第7話 YUKINA

 な、な、な、なんだと!?


 向坂が……人気モデルのYUKINAだと!?



 俺はそのあまりに衝撃的な事実に仰け反ってイスから転げ落ちそうになった。


 YUKINAの名前は、ファッションに全く興味のない俺でも知っている。


 彼女の露出は、いつも限られた専属雑誌だけと聞く。YUKINAは人気モデルと言っても、最近多く見かけるバラエティー番組や女優業をもこなすマルチタレントとはまた少し違った立ち位置にいる。


 専属雑誌に掲載される以外に彼女の姿を見ることは不可能で、素性も一切明かしてはいない。ゆえに「謎多き美女」「女神」と形容され、TVなどのオールドメディアとは対照的にネット界隈ではむしろ一番知名度があるモデルともいえる存在だ。


 図らずも演出されてしまったミステリアスな彼女の存在は、どこか現実から隔離されたところにいてネット住人との相性がよかったのだろう。


 だからファッションに全く興味のない俺がそうであるように、PCたスマホでネットを見ることが日常の若い世代を中心とした現代人ならYUKINAのことは当然知っている。


 いやいや、ちょっと待て……落ちつけ。


 ないない。それはない。落ち着け、落ち着け。



 しかしだ。


 思えば思うほど、考えれば考えるほど俺の心は動揺で落ち着かなくなる。


  そういえば、彼女の洗練され過ぎていたファションもプロのモデルなら納得のいく話だ。


  だとしてもまだ、その事実を認めようとしない俺は自分に言い聞かせるように言葉を繋いだ。


「いや、ネタとしては面白がさすがにそれはないだろう?」


「マジだって。ついこの間SNSでYUKINAがこの大学に通っている姿が投稿されて、かなりバズったらしいぜ。事務所が抗議文だしてるから、逆にそれは事実ってことだろ?」


「うぐぐっ」


 心臓が急にバクバクして、とてもじゃないがまともに言葉が出てこずに思わず呻いてしまった。


「おまえ、それ知らないで近づいたのか?」


「ああ、全く」


 というか別に俺から近づいた訳でもないんだが。


「マジかっ!櫻井チャレンジャーだなって思ったんだよ。なんだ知らなかったのか。逆にそれがよかったのか?普通に接してくれる普通の人にキュン!みたいな?」


「そんな安直な話ではないけどな」


 ここで田尻というディープな世界という共通点の話をしても逆井がついてこれるとは到底思えなかったので俺は適当に返事をした。


「ってか、お前、マジ動揺しんてな。なんで?」


 ついには動揺を悟られまいと机に突っ伏してしまった俺をさすがに逆井は心配した。




 そんな時、


「トンッ」


 とまた背中を指で叩いかれた。


 いや、だから逆井、もういいだろ?


 ゆっくり顔を上げると、驚愕の顔をした逆井の顔が目に入った。


 果たして今、背中を叩いたのは、また逆井かと思いきや……


 向坂だった。


「義人くん、オッス!」


 だから、その距離感なんだよ。いきなりオッスってどんだけ俺達親しくなってんだよ。さっき少し話しただけじゃん。


 しかし不思議なもので彼女の顔を見たら、不思議な程に動揺は収まってしまった。


 俺は午前中に向坂と会話した時と同じテンションが自分の中に戻ってくるのを感じた。


 だから思ったままを口にできた。


「オッス!ってどんだけ親友なんだよ俺達?」


「だって同志でしょ?田尻トークできるのなんて、この大学広しといえど私だけでしょー?」


「まあ、そうだけどさ。で、向坂さんもこの講義?」


「サ・キ・サ・カ?」


 向坂は「サキサカ」という読みをわざとらしく強調して反芻してから、不満げに俺を見た。


「え?……何?」


 俺は意味が分からず聞き返した。


「雪菜って呼ばないの?」


「は?何それ?」


 お前の不意打ちマジ恐いよ……


「さっき呼んでたたじゃない?」


「そうだっけ?俺は向坂さんほどコミュ力高くないから、会った初日にいきなり名前呼びとかできないから」


「わ、私だって誰にでもそうしてる訳じゃないから」


 そういう”もしかして俺って特別な存在なの?”って誤解を生むような微妙な言い回し止めろよ?モテない男はそういう微妙な言い回しまでガッチリ大事に拾い上げて一喜一憂しちゃうんだから。


