第21話 嫉妬

「向坂が直接連絡すればいいだろう?」


 俺がそう言うと、なぜか三人がみな顔色を変えた。


 向坂と上條社長は「しまった」という顔をしていたが、東郷だけが眉間に皺を寄せ「なんだと?!」とばかりの驚きの表情を見せた。



 俺と向坂が直接連絡を取ることに、なにか問題があるのか?


「まあ櫻井、悪かったよ。そうカリカリするな。その、YUKINAがホイホイと特定の男に連絡するのがな……」


 上條は歯切れ悪くそう言って、東郷を顔をチラと見た。


 ここに来て、分厚い仮面を付けてポーカーフェイスを決めていた東郷が明らかに不満の表情を見せている。おそらく彼が俺に見せたはじめての「素」の表情だ。


「YUKINA、君は彼に個人的な連絡先を教えているのか?」


 東郷は責めるように向坂に問いかけた。


 向坂は気まずそうに、目を泳がせながら下を向いてしまった。



「東郷、まあ彼は大丈夫だ」


 上條社長がすぐにそんなことを言った。


「社長、でもこれではまた同じことを繰り返すことになりませんか?」


「東郷の言い分もわかるが、YUKINAだって大学という我々以外のコミュニティーに属している。そこまで我々が口を出すのは現実的ではない」


「いや、それはそうですが、YUKINAの危機意識がどうなのかと。本人がそれだと周りが手助けするにも……」


 どうやら想像通り、向坂の問題を東郷は既に協力している立場にいる。


 会話の内容から類推するに、きっと向坂は過去に個人の連絡先を男に教えたことでトラブルを起こしているのだろう。


 安直な想像では……ストーカー被害か。


 連絡先すら教えないという神経質ぶりから判断するに、一度や二度ではないのだろう。


 上條もこの悪い空気のままでは、先へ進めないと思ったのか説明を始めた。


「櫻井、君の気付いているYUKINAの問題だが……」


「ええ……男性の視線ですね」


「ああ……勘のいい君のことだから気付いていると思うが、この東郷はその問題解決に全面的に協力してもらっていたんだ」


「ええ、そうみたいですね。であればなぜ社長は俺なんかを頼ろうとしたんですか?東郷さんの方が適任に見えますけど?」


「まあ、もちろん東郷で問題なければよかったんだが……」


 言い澱んでから上條社長は続けた……


「東郷……つまり最初の計画が上手く回らなくなっていたんだ」


「最初の計画?」


「ああ、それはその……」


 社長は言いかけて向坂の表情を確認した。


 向坂は苦しそうに唇を噛んだ。


「まあ、その……誰もが諦めるだろう相手をでっち上げたのだ」


 上條社長がそう言うと向坂は悲しそうに下を向いた。


 俺の心がザワザワとさざ波を立てた。


 つまりそれは……


「それは……この東郷が……」


「ああ、俺がYUKINAの彼氏として振舞っていた」


 東郷が上條社長の話の後を継いで、そう答えた。


 俺は心拍がバクンと跳ね上がった。ギリギリと奥歯を噛みしめる程に、負の感情が湧きおこる。


 この感情の正体はもちろん知っている。


 我慢ならない程の嫉妬だ。


 俺は気付かれないように、鼻からゆっくり息を吸い込み深呼吸しながら冷静になろうと努力した。


 向坂は不安げに俺の表情を見つめ、何か言いたそうだったが何も口することはなかった。



 上條社長は、俺の向坂への気持ちは知っているから俺が今どんな感情に支配されているかは当然分かっているだろう。


 社長も神妙な面持ちで切り出した。


「しかし、最近それに無理が生じてしまっていた」


「無理?」


 俺は、平静を装い一言、言葉を発して話を促した。


「君が最初にここに来た時に、YUKINAから聞いただろう。マネージャーの話を」


「ええ、そう言えばマネージャーを彼氏にするとかなんとか、むちゃくちゃな話でしたね」


「そんな話が出たのも東郷とYUKINAの偽りの関係がすでにスタジオ内に露見してしまっていたからなのだ。所詮フリはフリだ。毎日顔を合わせていれば、誰もが違和感には気付く。特に君も会った野口は執拗に事実関係をYUKINAに迫っていた……」


 そうか……野本と俺の小競り合いがあった時、咄嗟に俺を彼氏だといったのもそう言った背景があった訳だ。


「そして決定的だったのが……やはり……」


「やはり?」


「大学に入ってからYUKINAが明らかに変わってしまったことだ」


「向坂が変わった?……どう変わったんですか?」


「東郷には言いにくいが、むしろ東郷を遠ざけるようになってしまった。もしかすると櫻井との出会いも大きく関与しているのかもしれないが」


「いや、それ以前からだと思いますよ」


 東郷は俺との関与を否定するかのように口を挟んできた。


「まあ、私もそれは分からん。しかし、そんなタイミングでYUKINAが君をスタジオにつれてきてしまったから私もビックリしたんだ」


 色々と、話のつじつまが合っていく。向坂の変化に俺が関与していると思った上條社長だからこそ、最初に俺がKスタジオを訪問した時に俺と強引に面会をして……品定めをしたのだ。


