけど?」


「うわ〜……いま東郷さん、はじめて同情したよ、って俺ごときに同情はされたくないだろうけど」


「え?ナ、ナニ言ってんのよ?東郷さんがって」


「おそらく上條社長は向坂の気持ちをこう読んだと思うぞ……」


「え?どういうこと?」


「東郷の気持ちが向坂に向かうことで向坂がプレッシャーを感じはじめていたと」


「え?そうなのかな?」


「そうだろ?だからダミーの恋人役である東郷という一番近いところで、向坂のプレッシャーとなる『異性の視線』が発生してしまった」


「それってつまり」


「そうだよ。本末転倒な状況になっていると」



 向坂は、心底驚いたように目を見開いて固まってしまった。


 東郷が自分に好意を寄せているとは微塵も感じていなかったらしい。


 そういう意味では、東郷も「その他大勢」と同様に向坂の「魔性」に引き寄せられてしまった存在ということになる。


 まあ、ってことは俺の好意も全く通じていないってことなんだろう……と想像してまたまたダークサイドに落ちそうになった時……


 ……ある可能性が


 ……俺の心に突如飛来した。





 ”俺は?”





 俺はどうなんだ?





 おれの向坂への好意は……”その他大勢”の男たちの何か違いはあるのか?


 俺が向坂の魔性に魅かれた訳ではないという保証はどこにあるのか?



 その「可能性」になぜいままで気付かなかったのか?


 いや、決して認めたくないから敢えて避けてきたのか?


 ”いや、俺はそうでなない、そんなはずはない”


 そう思っても……俺だけが違うと言う確たる根拠が見つからない。



「向坂、東郷の視線にはプレシャーは感じていなかったということだよな?」


 俺は気持ちを冷静になんとか保ちながらさっきの話を続けた。


「え?さっきの話?……問題なにも、気付かなければ私には何の影響はないと思うけど?」


「だよな」


 そうだ。この先、東郷は向坂に具体的なアクションを起こさなければ、それは問題にはならない。


 では、なんで向坂は東郷を遠ざけるような行動をとったのだ?


 つまり俺をスタジオに連れていき、あまつさえモブ野本には彼氏宣言までしてしまった。東郷と言うダミーの彼氏がいるにも関わらず。


 考えられることはある。


 向坂は、東郷に一線を越えられたくないから、自分から先に防衛線をはったということ。


 向坂は東郷の気持ちに全く気付いていなかったというのは、さっきのリアクションを見れば嘘ではないのだろう。


 しかし、自分が意識できないレベルで、つまり「無意識」のレベルで東郷の好意を察知していた可能性がある。


 だから俺を「盾にしよう」と潜在的に行動したのではないか?


 そんな想像が首をもたげた。


 深層心理学を勉強する俺にとって、そんな「無意識の行動」が日常起こることは知りすぎるほどに知っている。


 とするならば、やはり東郷は向坂から無意識的にだが「避けられた」ということになる。


 そしてもう一度同じ問いが浮上する。


 ”なら俺は?”


 俺が東郷と同じように「その他大勢」だったとしたならば?


 すでに上條に宣言してしまったように向坂へいよいよ俺の気持ちを伝える段になったなら、俺の好意を察知した向坂はやはり俺から遠ざかっていくだろうか?


 その可能性に至った俺は、そのあまりに衝撃的な結論に吐き気を催す程に内臓をかき回される思いがした。


「え?義人?どうしたの?顔が真っ青だけど?!」


 俺の顔色を見て異常を察知した向坂は慌てた。


「いや、ちょっと立ちくらみ……少し寝不足かも。直ぐ良くなるから心配ないから」


 そう誤魔化したが、あまりの動揺にまだ目眩がする。


 俺はゆっくりと深呼吸を繰り返し、なんとか立ち直るきっかけを自分の思考に探した。



 しかし、どこを探しても明確にそれを否定する根拠が見つからない。


 そして俺は向坂に呟いた。


「向坂、俺が嫌になったらしっかり伝えてくれ」


「え?何言ってんの?意味わからないよ」


「ああ、そうだな。ゴメン、やっぱ疲れてるのかな」


 不安そうな眼差しで見つめる向坂。


 俺はそんな向坂を見ても、気の効いた一言すらでてこない。




「義人、この後の講義は?」


「ああ、四限がある」


「それ、休みなよ」


「いや、大丈夫だ」


 向坂は少し考えたようなそぶりを見せた。


「じゃあ、ちょっと私の家で休んでいきなよ」





「……はい?」

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