第5話 知名度

 俺はコーヒーをもう一杯おかわりして一人席についた。


 さっきは向坂の声にしか注意がいっていなかったが、こうして一人で座っていると結構な喧噪で学生たちの談笑が聞こえてくる。


 こういった喧噪というのは、部屋で一人いるよりも「一人」であることがより意識されて、静かに自分の世界に入れる。だから、本当に「一人」を感じたい時、俺は敢えて人ごみの中に出かけていくこともあるほどだ。


 こうして一人でいる俺は、いつもの俺だ。意識が日常に戻ったことで、よりさっきまでの異常事態との落差を感じてしまう。


 つくづくさっきまでの光景が「まぼろし」のような「遠い世界」のように思えてくる。


「さっきの俺は、ホントに俺だったのか?夢ではなかったのか?」


 そんな馬鹿げた妄想が、決して馬鹿げていないと思えるほどに妙にリアルに感じられる。





 俺はスマホを取り出して、Lineの画面を立ち上げてみた。


 そこには夢ではなくしっかり登録された向坂雪菜の名前がある。陳腐な表現だがその名前の背後に無限に広がるこれからの可能性に、身震いするほどに心がざわざわと蠢いた。


 ボーっとした頭は熱を帯びている。


 ふと俺は、朝、「田尻の講義」を心待ちにして家を出たことを思いだした。


 しかし今、最大の関心ごとが「田尻」より「向坂」にすり替わってしまっていることに苦笑した。


 田尻の講義を聞くためにこの大学に来た俺からすると、どこの輪に行っても異性の話しかいない浮かれた連中を見るにつけて、このところウンザリしていた。


 しかし今の俺は、そんな浮かれた連中と大差ないということに気付かされてしまい愕然とした。



「ホント俺って……」


 そう嘲笑気味に独りごちた。




 *     *     *




「あの~」


 不意に一人の男子学生が話しかけてきた。


「あ、はい。なんでしょ?」


 不意をつかれて少しキョドってしまったが、この態度こそ安定の俺だな、と苦笑する。



「サークルとかもう決めてるの?」


 ああ、サークルの勧誘か。


 俺は、なんかワザとらしい愛想笑いに警戒した。後輩にそんな満面の笑みは普通贈らないだろ?


 こんな男子生徒はどちらかと言うと見栄えのいい女性ばかりに声かけてる印象なんだが、なんで俺のようなどこにでもいる普通男子に声を掛けてきたのだろう?


「そうですね、入ろうとしているサークルはありますけど」


 田尻のサークルを知る前なら「サークル入る気ないんで」と断ったところだが、ここは嘘をついても仕方ないので正直にそう話した。


「ああ、だったら向坂さんも一緒?」


 ははあん。なるほどね。


 だよな。愛想笑い全開で男子が俺をサークルに誘う訳ないよな。


 なんださっきの作り笑顔は俺をダシに向坂狙いのためか。そう思うとちょっとイラっとした。


 つか、なんでこの人、普通に向坂の名前知ってんだ?あいつまだ一年だぞ?すでにそんな知名度あんのかよ。向坂スゲーな。ホント。


 俺に声を掛けてきたってことは、おそらくさっきまでの俺と向坂のやり取りを遠巻きで見ていたのだろう。


 俺と向坂、そんな仲良く見えました?それちょっと嬉しいんだけど?


 思わずニヤニヤしていたら少し気味悪がられ、その男子生徒は怪訝な顔をした。すいませんね。キモくて。


「どうかな?俺ら所謂テニサーなんだけど……人数は大学内でも多いほうだから」


 はいはい、それな。でもそれはちょっとアピールの仕方間違ってるね。


「でも向坂はそういったサークルは、むしろ敬遠すると思いますけど?」


「え?なんで?楽しいと思うけど?」


 だからさ、もう少し相手のことを考えましょうよ。


 さっき新歓コンパの話をしたときの向坂の表情を思い出せば、こんなサークルに入ればどういうことになるのかは火を見るよりも明らかだ。


「向坂にはそういうのって煩わしいと感じると思いますよ?」


「え?何で?」


 露骨に不快な表情を顕わにした男は、苦笑しながら問い返した。


「想像できませんか?大勢の男から向坂はチヤホヤされる。それを見た女子は当然面白くない。向坂は気を使わなければそのコミュニティーにいられない。そうなりませんかね?」


 俺の言葉に相当「カチン」ときたのか、その男は顔色を変えて戦闘モードに突入した。


「ハハ、それは狭いコミュニティーの風景だな。君は大所帯のサークルのコンパとか行ったことない?」


「ええ、僕はそういうのは苦手なんで」


 相手はろくにコンパにも誘われないさえない男が偉そうに言うな、とでも言いたかったんのだろうが俺には俺のポリシーがある。向坂との邂逅でややポリシーがぐらつきはしたが、それでも大所帯のサークルで遊ぶことを主とした大学生活を送る気はさらさらない。


 大学入ったら遊ばなきゃ、と自分の価値観を押し付け来るようなその言動に俺もだんだんイライラしてきた。


 まあどちらしにしてもこれ以上議論を続けても仕方ない。この男の目的は俺じゃなく向坂だ。俺がとやかく向坂のことを口に出すのは筋違いだ


「僕から向坂にも言っておきますよ。お誘い、ありがとうございました」


 定型文。


 ことさら丁寧な返答。


 この意味わかってね?


 遠まわしな断り文句だよ?


「ああ、頼むよ。チラシあるから向坂さんにも"絶対"見せてね」


 と強引にチラシを手渡して来た。


 結局、俺は強引にチラシ渡されてしまった。


 まあ向坂奪取計画にそのサークルも必死なんだろうからな。まあ"勧誘、頑張ってくださいよ"と心の中では言ってみるだけ言ってみた。


 でも、向坂にこのチラシ、"絶対"渡しませんけどね?

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