向坂SAKISAKA～心の闇を照らしたもの～

第12話 探り合い

「ある人に会う？俺が？」

「ええ……」

「当然このスタジオの関係者だよな？まさかマネージャーのお誘いとかじゃないよな？」

「それは大丈夫」

「もう話は付けたのか？」

「まあね。その件は心配しないで」

「そうか。で、誰に会うわけ？流石にそろそろちゃんと情報くれよ？」

　今までは向坂が状況を語りたがらないことを許容して、実際にその理由は理解できた。

　このスタジオ内に展開されているこの異常な状況は、言葉では確かになかなかうまく説明しきれない。

「とりあえず見て」

　という向坂の判断は妥当なものだと思う。まさに百聞は一見にしかずだ。

　このスタジオの状況は、言葉よりもこの空間に入ることで初めてリアルに感じることができる異常さだ。

　向坂は、きっとこの状況だけでもまず知ってもらおうというのが当初の目的だったのだろう。

　しかしだ。

　向坂が当初想定していたであろう状況は、既に変わってきてしまっている。

　今回、向坂はあまりに準備不足だった。もしくは認識不足だったのか。

　向坂にとっての想定外は、自分が男を連れてきたことの周りのへのインパクトだ。

　向坂が俺を連れて来たことが”大学の友だちを連れきた”という暢気な話では済まされなかった。

　つまり”あのYUKINAが男を連れてきた”と、皆が驚く大事件になってしまったのだ。

　ましてや向坂は、不用意に俺を彼氏としてスタッフに紹介してしまった。

「なんか思ったよりずっと状況が動き過ぎちゃって、ホントごめんなさい。」

「まあ俺も野本さんの件では、少し飛ばし過ぎたのもあったから自業自得な部分もあるからな」

「ホントそうよ！」

「まあ、そこは勘弁してくれ。ただ、逆に今度は暴走しないために事前情報はなるべく貰えると助かる」

「そうよね。これから会ってもらうのは、このスタジオの責任者」

「え？責任者？社長ってこと？俺が会う意味あるのか？」

「もちろん私もそのつもりはなかったんだけど、社長が是非、義人と会いたいって」

「そうか、野本さんが余計なこと吹き込んだんだな？」

「いや、そうじゃないんだ」

「別に理由があるの？」

「私が男性を連れて来たことにかなり驚いたみたいで」

「でもそこは"ただの友達です”とか上手く説明すれば、どうにかなっただろう？」

「なんというか、私が考える以上に重く捉えられてしまったようで」

　なるほど、やはりそうか。社長からしても事件となるレベルか。

「分かった。で、その責任者はどういう感じの人なの」

「義人なら会えばすぐ分かると思う」

「それじゃあ、今までと一緒だろう？ちゃんと情報くれよ？」

「だって義人なら余計な先入観がない方が的確にジャッジできそうな気がするから」

「おいおい、そんなに俺を買いかぶるなよ？心理学が好きとはいえ、所詮社会経験の浅い大学生だぞ？」

「じゃあ、ひとつだけ言っておく」

「何？」

「心して会った方がいいと思う」

「そうか、侮れない相手ってことだな？」

　俺がそう言うと向坂は神妙にうなずいた。

　結局向坂は頑なにそれ以上の情報はくれなかった。向坂は向坂なりの思惑があるようで、絶対そのほうがいいと譲らなかった。

　確かに社長のことをよく知る向坂がそう言うならそうかもしれない。

　俺たちはエレベータで最上階である5Fに上がった。エレベータを降りると廊下にはシックなベージュのカーペットが敷かれ、その廊下の先に重々しい扉がある。これが社長室だろう。この階は1Ｆにあるスタジオの喧騒とは全く違った、静かで厳かな空間が拡がっていた。

「あの部屋か？」

「そう」

　俺がそう尋ねると、向坂は緊張気味に応えた。

「いくか」

「ええ……」

　向坂は、扉をノックした。

「どうぞー」

　扉の奥で響いた声は、予想に反して……

　女性の声だった。

　扉を開けると、部屋の奥には極上のプレジデントチェアに座るKスタジオの社長と思しき姿があった。

　……若い。

　まず思ったのがそこだ。しかも相当な美人だ。眼光は異様に鋭く、大きな瞳を備える目ヂカラが只者ら敷かぬ雰囲気を醸し出していた。しかもボリューミーなやや明るい髪をハーフアップした髪型がゴージャス感を演出している。プレジデントチェアに深々座り両足を組むその姿から覗かせる細っそりした両脚からだけでも抜群のスタイルを彷彿とさせた。この人自身がモデルで十分通用する。いや……もしかすると元モデルという可能性もある。

