第10話 違和感

 向坂が「YUKINA」という人気モデルとしてこのKスタジオでどのくらいのポジションにいるのかなんて知る由もない。


 それでも「YUKINA」の知名度を考えるなら、このスタジオである程度はVIP待遇されているであろうことは想像できる。


 ただ 向坂がこのスタジオに入った瞬間のスタッフの視線は「チヤホヤ」とVIP待遇する風景とは明らかに異質のもののように感じた。


 理由はまだ分からない。


 このスタジオにいる人間は向坂の一挙手一投足に過度に注目している印象を受けた。それに気持ちが悪いほどに違和感を感じる。


 なんで向坂はこんなにも見られてるのだ?


 そんな向坂の後ろに立つ男の姿。


 スタジオの皆が俺の存在に気づいた瞬間、皆の表情がみるみると変った。



「怪訝な表情」「驚きの表情」「不快な表情」「明らかな敵意」


 ざっと観察できた俺に対するリアクションはこんなもんだろうか?


 まあ、初対面の人間に此処までネガティヴな反応をされると、俺ってどんだけ存在がネガティヴなんだよ?と流石にちょっと凹むが……


 それは自意識過剰が過ぎる。


 幸か不幸か、俺個人のキャラでは良くも悪くもここまでのリアクションは引き出せない。


 つまり今の俺の存在を際立たたせているのは「向坂」であって俺そのものではない。




 そんな俺に向けられた視線のうち「明らかな敵意」を見せていた20代半ばと思しき男性が、早速向坂に近づいてきた。


 その男性は全体的に顔はまあまあ良いしスタイルも良い。


 しかし見栄えはいいのだが何処か醸し出す雰囲気が中途半端に見えた。だから彼はモデルという訳ではなくスタッフ側の人間だろうと思えた。


 その男は俺を睨むように一瞥して、頭の先からつま先まで舐める様に俺を見た。


 それから明らかに俺を意識した、ことさら馴れ馴れしい態度で向坂に話し始めた。


「YUKINAちゃん、お疲れ。ゴメンね、急に呼び出して。昨日のチェックでもう何カット欲しいって話が出て……大学の講義あったんでしょう?」


「いえ、大丈夫です……」


 向坂は先ほど見せた、薄ら寒い作り物の笑顔のまま一言で対応した。


 この男の”あからさまな”俺への敵意を見た向坂が一瞬不安げに俺にチラリと目を向けた。


 このKスタジオの異様な雰囲気の正体は分からない。


 しかしこの男のリアクションの意味は簡単だ。


 向坂への好意。だから一緒に入ってきた男の存在を疎ましく思った。


 でもさぁ、それこそここで働く見栄えのいい男性モデルならいざ知らず、俺のような普通の大学生相手にそんな露骨な敵意を見せちゃダメだね。俺の存在を脅威に感じてる時点で、この男性と向坂との距離なんて吹け飛ぶレベルってことだ。


 俺を意識してことさら向坂に馴れ馴れしくする様からは痛々しさしか感じられない。


 目の前にいる向坂の冷たすぎる対応を見れば分かりそうなものだが。


 向坂の様子少し困っているようにも見えたので、俺は思わず口を出してしまった。


「YUKINA?おまえ朝から大学で忙しいのに無理やり時間作ってきただろ?それは正直に言えば?」


「よ、義人!な、なに言って……」


 向坂は今まで頑なにキープしていた笑顔が一瞬で瓦解し真っ赤に赤面して絶句した。


 〝マジに信じらんない〝って顔で俺を睨んだ。


 フフ、そのリアクション、ナイスだね。


「え?なにそんなに焦ってんだよ?ウケるんだけど。へえ、YUKINAって仕事場だとこんなに良い子ぶってんだ」


 馴れ馴れしい物言い……。恐らくここでは見せることのない向坂の素の表情。それを引き出した俺の存在が、向坂を意識する男から見て面白いはずがない。


 露骨に不快な表情をしたその男はギリギリと歯ぎしりするよう顔をしかめた。


「彼は?……関係者?」


 部外者は入ってくんな!と抗議するかのようにその男は向坂に迫った。


 まあその通り部外者だけど、大学生相手になんでこうムキになるかな?まあ、この反応見る限りこの男が向坂にそれ程影響力があるとは思えない。無視していいレベルだ。


 モブはモブの役割に徹してください。


「す、すいません。彼は大学の友人で、例の件で連れてきました」


「え?なんだって?!例の件?彼がそうなのか?」


 男は急に眼の色を変えて詰め寄るように、狼狽する向坂に迫った。


 例の件?なんだ?俺なんも聞いてないんだけど?


