第11話 視線

「お、お、おっ、おいおい!何いっちゃってんだよ?俺が彼氏に誤解されるとか、いろいろマズイだろ?」


「だから義人が焦らせるから……」


「だって、大丈夫なのか?その、ホントの彼氏とか?」


 不意に俺はそんな言葉が口をついた。


 なぜその発想が抜け落ちていたのか自分でも不思議だが、俺の中で今のいままで向坂に彼氏がいるという想定を全くしていなかった。


 彼女のルックス、境遇を考えたら「いて当たり前」と思うのが普通だ。


 しかし、全くその考えに全く辿りつかなかった。


「向坂に彼氏がいてほしくない」という無意識の願望が、その発想を遠ざけたのかって感じかな。心理学を学ぶ人間の分析としては。


 向坂は、どうしたのか、急に怒ったように俺を睨みつけて言った。


「彼氏なんている訳ないじゃない!まさか義人は私に彼氏がいると思ってたの?」


 俺はいきなり噛みつかんばかりに捲し立てる向坂に面食らってしまった。なんでいきなりそんな攻撃的なの?


 まったくなんの地雷だよ。彼氏がいるワケないと言うその根拠は何なんだよ。


 でもそう聞いてホッと安堵の息を漏らす俺がいるのを認めざるを得ない。


「いや、実は向坂に彼氏がいる想像はしてなかったんだ。ただ向坂なら、いて当然なのかと咄嗟に思ったまでだ」


「いないわよ。だからそんなこと言わないでよ」


 向坂は不貞腐れながら、呟いた。


「で、いいのか?あの野本ってヤツは少なくとも俺が彼氏だと誤解してる訳だろう?きっとその情報拡散するぞ?」


「そのことは別に構わないわ。ただ、義人にマネージャーをしてもらう訳にはいかないだろうから、そこは上手く考える」


 え?別に彼氏と思われて構わないの?ちょっとそこ気になるだろ?!


 いやいや、知ってますよ。どうでもよ過ぎてフォロー必要ないって意味だよね。今、凄く調子に乗りました。


 でもなんか、俺もいきなり凄いことに巻き込まれてるな……。


 ホント芸能界って恐ろしい。


 しかし……


 向坂は一般女性から見れば遥かに美しいということは確かだ。でも大学のキャンパスならいざ知らず、モデル界、芸能界の中に入れば同レベルの女性は大勢いるはずなのに何で向坂だけに男の眼が集中するんだ?


 何か、俺が気付いていない理由があるんだろうか?


 向坂は撮影の準備があるというので、二人で控え室へ向かった。


 改めて観察して見ると、控え室に向かう途中に擦れちがう人間のリアクションは確かにちょっと尋常ではなかった


 男性が向ける向坂への貼りつくような異常なまでの視線。そしてその後にすぐにその男どもが向ける俺へ敵意。


 そして女性が向ける向坂への敵意。


 スタジオにいる全ての人間がことごとく向坂に注目している。男は異様な熱を持って、女は異様な敵意を持って。


 この空気の悪さ、何とかしてほしい。


 これでは向坂当人が耐えられまい。


 向坂が、スタジオに近づくにつれてどんどん暗い顔になっていった意味が今になればはっきり分かる。


 向坂とは一旦別れて、俺は邪魔にならないようにスタジオの端で他のモデルたちが撮影してる様子を遠目に眺めていた。中にはバラエティー番組でもよく見かける人気タレントモデルの姿もある。


 ああいったTVへの露出もある人気モデルの方が、向坂よりも業界での地位は圧倒的に優位なはずだ。しかしそれでも男性陣が向坂に拘る理由はなんだ?




「ちょっといいですか〜?」


 まだ幼さが残る女性が、突然甘ったれた声で俺に話かけてきた。


 女子高生くらいだろうか?まあ、そろそろ「YUKINAが彼氏連れてきた」なんて噂が拡散したころだろうから、動きがあると思ったはいたが、はてしてその通りとなった。


「なんでしょ?」


「私、モデルのMISAKIって言います。いつもYUKINAさんにはお世話になってて……あのYUKINAさんの関係者ですよね?」


「ああ、大学の友だちで、櫻井って言います」


 俺はできる限りの愛想笑いを添えてそう応えた。


「櫻井さん、もしかして彼氏さんですか?」


 ここはどう応えるか?初対面の相手にいきなりこんなことを平気で質問する常識知らずの少女の相手する必要もない。「否」と適当に返事して会話を打ち切ることもできる。


 でもそれでは俺の探りたいことも見えてこないから、ここは俺も情報を引き出すために会話を引っ張る必要がある。


「さあ、どうなんだろうね」


 俺は否定も肯定もせず、愛想笑いをキープしたまま、まず軽いジャブで様子を見た。


「いや〜、びっくりしましたよ。YUKINAさんが仕事以外の男性と一緒にいる姿はじめてみたんで〜」


 なんだよ、その間延びした喋り方は、ホントにいまどきの女子高生はこんなにあざとく話すのか?この娘はこんなトーンで話せば男が誰でもチヤホヤしてくれているとでも本気で思っているのかね?


 俺は少しイラっとしたがそこは大人の対応で、笑顔を崩さず続けた。


「はは、あいつ友達少なそうだしな」


「ええ〜?そうですか?YUKINAさん、ここでは大人気だいにんきなんですよ〜?」


「大人気?」


「ここだけの話、YUKINAさん狙ってる男性多いんですよ?」


「ここだけの話を初対面の人間にはしない方がいいね」


「ああ、私、口軽いって言われるんです〜、またやっちゃったかな?」


 ああ、ウザい、ウザい。今すぐ会話打ち切りたい。


 でももうチョイ頑張るぞ!