 ホントこの美女は……危険だよ。


「ほら、義人、いや櫻井くんだって……」


「もう、そこ言い直さなくていいから」


「じゃあ、義人くんも一度"雪菜”って言ってるからね?」


「いや、言わね~から」


「メール交換したとき」




「あ、あ~」


 たしかにそんな冒険したんだっけな。


「あれはほら、メッセージにそうあったから、ちょっとシャレで言ってみただけだし。それに向坂さん、あの時は華麗にスルーしてたじゃん?実はしっかり意識してたのか?」


「だって私が”櫻井くん”って言った時も”義人のままでいい!って修正してきたから、名前でしっかり距離測る人だと思ったんだよ」


 うわっ!やばいだろ、その分析力。


 そうか俺がさっき「雪菜ちゃん」と言った意図はしっかり分析済みか。


 やっぱ侮れんな。


 ならば……遠慮なく。


「じゃあ雪菜さん」


「なんでございましょう?義人さん?」


 芝居がかった言い回しで、そう行った向坂は、心底この会話を楽しんでるようにそう言った。


「だから、この講義とってるの?」


「ええ。今日からだけどね」


「え?なんで今日から?」


「ちょっと忙しくてね」


 と言ってから向坂はチラっと隣で固まってる逆井を見た。


 そうだ逆井がいるのを忘れていた。


 逆井は俺と向坂の会話を驚愕の表情で聞いていた。


「えーと、彼から聞いたんでしょ?私のこと」


「ああ、モデルのYUKINAだって?……そういうプロフィールは先に言えよ。マジ、ビビったから」


「気付かなかった?」


「俺のこのファッションセンス見れば、ファッション雑誌に関心があるとは思えんだろう?」


「うーむ……否定しない」


「否定しろよ。ちょっとは」


「アハハ。そうね。ファッションに気を使ってないのは、人それぞれだし。でも身長も結構高いし、スリムだし、見栄え的にはいい方なんじゃないかな?」


「ほう、人気モデルYUKINAさんに見栄えを褒められるとは俺も捨てたもんじゃないな?それとファッションに拘るなんて俺のポリシーに反するってことも付け加えておく」


「うわぁーそのポリシー、コンプレックスの裏返しだ!フフフ」


 ああ、ポリシーという逃げの一手だな。さっきようやく気付いたことをサクッと指摘すんなよ?




 さて、そろそろ置いてけぼりを食らわしてしまった逆井を回収しないといけない。


「あ、こいつ逆井。そんな親しくないんだけど」


「お、おまっ!なんだよその紹介の仕方」


「いや、自分でそう言ってただろ?……いや、あの時はホント凹んだよ」


「なっ、さっきYUKINAって聞いて動揺してたくせに、なに急に余裕かましてんだよ!」


「バカっ!それバラすなよ」


「そんなお前だけ向坂さんといい雰囲気なってるとか許してたまるか!」


「え?義人くんそうだったの?そんなに焦ったりしたの?」


「まあ、な。実はね、結構ショック受けました」


「だよねー。でも、ありきたりだけど私は私だから。気にしないでくれると助かる」


「ああ、知ってる。俺がそんなラベリングで人を判断したら田尻フリークの名がすたるってもんだ」


「お、かっこいい!でも動揺したくせに」


 意地悪そうに向坂は微笑んだ。


「それは、まあ田尻フリークの前に健全な男子ってことだ。男なんて美人の前ではどうしたって冷静でいられなくなる」


「ふーん。義人くんから見て私は美人なんだ?」


「お前を美人でないという男がいたらそいつはきっと平安時代からのタイムトラベラーだな」


「あ、出た、オカルトネタ。でもどういうこと?」


「おまえどう見たって平安美人ではないだろう?」


「ふーん。面と向かって美人でないと言われるとちょっとショックかも」


「だから平安美人ではないけど、今の時代では超絶美人だろ」


「え?なに?もう一度言って?」


「だから超絶美人だろ?」


 向坂は”フフフ”と意地悪く笑って見せた。


 コイツ絶対ワザと言わせたな。


 ホントその笑顔マジ恐いからな、魅惑的過ぎて。



 俺に魅惑の微笑を向けたあと、向坂は不意に逆井の方を向いた。


「逆井さん?はじめまして。よろしくね?」


 向坂は、ニッコリと笑顔で逆井な方を向いた


 逆井は、まるでピュア高校生のようにドギマギして”よろしく”と答えていた。


 ただ向坂が逆井に向けたその笑顔は、俺に向けた魅惑の微笑と違いどこか余所よそいきで「分厚い仮面」という印象を受けた。


 そして”逆井さん”と他人行儀に「さんづけ」で呼んだのも、さっき自分で「名前呼びで距離感を推し量っている」と暴露していたように意識的に距離を取ってきた可能性が高い。