 向坂はその男からバツが悪そうに目を逸らし……


「じゃあ、野本さん、後程」


 と言って俺の腕を強引に引っ張りながら逃げるようにそのモブモブしい野本から遠ざかった。


 俺の腕をナチュラルに掴む向坂を見てその男は、さらに苦々しい顔をした。




「義人!ちょっとイキナリ何してんのよ!?」


「いや、なんか喧嘩売られちゃったみたいだから」


「誰が喧嘩売ったのよ!?」


「お前も気付いてハラハラしてたじゃん?」


「もう、あの人ちょっと面倒だから余計な刺激与えないでよ」


「あらら、面倒とか言っちゃったよ。可愛そうに」


「もう!ふざけないでよ!!」


 向坂は結構マジにむくれてしまった。


「わ、悪かったよ」


「ホント焦った。義人イキナリ飛ばし過ぎだから」


「まあ、そうだな」


「今日は静観してくれればいいから。あんまり先走らないでよ。なんかちょっと不安になって来たんだけど」


 さて、向坂は気づいているのだろうか?


 向坂はスタジオに入ってからグラグラと動揺し、感情豊かに怒りを露わにし、顔を紅潮させてまで俺にマジ切れしている。そんな姿を見たスタッフたちが驚きの表情をしていることに。


 スタッフは〝信じられない〝という程の「驚き」を向坂に向けていた。


 まるで、こんな感情を顕にする向坂を見ることがないとでもいうようだ。


「おい落ち着けって。なんか、みんな見てるぞ、お前のこと」


 俺にそう言われて向坂は、ハッとして周りを見た。


 視線に気づいた向坂は顔を引きつらせなが下を向いてしまった。


 向坂は少し深めの呼吸を数度しながら気持ちを落ち着けているようだった。


「もう、義人のせいだからね」


 向坂はまだ俺を許してくれないようだが、それでもKスタジオに入った直後の張り付いた笑顔を見るよりも、こんな感情を露わにした向坂を見る方が何故か安心する。





「で、例の件ってなんだよ?俺なんも聞いてないんだけど?」


「だから義人が焦らすから、余計なこと言っちゃったじゃない」


「余計なこと?」


 向坂は少し言い澱んでから、口を開いた。


「私のマネージャーの件なんだけど」


「マネージャー?それがなんで俺と関係するの?」


「私のマネージャーがなかなか安定して務まらくて、事務所で問題になっているの」


「え?何で?もしかして向坂、超ワガママで耐えられなくなるとか?」


「違うわよ!私なんか、マネージャーに気を使いすぎて胃に穴があきそうよ」


「ははは、そこまでじゃないだろ?……でもだとすると何で?」


 そう聞くと向坂はまた表情を暗くした。


「まあ、言いたくなければ無理して話さんでいいぞ?」


「いや、まきこんじゃったから義人には言っておかなければいけないよね」


「無理にとは言わないぞ?」


「なんかね、どのマネージャーもみんな一線を越えてしまうというか」


「ああ、分かった。分かった。みなまで言うな!」


「何それ?」


「要するに皆お前に惚れてしまうってことだろ?」


「まあ、そんな感じかな」


 確かにこんなに美しい女性なら誰でも好きになってしまうのは分かる気がするが、それが問題になるのか?


「でも、芸能界ならそんな話多いんじゃないの?そんな問題にしなくても上手く捌けそうな気がするんだけど?手っ取り早く同性にするとか?」


「うん、でも女性も最終的に私との仕事を敬遠することになるから」


「え?なんで?まさか百合展開とか?」


「違うわよ!ふざけないでよ?……その女性と親しい男性がね」


「分かった。皆まで言うな!!」


「だから何よそれ?」


「気にするな、つまり、例えばその女性マネージャーの彼氏がお前に惚れてしまうと」


 向坂は苦しそうに頷いた。


 だから、下手に向坂に近づくと彼氏を奪われる危険があるからやりたがらないか。


 ホントにそんなことあるのか?


「だから安全なマネージャー候補を探していたの。つまりあなたは私の安全なマネージャー候補ってことに咄嗟にしたわけ」


「はあ?何言ってんだよ?誤魔化すにしても大学生の友達にさすがにそれは無理があるだろ?」


 それにサラリと〝安全〝とか恋愛対象外宣言されてて地味に落ち込むんだけど。


「そ、その事なんだけど」


 向坂は、さらに苦しそうな顔をして言い淀んだ。


「まだなんかあるのか?」


「そのマネージャーなんだけどね」


 向坂はそこまで言ってなぜか俺から視線をそらして続けた。



「私の彼氏にしたら?という話が出てたの」

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