「向坂はここの男とは近しい関係にはならないんじゃない?」


「そうなんですよね〜YUKINAさんガード堅いんですよね?」


「ガードが堅い?それは違うでしょ」


「え?どういう事ですか?」


「向坂とここで一緒に仕事してるなら、気付いてるでしょ?この雰囲気。この中で向坂がまともな人間関係作れると本気で思ってるの?」


 MISAKIはようやく絶句した。


「まあ、あんたのようにあざとく演じる技に長けてればもう少し楽なんだろうけど」


 俺はピリッと皮肉を交えてそう続けた。


「しょ、初対面であざといとか、ちょっと失礼だと思います」


 おいおい、さっきまでのあざといトーンはどこ行った?一オクターブくらい声のトーン下がってて怖いんだけど。


「櫻井さんか、なるほどね。そういう人ですか、YUKINAさんも案外、したたかかなんですね」


 おい、いきなり素になるなよ。その変わり身、くのいちなの?カメレオンの末裔なの?まじ女子高生恐いわ。…


「君、高校生だろ?あんたの年齢で、そんだけのキャラ使い分けられると正直ビビるよ。まあ”ここ”は普通の人間では生きていくのは大変そうだから仕方ないのか」


「なんですか?その化け物みるような目で?ホント失礼な人」


「フフ、褒めてんだぞ?これでも。芸能界で生きていくために頑張って身に付けた処世術だろ?偉いと思うぞ?そのモチベーションはリスペクトに値する」


 MISAKIは褒められた事が、想定外だったのか一瞬キョトンとした。


「う、うわっ、さ、櫻井さん?あなた危険だわ、ヤバい。もうホントヤバい」


 なんだよ、その人を変質者を見るような目で見るなよ!?





「ずいぶん楽しそうね?」


 振り返ると氷の微笑をたたえた向坂の姿に、ホント凍りつきそうになった。


 しかし次の瞬間、撮影用にほどこされた衣装とメイクで見違えてしまった向坂に息をのんだ。


 直視できず、俺は赤面しながら眼を逸らしてしまった。


「あっ!……YUKINAさん!別に櫻井さんにナンパされてた訳でないので安心してください!」


「おい!なんで俺がナンパしてることになってんだよ?おまえから声かけてきたんだろ?」


「え?なんで私があなたを誘うとか、それはあり得ないから!?YUKINAさんもそんな勘違いはしないでしょ?」


 う〜む、確かに。それはその通りだから反論できない。この女子高生モデルから俺にちょっかい出すという話は……まあないな。たしかに、その判断はお前が正しい。


「確かにちょっと調子に乗ったな。でも、なんだよその勝ち誇った顔?ムカつくんだけど」


「あの義人?お楽しみのところ申し訳ないんだけど?」


 おい、向坂その笑顔怖いんだよ。


「いや、楽しんでないんだけど」


「女子高生モデルと仲良くなって鼻の下伸びてるけど?」


「っ!な訳ないだろ?」


「どうだか」


 向坂は呆れたようにそっぽを向いてしまった。


 なんで俺が後ろめたい感じになってんだよ?話しかけてきたのはあいつだぞ?しかも向坂のために情報収集してんだぞ?


「え?YUKINAさん?」


「ん?なに、MISAKI」


「い、いやこんな感情あらわにするYUKINAさん初めて見たんで」


 俺はMISAKIのこのセリフにピクリと反応した。それって、どういうことだ?


「そうかしら?ほら彼ってちょっと失礼なところあるじゃない?だからつい私も」


「おい、俺のせいかよ?」


「ちょっと義人は黙ってて!」


 さっきの野本の件があるから警戒しているのか、向坂はピシャリと言い切った。


「あ、いや、YUKINAさん、あの別に私ホントに櫻井さんにちょっかいだしてた訳じゃないんで、あ、あの私も撮影があるんで、じゃああ、また」


 MISAKIは向坂の態度に心底驚ているようだ。そして状況が悪くなったと思ったのか、そそくさと去って行った。


「ったく、なんだよアレ?」


「そう?ずいぶん仲良さそうに見えたけど?」


「どこからどうみれば仲いいと映るんだよ?」


「あの娘、チヤホヤされるのに慣れてるから、あなたみたいに本音言われるのが新鮮だったんだと思うわ。でも、あんまり引っ掻き回さないでよね?私が仕事しずらくなるんだから」


「仕事……しずらくなるね……」


「何?」


「もう十分仕事しずらくなってんだろ?これ以上どう悪くなるんだよ」


 向坂は絶句する。





「そう、見える?」


「ああ、最悪だな。俺なら一日もたないよ」


 向坂は悲痛な顔をして俯いた。今にも泣き出しそうな向坂を見て俺は会話を繋いだ。


「でも、あれだな。さっきのMISAKIだっけ?彼女は案外、向坂の味方なんじゃないの?」


「え?なんで?彼女の私へのライバル心は凄いんだから。とても味方には思えないけど」


「でも彼女といる時は、精神的に楽だろ?」


「ああ、確かにちょっとそうかも」


「彼女はモデルと言う仕事で向坂をライバル視してる。それは決してく面倒な恋愛云々を気にしてのことでない。あいつはお前のモデルとしての実力を正当に評価して、だからこそそれを越えようと努力してる。そのライバル心は向坂にとっても決して不快ではないはずだ」


「なんかMISAKIに肩入れする義人はちょっとムカつくんだけど?でもそう言われるとそうなのかもしれない。彼女のことは、そんなに嫌いでないのかも」





「で、これから俺はどうしたらいい?」


「ああ、そのことで呼びに来たんだけど……ちょっとある人に会ってほしくて」

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