 向坂は英語の講義が終わると「友達と会う」と言って、颯爽と去っていった。「友達と」なんていいつつ、きっと仕事関係の用事なのだろう。忙しいならこんな英語の講義にわざわざ出てこなくとも十分英語は堪能だろうにと思う。




 逆井と俺は、流れで一緒に駅まで向かうことにした。




「なあ櫻井」


「なんだよ」


「お前と向坂さんとの会話聞いてて思ったよ」


「え?何を?」


「お前だから、向坂さんは距離を縮めて来たんだなって」


「そうか?」


 と惚けてみたものの、これは俺の中で十分な手ごたえとして感じるところだった。


 田尻とミンデルの図書にお互いが精通しているからなのか?もともと思考が似ているのからなのか?向坂とは会話が妙に噛みあう。


 正直会話をしていて楽しい。


 もしかすると向坂もそれを感じているかもしれない。希望的観測だが。


「少なくとも俺はあの会話に入れないな」


「そんなことないだろ」


「お前、向坂さんとは今日会ったばかりなんだろう?なんか幼馴染なのかと錯覚したよ」


「そこは彼氏かと錯覚したって言えよ?」


「それはさすがに思わねーよ」


「ハハハ、だよな」


「でも、悔しいが、彼女が俺に振り向くイメージが全く湧かないよ。いや彼女とどうにかなろうなんて大それたことを考えてたいた訳じゃないんだけどさ。お前との親し気な会話見せられれてちょっと凹んだわ」


「まあ、でも今日ちゃんとコネクション出来た訳だし。あ、俺のおかげな?そこは忘れんなよ?だから俺をちゃんと通せよ?」


「なんだよ、おまえマネージャーかよ」


「いやそこは冗談でも彼氏って言えよ」


「だから、それだけはぜってー言わねーから」


「ハハハ、だよな」


 冗談交じりに言ってみたが、逆井は思いのほかしょんぼりしてしまっていた。


 その後、逆井はバイトがあるとかでT駅で別れた。


 入学早々にもうバイトしてんのかよ、偉いなお前。




 俺が自宅のアパートに帰って来たのは夕方の7時を回っていた。




 今日は色々なことがあり過ぎた。まあすべて向坂がその中心にいたのだが。


 俺は精神的に疲れていたので、読みかけの本をパラパラと読むうちにいつのまにかそのまま眠り込んでしまった。





 どれくらい寝てしまったのだろうか。テーブルに置きっぱなしにしてあったスマホが急にバイブ音を響かせた。


 眠りの浅かった俺は、その音で「ビクッ!」と眼を醒ました。


 スマホを見ると、なんと向坂からのLineだった。


 Lineに表示された"向坂雪菜”の名前を見て心拍数がピクンと跳ね上がり、眠気が一気に吹っ飛んだ。


 興奮して思わず小刻みに震えてしまった指でアプリを操作し、向坂からのメッセージを見る。



 ”田尻のサークル説明会のチラシ送ります。一緒に行こうね?”


 シンプルな業務連絡か。まあそうだよな。


 即レスはキモイと思っていたが、心拍数が上がった勢いで、あんだけ注意しようと思っていたのに即レスしてしまった。


「連絡ありがとう。いまから楽しみです」


 すると、向坂もまだスマホを見ていたのか、向坂からも直ぐに返信が来た。


 そして、その返信をきっかけにちょっとしたチャット状態になった。


「何が楽しみなの?」


「それは田尻のサークルだろ?」


「ブブー!不正解!」


「え?何?」


「そこは”私と会えるから”って言わなきゃダメでしょ?」


 心拍数がさらに跳ね上がってしまった


 やれやれ。


 この調子では、俺の心臓は、いつまで持つんだろうか?

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