　歳は……どんなに高く見積もっても20代後半だろう。

「はじめまして、櫻井義人君……Kスタジオの社長、上條裕子です。いきなりそんなジロジロ見ないでね？」

　俺としたことが、指摘されてようやくギクリとした。美しいということもあるが、色々インパクトがありすぎる容姿についつい見とれてしまっていた。

「さて、私の見立てはどうだった？……そうね。とりあえず年齢は20代後半から30代前半くらいと思った？元モデルだったってことも気付いたかな？」

　はは、なるほど、そうきたか。

　こういう相手は、下手に繕っても意味がない。

「向坂の大学の同級生、櫻井義人です。今日は突然お邪魔することになり申し訳ございません」

「フフフ、優等生なご挨拶だこと。でもあなたはYUKINAに無理やり連れてこられただけでしょ？あやまることないんじゃない？」

「いえ、無理やりじゃないですから。意気揚々と付いてきましたよ」

「そうね。普通、男子ならYUKINAに誘われれば喜んで来るわよね。事情も分からず迷惑になるなんて想像もしないでね」

　ほら来た。上條社長は早速チクリと嫌味を入れてきた。やはり今日の俺の訪問は、この上條社長にとって喜ばしいことではないようだ。

「ええ、普段目立たないんで、迷惑かけるほどの影響力もないと思っていました。でもまさかこんな異常な、いや失礼……特殊な環境とは流石に想像が及びませんでしたから」

「ほほう、君はこのスタジオが、異常な職場といいたいんだな？」

「どうでしょうか？僕は社会経験ないんで”こんなの普通だよ”と言われれば返す言葉もありません」

「しらじらしいな？YUKINAが何に苦しんでるのか気付ているのだろう？」

「まあ、普通は気づきますよね？」

　俺がそう言うと、社長はニヤリと笑ってみせた。

　俺と上条社長の間にピリピリした空気が流れてしまってる。

　社会的地位からして俺とは比べくもない雲上人だ。しかしだからと言って俺との利害関係は皆無であるから下手に気負う必要もない。

　いつも通り思ったことを素直に口にすればいい。

　ここで会話は途切れた。上條は俺の表情を凝視している。

　さすがにそこまで露骨に表情を読みにこられると居心地が悪い。当然これもワザとやっているのだろうが……

　沈黙に耐えられず、俺は口を開いた。

「Ｋスタジオにとって向坂はどんなポジションなんですか？」

「ポジション？それはどう言う意味だ？」

「モデルとして会社への貢献度はどうなのかと」

「なぜそんなことを聞く？」

「いえ……彼女がこの仕事を辞めるとKスタジオ的にはダメージになるのかなと」

　そう言うと向坂は驚愕の表情で俺を見た。

「アハハハハ……やっぱり君は面白いな？」

「友人なら誰でもそう思うと思いますけど」

「そうだな、確かにそうかもしれんが。でもそれを社長の私に言うのはいただけないよ？」

「僕はまだ学生なんで……会社の事情を考慮するなんてそれこそ出過ぎた話と思いましたので。僕が意見していいのは友人としての感想ではないでしょうか？」

「都合のいい時だけ子供を振りかざすかのか？」

「上條社長からしても中途半端に大人の振りをする"青い学生”の意見なんて聞きたくもないのではないでしょうか？僕はピュアな学生の意見ならまだ聞く耳持ってくれると思ったまでです」

「君がピュアな学生だと？すでに野本をやりこめたと聞いたぞ？」

「いや、あれは僕が感受的になってムキになってしまったんです。おはずかいし。まだ感情抑えられない子供なものですから」

　俺がそう言うと、上條社長は微笑を湛えたままだがその大きな目の色が少し不機嫌そうに吊り上がったように見えた。

　それにしても、さっきから俺の隣では向坂が不安げな顔で俺と上條社長のとの会話を聞いていた。

　俺がそんな向坂に視線を移すと、俺につられて上條社長も向坂の方を向いた。

「YUKINA……これから撮影でしょ？」

「えっ？……ええ、10分後くらいからだと思います」

「ちょっと彼、借りていいかな？」

「は？」

「え？」

　俺と向坂は同時に反応した。

「フフフ、YUKINA、安心しろ。彼と二人で話をするだけだ」

「上條社長、僕を借りるって、どういうことですか？」

「この後、私と二人で食事しないか？……ん？YUKINA？そんな恐い顔するな。別に彼を誘惑している訳ではないから」

「そ、そんなこと気にしてません！」

「そうなのか？」

　上條社長そう問われた向坂は困ったか俺で俺の方を向いた。

　いや、俺に助けを求めるなよ？そんな顔すると上條社長の誘惑を気にしていると俺が勘違いするだろうが？

「あはは、若いっていいな」

　上條社長が生暖かい目を向坂につけつつそう言った。まあ仕方なない。ここは上條社長の提案に乗ってみるか。

「向坂？ちょっと付きあってくるよ。きっとその方が話がはやい」

「で、でも」

　向坂は不安げにそう応えた。

「大丈夫だろ……きっと」

「あら、櫻井くん、もう信用してくれたの？」

「最初から信用してますよ？」

「全く食えないな、君は」

　上條社長はようやく顔を崩して苦虫を嚙み潰したような表情をした。

「少なくとも上條さんは、向坂を敵視する存在ではないのは分かりましたから」

「ふん、なるほどな。櫻井くんか……YUKINAが意識するのは何となくわかった気がするよ」

　上條社長がそう言うと、なぜか向坂は照れたように下を向いてしまった。