 俺は暢気な……それこそ「職場見学」とあまり変わらないテンションでいたのだが、向坂と、特に上條社長の中ではかなり切迫した「東郷との問題」が控えていた訳だ。


「YUKINAのその行動はあまりに人を馬鹿にしている」


「東郷、その話はもう蒸し返すな」


 東郷が見せるこの調子だと、俺が向坂とこのKスタジオに初めて来た時に、向坂は東郷から相当に責められたであろうことが想像できた。


 それはそうだろう。まだ東郷との関係が宙に浮いている状態で、勝手に彼氏かもしれない男……まあ実際は彼氏ではないのだが……を連れて来たとなれば東郷にしたら許せないだろう。


 第一東郷は、ただダミーの彼氏というだけでなく向坂に好意を持っている。




 クソッ、少しくらい俺に相談しろよ。いきなりこの状況見せられるの結構キツイぞ。


 なんとなく話の概要は見えてきた。


 向坂は、この仕事を始めておそらく多くの男性から言い寄られた。まだ高校生だった向坂は上手く仕事をしていくために”いい顔”をせざるをえなかったに違いない。当然、同僚との連絡先の交換だってしただろう。


 そこで多くの男性とトラブルが発生して、社長も悩んだ。だから東郷という「完全無欠」な彼氏おくことで、男どもが向坂に近寄る事を諦めさせた。


 東郷と言う存在はそれを可能にする程のパワーを持っていたのだ。


 しかし、それも長くは続かなかった。


 向坂が無理やり連絡先をせがまれる場面では、それをいちいち東郷が目を光らせてガードしてくれていたに違いない。


 そんな状況で、向坂が易々と男に連絡先を教えれば東郷としては面白い筈がない。


 東郷は、俺に再度目を向けた。


 俺が入ってきた時に見せた余裕の表情はすでに無くなっていた。だからと言って彼が俺に向けている視線は嫉妬ではなく「怪訝」という性質のものだといことが明らかとなった。


 どうやら東郷にしてみると、どう転んでも俺のような一般人が、向坂や東郷がいる「選ばれし人間の世界」の相手になるという発想にたどり着けないらしい。


「万が一」にも俺が向坂と仲良くなると言う想像ができないようなのだ。



「櫻井君……YUKINAはやはり、君みたいに大学で連絡先を交換するようにせがまれることはけっこうあるの?」



 東郷は、俺に質問を投げかけてきた。


 内容は……なるほど、俺が無理やり向坂の連絡先を聞き出したという前提だな。


「安心してください、向坂に連絡先を聞く度胸のある奴は早々いないですから」


「そうだろうな……じゃあ君は、すごい度胸だってことだか……でも学部が同じでサークルも一緒でラッキーだったのかな?」


 えらくバカにされている気もするが、本人にそんな気はないのだろう。


 東郷が感じている「不可解」なことを、自分が納得するよう理屈を積み上げているだけだ。


 でも残念でした。


 その理屈は全くの見当違い。


 俺は向坂にいきなり連絡先を訪ねる程の度胸はない。いや度胸の問題ではない。そんな野暮はしない。全く自然の流れで、普通の大学生の男女の空気感で連絡先を交換するまでだ。


 そこにフォーカスしてとやかく言う程の話では全くない。そんな普通のことすらこの東郷は理解できない。住んでる世界が違うとここまで認識がずれてしまう。


 まあ、面倒だからそんな話をしようとは思わんけど。


 でも、ここまで階層意識が高いヤツをリアルで見るとさすがに引くな。


 東郷の容姿は、羨ましくも思うがここまで歪んだ発想が身についてしまうのなら決してこうなりたいとは思わない……




「違います!」


 いきなり向坂が叫んだので、東郷と上條はキョトンと面喰った顔をした。


 俺まで「なんだ?」と思って向坂に視線を向けた。



「違うんです。私が義人の連絡先を知りたくて、私からお願いしたんです!」


 バッカ、おまえ、何言いだしてんだよ!?


「いやいや、向坂、俺に気を使う必要ないから」


「気をなんてつかってないよ!義人は私の連絡先を無理やり聞こうなんてことしない!」


 向坂の言に怒気が含まれていることにいまさら気付いて、俺は面喰った。


 な、何を怒ってるんだ、向坂は?


「YUKINA、分かってるから、分かってるから興奮するな。東郷、お前の言い分も分かるが、櫻井が無理やりYUKINAに近づいて来た訳ではない。そこは勘違いするな。でなければ私も櫻井をあてにはしない」


 東郷は向坂の態度に、よほどビックリしたのか目を丸くして向坂を見ていた。


「君がここまで感情的なになるのをはじめてみたな。そうか……」


 そういって東郷は俺の顔をマジマジと見た。


 その時、東郷が俺を「ただの学生」から「一人の男」としてはじめて認識した瞬間なのかもしれない。



 さすがにここまで空気が悪くなってしまうと、三人仲良く食事と言う感じではない。


 どうしたもんかと思っていると、上條社長も同じ思いだったようだ。


 やれやれと言う顔で切りだした。


「YUKINA、今日はもう上がりだろ?私は東郷とまだ話があるから、櫻井と食事してそのまま大学向かって構わんぞ」


「え!?……ああ、はい。では、そうさせて貰います」


「櫻井、悪かったな無理やり呼びだしてこんなことになってしまって。今回は申し訳なかった」


 上條は、こんな俺にも丁寧に詫びを入れた。


 東郷は、俺に若干の敵意を持っているようにも感じたが、前にあったモブ野本のような低質のモノでなく好敵手としてロックオンされたような圧力が、俺に居心地の悪さを感じさせた。


 マジですか?あなたがライバルっすか?


 こんな男と勝負して俺に勝ち目があるのだろうか?



 はあ……また眠れぬ日々が続きそうだ……

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